葉っぱを売る

広く社会がコントロールがキカなくなるとはどういうことか。
オペレーション自体は滞りなく行われても、末端処理が不能になっていく。
典型的にはシステムの「廃棄処理」ができなくなる状態から、全体がコントロール不全に陥ってく。
そんなプロセスの典型を、原発事故後の「汚染水処理」にみる感じがする。
イマダ「抜本的」解決策が見つからず「応急処置」を繰り返すノミである。
汚染水の「出口」がナイ、そのことが「原子炉」自体の廃棄つまり「廃炉問題」にも影響を及ぼしている。
さて古代ローマ文明はナゼ滅んだか。
帝国に隅々まで立派道路や水道を作ったが、セッカクつくった見事な道路や水道も「劣化」が進み、それが人々の安全や健康にも「悪影響」を及ぼすようになる。
ソノ維持保全に必要な負担を負えなくり、劣化の進行からの「出口」を見出せずに、すべてが放置にまかせられる。
今日の日本でも、高度成長期に作られた橋や道路、建造物の補修は老朽化した「絶対に」必要である。
それをチャントやれば相当な「雇用」を生み出すことができるのだが、補修や保全は新規の公共事業にくらべて、政治家の「票」に繋がらない。
すると、旧い建造物はよほど大事故でも起きないカギり補修されず、ここでも建造物劣化の「出口」が見当たらない。
このように社会が機能不全に陥るのは、「出口」が塞がる場合から起きることが多く、以下ではコレヲ「出口処理問題」とよぼう。
そもそも、現代文明は「廃棄物処理」含めての「出口処理」の設計が充分なされていないことに気がつく。
例えば、原発の放射性物質は、ドウ処理しようと地球上のどこかに残り続け、それを完璧に「封ズル」ことはできない。
さて「出口処理問題」を人生に引き寄せて言うなら、最初から「超高齢化社会」の到来は予測できたのに、高齢にため働けなくなる人々の「生活保障」を充分に行うだけの予算がない。
しかも、家族は「核家族化しているので、働けなくなった人々の「人生の出口」はナルにまかせるしかない。
医療の発達で「長寿」を享受できるのはヨイとしても、沢山人々が出口に集まると考えると手放しでは喜べない。
そこでコノ世の中、「出口不能」ノママ放置されているものが、他にも色々とあることに気がついた。

地上から800kmほども離れた高度から地球を眺めると、とても広い範囲を見渡すことができる。
また、その地点から得たさまざまなデータを地上に送ることができる。
このことから、現在までに通信用、気象観測用、偵察用ナド、さまざまな用途と目的を帯びた衛星が打ち上げられる。
そして、我々の日々の生活に欠かせないくらいに利用されてきた。
人類が初めて人工衛星を地球の周回軌道に乗せることに成功したのは、今からホンノ60年ほど前だが、現在までにおよそ6000機におよぶ人工衛星が打ち上げられた。
しかし、このうち現在も稼動しているのはホンノ約900機にスギズ、アトは機能停止のまま軌道を回り続けている。
ところで、子供の頃TV番組「ウルトラマン」を見ていて、よく覚えている放映回がアル。
ウルトラマンがヤッツケタ怪獣を宇宙に「捨て」にイク話である。
そして地球の軌道は怪獣の屍の墓場とし、怪獣の亡骸は回り続ける。
そうしてウルトラマンは、亡霊として現われた「怪獣」と戦うことになる。ウルトラマン自身そのことに「痛み」を感じつつ戦い、その亡骸をを宇宙に「手厚く」葬るという話であった。
このウルトラマンのTV番組制作には、沖縄出身の人が中心的に関わったと聞いている。
どこかに「敗者へのいたわり」があり、敗者にも「出口」はチャンと用意してあげようという優しさが感じられる。
さて最近では「宇宙のゴミ」が問題化している。
このことが特にクローズアップされるようになったのは、宇宙空間での人工衛星同士の「衝突事故」だった。
2009年2月10日、シベリア北部の上空790kmの宇宙空間で、アメリカとロシアの人工衛星が衝突事故を起こした。
衝突したのは、アメリカの衛星携帯電話会社イリジウム社が所有する66機の商業通信衛星のうちの1つと、ロシアの軍事通信衛星である。
とはいっても、ロシアの軍事衛星の方は1933年に打ち上げられたあと、すでに機能を停止していた「廃棄衛星」だったのだ。
人工衛星には上述のごとく様々な用途があるが、「地球上を観察する」という目的は同じである。
そのため、すべての人工衛星はこの「共通の目的」に適した高度=地表から800kmほど上空の宇宙空間に向けて打ち上げられる。
そこでコノ高度で人工衛星が混み合うのだ。
サラニ人工衛星には、搭載した機器の経年劣化に伴う「寿命」があるほか、姿勢を制御するスラスター(推進機器)用の燃料がなくなると、モウそれ以上は使えない。
国際条約では、寿命を迎えた人工衛星は、最後のスラスター出力を使って周回軌道を「離脱」させ、大気圏に突入させて燃やす。
アルイハ他の衛星の「邪魔」にならないように、ヨリ高い高度へと導くことにより廃棄することになっている。
しかし、以上によう「国際条約」で定められているにもかかわらず、実際にこの「操作」が成功するのは全廃棄衛星中およそ1/3程度で、残りは「制御不能なゴミ」となって漂っているのが現状である。
宇宙空間には、これら「廃棄衛星」の他、衛星のカバーや多段式ロケットの分解破片など、人為的なゴミがタクサン漂っている。
こうした宇宙ゴミのことを「スペースデブリ」と言う。
スペースデブリはタダそこにあるのではなく、超高速で地球のまわりを回っているため、ほんの数センチの大きさのものでも、その他の衛星と衝突すれば「壊滅的」な被害が出る非常に「危険なゴミ」であるらしい。
そのため、アメリカの国防総省や各国の航空宇宙局では、サイズが5cm以上のデブリをレーダーで捕捉すると同時に目録を作って「監視」し続けている。
その数は17000個以上にのぼるという。
それは役割を終えてもナオ回り続ける。「出口なく」永遠にマワリ続けるのである。
チナミニ「静止衛星」が周回している地表上空36000kmよりサラニ数百キロ上空を通称「墓場軌道」という。

東北の震災が起こる2ヶ月ホド前、NHK「SONGS」で中村雅俊氏がふるさと女川(おながわ)を訪ねる場面をみた。
その時に女川で共に育った幼馴染の友人タチが映っていた。その背後には海が映っていた。
女川のすぐ近くの月ノ浦の港から、1613年仙台藩の命令で支倉常長がローマ法王に会見に向かった場所である。
イツカ行きたいと思っていた町なので、ついついテレビに見入ってしまっていた。
そのせいか、アノ番組に登場した海辺の人々の表情がイマダに焼きついている。
そして2ヵ月後、女川の街はは震災で壊滅的打撃を受け、女川に流れ着いた船が「塔」のように突き立っているのを見た。
女川の人々はホトンドが海に流されたに違いない。
しばらくして、フト気になってネットで女川の町役場のホームページを見ると、何事もナカッタようにホームページは「正常」に表示されていた。
改めて思ったことだが、ホームページというものは、ソレニ関わる人々のホトンドが亡くなっても、イヤ 亡くなったからこそ、アイモ変らずに「存在」し続けるということだ。
機能停止で「宇宙のゴミ」となった人口衛星が軌道を永遠に回る続けるように、主催者や運営者すべて亡くしてもホームページも永遠に変ることなく「表示」され続けるということだ。
そういう思いは、胸を「刺す」ものだ。
なぜなら、主人を失ったホームページを見ていることも少なくないにちがいない。

最近「デジタル・タトゥー」という言葉が現れている。
「電子的な入れ墨」という意味だが、この言葉はイマダそれほど普及してはイナイようだ。
「入れ墨を消すのは難しい」ように、我々は「生きた痕跡」を永遠に、デジタル空間に「残し」続けることになる。
この言葉を語ったフアン・エンリケス氏は、生物科学関連のベンチャーキャピタルの役員やゲノム研究と投資を行う企業のCEOをツトメている人物である。
エンリケス氏は、スピーチの中で人間の行動によってデジタルデータが記録され、ほぼ永久に「蓄積」されていくとし、「人間は不死になった」という表現している。
ヤヤ言い過ぎかとおもわぬではないが、特にソーシャルメディアへの投稿は、本人志望でも「共有する」前提で長く残り続ける。
最近ではヘルスケア目的で、歩数や睡眠の情報も記録している人々もいる。
もちろん検索エンジンの検索履歴やウェブページ閲覧先も、ゲーム等のログイン時間とプレイ時間なども残る。
つまり個人情報は、ネット上を「漂い続け」その出口が用意されていないということである。
少なくとも何年後に「自動消滅する」ようにはなっていない。
「デジタル・タトゥー」 問題とは、スマートフォン活用と位置情報を紐付けており、上記の履歴に「どこで」という情報があわせて記録されるようになってきた。
これらをツナギ合わせていくと、「誰が」「どこで」「誰と」「何を」していたかが浮き上がる。
ネット上に投稿した写真もネット上のツブヤキも残るし、駅の改札情報、カードの利用上など他の様々なサービス同士を連携させると、その人の人生をカナリ「再現」デキルことになってしまう。
デジタルの記録は、便利で優れている一方、非常に簡単に「過去」を振り返ることができ、所有者が自分でなくても「共有」されていることになる。
利点といえば、未来の「伝記作家」または歴史家は、こうしたログをトレースして正確な人物像を描く「一助」になるかもしれない、ということである。
スートフォンとソーシャルメディアが普及した現在において、一切デジタル・タトゥーを刻まナイで生きることは、難しくなってきている。
そこにはドンナ「出口」も用意されていない。
こうしたデジタル・タトゥーの多くが、米国シリコンバレーの企業によって量産されている世界的な構造にも目を向けておくべきである。
その多くは、友人と情報を共有するという目的のために投稿されているが、結果として米国企業にこうした情報を預けていることになる。
我々はこうしたメリットと引き替えに、我々は企業に「ビッグデータ」の構成要素を渡している。
この点は先日亡命したスノーデン氏が突きつけた「出口ナキ」問題でもある。

最後に、仕事から引退した人々が「廃棄物」を使って、過疎の村のドンヅマリから救った話をしたい。
つまり人生の出口がジリ貧の村で、太い「出口」をコジ開けた人々の希望アフレル話である。
徳島県の山間にある上勝町は、四国で最も人口が少なく、高齢化の進んだこの町は、「希望」という言葉とはホボ無縁の過疎地だった。
町の人達は暇を持て余していて、ひどい時には朝から酒を飲んで、世間に対する不平、不満を延々と話合っているという状況だった。
1981年の2月に記録的な大寒波がやってきて、当時の主要作物であったミカンの木が大被害をうけた。
そこで町の人々は、みかんの「代替作物」を緊急に必要になった。
お年寄りでも出来るような仕事がないかとずっと考えていたヒトリの農協職員がいた
は町からすればよそ者だったが、よそ者だからこそコノ町の「出口なし」の状況がヨク見えいた。
コノ町の状況を打破するには、暇を持て余している状況が一番の問題だと感じていた。
ソンナ時に、たまたま出張先で立ち寄った寿司屋で、女性の客が出てきた料理に添えてあった赤いモミジの葉っぱを見て「かわいい~」と発した一言に、ヒラメクものがあった。
その時「葉っぱ」を売ろうと思いついたのである。
ソノお店のご主人にコノ葉っぱは、ドコカラ仕入れかと聞くとこの「つまもの」は、料理人が山へ行って、採ってくるという。
「葉っぱ」を市場にも卸しているところはイマないなら、山で採れる「葉っぱ」を料理のツマモノとして販売することを思いついたのである。
しかし「葉っぱ」はどのようなものがいいか皆目わからないし、料理人もそこをナカナカ教えてくれはしなかった。
そして職員自ら高級料亭に通い「熱意」が伝わったのか、料亭の調理場にも案内されるようになり、どのような「葉っぱ」が求められているのかを知るようになった。
葉っぱ形や色ばかりではなく、器に合ったサイズも重要だった。
しかしコノ人は農業指導員でありながらサイドビジネスに手をだしていることを批判される。
そしてコノ町を離れようとした時、町の人々から「やめないでください」「考え直してください」と町に留まるように「懇願」される。
葉っぱを売るという商売に関わっていた町の人177人からの「嘆願書」を受け取り、それまでの人生で感じたことがなかったほどの感動で言葉を失ったという。
そして町の人々は70代、80代の女性たちを「主戦力」として「事業」を起こした。
そして、大きさを揃えてパック詰めにした上勝町の「つまもの」は、次第に市場で売れるようになっていった。
老人達は山にそうした「葉っぱ」を探しにいくだけではなく、事業に役立てようとコンピュータの扱いを学び、インターネットを使うようになる。
その結果、年商2億円以上を稼ぎだすビッグビジネスに成長した。
町は潤いを取り戻し、人口加を記録するまでに「変貌」を遂げたのだ。
ところで、コノ出来事江戸末期に起きたある農村の話を思い出させる。
江戸時代末期多くの農村が疲弊し荒廃していた。
飢饉が続いたということもあるが、働いても年貢で搾りとられるばかで明日も見出せない人々は飲酒や賭博にあけくれ、昼間から三味線をひき精神的な荒廃も目に余るものがあった。
対外的な危機もせまる一方で、幕府や藩も改革の成果がみられず閉塞感があふれていた。
つまり「出口なし」の状況だった。
そうした村に二宮尊徳という人物があらわれた。
二宮が示した「貧困脱出法」とは、真面目に働いている農民を投票させ金を貸し、農民が頑張るインセンテイブを刺激する。
また本来農地ではないところに種をまいて或る種「避税」のようなこともしている。
そして多くの農村が復興し、二宮尊徳にナラエとばかり「薪を背負った」像が全国の小学校にたてられた。
「葉っぱ売り」を思いついたコノ農業指導員は、現代の「二宮尊徳」というべき人であった。
実際この人は、ニューズウィーク日本版の「世界を変える社会起業家100人」に選ばれている。
この話は、オール上勝町ロケで「映画化」されている。
ジリ貧になりそうな人生の出口に、曙光を見出した人々の感動の物語である。