レモンの香り

人間は総体としてそれほど賢い選択をしない、というのが歴史の真実ではなかろうか。
それは、バイアスのかかる「政治的選択」ばかりではなく、合理的であるハズの「経済的選択」においても、そのようである。
ローマに観光旅行に行く人は気がつくだろうが、カラカラ浴場はじめ「皇帝」の名のついた様々な浴場が多くある。
映画「テルマエ・ロマエ」でもあったとうり、コロシアムとともにローマの浴場は、ローマ市民にとっての「大娯楽場」で あった。
なぜ皇帝の名がついているのかというと、皇帝がローマ市民に施した恩恵の出ドコロを明瞭にするためである。
しかし、こういう人気取りの「バラマキ政策」がローマの財政を破綻させ、帝国を破滅に追いやったことは想像に難くない。
ところで経済的選択の「誤り」としては、「グレシャムの法則」がよく知られている。
ここでいう「誤り」とは、アダムスミスのいう予定調和に「反する」ということ、つまり個人の合理的選択が社会全体の利益に「繋がらない」というケースを意味する。
それは「合成の誤謬」の1ケースといえる。
「グレシャムの法則」とは、簡単に表現すると「悪貨は良貨を駆逐する」である。
オカネが金属的価値をもち、オカネの額面とその金属価値と対応関係にある場合には、そのオカネの持ち主は、気がつかれない程度にウスク金属を削り取って懐を潤したのである。
そして涼しい顔でそのオカネで支払いを済ませ、真っ当なオカネは退蔵しようとしたので、世の中に出回るオカネは「不良」ばかりとなる。
「憎まれっ貨、世にハバカル」であるが、世の中で不良通貨が出回っていると意識されれば、モノの交換がうまくいかず、経済は停滞・縮小していき、全体として誰も得しない。
「悪通が良貨を駆逐する」したために、「金の交換券」としての「紙幣」が流通するようになったのだが、今日のように「紙幣」が金との「交換性」を失ったとなれば、紙幣は最低最悪の「悪貨」ソノモノである。
紙幣が「金」の裏づけを失うと、オカネがオカネとして機能するためには、皆が「オカネが価値あるもの」として信じて受け取るという、いわば「共同幻想」以外にはないことになる。
紙幣とは本質的に「バブル」なのだ。
確かに、「グレシャムの法則」どうり、悪貨(紙幣)は良貨(金貨・銀貨)を駆逐した。
そして、そのオカネが信用を失うツマリ「共同幻想」が冷めるのは、きまって国民の現状の「資産」の裏づけのないオカネが出回る時に起こるのである。
つまりこの時点でオカネは、どうしようもないチンピラになるのだ。管理不能に近くなる。
具体的には、日銀が政府の「新規」発行の国債を「直接」買い取ってオカネを供給する場合などで起こる。
さて、アベノミクス別名「黒田リフレ」はどうか。
日本銀行が金融機関から様々な国債などの「資産」を買いまくって市場にオカネを流している。
つまり従来の「買いオペレーション」と比べて特に目新しいものではない。
つまり資産の裏づけがナイというものではないが、「長期国債」「不動産投資信託」まで買い取るなどして、これまでのスケールをはるか超えた規模で買いオペレーションをやっている。
それも、物価上昇2パーセントを達成するまでヤメナイという。
しかし2、3日前のこうした倍加した「金融緩和」の発表で「株価」が乱降下したのは、一般の人々の気持ちをよく表しているように思える。
つまり「疑心暗鬼」なのだ。
リフレ政策の眼目は「物価上昇2パーセント」期待を国民に定着させることである。
マイルドな物価上昇は、オカネを手元においておく(機会)費用を増すこととなり、自然とオカネ周りをよくするからだ。
しかし、こんな疑心暗鬼では2パーセント物価上昇の「期待形成」の実現とまではいきそうもない。
また反面、そうとバカリもいいきれない。
リフレ政策の問題点の一つは「何によって」物価上昇がもたらされるかについて言及していない点である。
物価上昇が、国民の経済活動の活発化(総需要の増加)によるのではなく、円安による「輸入物価」の上昇がまねくコスト要因によって起きそうな気配である。
物価上昇が「コスト要因」である場合、その上昇分は賃金アップにはつながらず、「国民の生活」の向上にもつながらないということである。
第二の問題点は、物価上昇2パーセントということは、金利も2パーセント上がるという覚悟はしなくてはならない。
オカネの貸し借りは、「インフレ期待」を含めた「期待実質利子率」でなされるからである。
ということは、国債累積の日本政府は借金返済の金利負担が10兆円を超える規模で増すことになる。
だから、この2パーセントの金利負担増をまかなうだけの「税収」がなければ財政は破綻する。
この税収は、景気回復または経済成長による「自然」税収増ならばいいが、さらなる消費税の「追加課税」ということにもなりかねない。
さて第三の問題点は、円安で輸出が伸びて貿易収支は「改善」すると期待されるが、必ずしも大きな期待はできない。
あまりにも急激な円安は、エネルギーの海外依存度の高い日本からすれば一機に「貿易赤字」を増やすことになる。
貿易収支と所得収支を合わせた「経常収支赤字」ということになれば、その分を「資本収支」でまかなわねばならない。
言い換えれば、日本の財政赤字の少なくとも一部は、海外からの「資金流入」で賄われるようになるということである。
国債は、現在約92%が国内で消化さているが故に、信頼性が高く金利も低い。
しかし経常収支が赤字となると、海外で買ってもらわなければならなくなる。
日本国債を海外に買ってもらうにはソレナリの「魅力」が必要であり、「金利」を上げざるを得なくなる。
そうして日本国債の金利が上昇すると、住宅ローンの金利をはじめとする長期金利の上昇を引き起こす。
また国債金利の上昇は国債の価格の下落を意味するから、国債を大量保有している銀行などは多額の損失が生じ、「貸し渋り」などが起きる可能性がある。
さらに、国債利回り上昇は国の「借金の金利」が上昇する事であるから、国はより多くの金利の支払いを強いられ「財政悪化」はサラニ進行することになる。
財政不安から国債が投売りされれば、ギリシア、イタリア、スペインのような事態にナリカネナイということである。
一般的には、円安は輸出増→貿易収支改善(経常収支黒字)となるのだから、当面「経常収支赤字転落」はないとみてよい。
ただし円安が、中東情勢の不安定によるエネルギー供給の逼迫と「重なる」と、その可能性がないわけではない。
第四の問題点としては、「黒田リフレ」がハイパーインフレの入り口になるという懸念があるようである。
しかしその可能性はホトンドないと思われる。
というのも、日銀がコレマデも大量の資金を投入したにもかかわらず、相変わらずデフレ気味でインフレの兆候はみられなかった。
日本の金融政策は、従来のように金利そのものをコントロールするのではなく、市場に供給する資金量をコントロールすることで、金利の決定を市場にユダネルことにしている。
「金融緩和」すなわち市場にオカネを流すといっても、金融市場には「二つの市場」がある。
「インターバンク市場」とソレ以外の(顧客相手の)市場だが、市場にお金をつぎ込んでもインフレが生じない理由は、この両者にちょっとした「垣根」があるからであるだ。
「インターバンク市場」は文字どうり、銀行同士が資金のヤリトリをしている市場である。
日本では実質的には各銀行が日銀に預けているお金をヤリトリしているが、このインターバンク市場に資金を投入することが「量的緩和」の中身である。
それによって、銀行間の資金の短期の貸し借りたる「コールレート」を下げようとしているわけである。
ところで日銀が金融機関に供給しているお金の量を「マネタリーベース」という。
そして大事なことは、「黒田リフレ」でいかにマネタリーベースをいくら拡大しても、必ずしも世の中に出回っている預金通貨を含んだ「広い意味」でのマネーサプライの増加にはならないということである。
タトエでいうと、種を倍まいても収穫量は二倍にはならないのである。
一般にソノお金が金融機関から世の中に「預金通貨」として貸し出され、「信用創造」のプロセスを通じて膨張しながら世の中に出回るお金の量をマネーサプライという。
そしてマネーサプライがマネタリーベースの何倍に膨張したかを示す指標が「貨幣乗数」である。
つまり「貨幣乗数」が大きな値だと、信用創造が活発に行われていることを示す。
そもそもマネタリーベースとよばれるのは、それを核にして銀行が信用創造を行って初めて民間で利用可能な「預金」が創りだされるからである。
だから、民間に資金重要がなく「借り手」不在のなかで銀行システムの外へは出られず、信用創造は作動せず(貨幣乗数は低く)、物価も景気もマネーサプライもそれにマッタク反応しないというわけである。
黒田リフレで、お金ジャブジャブなのは、日銀当座預金をヤリトリするコール市場(インターバンク市場)ダケで、これは一般の企業や個人は、参加できないものなのである。
欧米では、中央銀行が積極的に資産を買い上げてマネタリー・ベースを拡大しても、国民により近く広い意味での貨幣M2(現金通貨と預金の合計)は、逆に伸びが低下したという現象が起きている。
つまり種を蒔くには蒔いたが、収穫はホトンドなかったということである。
まして金融機関がリスクに慎重な日本では、二倍蒔いた種がどの程度育つかは「未知数」である。
だからこそ「次元の違う金融緩和」とか「使える手段は全部使う」などの「オープン・マウス・オペレーション」(大口タタキ作戦)で人々の「期待形成」に働きかけようとしているのである。

実は、このアベノミクス(黒田リフレ)を人々はドウ受け取るかが、この政策の成功するか否かのカギを握っているといえる。
そこで経済学でいう情報の「非対称」がもたらす「逆選択」という言葉を思い起こす。
「逆選択」についていえば、「レモン市場」問題といいかえていよい。
日本でレモンは、「初恋」の香りであり、プラス・イメージがあるが、英語はそうでモない。
レモンは「すっぱい」というところから、ナント「腐ったもの」「まやかし」とか「中身ナシ」というニュアンスをも秘めている。
すこし前にはやった若者風日本語の「ピーマン」に近いかもしれない。
またレモンとは、アメリカの俗語で「質の悪い中古車」(欠陥車)を意味しており、中古車のように実際に購入してみなければ、「真の品質」を知ることができないモノが取引されている市場を、「レモン市場」と呼んでいる。
「レモン市場」問題は、「欠陥商品」問題ではなく、商品の「情報」と「評価」についての問題なのである。
アメリカの理論経済学者ジョージ・アカロフは、「中古車市場」で購入した中古車は「故障しやすい」といわれる現象のメカニズムを分析した。
古いのだから故障してアタリマエというかもしれないが、ソレニシテモ故障が多すぎるのである。
レモン市場では、売り手は取引するモノの品質をよく知っているが、買い手はモノを購入するまでその財の品質を知ることはできないという「情報の非対称性」が存在する。
そのため、売り手は買い手の無知につけ込んで、悪質なモノ(レモン)を良質なモノと称して販売する危険性がある。
そこで、買い手は「良質」といわれるモノを購入したがらなくなり、実際に市場に出回るのは「レモン」ばかりになってしまう。
結果、売り手は評価されない高いモノを「売る」ことができず、低品質のモノばかりが市場に出回る結果となり、社会全体の「厚生」が低下してしまうとうことだ。
このような現象は、買手の「逆選抜」と呼ばれる行為によって生じるが、「逆選択」の傾向が非常に強まると、市場ソノモノが成立しなくなる。
ところでアベノミクスのブレーンとなった経済学者は、経済のオーソリティーと見なされるが、日銀が大胆な金融緩和をやるものの、一般市民はソレがどの程度「正しい」政策なのか、はたまた「レモン」なのかよくわからない。
一般市民は「日銀レジーム」を壊すほどの大変革などと言われると、未知数な政策にはカエって尻込みする傾向にある。
経験も情報もないからだ。
ムシロ確実にあるのはバブル経済崩壊後の土地や株が暴落したという体験である。
そこで、黒田・日銀がリフレに踏み込む度合いが増せば増すほど、バブルや財政破綻の悪夢が頭をよぎり、必ずしもオカネ周りが良くなる方向に向かわないということである。
要するに、専門家と一般市民の知識・情報の「非対称」性による非常にスケールの大きな「逆選択」が起きかねないということだ。
何かのキッカケでマイルドな物価上昇どころか、逆に貨幣退蔵に向かって「デフレ」に逆戻りするという可能性である。
人々が抱くアベノミクス(黒田リフレ)への単純な期待ではなく「疑心暗鬼」コソが、日本経済を良き「落とし処」に導くことを願う。

安倍政権のブレーンのエール大学教授・浜田宏一氏にせよ岩田規久男氏の「準入閣」にせよ、どうしても一人のエコノミストの思い出を語りたくなる。
大和証券、ボストン証券の調査部長、内閣府主席研究官を歴任した岡田靖氏のことである。
学習院大学に教職の道がようやく開けた矢先、急逝したのは今からチョウド3年間前のことであり、「再評価」の声が上がっている。
ネットで見てあらためて知ることだが、岡田氏なくして浜田氏にせよ岩田氏にせよ、ここまでリフレには踏み込まなかったと 書いてある。
またネット上では、岡田氏と浜田氏の共同論文「バブル・デフレ期の日本の金融政策」も見ることができる。
”http://www.esri.go.jp/jp/others/kanko_sbubble/analysis_02_12.pdf”
岡田氏とは大学院で会い2年間同じ研究室にいた。
岡田氏はピカ一の存在で、何で彼が我がありふれた研究室にいたのかはイマダに不思議である。
強きをクジキ弱きを助けるという「正義漢」であったが、積極的に前面に出て行くタイプではなく、「含羞の巨人」といったタイプだった。
ネット上では「銅鑼衣紋(ドラエモン)」の名で経済掲示板「いちごえびす」の啓蒙的発言でよく知らた存在だったようだ。
あのドラエモンが、岡田靖氏と知って衝撃を受けた人もいた。
20歳代の半ば、兼光秀男教授・岩田規久男助教授の「経済学演習」の時間後、地下鉄・麹町駅ソバのヒューマン・クラブというパブで10数名の学生達と飲みに行くのが「恒例」になっており、岩田規久男助教授と一介の大学院生である岡田靖君の議論が時々熱を帯びていたのを思い起こす。
当時の岩田助教授は、院生と見間違われるような雰囲気で兄キという感じだった。
アノ岩田氏が、今や「日銀副総裁」とは本当にウソのような話である。
それは、何よりも岩田氏自身の思いであることが日経新聞に書いてあった。
何しろ岩田氏は、長年「日銀批判」の急先鋒だったのだから。
日本経済のデフレにともない岩田・岡田両氏を中心に「昭和恐慌研究会」が立ち上げられ、そこでは、昭和恐慌に立ち向かった高橋是清の「リフレ政策」の研究が進められ、今日の「リフレ派」の理論的な基盤となっていくのである。
また、そこには多くの中堅・経済学者が集まり、日本では長く異端視された「リフレ派」が形成されたといってよい。
さて、岡田靖氏は「リフレ派の旗手」として目されながらも、陽の目を浴びることなく2010年4月10日に急逝された。55歳であった。