自然装置と物差し

四国の四万十市がこの夏、日本の観測史上「最高温度」を記録して、多くの「記録好き」の人々が訪問するようになったという。
別に役所や住民が努力したわけでもなく、フッテワイタような話ではある。
地震、津波、洪水、竜巻、隕石まで、自然は人間に深いツメ跡を残すが、逆に様々な条件が折り重なって「絶妙」なモノを生みだす。
以前TVで、韓国に真夏に「冷風」を噴出す岩場が紹介されていた。
イワバ「天然の冷房機」で、冬の間に閉じ込められた冷たい空気が、自然の幾つかの条件が重なることにより、「夏になると」解き放たれるらしい。
その自然の「恵み」および「不思議」を求めて、多くの人々がその「岩場」に集まるという。
そのメカニズムや自然条件の解明はイマダなされていないが、少なくとも長期間「冷気」を閉じ込めるという仕組みと、それが解き放たれるメカニズムがポイントである。
最近では人工的に「雨を降らせる」装置もあるくらいだから、 「自然の装置」に学んで都会で人工的に「冷気」を噴出す仕組みを作れば、「ヒートアイランド現象」も一気に解消できるのではないか。
しかし自然は、「天然冷房機」など驚くに値しないくらい霊妙なもの生み出している。
驚くべきことに、今から40数年前に「天然の原子炉」が発見されたのだ。それも16基も。
しかも、そうした「天然原子炉」の存在を57年も前に予言していた日本人がいた。
1956年、アメリカ・アンンカーソン州立大学の核地球化学者・黒田和夫は、一定の自然条件のもとで「天然原子炉」が存在シウルことをはじめて提唱した。
黒田教授によれば、ソノ「自然条件」とは「古い鉱床」の存在、「高濃度ウラン」の大きなカタマリの存在、中性子を吸収しやすい元素が少ない「恒常的な」水の存在の三つが絶対的条件である。
そして黒田教授は世界初の原子炉をつくったフェルミの中性子の四因子公式を「ウラン鉱床」に適用して、そういう「条件」がどうしたら「満たされるか」を計算した上で、「天然原子炉」の可能性を予言したのである。
そして1972年に、実際に「天然原子炉」がアフリカで発見され、黒田教授の「予言」の正しさが立証されたのである。
「天然原子炉」が発見されたキッカケは、フランスのウラン濃縮工場に搬入された鉱石の中に、ウラン235の割合が「異常に低いもの」が発見されたことによる。
実は天然ウランに含まれる、「ウラン235」と「ウラン238」の割合はドコデ採取しても同じだという。
つまり自然界ではウラン235の割合は安定しているのだが、ソノ鉱石はテンネンではなく何らか「異常」が加わっていたことが推測された。
フランスは1972年、国家予算を削りガボンでのウラン鉱山の探掘を中止してまで、この「事実の解明」に力をいれた。
そしてこの「異常な鉱石」の追跡調査により、アフリカ大陸の赤道直下にあるガボン共和国オクロ地方の「ウラン鉱床」で、過去に自然に「核分裂の連鎖反応」が起こっていたことが判明したのである。
つまり、「天然冷房機」どころではなく、「天然原子炉」の存在が明らかにされたのだ。
そしてソノ調査がすすむにつれ、今から20億年もまえに、アフリカの地下深く、偶然の自然条件の重なりが、地下深くで「核分裂」を促進していた。
岩石の風化で堆積したウラン鉱床と水との「絶妙な組み合わせ」が今日の「軽水炉」と同じ様な「臨界状態」を生み出していたという。
当時の新聞で「自然は世界最初の原子炉をつくりだした」として発表された。
そして化石化した「天然の原子炉」がなんと16基も存在し、制御棒もなく100万年もの間、安全にして安定的に「動いて」いたことがわかったのである。
では「制御棒」もなくドウシテ安全に運転できたかというと、何といっても「水の役割」が大きいという。
岩の裂け目に水が染み込んで、水が「減速材」の役割を果たし、連鎖反応を起こしやすくしていたのだ。
結局、「制御棒」ではなく水の「密度変化」で出力を調整していたのである。
核分裂の連鎖反応が大きく、反応熱が大きくなり過ぎると水は蒸気となる。
そうすると中性子の「減速」が悪くなり、核分裂がおこりにくくなる。
その結果熱の発生は小さくなり、蒸気は冷えて水に戻り、再び核分裂が活発化するといったことを繰り返すのだそうだ。
その「運転」は十万年から百万年の間続き、「ウラン235」が核分裂の結果「減少」し、ツイニハは停止したのだという。
こうした鉱石が、フランスの濃縮ウラン工場に搬入されたわけだ。
ソシテ驚くべきことに、自然の連鎖反応が終わった後に、生まれてきた「放射性物質」を地下深く効果的に「閉じこめ」ていたというのである。
しかし自然は、サスガに「燃料交換」まではしなかった。
最近の「原発汚染水処理」の右往左往を見ると、もっと「自然の装置」に学ぶべきことはナイカという気さえしてくる。

昨年、地質年代測定の「精密なモノサシ」が発見されたというニュースを聞いた。
そのモノサシとは、福井県・若狭湾近くにある三方五湖の一つ「水月湖」(水深34メートル)にあった。
自然界が生んだ「世界一精密な時計」が、名も知れぬ日本の湖であったとは「驚き」である。
この湖が地質年代測定の「時計」となったのは、自然界のイタズラ以外の何モノでもない。
厳密にいうと、「精密なモノサシ」とは、水月湖の湖底堆積物がつくる「年縞(ねんこう)」を指している。
「年稿」は湖の底に積もった土の層がつくる「縞(しま)模様」をいう。
毎年、湖の底に春から夏はプランクトンの死骸が積もって白い層ができ、秋から冬は粘土鉱物が堆積して黒い層になる。
この白と黒の「縞模様」が一つの組み合わせで「1年」を表す。
「年縞」は、ドイツやベネズエラ、国内では鳥取や滋賀、秋田県の湖沼などで見つかっている。
しかし「水月湖」のものは、それらのものよりも、ハルカに長い上に「精度」が高い。
これまで海底堆積物やサンゴ礁、洞窟の鍾乳石のデータが総合的に使われ、樹木の年輪を使えば正確な年代が測定できるが、残存試料は1万2800年分にとどまっていた。
水月湖では1991年に発見され、93年と2006年のボーリング調査で採取した土のうち約46メートルから「約7万年間の年縞」を確認したという。
「自然の精密時計」は、次のような自然界の様々な条件が重なって出来上がったものである。
水月湖は周囲から流れ込む大きな川がないことに加え、湖の底までが深く、湖底に酸素がないため生物が生息せず、年縞がカキ乱されない。
さらに、湖の地面が下がる「沈降」という現象が続き、湖底に毎年土が積もっても湖が埋まらないという「特殊な」条件がそろっていた。
湖の地面が下がる「沈降」は、水月湖の「年縞」が長期間連続するための 重要な「自然条件」である。
また、そこに含まれる葉や枝の「放射性炭素年代」の測定が終わっている点で、世界でも類をみない「奇跡の堆積物」なのである。
日英独などの研究チームが分析を進め、昨年7月に開かれた国際会議で地質学的年代の「世界標準」とすることが決まった。
そして、約5万年の地質学的な年代決定の「世界標準」となり、過去の「気候変動」などを調べることも可能になった。
また、年縞の堆積状況から地震や洪水の発生頻度を知ることができ、地球環境の変化が人類史に及ぼした影響の解明にもツナガル。
今後地球規模の気候変動をより正確に解明できるほか、火山噴火や大地震の防災、考古学などに役立つと期待されている。

「驚き」といえば、福岡市の東部に隣接した糟屋郡久山町にも一つの「驚き」が隠されていた。
久山町の人口8000人程度の小さな町だが、コノ町は「統計学的に」全国平均とほぼ同じ年齢・職業分布を持っており、偏りのほとんどない「平均的な日本人集団」である。
従って久山町は、様々なデータ分析のスケールが大きな「標本」として用いることができるらしい。
特に1961年以来、九州大学の医学部が中心となって行う「久山町研究」は日本が世界に誇る「疫学研究」ともなっている。
1960年代当時、「脳卒中」はわが国の死因の第1位を占めていた。
なかでも、脳出血による死亡率が脳梗塞の12.4倍と欧米に比べて著しく高く、欧米の研究者からは「誤診ではないか」との声が上がった。
しかし、それを検証するための科学的なデータがなかった。
そこで日本人の脳卒中の実態解明を目的として始まったのが「久山町研究」だった。
ところで正確な死因を知るという点において、「剖検」以上に正確な診断方法はない。
「部検」とは、死因や病気の成り立ち、病態を解明するための「病理解剖」のことであり、担当医が遺族に剖検の目的を説明し、「承諾」が得られると病理医が剖検を行うことができる。
そして「剖検率」とは、入院中に死亡された患者数に対して剖検された患者数の割合をいう。
これまでに行方不明となった対象者は数例に過ぎず、追跡率は99%以上である。
また、久山町研究では40歳以上の住民を5年ごとに集団に新しく加えているため、生活習慣の移り変わりの影響や、危険因子の変遷をもウカガイ知ることができる。
具体的には、1961年から追跡を開始した第1集団(剖検率80%)の初期のデータでは、脳出血による死亡率は脳梗塞のわずか1.1倍であった。
これによって、死亡診断書に「病型診断の誤り」が数多く含まれていたであろうことを、科学的な手法で推計したのである。
最近の研究でユニークなのは、胃がんやアルツハイマー病の発症と糖尿病あるいは耐糖能異常との関連性の高さである。
特に後者の、血糖値が高い方でアルツハイマー病が発症しやすいという結果は、「剖検率」の高いこの研究ならではの結果を出している。
また2002年には、従来の環境因子に「遺伝子解析」を加えた生活習慣病の「ゲノム疫学」がわが国で初めて開始され、成果をあげている。
世界的な「久山町研究」は、久山町における様々な「自然的/社会的」条件が重なって実現したものである。

以上は自然界の偶然の重なり具合が絶妙な「装置」や「モノサシ」を形成することになった例だが、反対に人間側が意図して作った「モノサシ」にも「絶妙な」ものがある。
それは中央アジアのブータン王国が作った「国民総幸福量」(GHN)というモノサシである。
「国民総幸福量」は、前ブータン国王が1976年に提唱したもので、物質的豊かさよりも、精神的な豊かさに重きをおく「ブータンの国策」を実現すべくて作られた。
つまり、前ブータン国王は、GNPでもGDPでもNNW(国民純福祉)でもない「総幸福量」という概念を、自らが作ったのである。
さてブータンの「国民総幸福量」を計測する方法は、2年後ごとに「面談」でサンプリング調査を行うというものだ。
質問は全部で「72項目」にわたるが、そのホンノ一部を抜粋して紹介すると次のような項目がある。
○祈っていますか。
○どれくらいの頻度で嫉妬を感じますか。
○家庭からでるゴミはどう処分していますか。
○家の周りに木を植えていますか。
○どれくらいの頻度で伝統的なスポーツをしていますか。
○近所の人たちを信頼していますか。
○この家族の一員でなければよかったと思いますか。
○差別や偏見を受けていますか。
○中央政府をどれくらい信用していますか。
などなどである。
「輪廻転生」を信じるブータン人は、現世で嫌なことがあっても「来世がある」と考えられる。
また家庭や職場での人と人との絆が深く、困ったことがあっても助け合う。
アパートの隣の部屋に誰が住んでいるかも分からない日本社会とは随分違う。
ブータンでは、大きなアパート全体が大きな家族のようで、お互いの家を行き来したり子供を預かったりするのが当たり前なので、「孤独死」なんてことはありえない。
さて、一般的な「豊かさ」の指標となる「経済」はというと、ブータンでは国民の必要に応じてインフラの整備を行っているが、彼らが最も大切だと感じる「価値観」を壊すほどの開発に対しては、断固拒否するだけの強い価値意識をもっている。
例えばブータンは積極的に太陽光電池が導入され、通信網についても衛星通信や携帯電話が活用されているが、送電線や産業道路を造る事については慎重な態度をとっている。
それについては次のようなエピソードがある。
電気の通じていないある村に電気を通すODAの案件が持ち上がった。
しかしその村には昔から鶴が飛来して「巣作り」をするという事情があった。
もし電気を通すために高圧電線を張り巡らすことになれば、飛来してきた鶴がその高圧電線に衝突し、鶴は巣つくりのためにこの村に来れなくなるのではないかという議論が沸き起こった。
結局、村の人達はそれでは鶴がかわいそうだと考えて、村に電気を通す計画を「撤回」してもらうことにしたという。
結局、ブータン国は、精神的価値の追求を「国是」としてしているので、政府の政策とはあくまでもそうした「精神国家」に相応しい「環境」を整えるために、「国民総幸福量」という尺度を作ったのだ。
図らずも、この「国民総幸福量」は、GNPやGDPで示される「豊かさ」の指標とは全く異なる「斬新なモノサシ」を世界に提供することになった。

今年6月、富士山の世界遺産登録が決定された。
三保の松原を含む25資産が「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」という名称で、「世界文化遺産」として認められた。
なぜ自然遺産ではないのかというのが素朴な疑問だが、自然遺産は、一般的に広大な「原生自然」が残されている点がポイントであり、数多くの人が訪れる富士山は「自然遺産」としては評価しがたい面がある。
ただ「自然美」から出発するとしても、それが信仰を生み芸術を生んだところに「富士山の価値」があるのではないかという考え方から、富士山は「文化遺産」として推薦されることになったという。
さらに富士山の場合「冨嶽三十六景」に代表されるように芸術作品のインスピレーションの「源泉」となり、それが一国にトドマラズ、ひろく海外にソノ国を「象徴」するようなイメージをもたらした。
一方、世界の専門家には、日本が文化的景観として富士山を推薦しなかったのは「奇異」と受け止められたムキもあったが、「開発圧力」の高い裾野の地域の問題が背後にあったという。
つまり「世界遺産登録」にも様々な人間の側の「思惑」が絡んでいるということである。
数年前、山本作兵衛の絵が「世界記憶遺産」に登録されたのは記憶に新しい。
実は山本作兵衛の「炭鉱絵」は日本の「文化遺産」にさえもなっていないのだ。
日本の文化庁は、「文化遺産」に指定されている源氏物語などを世界記憶遺産への登録を申請することはしなかった。
その理由というのが、熱心に登録を申請して「落とされ」たら、「文化遺産」の格が下がるというこという気持ちも働いたらしい。
また仮に登録に成功しても、国内文化財の「序列」が崩れるなど「役人的根性」がジャマしたのか、 あまり「登録申請」に積極的ではなかったらしい。
その結果、田川市に世界記憶遺産「第1号」の栄誉を奪われてしまうことなってしまった。
面子をつぶされたカタチの国は、田川市を補助する可能性は低いという。
この結果は、自国の文化に自信をもてない、そのためにアピール力や発信力に欠ける「日本の姿」を示しているようにも思える。
小国でありながら自国の「幸福尺度」から、斬新な「幸福の基準」を提供し「幸福立国」を目指したブータンと、何と大きな開きなのだろう。
自らの尺度でブータンが「世界一」となれば、単純にブータン国王の「自国宣伝」とも受け取られがちだが、何も自分達の「幸福」を他国の尺度でハカル必要はないという考えが素晴らしい。
日本が学ぶべきは、世界に尺度がなければ、自らモノサシを作ろうという気概である。