香りの創造

数年前の映画「パフューム」は、世界45カ国語に翻訳され1500万部以上の売り上げを記録した「香水~ある人殺しの物語」の映画化である。
当然はやくから映画化の話が持ち上がるも、作者のジュースキントは頑として「映画化」を許さなかったもので、そのことがかえって「禁断の映画」という雰囲気を醸している。
その「原作」の映画化が20年以上の時を経て完成したのである。
18世紀フランス、ジャンバティスト・グルヌイユという1人の孤児がいた。
グルヌイユは、何キロも先の匂いを嗅ぎ分けるという特殊な才能を持っていた。
やがてグルヌイユは、パリの香水調合師に弟子入りして香水の作り方を学ぶと、もっと高度な技術を学ぶべく香水職人の街・グラースへと向かう。
そこでグルヌイユは、「天使の香り」の如き至高の香水を造りたいと願っていた。
それはパリの街角で出会い、誤って死に至らしめた赤毛の少女の香りだった。
そして彼は、「世界がひれ伏す香り」の製作に取りかかるのだか・・・。
この展開がよめないサスペンス映画のコンセプトの一つは、「香りの映像化」である。
この映画では、当時悪臭が漂ったといわれるパリの魚市場のシーンから街の雑踏、香水店、その香水の調合シーンなど「匂い立つ」ような映像表現が次々と登場する。
もしもこの映画を見て、室内(または館内)が「匂い」で包まれる感覚を味わえたのなら、この映画の目論見の一つは成功したといえる。
つまり、視覚や聴覚が「擬似的」に「臭覚」へと転じさせることに成功したのだが、場面ごとに本当に違う「匂い」が発せられるという技術が今開発されようとしている。

数日前、朝日新聞「Globe」の欄に、「匂いのデジタル化」という記事が目に入った。
我々は日常生活において、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のいわゆる「五感全て」を通して自分の環境や状態を認識している。
多くの情報は視覚と聴覚情報であり、普段の生活では食事以外「嗅覚」の役割に気付くことは少ない。
人間は他の動物と比べ、「嗅覚」が最も後退した感覚なのではなかろうか。
携帯、インターネット、コンピュータなどの世界でも「匂い」がメディアとして利用されことはない。
その原因として、映像や音と異なり「匂い」の発生や制御が困難であることがあげられる。
その発生につき、「赤・青・緑」の光の三原色のように混ぜ合わせれば、どんな匂いも合成できる「原臭」などは存在しない。
しかし、色と同じように3種類の「匂い」を違う「濃度」で発生したらどんなことになるのだろうか、などと想像することはできる。
その制御につき、「匂い」を切り替えるときは、前の匂いを素早く消臭しないと「混ざり」合う。
また「匂い」は、順応と呼ばれる現象により、数10秒でその匂いを感じなくなる。
このようなことから現在開発されている香り「発生器」は、部屋の香り付けを目的としたぐらいで、「映像」に合わせて高速に匂いを「切り替える」ところマデは、至っていない。
人間が匂いを感じるのは息を吸い始めてから1秒間ほどだが、「嗅覚ディスプレイ」(インク・プロジェッターを連想してください)を用いて細いパルス状のニ種類の匂いをある間隔を空けて射出すると、混ざる事ナクはっきり二つの匂いを「一呼吸」の中で認識できるという。
反対に、同じ匂いをニ回射出したとき、徐々にニつの匂いパルスの間隔を短くしていくと、ある時点から一回の射出だと感じられる。
こうした「匂いの性質」を用いて、数種類の「においのもと」を入れた「調香装置」を用意していれば、香りを構成できることになる。
「配合データ」を、インターネットを通じて送れば、先方に「調香装置」さえあれば、送りたい「匂い」を送ることができる。
もっと具体的にいうと、母の日を前に、カーネーションの花束の映像とともに、花の香りを漂わせることも出来るし、夏休みに旅先となった北海道から、ラベンダーの映像とともに、その香りさえも送ることができるというわけだ。
今後、実用的な医療用「嗅覚ディスプレイ」が開発されれば、「あなたの嗅力は1.5」と言われる日も近いかもしれないし、特定の匂いが判断できない「臭弱」ナンテ言葉が登場するかもしれない。

中学生のころの男性香水「マンダム」のテレビコマーシャルがあったが、チャールス・ブロンソンのごとくにアゴを撫でつつ「U~~~m マンダム」とつぶやいてみたら、坊主頭の中学生でもブロンソンになれそうな気がした。
ところで10年程前の或る日、タマタマ図書館で見つけた本の中に「香水ブランド物語」というのがあった。
この「香水ブランド物語」の著者・平田幸子という方は、父親と二代にわたって「香水評論家」といわれている人である。
その平田女史のこの本には数々の「香水」について書いているが、その「香り」を言葉に置き変える表現力が素晴らしい。
詩かファンタジーの世界に入り込んだ気がする。
ちょうど「ソムリエ」達が、ワインの味を巧みな話術と的確な表現で伝えている姿と重なった。
そういえば、香水の産地は南フランスのプロバンス地方あたりが有名で、ワインの産地ともかなり重なり合っている。
映画「パフューム」の舞台グラースも、このプロバンス地方にある。
この「香水ブランド物語」は、「香水」の奥深い世界を垣間見せててくれた。
面白かったのは、香りは人肌のヌクモリによって変化するそうだ。
最初に飛び出すつけてから匂いだす揮発性の高いトップ・ノート、次に30分くらいかかって最もバランスのよいカオリが出るハート・ノート。
最後に、約3時間以降に持続するように残るラストノートで、「残り香」といわれるものである。
つまり、一つの香水に「いくつも表情」が隠されているということである。
ちなみに「ノート」というのは「~調」ぐらいの意味で、香水の世界では、基本となる「~ノート」を作りだすのにどのような植物や花を合成するかという一応の「ベース」があるらしい。
ところで、あるブランドをより強く確立するために、ブランドのイメージをニオイで表現する「香水」を売りに出すことが業界の「常識」なのだという。
視覚(色彩)を臭覚と結合させるわけだ。
数年前に、映画「ココ・シャネル」が公開されたが、ココ・シャネルは、もともと斬新で豪華な帽子のデザインからスタートしていることを知った。
オードりーヘップバーンが「ティファニーで朝食を」で被ったアノ帽子である。
、 帽子をつくったら、それに合う服、さらに革製品というようにカバーする範囲が広がり、ついには「匂い」に向かっていく。
要するにファッションから持ち物まで「総合ブランド」に向かっていくのだが、ブランドの精神や哲学を「香水」という究極のアイテムに託してシンボル化するのである。
色彩や形で表現されているものを、ニオイという消え去るもので「表現」しようというのだから、「事物」をよほど深くツキツメないとならないことは、想像に難くない。
「香り」というものは、「カタチ」や「色彩」と違ってスグサマ消え行くものだけに、それを生み出す人間性そのもののが「滲みでる」。
そう意味では、ベルサーチやジバンジーなどのブランドで決めるということは、まさに他人の人間性を「身にまとって」着ているということに他ならない。
マリリンモンローが「シャネルNO5」ノミを「着て」ご就寝なさるという有名なエピソードがあったが、結局はココ・シャネルという女性のアイデンティティを「身にまとって」ご就寝なさっているのだ。
ところで、オードリー・ヘップバーンならば「ジバンシー」、カトリーヌ・ドヌーブならば「イブ・サンローラン」といった具合に女優が特定のブランドに御執心するケースも結構あるそうだが、そう考えると「女優」というのは、「ブランド主」とコラボして創られるものなのかもしれない。
ちなみに、「テファニーで朝食を」で原作のトルーマン・カポーティは、主役のホリー役にずっとマリリン・モンローを考えていたそうである。
ホリーは複雑な家庭環境の中で育ち、本当に男性を愛することを知らず、明日のことは考えない「根無し草」のような若い女性である。
少し寂しい影を持ち、実際にドラッグやアルコール中毒に苦しみ、妖艶な魅力を持つマリリン・モンローがこの役にピタリと思ったからだ。
ホリーはマンハッタンのアッパーイーストサイドのアパートに住む高級娼婦でお金持ちの男性からの貢ぎ物で生計を立てている。
いつかお金持ちの男性と結婚することを夢見ながら、自由気ままに暮らしている女性である。
映画会社のパラマウント社は、主役にオードリー・ヘップバーンを選び、彼女もこの複雑なホリーの性格・個性を見事に演じたといっていい。
そしてオードリー・ヘップバーンがコールガールを演じたということでセンセーションを巻き起こし、優等生オードリー・ヘップバーンに「小悪魔的」な魅力を付加した。
「ムーンリバー」の音楽とともに「ジバンンシー」を着こなしたそのファッションも合わせて「五感の共演」といってもイイ映画であった。

アラビア半島東端の国オマーンの首都マスカットから飛行機で一時間半ほど南下すると、アラビア海に面した港町サラーラに着く。
コノ街は、世界最古の香料の一つ、乳香(にゅうこう)の産地として知られる。
「乳香の地」サラーラ郊外には世界遺産の「乳香の地」がある。
大小の岩が転がる乾燥した荒れ地に、ぽつんぽつんと乳香の木が自生している。
2メートルほどのカンラン科の常緑樹で、樹液を乾燥させると乳香ができる。
樹液を採取するのは、昔もいまも遊牧民のベドウィンである。
ノミのような刃物で樹皮を傷つけると、真っ白な樹液がとろっと流れ出てくる。
たしかにミルク(乳)のようで、甘くてむせかえるような濃厚な香りが漂う。
乳香の香りを嗅ぐと、気分が落ち着いて体調もよくなるため、数千年前から、この地で採れた「乳香」はエジプトや地中海沿岸、インドや中国に運ばれて珍重された。
「乳香」はカンラン科の乳香樹という木の樹脂が固まったもので、もうひとつ没薬(もつやく)の方も、「乳香」にごく近い種類の木の樹脂が固まったものである。
乳香の香りを使った香水がオマーンにある。
1983年、王室に連なる財閥サブコ・グループがつくった「アムアージュ」は、世界で最も高価な香水の一つである。
アラビア半島を中心に販売していたが、最近は欧州やアジアに販路を広げつつある。
ところでこの「乳香」は、東方の三博士が、イエス誕生の際に訪問して送った「贈り物」の一つである。
新約聖書「マタイの福音書」によると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
博士(マギ)たちはその星を見て喜びにあふれた。
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。
彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、「黄金、乳香、没薬」を贈り物として献げたとある。
ここで、「博士」あるいは「賢者」と訳される言葉「マゴイ」(マギ)の原義は天文学者であったようである。
彼らが送った「黄金」は、神への愛、信愛を象徴するもので「王位」の象徴を意味する。
王位の象徴である「黄金」をイエスにささげたことは、すなわちイエスが「諸王の王」と呼ばれる存在であることを、世界に示したことになる。
次に「乳香」は、神への供物、礼拝を象徴するものである。
乳香の樹液から作られた 礼拝に使われる高価な香料であり、イエスが「神から油を注がれた者(=キリスト)」であり聖別されている者であることを意味する。
さらに、イエス自身が崇拝を受ける存在、「神」であることも表している。
「没薬」も「乳香」に近い樹液からとれるが、「ミルラ」とも言い本来 死者の身体に、死体の「防腐剤」として塗られるものであった。
世界の罪を負い「神の子」として死ぬためにこの世に生まれ、やがて「復活」することをも意味する。
つまり、東方の三博士が幼きイエスに送った「黄金・乳香・没薬」は、そのままキリストの生涯と死と復活をすべて「預言」していたことになる。
今でも、カトリック教会のミサ聖祭やユダヤ教の儀式の最中に、この乳香や没薬がその場所を「清める」為に焚かれている。
というより「神の臨在」を表すために焚かれているのかもしれない。

現代の香水には宗教的イメージよりも、むしろ「背徳的」なイメージさえ漂っている。
具体的に香水の名前を日本語に訳すと、「矛盾」「妄想」「羨望」「強情っぱり」「 禁断」「 阿片」「 爆薬」「優しい毒」 あげく「強迫観念」「阿片」などを意味するものまである。
こんな強力な香水を身にまとった女性に近づくならば、それこそ「クラッ」ときそうである。
ところで、日本の女性の名前も「MITUKO」という世界的な香水のブランド名となっている。
1874年、東京牛込の骨董商の娘に青山光子という女性がいた。
ある冬の日この骨董屋の前で氷水に足を滑らせ怪我をした外国人と出あった。
この外国人男性はなかなかの人物でオーストリア大使として日本を訪れていたクーデンホーフ・カレルギという名の人物であった。
青山光子は日本人女性にしては背も高く教養もあり、お互いに美術面での趣味を共有し、二人は恋に落ちる。
そして3年後二人は周囲の反対を押しきり、メデタク入籍することになる。
この時、二人の間には既に「光太郎」「栄次郎」という子供が生まれた。
まもなく夫に強制帰国命令が出るや、光子は遠く離れたオーストリアに移住する決意をする。
カレルギ家の領土はオーストリアのボヘミア地方にあり、光子は十数人の使用人のいるロスンベルク城で7人の子供と優しい夫に囲まれ幸福な日々を送った。
しかし1906年、夫ハインリッヒの突然の死により庇護者を失った彼女は、異国の地で一人で生きていかなければならなくなる。
光子は、子供達の教育にあたり、日本の明治思想と欧州の理念を融合させた厳しくも優しい教育を行い、その教育理念は子供達に残した多くのの手紙に示され、上流階級をはじめヨーロッパでも高い評価を得ているという。
光子はすべての子供たちを名門学校に入れて、カレルギ家の「伯爵夫人」として日本人として初めてウィーンの社交界に登場するようになる。
彼女の凛とした立ち居振舞いから「黒い瞳の伯爵夫人」として、ソノ華麗さは社交界の花形となっていく。
彼女の噂が広がるにつれ、フランスのゲラン社は「MITUKO」という名の香水を発売するのである。
ところで息子の”栄次郎”は、1923年に著書「パン・ヨーロッパ」を発表した近代におけるEU(欧州連合)の提唱者として知られた人物リヒャルト・クーデンホーフ・カレツキである。
彼は映画「カサブランカ」でポール・ヘンリード演ずる反ナチス抵抗運動の指導者、ヴィクター・ラズロのモデルとなった人物である。
ラスト・シーンでイングリット・バーグマンとともに飛行機で逃れるアノ人物である。
リヒャルトは母についてこう述べている。
「彼女の生涯を決定した要素は3つの理想、すなわち、名誉と義務と美しさであった。ミツ(光子)は自分に課された運命を、最初から終わりまで、誇りをもって、品位を保ちつつ、かつ優しい心で甘受していたのである」と。
インタ-ネットで調べると香水「MITUKO」は、「気品あふれる香水で大人の女性に愛される」とあった。