政治語の混乱

最近、政治的立場を表す言葉が様々あって、とてもわかりにくい。
例えば、ネオコンとかポピュリストとかリバタリアンとかとか、B級のSF映画にも出てきそうな名である。
それらが結びついたり、相性が良く働いたりして今日の社会を形成する力となっているにちがいない。
まず、ネオコンとは「新保守主義」を意味する「ネオ・コンザーバティヴ」の短縮語である。
しかし、ここ数年で注目された「ネオコン」には何か別のニュアンスがある。
幾分「蔑称」のような響きがあるのは、「ネオ・ナチィズム」のせいだろうか。
「新保守主義」の代表例として1980年代に登場したアメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権、日本の中曽根政権などが言及されることが多い。
1980年代に溯って、「新保守主義」が単なる「保守」としてではなく「新保守」として表れたのには理由がある。
それは従来の「保守」が地方を基盤としたものであったのに対して、「新保守主義」は大都市を基盤にして台頭してきたという新味があるからである。
「新保守主義」は、大企業や富裕層への「減税」と消費税増税、福祉削減、規制緩和などによって特徴づけられる。
「小さな政府」をめざし、政府による介入を排して、市場や企業の活動への「規制」をナクソウという傾向が強い。
具体的には国鉄や電電公社などの「民営化」と社会保障や行政サービスも「民間」に委ねて、社会の効率化をはかる。
また外国との貿易では、自由貿易・自由経済の推進をしようとする。
また、地方自治には「消極的」であり、市町村合併や道州制の推進、地方交付金の削減などの「中央集権的」傾向がみられる。
その極端な例として、サッチャー政権が「地方議会の廃止」などがアゲられる。
ところで、「新保守主義」は政治的文脈で語られるのに対して、同じく「新」がアタマにつく「新自由主義」は経済的文脈で語られることが多い。
「新保守主義」が「夜警国家観」に基づく「小さな政府」を指向するので、アダム・スミス以来の市場経済重視・規制緩和の「新自由主義」と相性は悪くはない。
むしろ、相性はイイハズだ。
では、なぜ「新自由主義」も「自由主義」のアタマに「新」とツケルのだろうか。
現代社会は、アダムスミス以来の「放任」しておけば実現できた市場経済、つまり古典派経済学が想定する世界とは違っている。
今日においては、独占・寡占や政府の規制により自由な価格競争が制限されてきた。
そうした規制を外したり、独占を抑制したりして、失われつつある「市場原理」を賦活しようとするのが「新自由主義」である。
ミルトン・フリードマンらの経済学を「新古典派」といいアダムスミスやリカードの「古典派」と区別したが、そこから生まれた社会経済思想を「新自由主義」とよぶようようになった(ようだ)。
「新自由主義」と「新保守主義」は、同じく「小さな政府」を志向する点で相性はイイのだが、両者は完全には重ならない。
「新保守主義」の代表といわれたレーガン政権はソ連と軍拡競争をおこない、サッチャー政権も領有問題でフォークランド紛争をおこした。
また中曽根政権の「防衛予算の拡大」や「対米同盟の強化」など、「対外的強硬」のイメージがつきまとっている。
そういう点から見ると、「小さな政府」を目指すといっても、「新保守主義」はコト「軍事面」に限ってはそれでオサマリきれない「政治的志向」をもつ。
ところで小泉内閣や安倍内閣も、郵政民営化、構造改革、規制緩和、外交的には憲法改正とか日米同盟の強化などの特徴から、「新保守主義」的傾向をもつといえるだろう。
さて、「新保守主義」はもともと「ネオ・コンザーバティブ」の日本語訳だが、近年この言葉が違うニュアンスをもって使われるようになった。
それは、自由と民主主義を世界に広げるためには、「手段」を選ばず戦争をも辞さないという超強硬姿勢である。
実際に、「ネオコン」と呼ばれ注目を集めたのは、アメリカにおけるイラク侵攻などを主張するタカ派の「政治グループ」の存在によってである。
または、そうした世界観をもつアメリカの「政治グループ」を指す場合も多い。
つまり、自由や民主の錦の御旗に反するような国家の「独自性」を許さない立場である。
この場合に使われる「ネオコン」という言葉は、前述のごとく「蔑称」のような響きサエただよっているのだ。
それはベクトルは正反対でも、かつての共産国がそれと連携した各国の「極左グループ」とともに、「世界革命」を推進したこととパラレルである。

ところで「保守」にせよ「新保守」にせよ、ソモソモ「保守」とは何なのだろうか。
「保守」とは、既存の価値・制度・信条などを「変革」する思想が現れた時に、これに反対して、既存の価値・制度・信条などを「守る」動きから形成される思想である。
したがって保守は、「変革者」の存在を想定した言葉である。
たとえば日本の保守は、戦後の共産主義・社会主義を唱えた「革新派」に対抗する立場から生まれたものである。
日本では、革新派が「護憲派」という面白い現象が生まれたが、冷戦構造の終焉とともに「対抗者」を見失って色アセタ感じがなきにしもアラズである。
人間は、誰しも「環境が一気に変化することを恐れる「保守的心性」を共有している。
しかし「保守」は、人間のそうした普遍的な「心性」にとどまるものではない。
「保守思想」とは18世紀ヨーロッパにおける啓蒙主義に対するアンチ・テーゼとして生まれたものであり、近代主義者が依拠する理性的合理主義への批判こそが、その核心である。
保守は、理性によってパーフェクトな社会が出来上がるという楽観的な進歩主義を根本的に疑う。
フランス革命時のロベスピエールの「最高存在(理性)の祭典」などは、あまりにも楽観的な進歩主義だった。
ロベスピエールは、理性によって社会を理性的なものに変革できるというのは、過信であり妄信であることを自ら証明した。
保守は人間の理性に全面的に依拠するよりも、長年の歴史の中で蓄積されてきた社会的経験や良識、伝統といったものを重視する。
歴史の風雪に耐え、多くの人々の経験が凝縮された社会秩序に含まれる「潜在的」英知を大切にしようとする。
しかし、この立場は「過去に戻ればすべてうまくいく」といったような「復古」でもなく、「今のまま、何も変えなくてもよい」という「反動」でもない。
保守は、「革命」のような極端な改造とは距離をおくものの、時代の変化に応じた漸進的改革には積極的に取り組もうとするものである。
大切なものを守るためには、時代に応じて変わっていかなければならないからである。
また、歴史の中での「個人」が果たすべき責任を重視する。
保守における「個人」の責任とは、伝えられて今あるものが「良い」ものであるならば、先人から伝えられたものを後人に伝えることである。
伝えられたものが「良い」ものであるのは、多くの先人が「改善」を積み重ねてきたからである。
改善の完全否定は、伝えられるもの自体の価値の否定につながる。
そうした個人個人が担う改善は、根本的な変革ではありようがなく、「漸進的」な変化ということである。
だから、抜本的に改革すればすべてが上手くいくといった議論にはくみしない。
また保守は、極端なものを嫌う習性をもつ。
保守は極端な「大きな政府」を嫌う。
なんでも国家が統制的に社会をコントロールし、それによって理想的な社会を作り上げようとする態度には、特定のエリートの理性を無謬のものとする思い上がりが潜んでいると考える。
一方で、保守は極端な「小さな政府」も嫌う。国家が再分配機能を著しく低下させ、すべてを市場の論理に任せてしまうと極端な格差社会が生じてしまい、安定した秩序維持が困難にあると考える。
だから保守は、本質的にバランス感覚を重視するといってよい。
国家にしろ、市場にしろ、エリートにしろ、大衆にしろ、すべては不完全な存在であり、これにさえ依拠していれば完成された社会ができあがるというものなど存在しない。
だから、さまざまな主体がバランスを取りながら、着実な合意形成を重んじる。
そして、そのバランス感覚を、歴史的的蓄積によって得てきた教訓や経験知によって獲得しようとする。
そのため、保守は自らの行動を「縛るもの」にこそ、生きる意味を見だし、その社会関係を大切にする。
そうした叡智には、「人智を越えたもの」をも含み、一般に保守は「宗教」と相性が良い。
それが歴史・伝統・文化に対する敬意、先祖への尊敬など日本では神道、そして、天皇陛下との結びつきが見られる。
欧米ではキリスト教の伝統や家族観・結婚観とも深く結びつこうとする傾向がある。
特に日本では、天皇陛下への尊崇を保守に不可欠のものと考えるが、天皇を尊崇しない者に対してとても「不寛容」な立場をとる者を「極右」という。
極端な「右翼・保守」はナショナリストであり、例えば「嫌韓・嫌中・反米」といった「外国人排斥運動」にまで発展することもある。

ところで、最近の政治語が混乱している大きな要因は、「リベラル」という言葉の混乱である。
そこに、新たに「リバタリアン」という言葉が追加されたので、ますます訳がわからなくなっている。
しかし実際は、「自由主義」を意味する思想や用語は、時代や地域・立場などにより「変化」しているものなのであるから、ソレホド驚くにたらない。
初期の「自由主義」(リベラリズム)は単純に自由放任(レッセフェール)の立場を重視して、政府の権力を「最小化」する立場であった。
ところが20世紀には「社会的公正」さえも加味した、社会福祉などの面で政府の介入も必要とする「ニュー・リベラリズム」へと変容していった。
今日、アメリカや日本では「リベラル」という言葉が使われるのは、この「ニュー・リベラリズム」の意味合いにオイテである。
この「リベラル」に対して本来的な自由主義的な側面を強調するのが、「リバタリアニズム」である。
リバタリアニズムは最大限「自由」を重んじるため、「自由至上主義者」と見做してよい。
したがって、税金については「私有財産の自由」を奪うものとして出来うる限り「否定」する立場である。
だから、リバタリアンは、「減税」をは常に正しい政策だと考え、そこがリベラル派と明瞭に違うところである。
リバタリズムは何しろ「自由至上主義」なので、個人が国家や伝統的価値観に囚われるべきではないと考えている。
したがって「国家斉唱」などは強制されるべきものではないし、子供が決まったように親の家業を継ぐのはヨロシクない。
何よりも、本人の「自発的意志」を尊重すべきだと思っている。
リバタリスムは、アラユル面で自由を求めるわけだから「自由主義(リベラル)」で良かったが、なぜか「リベラル」という言葉に「福祉」の意味が含まれてしまった。
そこで「真の」自由主義者は「リベラル」と自称できなくなり、「リバタリアン」という造語ができてしまったのである。
リバタリアンは、「小さな政府」論者というよりも「最小国家」論者、究極的には「無政府資本主義」を志向しているといってよい。
そうしてリバタリアンは、徹底した「民営化論者」であり、本来的に「市場経済」を主唱するものではナイものの、フリードマンらの「新自由主義」と相性がイイのはいうまでもない。
「新自由主義」は、自由な市場は政府より「効率的」であるから、政府が資源を管理するのではなく、民間での資源活用に任せることで経済的豊かさが実現されると考える。
したがってリバタリニズムには、「市場万能主義」に反対する要素がみあたらないのである。

近年、海外のニュースで「ティー・パーティー運動」というのが起きているのを知った。
ティー・パーティーと聞いて、世界史で学んだ1773年の「ボストン茶会事件」を思い起こす人も多いだろう。
そして、「アメリカン・コーヒーがなぜウスイのか」ということをこの事件を通じて学んだ人も多いのではなかろうか。
さて北アメリカ大陸に13の植民地ができた頃、イギリス東インド会社の茶(紅茶)しか植民地での販売を認めないという法律が「茶法」である。
当時お茶はイギリス人にとって国民飲料になっていた。国民飲料というのは、その国の人たちにとって食事の時に絶対欠かせない飲み物である。
イギリスでは、東インド会社が中国から茶を輸入して以来、お茶がアッという間に国民の間に広がった。
紅茶は、イギリス人にとって、これがなかったら食事もできないというほどの生活必需品なのだ。
だから、「茶法」は植民地の人たちにとって、イギリス本国の「強引なヤリ方」のシンボルとなった。
したがって植民地人は、この法律にヒドク反発したのである。
そこで、本国イギリス政府のやり方に腹を立てた一部の過激な植民地の人々が、インディアンに変装してボートに乗り込んだ。
そして、ボストンの港に入港した東インド会社の貿易船に近づいていった。
そして、貿易船に乗り込むや、積み荷の茶を海に次々と投げ捨てたのだ。
そして、9万ドル分の茶がパーになった。
これが、世にいう「ボストン茶会事件」である。
これは事件としてはササヤカなものだったが、植民地人が本国に対して「実力行使」をしたという点で、画期的な出来事だった。
そして、これが植民地人たちの「反抗心」に火をつけ、アメリカ独立運動への「一歩」を踏み出していくのである。
ところで、こうした出来事のせいか、現在のアメリカ人はあまり紅茶を飲まない。
アメリカの「国民飲料」といえば、アメリカンコーヒーである。
実は、アメリカンコーヒーは、「イギリスの紅茶なんか飲んでいられるかい」と反発した植民地人たちが、「紅茶の代用品」として飲み始めたのである。
しかし、コーヒーは濃すぎて何杯も飲めない。
そこで紅茶に近づけようと、できるカギリ味をウスメにしたのが、アメリカン・コーヒーである。
では、1773年の「ボストン茶会」事件が、なぜ今日の「ティー・パーティー」運動となったのか。
一言でいえば「課税反対」運動という点で共通している。
ティー・パーテー運動は、民主党のオバマ政権誕生以来、自動車産業や金融機関への救済の反対、さらには景気刺激策や医療保険法改正における「大きな政府」路線に対する「抗議」としてはじまった。
ボストン茶会事件も、「茶法」に力ずくで反対することから始まっている。
しかし、現代のティーパーティー運動は、ボストン茶会事件の時とは違って、総じて税金の無駄遣いを批判して「小さな政府」を推進しようという程度の運動である。
また、Teaという言葉に「もう税金はたくさんだ(Taxed Enogh Already)」の意味を含ませているともいわれている。
ところで、最近よく聞く言葉に「ポピュリズム」というのがある。
一般大衆の利益や権利、願望を代弁して「大衆の支持」のもとに、既存の体制側や知識人などと対決しようとする政治思想または政治姿勢のことである。
19世紀末のアメリカ合衆国では、人民党(通称ポピュリズム党)が既成の支配層である鉄道や銀行を攻撃し、政治思想としての「ポピュリズム」が広く知られるようになった。
上記のティーパーティー運動も、「ポピュリズム」の一種とみなされている。
日本では「減税日本」トカなんとかいう党が一番それに近いと思う。
「ポピュリズム」は、日本語では「大衆主義」や「人民主義」などと訳されるが、或る時は「大衆迎合主義」といったマイナスイメージで語られることも多い。

日本は1990年代半ばに、米国流の「新自由主義」を導入し、ごく最近まで「市場万能主義」がハバをきかせてきた。
そして格差社会の広がりに対して、ようやく「見直し」がハカラレるようになった。
民主党政権の誕生にはそうした背景があったのだが、また元に戻そうという動きもでている。
最近の揺り戻しの中で「セーフティ・ネット」の問題について、日本とアメリカとの間の根本的な違いが、アマリ認識されていないことが気になる。
アメリカ人は、いざとなったらキリスト教の神に祈るし、教会にも行く。
貧困層が、キリスト教「原理主義」に走りやすいのも、そのためである。
貧富の差が大きいにもかかわらず、公的保険制度さえない米国では、保守的キリスト教会(いわゆる福音派)が、救貧運動に走り回るのだ。
ところが、多くの日本人は神にもすがれないし、まして世間にもスガリにくい。
同じ「新自由主義」や「市場万能主義」を取り込むにせよ、日米では社会的基盤も意識も違っていることを忘れてはならない。