解剖学的知見

ひとつの技能を極めるには、科学的な知見を必要とする場合がある。
例えば、あるグラフィック・デザイナーは、コンピュータ上に「海の波」を表現するために、物理学の「運動方程式」を勉強したという話を聞いたことがある。
また、早く走る、高く飛ぶ、ボールを遠くに飛ばすといったスポーツの問題にも、最近では科学的な知見が取り入れられている。
解剖学は医学的と結びついて発展したが、最近では医学以外の様々な技能や分野に取り込まれている。
つまり「解剖学」を本来の「医学的目的」から離れて学ぶ人々が増えてきたということである。
解剖学を「本来の目的」から離れて学んだ最初の人といえば、レオナルド・ダビンチを思い浮かべる。
ダ・ヴィンチは、イタリアのルネサンス期の「万能の天才」として知られる芸術家である。
絵画、彫刻、建築、土木、人体、その他科学技術の分野にも通じて、極めて広い分野にソノ足跡を残している。
最も有名なのは、全盛期のルネサンスを代表する作品「最後の晩餐」や「モナ・リザ」などである。
また、ダ・ヴィンチの多岐に渡る研究は、13000ページに及ぶノートに、芸術的な図と共に記録されていて、その中には飛行機についてのアイデアも含まれているという。
また、こうしたノートの中には多くの人体図、それも「解剖図」といったものが数多く含まれていた。
ダビンチは絵を描く前に、被写体とナリウル生物の内面・内部をより知ることによって、絵を美しく真実に近づけようとする目的から、「動物解剖」マデ行ったという。
後に人体の解剖に立ち会い、自分自身でも「人体解剖」を行い、それを極めて詳細に書きこんだ解剖図を多数作成している。
ところで現在の美術大学には「美術解剖学」という分野がある。
皮膚の下にある構造と外との関係、動きやプロポーションなど、人のカタチとその意味を探求する学問が「美術解剖学」である。
確かに人体をよく観察することによって、解剖から得られた知識に匹敵するような優れた洞察眼をもつ芸術家もいるだろ。
しかし、モノゴトを極めるには、外から見える形をナゾルだけではなく、内側の働きを知ってコソ真に躍動感のある表現ができるのではなかろうか。
骨格や筋、皮膚や皮下組織など内部構造と外形との関係がワカルことによって、「対象」をつかむ眼差しは一層深くなるのだろう。
もっとも、「美術解剖学」とはいっても、ソレ自体を学問体系として成り立たせようとしているのではなく、単純に解剖学から知識を拝借して、美術にとって必要な知識を応用しようというワケである。
だから「美術のために用いる解剖学」の省略であるということである。
明治期に西洋画・彫刻とともに日本にもたらされた「芸用解剖学(美術解剖学)」は、岡倉天心に招かれた医学者・森鴎外の、東京美術学校(現東京藝大)における「講義」が基礎になったものだという。
東京美術学校での「美術解剖学」教育は、ドイツに学んだ森鴎外以後、フランスで学んだ久米桂一郎に引き継がれた。
また久米とともに学んだ黒田清輝は、フランスで美術解剖学講義を受講し、「美術解剖学・受講ノート」を残している。
彼らは、体表の奥にある構造を学び、人体の「造形的」な美しさに取り組んだのである。
久米や黒田が「人体」をドノヨウニ観察・表現したのは、幾多の「油画習作」からモうかがうことができる。
「美術解剖学」では、骨と筋の位置と名称、働き、年齢による変化、骨格、筋の運動機構を中心とした内部構造と外形との関係、動きにともなうカタチの変化、比較解剖学、発生学からのカタチの由来などを学ぶ。
実際に、絵画や彫刻などに表された人体に見られる「解剖学的特徴」の洗い出しは、多く美術作品の鑑賞の「視点」として実に興味深いものだという。
これらは主として「鑑賞者」の視点として語られる場合が多いが、実際に「造形者」からすれば「解剖学」はもっとサシせまったモノなのかもしれない。
つまり、人体を造形していこうというする学生が解剖学的な構造を知ることは、人体を通して自らの芸術を表現する者にとってのなイワバ「基本文法」なのである。
解剖学を知らずして人体を作るのは、文法を知らずして詩を書こうというのに等しい。
また芸術と解剖学の共通点の一つは、人体の「形」を探る学問ということである。
人体の「形」には意味があってソウイウ形になっているのだろうから、その形態が持つ「機能」を知ることがポイントとなる。
その意味から、解剖学は人体の各部位の形態を探ろうとする時に、それは「形態学」にも似かよってくる。
ちなみに、解剖にはメス「Sculpel」が必須道具だが、これは彫刻「Sculpture」と語源が同じである。
解剖は刃物で人体を切り刻み、彫刻は刃物で人体を削り出す。

博多人形師の中にも解剖学教室に通った人がいた。
博多人形の制作方法は、まず粘土で人物像等の原型を造り、石膏で型を取りその型に粘土を詰めて型を抜き、生地(人形物等)を制作する。
型抜きは高級人形で50個ぐらいで、生地を900度ぐらいで焼成し、彩色して人形を完成させる。
このような近代的な制作方法になったのは明治期の終わり頃である。
ところで「型抜き」による大量生産方式についてみると、江戸時代を中心に最も町人文化が栄えた19世紀初頭にはすでに行われていた。
この頃博多では「宋七焼」の正木宋七幸弘、中ノ子タミの祖である人形師の中ノ子吉部衛、そして白水八郎の祖である人形師の白水仁作らが活躍していた。
白水仁作が制作したと思われる「武悪面型」や、1857年にその祖父・白水武平が制作した「鍾馗面型」をみると、粘土で造られた型によって大量生産が可能であったことがわかる。
それは、今日の「型抜き」の制作方法と同じである。
明治23年(1890年)に第2回国内勧業博覧会の賞状に「博多人形」と記載されてから、それまでの「焼物人形類」がら「博多人形」と呼ばれるようになった。
博覧会等で入選するには芸術性が高くなくてはならない。
そのために人形師は九州帝国大学(現・九州大学)医学部で「解剖学」を学んだり、色彩を洋画家の矢田一嘯、ソシテ造形については博多出身の彫刻家・山崎朝雲の指導を受けたりしている。
また井上清助が「人類学者」坪井正五郎の協力を得て視聴覚教材としての風俗人形や服飾人形を制作し、博多人形の普及に尽力したことは見逃せない。
1966年 福岡県文化財保持者に認定され、芸術性や完成度を高めて、広く知られていく。
今日の博多人形の繁栄を築いたのは中ノ子タミ、小島興一、原田嘉平、置鮎興市そして白水八郎の五人であった。
1966年8月、福岡県は、「博多人形のすぐれた美しさ、技方をもっともよく伝えている人形師」という理由で、五人を「県無形文化財」に指定した。
そして明治後期から大正にかけて多くの優秀な博多人形師を育てたのが白水六三郎である。六三郎は、白水仁作とは別系統の白水家である。
白水六三郎は博多人形の「方向性」と技術の向上を求めてつくられた「温故会」中心メンバーであった。
白水六三郎は一倍研究熱心で博多人形製作のために人体研究の必要性を感じ、九大医学部の「解剖実験」に立ちあった。
白水が解剖学を学んだことは、ゴッホやダビンチと共通している。
白水らの「温故会」の努力などによってそれまで土俗的なイメージでしかなかった博多人形が洗練された近代性をもつようになったといわれている。
「三人舞妓」の小島与一は15歳の時、この白水六三郎に入門している。
1890年に東京で開かれた「内国勧業博覧会」で、博多人形の素朴で繊細な美しさが全国に知られるようになった。
福岡市東公園にはこのあたりは蒙古軍と日本の武士が戦った戦場であったために、日蓮上人像と亀山上皇像がたっている。
この亀山上皇像の制作にあたったのが、山崎朝雲である。
この日蓮像の台座には、白水松月の文字がみえるが、この白水松月こそ博多人形の近代性を追求した白水六三郎である。
またこの台座の猛攻襲来のリリーフの元絵をかいたのが、博多人形師に影響を与えた矢田一嘯である。
また白水六三郎の弟子・小島与一の製作した「三人舞妓」の像が中洲「福博であい橋」のたもとに立てられている。
小島夫人が与一二十五回忌に建て福岡市に贈ったものである。
なお現在、博多山笠の飾り山を製作する博多人形師達のほとんどが小島与一の弟子である。
博多人形の成功は、人形師達の「解剖学」から「人類学」さらには近代彫刻、西洋人形にいたるまでの「異分野」に学ぶ姿勢があったといってよい。

最近、人間と見紛うバカリに精巧にできたロボットを見るにつけ、ロボット制作においても「解剖学的知見」が取り入れられているのは容易に推測できる。
ロボット人間の表情が、喜び、怒り、憎しみ、恥じらいなどの微妙な「喜怒哀楽」を表現するためには、筋肉の動作についても詳細なデータとテストが必要となってくる。
例えば、「上肢腕動作」を補助するための新しい「軽量着用型ロボット」を制作する場合には次のような経過をたどる。
このロボットでは、自由な行動範囲と高い自由度、服の「着脱」のしやすさを達成するための「着用型機器」としよう。
その実現のためには、特に「関節」とそれに連なる筋肉などの解剖学的知見が必要である。
従来のロボットは各関節に「一関節」駆動を装備し、各関節を独自に制御することで多関節マニピュレータの運動を実現してきた。
しかしさらに精巧なモノにするために、「解剖学的」見地からヒトの構造的特徴と運動の特性の何が具体的に優れているのかという視点でヒトの特徴を抽出し、腕や脚の運動を工学的に解析する。
その結果、ヒトの持つ「二関節」筋の役割や構造的特徴が、基本動作の簡単な実現に役立っていることが明確化され、その「知見」がロボットの運動制御の応用に役立つ。
それぞれの関節を独自に駆動するマニピュレータの運動制御手法はロボット工学によって確立されている。
しかし、生体には「二関節」筋が存在することは事実であり、一関節筋と二関節筋の「協調」活動が行われていることが筋電図測定より明らかになっている。
そして、二関節筋を持つヒトは、支点と先端を結んだ軸に対称な先端力分布を備えおり、筋電図測定で示された各筋肉の出力制御により先端力の方向を見通し良く制御している。
そして、コレに習ったアクチュエータ(駆動)出力の制御手法を具体化していくのである。
まとめると、上肢の運動メカニズムを「解剖学的知見」により検証し、人体に近い動きを可能にする「形状記憶合金」バネ、振動モータを用いた複数のロボットを設計・製作しする。
そしてソノ特性についてリハビリテーション応用を念頭に置いて「評価実験」を行うのである。
こうした過程を通じて人体に近い「軽量着用型ロボット」が実現していくのであるが、そのベースに「解剖学的知見」が必須であることはいうまでもない。

最近、「工場夜景」の見学が人気を呼んで、「工場萌え」という言葉まであるという。
コンビナートや工場の、夜間照明や煙突・配管・タンク群の、重厚な「構造美」を愛でる、工場観賞(工場鑑賞)を趣味とする人々が増えており、従来けしてキレイとは言えない外観であるとされてきた工場に美を見出す動きが起きている。
あの巨大で複雑に屈曲したパイプラインの威容は、人間がマサニ「人工機器」の中棲みついて生きていることを「暗示」しているようでもあり、実際あのコンビナートの形象こそは視覚的にも「脳」ソノモノのようにも見えてくる。
「脳化社会」とは、解剖学者・養老孟司氏の言葉だが、氏によれば「人間は自らの"脳"に似せて社会をつくる」と解釈するならば、アナロジーという言葉がキーワードだ。
確かに「脳の仕組み」はほとんど知らずとも、コンピュータはCPSが頭脳の回転の速さ、容量そして、メモリーは記憶をつかさどる部分で、レジストリーは思考など、脳とアナロジカルな関係にあることに気づく。
実際、中国語でコンピュータのことを「電脳」というではないか。
このように「脳化」のひとつの特徴は、脳の働きの社会へのアナロジカルな「表出」ということである。
また、最近の世の中のネットワーク化の勢いは、「脳神経とシナプスと信号」の遍在化を思わせるものがある。
オカネが生まれたのは脳の中にオカネの流通に「類似」した働きがあるからである。
言語を媒介として交換することと、通貨を媒介として交換することには共通点があるし、言語を操ることも通貨を使用することも「シンボル」を操作するという点で共通している。
すなわち脳の中の比較・対比・類推などの「アナロジー」の働きがそうしたものを生み出すのである。
とするとあの工場のコンビナートの入り組んだ「形象」でさえも、そのように生み出されたものにも見えてくる。
それで、人工物に溢れた都会は人間の脳のウツシミのようなものだから、人間は「脳」の中で生活しているということになる。
「脳化社会」とは、統御可能・予測可能・不安・不快の徹底排除された社会のことである。
それは、人々が生きる環境を赤子が「母親」に抱かれているかのような状態をめざすようにも思えた。
それは、映画「未知との遭遇」のラストシーンを思い出す。
地球上に着地した壮大な人工機器に囲まれた宇宙船から、真っ白くやせ細り、目だけがギロッとした二足歩行の生き物が登場する。
この「未知との遭遇」は、「未来の人類」との遭遇のようにも思える。
ところで、あるテレビ番組であった、「工場萌え」におけるコンビナート「見学」のポイントの説明がナカナカ面白かった。
第一にパイプの「造形美」を見るべし、第二に、その働く続ける姿に「男」または「父権」を見出すべし。
母親に抱かれた居心地のいい「制御された」社会にあって、「父」のゴトキ荒々しさを人工物の中に探しているのかもしれない。
人間と動物の脳の最大の違いは「大脳皮質」の発達であるが、大脳皮質」の最大の特徴は、といえば「統御と予測」である。
そうした「脳化」の極致が、サブプライム・ローン問題で世界を混乱と不安の渦中に巻き込んだ「金融工学」ではなかっただろうか。
また養老氏の「脳化」という言葉は、2年前に東北を襲った津波や原発事故についても、あてはまる部分がある。
養老氏はシバシバ「今の人は”ああすればこうなる”という風に考えがちだが、実際の世界では必ずしも、ああすればこうなるということは決まっていない」というようなことを書いている。
自然に囲まれて住んでいたヒトにとって、自然とは予測不能であり統御不能で、それゆえ自然たとえば「森」は不気味な存在であり、「畏怖」の対象でサエあった。
そこで人間はその大脳皮質の性向にソッテその「予測」不能領域を少しでも少なくしようとしてきた。
それが「進歩」ということであるが、脳はソノ性格上、人間を「迷妄」に導き易いものなのか。
脳は想定外なことを、あんまり脳内に滑り込ませないものらしい。
2年前の311震災以降、人間はソンな予測可能な「人口機器」の世界に生きていけるワケではないということを痛切に教えられた気がする。