国民国家の黄昏

ユニクロの「世界同一賃金制」というニュースを聞いて、グローバル社会に「国際感覚」は不要になりつつあるのではないか、という思いが横切った。
国際感覚とは「文化の違い」がワカル、そうした違いを超える力と言っていいと思うのだが、その前提として「国民国家」の存在がシッカリあるということだ。
しかし、スベテの国家が統一規格となり、文化でさえも融合してしまうほどグローバル化が進んでしまったら、つまり国民国家ソノモノがほとんど意識されなくなったら、互いの「違い」を理解したりソレを超えようとする「国際感覚」ナンテ必要もないからだ。
必要なのは、世界の共通語となるであろう英語のみである。
実は「多国籍企業」ナンテいう言葉は、今やヒカラビつつあるのではなかろうか。
シッカリとした国民経済や国民国家があるから「多国籍」企業という概念が成り立つ。
「多国籍企業」というとき、様々な国へ文化的適応を果たしつつ海外に進出していく姿があった。
だから「国際感覚」コソが大きな武器であった。
しかし、グローバル化が極限まで進んだ世界、文化的融合さえも行き渡ったフラット化した世界では、もはや「多国籍企業」とよぶだけの前提は失われ、ムシロ「無国籍企業」という方が適切であろう。
また、タイの洪水や東北の震災で知らされたことは、企業の部品調達の広がりなどのサプライ・チェーンを見る限り、果たして 一つの製品が「メイド・イン・○○国」なんて意の味あることかとさえ思えてくる。
起業したのは日本国内で創業者は日本人であるが、すでにそれは随分昔の話で、株主も経営者も今では無国籍であり、生産拠点も国内に限定されない、部品調達もあらゆるところからもたらされる。
株主からすれば、特定の国民国家の成員を雇用上優遇し、特定の地域にトリクルダウンし、特定の国(法人税の高い国)の国家にせっせと税金を納める経営者のフルマイは異常である。
株式会社の経営努力とは、もっとも賃金の低い労働者を雇い入れ、インフラが整備され公害規制が緩く法人税率が低い国を探しだして、そこで操業することだと投資家達は考えている。
かくして国民国家は「無国籍企業」に侵食されていく。
そしてこのたびのユニクロの「世界同一賃金制」も、世界企業の「無国籍化」へのステージをワンステップ上げることになったにちがいない。
世界中で同じ仕事ならば同じ賃金にするのは、日本から新興国へ、あるいはその逆の国境を越えた「異動」を想定しているのだろう。
また、すべての進出国で「同じ土俵」で評価することは、世界中どこに行っても、すぐに同じ能力を発揮することが求められる。
しかも、中国などの新興国に比べて賃金が高い日本は下へ引っ張られるのだから、日本人社員にとってはキツイ話だ。
ユニクロ社長によれば、グローバル経済というのは「Grow or Die(成長か、死か)」なのだそうだから、ソコマデしなければならないといわんばかりだ。
最近の風潮では、マスコミも官僚も、日本はTPP参加にせよ、原発復帰せよ、ソウデモしないと外国との競争に勝てないかのようなイメージ創りに協力しているようにみえる。
「世界同一賃金制」が新聞の一面トップに掲載されたのも、グローバル企業 に勤務する人材は世界中の人材と競争しなければならないという「メッセージ創り」の一つかと思わぬでもない。
そして、国民経済や国民国家が危殆に瀕してしまえば、同一の基盤にフラット化されて、他国の経済や社会やに対する適応努力さえも取り払うことになる。
最終的に世界中の文化的抵抗を極限にまで押し下げて進出していくと「無国籍化」する。
今の段階で「国際感覚不要」というのは言いすぎだが、英語の社内公用化企業の広がり、先日の官僚のトッフル試験導入など、国際感覚というよりもツールとしての英語にノミ「重き」があるように感じるのは気のせいだろうか。

ところでグローバリゼ-ション的発想の端緒は古代においてスデニ表れていた、と思う。
古代中国にあった「中華思想」にはグローバリゼ-ションの萌芽を感じさせるものである。
中国の周辺の国々は、中国の「官制」などを多く取り入れ、日本では「律令」がそれにあたる。
アジア周辺諸国が定期的に貢モノをもって中国に挨拶にいくわけで、古代博多にあった奴国はその挨拶の代りに「漢委奴国王」の金印をもらっている。
つまり中国皇帝から、ソレゾレの地域をおさめる「王」たるオスミツキをもらったということだ。
さて「当面」の世界の中でかなりの「グローバル化」を推し進めた歴史上の人物を二人ほど多い浮かべることができる。
今、世界的になされている「国債の格付」けから「レストランの格付」まで、世界の統一基準で表現しようとしているが、その大先輩が秦の始皇帝である。
こうした中国はグロ-バリゼ-ション(チャイナニゼーション)における先輩国家というだけではなく、始皇帝は「規格マニア」といっていい皇帝であった。
始皇帝は、郡県制の採用、車幅(轍(ワダチ)を統一、度量衡(度=長さ、量=体積、衡=重さ)の統一、貨幣の統一、文字体の統一(篆書)などを行った。
つまり「広い中国」で広義の言葉の統一を行ったのである。
またもうひとりのグローバリズムの主といえば、古代マケドニアの王国の英雄王・アレキサンダー大王である。
13歳から古代ギリシャ最大の哲学者アリストテレスを家庭教師とした。父親の死により19歳で即位し、2年後の334年から東方遠征に乗り出し、中央アジア・インド北西部に至る空前の大帝国を実現した。
そしてアレキサンダーほど、「東西交易」に大きな影響をもたらた人物は他になく、その歴史的な意義はとてつもなく大きい。
例えばギリシア人の影響で仏教徒が仏像ナンテものを作り始め(ガンダーラ美術)、それが日本の飛鳥文化に影響を与えている。
東方に発展したギリシャ文化はヘレニズム文化とよばれ、東西の文物交流により、人種や文化の「一体化」がすすめられた。
アレクサンダー大王の帝国の共通語「コイネー」は、ローマ時代に地中海東岸の地域中で広く話された古代ギリシャ語の方言である。
また、紀元前324年ペルシア帝国の旧都スーサで「集団結婚式」に典型的にみられる。
具体的には「民族融合」を考え、ギリシア兵士とペルシア貴族の子女との「集団結婚」させたのだ。
約1万人に及ぶ兵士たちにはアジア人女性との結婚を認めてお祝い金を与えた。
アレキサンダー自身もペルシア王族の女性を妻にする。
この時、大王自身もペルシア・アケメネス王家の2人娘と同時に結婚し、約80人の側近たちにはペルシア人・メディア人貴婦人の女性を与えた。
アレキサンダーはこの2人の娘と結婚したことによって、ペルシア王家の2つの血統を手に入れたことになる。
広大な帝国を治めるためにもペルシア人をどんどん登用し、その影響かアレキサンダー自身がペルシアに傾倒していく。
また、エジプトでアレキサンダーはシワーという神殿都市に行くが、ここの神殿で「神の生まれ変わり」というお告げをうけて、すっかりその気になる。
もともとエジプトは王を「神の化身」と考える伝統があったため、神の化身かのように接待されて、気分が悪かろうはずはない。
一言でいうと、ペルシアやエジプトの王の在り方は「専制主義的」なのであり、王を同輩に近い感覚で接するマケドニア人やギリシア人との落差は、アマリニ大きいものであった。
アレクキサンダーがギリシア風よりもオリエント専制主義が気に入ったことはもちろんである。
その一方で、マケドニア以来アレキサンダーの身近にいた貴族グループとの間にシックリしない雰囲気を生み出す。
「アレキサンダーの勝利はマケドニア人のおかげじゃないか」という憤懣である。
紀元前334年、小アジアに入り、ペルシア軍に連戦連勝して、シリアとエジプトを手中に収め、更に東へ進み、アフガニスタンから、マウリア王朝のインドへも侵入した。
アレキサンダーは、さらに先も進みたかたようだが、インドのヒュファシス川で、すべて思い通りにしてきた軍隊の「抵抗」にあい、紀元前325年、ついに兵士たちの要求を聞き入れて大王一行は帰路についた。
この出来事はアレキサンダー大王にとって、初めての痛恨事であったとえいる。
さらには、マケドニア貴族の中からは反乱計画など不穏な雰囲気の中、アレキサンダーは突然に倒れ、33歳の若さで亡くなっている。死因はよくわかっていない。

最近「グローバル経済」という言葉が横行しているためか、「国民経済」という言葉とそれにマツワル経済社会が、懐かしくシカモ健全に思えてくる。
グローバリゼーションの画期は、一国の経済規模を「GNP」(国民総生産)ではなく「GDP」(国内総生産)で表すようになったアタリかもしれない。
「国民経済」ではそれぞれの国家の国民の歴史的体験を担って営まれていた経済活動が主体であり、そのようにある程度「閉じている」ことが、歴史と伝統が育んだ智恵や創意も生かされたのではないかと思う。
ところが経済関係のスケ-ルが大きく国家の枠を超え、まったく国籍の違う住民が生産拠点を移して活動したり、さらに「世界規格」やら「世界標準」というコンセプトが前面にでてくると、各々の国民経済の持つ「歴史性」が消去されてしまう。
それは、かつての国民経済と地域経済との関係にも似て、すべてが国民経済に呑みこまれてしまうと地場産業や地域経済のコジンマリとした「美質」が失われていったことを想起させる。
逆にいうと、多様な国民経済コソは、「グロ-バリゼ-ション」の行き過ぎへの「対抗力」となっていたのだ。
結局、各国経済の底力は、国民の歴史体験をベースにした「国民経済」の強さにあるのでなかったか。
例えば「グローバリゼーション」の波に呑みこまれないスイス「国民経済」などを思わせられる。
かつてスイスのアルプス登山鉄道の基点・インターラーケンの町に滞在したところ、ウイリアム・テルの歌劇のいうポスタ-がはりめぐらされていた。
そしてそのポスターには、「ウイリアム・テルこそはスイス人の魂である」ということが書かれてあった。
まるで年末の日本の「忠臣蔵」を思わせるが、テルは今なおスイス人にとって「独立のシンボル」となっているのに驚きを覚えた。
それは、スイスの「永世中立国」宣言に見るように、小国でありながらヨ-ロッパや世界の中で実にユニークな国つくりを行い独自路線を歩んでいることとも関係があるように思う。
スイスの銀行、なかでも個人銀行を有名にしたのが「番号口座」で、その匿名性が人気を得て世界中から資金が集まってきた。
犯罪や脱税にそれが使われるという批判はいまなお多いもののスイスの銀行は、度重なる各国当局の開示要求や司法の批判にさらされながらも、少しもヒルマズそうした要求を退けてきた。
そうしたスイス銀行の「守秘性」には、弾圧されて山間の村々に逃れてきたユグノー(新教徒)達の苦難によって根ざした「怨念」さえ感じさせる。
もうひとつ「国民経済」のシブトサを思わせるケースとしては、オランダの復活がある。
オランダは、Hollandつまり「窪んだ土地」という意味であるが、このことに取り組んだ歴史こそがユニークな国民経済をつくりあげた。
オランダは石油ショック以降、赤字財政と失業に悩んでいたが、1983年ハーグ郊外の小さな町ワッセナーに労使政府代表があつまり賃金抑制・労働時間の短縮・雇用確保・減税を約束し合意した。
この「ワッセナー合意」以降、財政赤字も減らすことができ、一時「オランダ・モデル」ともよばれたが、「インフレ連動型賃金」が廃止されたために労働者の収入は実質的減少し、国民全般に大きな痛みをもたらす結果となった。
そして1994年の選挙で新たに連立政権の中心となった労働党は、前政権(キリスト教民主同盟)とは全く異なるアプローチで経済問題を解決しようとした。
政府がまず目をつけたのがパートタイマーの多さで、正社員一人一日がかりでやっていた仕事を半分にして二人のパートタイマーにやってもらうなどして、徹底的な「ワーク・シェアリング」を行ったのである。
1996年にはパートタイマー労働を通常の労働と差別するのを禁止する画期的な法改正を行い、パートタイマーでも社会保障制度に加入できるなど「正規雇用」と同等の権利を保障した。
ワーク・シェアリングが浸透するにつれて、オランダ経済はミルミル好転していった。
一人一人の収入は伸びていないものの、共働きが当たり前になったために「世帯当たり」の収入が増加したため、家計支出が増えこれが消費全体の拡大を促し、やがて経済の活性化につながったのだ。
こういうオランダの復活も、昔から干拓と治水という苦しい事業を続けてきた歴史があってのことだ。
オランダ人つまり「窪んだ土地」の住人達は、長年その事業を通じて「自治」と「協働」の思想を育んできたのである。

今や、「国民国家」は無国籍企業によって侵食されて危殆に瀕しているわけだが、誤解してはならないことは「国民国家」の時代は、歴史上実は「特異」な時代であったというのが正しい。
実は、「国民」や「国家」のハッキリした枠というものができたのは、わりと最近のことなのである。
古代には大和政権があったが、九州八女の磐井という豪族は朝鮮の百済と結んで大和政権に反抗したくらいなのである。
江戸時代ぐらいまでは、日本は国民国家ではなかった。
「国民国家」というのは、ヨーロッパ近代のつくりだしたある種の「幻想」だったといえる。
江戸時代は鎖国し、日本の外側を意識する必要などまったくない社会だったから、「自分は日本人だ」と考えることなどなかった。
さらにいえば、天皇に対する見方もいまの日本人と、江戸時代の日本人ではまったく違っていた。
当時の日本人の多くは、天皇陛下という実在の人が京都にいらっしゃるということさえ知らなかったといっていい。
天皇ということばは、豊作を祈る神様ぐらいにしか思われていなかったのだ。
ところが幕末に開国するや、日本もヨーロッパの国民国家が持つ強い軍隊と対決しなければならなくなった。
放っておくと他のアジアの国のように侵略され、植民地にされてしまう危険があったからである。
しかし「国を強くしよう」「兵隊に行こう」だけでは、「日本人」というマトマッタ意識がまだ薄かった国民は動いてはくれそうもない。
「大日本帝国」の下に、国民全員が結集して力を尽くすというような「イメージ作戦」が必要であった。
そこで明治政府は、京都にひっそりと暮らしていた天皇家を引っぱり出し、新しい日本の元首になってもらおうと考えた。
そこで古代の天皇家のことを調べ、古い儀式や式典をつくりなおして、古代から今までずっと血筋の続いている「万世一系」をうたい、天皇家のイメージを高めたのでした。
天皇家の儀式の多くは、古代から続いているわけではなく明治時代につくられたものである。
このようなイメージ作戦がうまくいって、一般の国民もだんだんと天皇家を「むかしから日本のトップにいた偉い家系のかたがた」と認識するようになった。
 近代がすすむ中で、ヨーロッパでも日本でも同じようなことが行われた。
そこで「国民国家」という、それまでは存在しなかった新しいシステムが育てられていった。
こう振り返ると、グローバリゼーションの進展は、「国民国家」という幻想が剥がれ落ちていくプロセスといえるかもしれない。
ソモソモ、人間はかならずどこかに「一元的」に所属しているというのは、近代社会の生み出した生き方のひとつである。
「私は○○会社に所属している」「私は日本人である」というような帰属感である。
これが国民国家のベースにもなっているのだが、グローバリゼーションはそういう「帰属感」をマスマス希薄化していくに違いない。
ところで最近朝日新聞に内田樹氏が「崩れゆく日本の国」と題して、次のような趣旨のことを書いていた。
かつて、英語は社内教育でやっていたのだが、小学校からの全面英語教育なども、結局は無国籍化した企業のコストの「外部化」にすぎない。
グローバル企業は、実体は無国籍化しているにもかかわらず、「企業利益の増大=国家の利益」という等式のソノ本質的な虚偽を覆い隠すかのように、過剰な「国民的一体感」を必要とする。
グローバル企業は、実体は無国籍化しているにもかかわらず、「日本の企業」という名乗りを手放せない。
なぜなら、我々の利益を最大化することが、すなわち日本の国益の増大なのだというロジックがコスト外部化を支える唯一の論拠 だからであると。
つまり、「無国籍企業」がそのコストを国民に押し付けるために、国民の一体感を要求し、日本の政治家や官僚もそれに協力しているということだ。
そうした「国民国家」の末期を日本のマスコミも官僚も嬉しげに眺めているかのようであると。
さらには、グローバル化と「排外的なナショナリズム」の昂進は矛盾しているようだが「同じコイン」の裏と表であると。