次のシグナル

安倍首相の経済政策「3本の矢」が、日本経済にココしばらくナカッタ「浮揚感」をもたらしている。
円安にフレ株価もアガっているので、春闘でドノ程度の「賃金アップ」に繋がるかも見所と言いたいが、あんまり期待できない。
安倍首相のいう三本のうち二本の矢(「金融緩和」と「公共事業」)は、実質よりも政府の本気度を示す「メッセージ」(シグナル効果)をネラッテいる感じが強い。
セイゼイ景気の「誘い水」で、むしろ重要なのは、三本目の矢「成長戦略」であり、これがなければ「賃金/給与水準アップ」は困難である。
企業は少々の収益改善があったとしても「内部留保」の確保に励むダケだからである。
純経済学的観点からいうと、賃金アップは労働者1人あたりの「生産性向上」からしか生まれない。
単位労働者あたりの生産性向上とは、とりもナオサズ「経済成長」をさす。
しかし安倍首相の「成長戦略」にはイマ一つビジョンがなく、ヤヤ「本気度」に欠ける。
そうであればアベノミクスは、今年夏の参議院選挙ネライともいわれても仕方なく、「後は野となれ山となれ」と、「政権」を降りる可能性もなきにしもアラズである。
フランス革命前に、ルイ15世の愛人ポンパドール夫人が「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」といったことを思い起こす。
ナンセ自分が散々浪費散財したせいもあって、ソノ後のこと(フランス革命)を正しく予言する結果となった。
ポンパドール夫人も、日常の生活の中で色々な「滅び」のサインを感じ取っていたに違いない。
一方、ルイ15世の孫ルイ16世の方はといえばフランス革命の勃発事件たる「バスチューユ襲撃」が起こった当日、日記に「何もなかった」と書くくらいノウテンキだった。
せめてポンパドール夫人ぐらいの自覚があれば、もう少し別のことを書いたかもしれない。
当日のハンティングの収穫の多さぐらいにしか、気持ちが動かない人間になっていたのだろう。
ちなみにポンパドール夫人の「洪水は我が後に」という言葉は、聖書の創世記にある「ノアの箱舟」物語の連想があったに違いない。
聖書には、「洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた」と記してある。
日常様々のサインやシグナルから様々なことを「察知する」人間と、そうでない人々もいる。
また、アンマリ目の前のことで忙しく、ソレラを見逃すということもある。
ところで、「サイン」と「シグナル」の違いが気になってネットで調べたら、人間が出すのがサイン(合図)で、機械が出すのがシグナル(信号)、という味気ない説明があった。
しかしサインとシグナルの違いは「発信側」ダケではなく、ニュアンス的には「受信側」によって定まる部分が大きいのではなかろうか。
つまり「サイン」は特定の人間だけわかるようパーソナルに発せられたもの、あるいは特定の人間だけが読み取れる「何か」である。
それに対して「シグナル」は多くの人々に発せられるもので、誰にでも認識されるウルものである。
ただし「見ても見えず、聞いても聞こえず」(イザヤ66章)ということもある。
とすると、サインの中には、に「ノンバーバル」(非言語的)な仕草や態度がある。
昔見た「ジャッカルの日」(1973年)という映画は、ササイな「仕草」が「重大」な結果の違いをもたらすことを教えていた。
1960年代のフランスでド・ゴール政権に不満を持つ秘密組織が、大統領暗殺を目論むが、ことごとく失敗に終わってしまう。
そこで最後の手段として、凄腕の殺し屋ジャッカルにド・ゴール暗殺を依頼する。
この計画をいち早く察知したフランス警察はジャッカル暗殺計画「阻止」に立ち上がる。
しかし、ジャッカルの「照準」は着実にド・ゴールを追いつめていく。
観る者をひきこんでいくサスペンス映画の最高峰ともいわれる映画だが、大統領が「予期せぬ」動きをしたため、ジャッカルの放った弾丸がソレてしまう。
映画ではそれだけのことで、アレッ?で終わってしまい、ナンダカ物足りない感じがする。
ところが、原作の「解説」に次のようにあった。
//照準器の十字の線の中点がこめかみに合わさった。やわらかくやさしく彼は引金をしぼった。次の瞬間、彼は信じられないという表情で、駅前広場を見下ろしていた。
炸焼弾が銃口から飛び出す前に、大統領はついと頭を傾けたのだ。
ジャッカルが茫然として眺めていると、大統領は、前にいる退役軍人の両頬に、おごそかに接吻した。
大統領は長身なので、祝福の接吻を与えるためには、ちょっと前かがみにならなければいけないのだ。//
この接吻は、フランスその他のラテン系民族の習慣なのだが、アングロ・サクソンにはそれがなく、ジャッカルは不覚にもソレを計算にいれていなかったということである。
つまりラテン系文化とアングロ・サクソン文化の相違が狙撃失敗の原因であったことがミソだが、残念ながらそこが日本人には分からない。
さてノンバ-ババル(非言語)な仕草や行動は、そのサインの意味や意図を充分に読み取れない場合に、お笑い系からシリアス系まで様々な事件を引き起こす。
「サイン」をめぐるエピソードで面白かったのは、ジミー大西が大阪の名門野球部をやめたのはベンチの監督の「サイン」を読めなかったからだという。
ジミー君が一塁ベースに立って監督のサインを見たら足し算ができず、ベースにうずくまって地面に数字を書いて足し算をしたら、監督からヤメロと言われたという。しかし、今や「大西画伯」である。
女優の大竹しのぶさんの「ピース・サイン」のエピソードも面白かった。
デビュー前、大竹さんがタバコ屋の手伝いをしていたら、若い男がきて自分にむかってピ-スとVサインをおくる。
彼女もそれに対して何度もピ-ス、ピ-スとVサインを送り返したら、男はアキレタようにその場を立ち去っていった。
彼女がタバコにピ-スという銘柄があるのを知ったのは女優になってからである。
つまり立ち去ったアノ若い男が彼女におくったVサインとは、ピ-ス二箱という意味であった。
個人的の思い出で、二階の窓から女性が手を振っていたので手を振り返したら、よく見るとその女性は窓を拭いていたにスギなかったということもあったネ。

東日本大震災の被災地で釜石の小学生から一人の死者を出さなかったのは、「釜石の奇跡」といわれ、釜石防災教育が世間の注目を集めることとなった。
しかし、この教育はドウ行動するかということばかりではなく、「何を」サインまたはシグナルとするかが重要であるように思った。
例えば地震が起きたら、タトエ一人であっても家族を探さずに高いところに逃げよと教えられていた。
祖母の家で一人遊んでいた子供は、そのことを思い出してキワドク助かった。
そればかりか、激しい揺れのあと波が海の方向に「引く」現象を見て異常を察知し、ビルの中に忘れ物をとりにいくのをやめて高台に逃げたものもいる。
またなかなか逃げようとしない大人を何度も「呼び出し」て祖父母を救った子供もいた。
大人には過去の経験や慣例というものがあって、ソレがかえってジャマするのだろう。
もっとも、大人の中にも芥川龍之介のように関東大震災の一週間前から「自然界の異変」に気がついて、いままでにない「大異変」が起きることを察知していた「超過敏神経」な人もいることはイル。
最近、NHKの番組で、米相場を知らせる「手旗信号」というのを放送していた。
日本のシグナルの歴史の一つだが、それよりも大阪堂島の米市場は、世界初の「先物市場」ということを知った。
江戸時代は、税(年貢)を米で納めたので米が通貨同様の役割を果たし、米が経済の中心になっていた。
しかし、やっかいなことに米はほ豊作/不作によって大きく政治や経済を狂わせるため、「米価の調整」に幕府は頭を悩ませた。
自然の成り行きにまかせると、平年でも年貢の納め時には米があふれ価格が下がるし、米が減ってくれば値が高騰する。
凶作になれば米が無くなり餓死するものが増え、豊作になってうまくいくのかというと、米の価値が下がるので米価にアワセて給料をもらっていた武士の生活が苦しくなってしまう。
何よりも、豊作・凶作にかかわらず「米の価格」の安定が望まれた。
江戸時代には、全国の米が大阪に集められ諸藩の蔵屋敷(大阪堂島に多く軒を連ねた)に米が納めらたのち「米切手」(証明書)が発行され、「切手」による取引が行われた。
ここでは、国元が飢饉で米が高騰していても、全国平均の相場で米を手に入れることが出来、米が豊作となった藩は値の上がるのを待って「余剰米」で利益を上げることも出来た。
さらには現物の米の価格に加え、将来入荷する「米の見通し」(先物)をみて、商人により米価の極端な変動が修正されるならば、米価の安定に好都合である。
一方商人は、米価の上がり下がりの予想をその時々でうまく行えば大きい利益を生み出すことも出来、国全体の商経済が発展することにもなる。
そこで、8代将軍徳川吉宗は米価の操作に四苦八苦したすえ、享保15年(1730)堂島(現・大阪市北区)に帳合米市場(米の先物取引)の開設を命じたのであった。
のちに吉宗はこのことによって「米将軍」と呼ばれた。
この制度の案は、吉宗が信頼していた名奉行・大岡越前守忠助が作り上げた優れた制度で、現在行われている先物取引の骨格を網羅していた。
不正が行われないように幕府の監視のもとで行われる初の公設の先物市場であって、のちに1848年に設立されたアメリカのシカゴ商品取引所は、「堂島米会所」をモデルとしたという。
外国でも商品先物取引は、日本より古くからアントワープ(ベルギー)とロンドン(イギリス)などでおこなわれていたが、公設の「商品先物取引所」を誕生させたのは、日本が「世界初」であった。
さて、江戸時代において、「旗振り通信」も考えられなかったわけではないが特定の人間だけを利するのはよくないという理由で禁止された。
そして「米飛脚」によっての伝達しか認められていなかったが、一刻を争う相場の動きにはナカナカついて行けず不自由であった。
明治には「旗振り」の禁止が解かれ、電話がひかれるまで町の近くの見晴らしの良い丘や山の頂に櫓やぐらを組んだりして、「旗の信号」のをツナギながら名古屋や津・大阪方面に相場を伝えたという。
建物の屋上には櫓が組まれて「旗振り場」として利用された。
それらは「旗振り山」とか「相場山」などといった名で呼ばれたり、地域の古老の言い伝えを残していたりするので、それを線で結ぶと明治時代の「米相場」の連絡網の様子をウカガウことができる。

アイルランド移民であったケネディ大統領の父親は、靴磨きの少年から「株はどうなりますかね、旦那」と聞かれた時、靴磨きまでが株に手を伸ばしていることに「異常サイン」を感じ取り、株の暴落前に売り抜けることができた。
要するに、経済は「生き物」のようで、「何か」のシグナルで人間の行動が大きく変動することがある。
最近の最も分かり易い例では、「国債の格付けの引き下げ」で市場が激しく変動することがソレにあたる。
ただし、「国債格下げ」予想が人々の心理にスデニ折りこみズミで、何の反応も起きないこともある。
今安倍首相がやっている金融緩和、機動的財政出動、成長戦略の大々的な「公言」も結局は、様々なサインやシグナルによる「心理効果」をネラっている面が強いと思う。
しかし重要なのは「市場のシグナル」で、ある種のシグナルを発して経済を動かすということは、「次のシグナル」で経済の「潮目」が一気に変ってしまう可能性がある。
では、現在の日本で「経済の潮目」を変えるほどの「次のシグナル」がアルとすれば、ドンナものだろうか。
今、日本には借金問題にある一方、世界一の金融資産もあってマダマダ国債を引き受ける余力はあるという認識がある。
このことにツキ、それほど注目されていないが、貿易立国・日本の重要な背骨は「経常収支」である。
経済の「潮目」が変わるホドの「次のシグナル」候補の一つが「経常収支の赤字転落」ということである。
日本はイマダ「経常収支」の赤字に至っていないが、2011年の日本の貿易収支は1963年以来、実に48年ぶりに赤字へ転落した。
もしも、貿易収支に利子・配当など「所得収支」ナドを加えた「経常収支」が赤字となれば、従来日本経済が体験したことがない「異次元」経済に入ることになる。
その第一は、今までとは違って資金調達(国債引き受け)を「海外資金」に頼らざるをえなくなる点である。
そうなると、日本経済は外国(の金持ち)の動向に大きく揺らされることとなり、ここのところ続いたギリシア経済と近い事態が日本に生じることになる。
今「円安」となり輸出で黒字を稼げる流れが生まれつつあり、それへの期待から株価も上がっている。
アベノミクスが景気浮揚が本物あるかどうかは、実質的な経済成長が実現するかどうかという「長期」で判断スベキである。
今、確かに円安で輸出が伸びつつある。しかし国の真の豊かさは「輸入」の方が重要な意味をもつ。
2002年ノーベル賞を受賞したプリンストン大学のクルーグマン教授は「国にとって輸出はそれ自身目的ではなく、輸入が大切で、輸出しなければ輸入ができないので輸出が行われる」と語った。
輸出奨励・輸入抑制の「重商主義」を批判したアダムスミスの「自由貿易論」の原点を思わせる言葉だが、国にとって最終的な目的は「輸入」であり、輸出はあくまでも「手段」であるということだ。
最終目的にソッテいえば、国を富ませるのは、安い商品を沢山買える「円高」なのである。
加えるに「円安」が本当に輸出を劇的に伸ばせるかは不確定要因が多くなる。
それは日本の貿易赤字の原因は「円高」でなく、ムシロ欧米の景気悪化や尖閣諸島国有化による日中関係の悪化で中国への輸出が減少したからで、当面はソレが「常態化」しつつある。
外国での現地生産の活発化や、原発事故による火力発電の稼働率上昇で燃料の輸入が増えたこともある。
では、日本が貿易赤字なのになぜ経常収支が黒字を維持できたかというと、所得収支が「孤軍奮闘」して「貿易収支の赤字」をカバーしているということが一般的なカタチとなったということである。
アメリカは長く日本から借金して(つまり米国債を売って)日本から輸入したきた。
いわば日本はツケで米国にモノを売っていた(輸出していた)のだが、そのお金を貸した分の利子が今「所得収支の黒字」として日本にもたらされているということである。
また海外に移転した日本企業がその収益を日本に送る「移転収支」もある。
だから、貿易収支で赤字になっても、こうした「所得収支」でアル程度補うことがきるのである。
しかし、貿易収支の赤字が「常態化」すれば、緩やかに上昇する所得収支では補えないため、「経常収支赤字転落」という戦後初めての事態に突入する可能性は低くはない。
今のヨーロッパやアジア情勢、日本と中国、韓国との関係からソノ可能性は充分に高いといえる。

ところで経常収支は「国際収支」ソノモノではない。
上記の内容を今ひとつ整理すると、「貿易収支」は輸出額と輸入額から算出する収支で、「サービス収支」は国境を越えたサービス(輸送、旅行、通信、建設、保険、金融、情報等)の取引による収支である。
そして「所得収支」は日本企業が海外で得た収益から、外国企業が日本で得た収益を引いたものからなる。
あと少しは「経常移転収支」つまり出稼ぎ外国人の母国送金、日本人留学生への仕送りなどがある。
以上の4つを合わせて「経常収支」で、これに「資本収支」を加えたのが「国際収支」である。
「経常収支」は対外投資(資本流出)と対外借り入れ(資本流入)の差と等しいので、「経常収支赤字」ということは、日本が資本の「純輸入国」になることを意味する。
言い換えれば、日本の財政赤字の少なくとも一部は、海外からの資金流入で賄われるようになるということである。
「経常収支の赤字」によってまず懸念されるのが国債の問題で、現在約92%が国内でまかなわれているが故に、信頼性が高く低金利の日本国債も、経常収支が赤字となって「国内資産が海外に逃げていく状況になると、海外に買ってもらわなければならなくなる。
日本国債を海外に買ってもらうにはそれなりの「魅力」が必要であり、現在の超低金利ではその魅力に欠けるため、「金利」を上げざるを得なくなる。
そうやって日本国債の金利が上昇すると、今まで出てこなかった様々な問題が出てくる。
それは住宅ローンの金利をはじめ様々な金利の上昇を引き起こし、また国債金利の上昇は国債の価格が下がる事を意味するから、国債を大量保有している銀行などは多額の損失が生じ、「貸し渋り」などが起きる可能性がある。
これは成長しようとする日本経済にとっては大きな「足枷」となる。
さらに、国債利回り上昇は国の「借金の金利」が上昇する事であるから、国はより多くの金利の支払いを強いられ「財政悪化」はサラニ進行することになる。
また「経常収支の赤字」はその仕組み上、日本から国外に資産が出て行く事になるから、「円を売って外国通貨が買われる」事が多くなり、結果「円安」にフレやすくなる。
円安は様々な政治的摩擦故、必ずしも輸出増をもたらさない。
一方でエネルギーなど必需品の輸入だと「価格弾力性」が低く一気に貿易赤字を増やすことにもなるのだ。
その結果、輸入品の値上がりで人々の生活を圧迫することになる。
また「経常収支赤字」で外国人投資家の「国債保有」が増え、彼らはいち早く市場のシグナルに反応し「国債売却」に走る不安が高まることは確かである。
次のシグナルは何か。ドコにサインを読み取るか。
注目すべきことの一つは、「経常収支の赤字」転落である。