古層を照らす

「三つ子の魂百まで」という言葉は、人間の生涯の大きな要素は幼き時に決まるということを表す。
人間の生涯と同じように、国家や国民もその「起源」を意識する、または回帰する。
だから国家の誕生(始源)は、その後の歩みに「決定的」な影響を与えるといってよい。
昔「国体」という言葉が昔あったが、最近では「死語」になりつつある。最近では「国のカタチ」という言い方がそれに近いようだ。
かつての軍国主義は「国体」を絶えず意識することによって推進されたせいか、コノ言葉は使いにくいということかもしれない。
この頃の「国体」とは西欧風に「奇形化」した天皇制と結びついた言葉であり、「軍国主義」はそれまでの天皇制に極度な「人為」を施して成立したものである。
したがって日本の始源において蒔かれた「種子」が次第に育ち形をなした姿のものではない。
ソモソモ江戸時代まで日本人は天皇を「天子様」と親しみをこめて呼んでいた。
ここでは「国体」をそういう「歴史限定的な意味」で使うものではなく、ソレを失ったらモハヤ「その国」とはイエナイものという意味で使いたい。
植物に例えれば、極小の「種子」にソノ本質が宿るように、「国体」も最も初期に蒔かれた「種子」によって決定づけられるものだといえる。
結論を先にいうならば、アメリカなら「自由の国」、フランスなら「平等の国」、中国ならば「共産党の一党独裁」、日本なら「Xの国」ということになろうか。
この「X」については後述するが、それが日本の国体の種子をなし、そのシンボルが「天皇」という存在である。
さて、アメリカを「自由の国」でフランスを「平等の国」としたのは「異論」もあろうが、それは現実にソレが実現しているという意味ではなく、その「種子」を強く意識しつつ絶えず回帰しようという「力学」がハタラクという意味である。
そしてその原初の核を「国体の種子」とよぼう。
つまり「三つ子の魂」の部分であり、コレ抜きではモハヤその国は失われたといってよい。

さて、各国の「国体の種子」について少し詳しくみてみたい。
封建制時代のフランスは土地を所有し、住民を支配する少数の家計に分割されていた。
支配権は何世代にわたって財産とともに世襲された。
権力の源泉は「土地」なのだが、ここに聖職者の政治的権力が確立する。
ただ聖職の道は万人に「平等」に開かれていた。
平等は教会を通して「政治の世界」に浸透を開始し、農奴のような身分の者が僧侶として貴族の仲間にはいることもありえた。
そして、中には王の上位にさえ列するような者も登場する。
こういう貧しいが野心的な人物を描いたのが、スタンダールの「パルムの僧院」である。
さらには人間関係が複雑になり、「法律家」が必要となり、彼らもまた封建貴族と肩をならべるようになる。
さらに世界が広がり、知識の必要性が求められ「学問」や「知識」が成功の一因となり相対的に「家柄」の価値が低下していく。
13世紀に爵位の売買が行われるようになり、平民が官職(王室が財源として売りに出していた)を手に入れて貴族化したものを「法服貴族」という。
そして、1604年には、官職価格の60分の1を税金として毎年払えばその官職を「世襲」してもよいことになった。
技術上の発見、通商や産業上の改善がなされるタビに商工業者が多い市民が力を伸ばし、新たな「平等化」への要因の種が蒔かれていったといえる。
そして重要なことは、「王権」と「封建貴族」がソノ対立の中で、それぞれに「市民」の力を利用しようとしたことである。
特にフランスでは、国王は「平等化」の最も大きな推進者といってよい。
つまり王位の下にあるものをすべて「平等化」しようとしたということだ。
貴族は王権と戦うために、あるいは権力を奪うために、時として市民に政治的な力を与えようとしたし、逆に国王が貴族の地位を低下させるために市民を政治に参加せようともした。
それが「市民革命」への道を開いていった。
具体的にいうと、王が貴族層に対抗する窮余の策として招集した「三部会」は思わぬ展開を見せ、平民層を大きく政治参加へ駆り立てたことで、結果的に1789年7月14日のバスティーユ襲撃に始まるフランス革命を呼び起こした。
「革命の動機」は、王を頂点とする貴族と僧侶は国民のたった1パーセントを占めるを過ぎなかったのに、特権階級として富と権力を支配し、その他98パーセントの平民は、「不平等」の犠牲になっていたということである。
そういう経過からして、フランス人権宣言の「自由・平等・博愛」のうち、フランス人にとって最も意識が集まるところは「平等」ではなかろうか。
つまりフランスの国体の種子は「平等」である。
一方、アメリカがイギリスの植民地から出発し、イギリスからの独立を目指すプロセスで一番に意識したのは、何はともあれ「自由」であろう。
サテ国を捨てるのは、既存社会でマズ幸福であったり有力な者ではないであろう。
最初のアメリカへの移民は、貧しさや素行の悪さのために生まれた教育や財産もない人、あるいは黄金をともめる「山師的」な人も多かった。
ところがピルグリム・ファーザーズといわれる「清教徒達」はちがっていた。
彼らは、その信奉する信仰の厳しさによって迫害をうけたのである。
そこで1620年、清教徒達は独自の生き方が許され、しかも「自由に」神を礼拝することのできる未開・未踏の地を求めたのである。
つまりアメリカへ移住した者にとって「自由」こそが最高の理念であり、スベテの土地や財産を捨ててきた彼らからすれば「初期の平等」は求めずとも、自然についてくるものであった。
移住者の数は女性・子供を合わせて約150名でメイフラワー号に乗船し、長い間大西洋をさまよった挙句に、ニューイングランドの不毛の海岸プリマスの地に上陸した。
ある歴史家は、この時のイギリスの出発の様子を次のように伝えている。
「彼らは地上のものに執着せず、目を天上に向けていた。天国こそ彼らの尊い祖国であり、神が彼らの聖なる町を準備したもうたところであった。ついに彼らは船の待つ港に到着した。一緒に旅たちえぬ多くの友も、すくなくともコノ地までは行をともにすることを望んだ。<中略>出発の合図がなると、みな跪き、牧師は涙に満ちた目で天をあおぎ、主の慈悲にすがる祈りを続けた。やがて互いに暇乞いを交わし、多くの人にとって最後のものとなった別れをつげた」。
人々は「宗教的情熱」のために、友人や家族や祖国を捨てている。
それほどの高価な代価をはらったのだから、こうして得た精神的財産の追求にヒタスラ打ち込んだであろう。
しかし彼らの子孫達はイマどうであるか。
人々はほとんど同じ熱意をもって物質的富の中と精神的喜びを追い求め、あの世に天国を追い、この世の繁栄と自由を求めるようになった。
「信仰の自由」の国から「経済の自由」の国へと変った感があるにせよ、「自由」にアコガレた人々によってアメリカは建国されたものであるからして、「自由」のないアメリカはもはやアメリカとはいえない。
つまり、アメリカの国体の種子は「自由」なのである。
さて中国はどうだろうか。
中国は毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党の「内乱」があり、共産党がその戦いに勝利した。
マルクス・レーニン主義を礎に「中国共産党の一党独裁」きずいた。
共産党というものは、労働者が自らの代表を選んで「国を仕切る」体制である。
通常の自由主義の社会では、労働者は資本家に対して「弱い立場」にあり、団結して戦う必要がある。
こうした「団結」を元に共産党は、他の異分子的思想を徹底的に排除しない限りは、覆される危険が絶えず付きまとう。
そこで「一党独裁」によってはじめて安定した真の人民の国家で出来るとする考えかたである。
したがって「共産党一党独裁」コソが中国の「国体の種子」といえるかもしれない。
さて現在の中国の実態はといえば、沿岸部の「経済特区」にみられるように、本来のマルクス・レーニン主義つまり「社会主義」路線からズイブン離れた経済運営をおこなっている。
しかしこれも「経済特区」と名乗る以上は、例外的に「資本主義」を導入しようというニュアンスがある。
ただし最近の共産党は、資本家の入党もみとめられるようになっている。
国の実態が社会主義路線とほど遠い「超格差社会」となっても、中国が中国であるためには「共産党一党独裁」を捨てるわけにはいかないのである。
この中国で「国体の見直し」への動き起きるのか、かつての「文化大革命」のような揺り戻しが起きるかは、まったくの未知数である。

さて日本の「国体の種子」とは何なのだろうか。
これナクバ、日本が日本でナクナッテしまうという「要素」を考えた時、マズは「天皇の存在」に思い至る。
この天皇は、他国の国王とは違った要素があるので、例え政治的実権のない「象徴」であっても、ソウ思わざるを得ないということである。
ところで現憲法の一条に「天皇は日本国と日本国民統合の象徴」とあるが、さて「象徴」とはどういうことか。
具体的な場面を考えてみよう。
外国から国王なり大統領つまりVIPが日本を訪問した時、日本の誰が彼らを出迎えたら「最高の礼」をツクスことになるであろうか。
内閣総理大臣か、外務大臣か。彼らVIPを迎えること天皇が迎えるとでは、全然違った「意味合い」があるように思える。
天皇が東北の「被災地」を訪れた時の人々の表情と、菅首相が訪問した時の「帰れ」「もう帰るのか」といわんばかりの人々の表情のチガイが目にうかぶ。
それは、内閣総理大臣にはない天皇がシンボライズしているものがあるからだ。
さて天皇がシンボライズしているものは、「万世一系」つまり他の国にはない同一の血筋が長く続いているということである。
もっといえば、そのルーツにおいて日本国民と繋がっているということである。
ヨーロッパや中国では、血なまぐさい闘争の勝利者が「王権神授」やら「天命」などという名目で国を支配してきた。
日本の場合、相争う権力者の勝者が、そのまま国を支配するのではなく、「天皇」を担ぐことによってハジメテその権力の「正当性」を獲得することができる点もユニークである。
つまり一番上の「天皇」はアラカジメ決まっていて、その下で支配の「代行者」の地位の「争奪戦」を繰り広げるという構図である。
したがって、武人や官僚の中で現役の天皇を打ち倒して自らが「天皇」の位につこうとする者はなかった。
天皇を打倒するにせよ、他の「天皇」候補者を探し出して担ごうとしたにすぎない。
具体的には、天皇という「玉」をつかみえたが故に勤皇の志士達は、成功裡に明治政府を作りえたのである。
反対に226事件の青年将校のように、どんなに天皇への「至情の思い」があったにせよ、「玉」をつかみ損ねたら「反乱軍」として処刑されるほかはないのだ。
このように日本人の精神に覆いかぶさるように存在する「天皇」とは、一体どのような存在なのだろうか。
この点こそが、日本の歴史と文化における「最大の謎」なのだが、この点についてアマリ納得のいく話を聞かない。
多くの学者は、日本の天皇支配の「継続性」は、「豊葦原水穂国は、汝知らさむ国ぞと言依さしたまふ」という、アマテラスの子孫(天孫)が支配者となって日本を治めるという「神勅」、つまり神の意志に基ずくものであり、天皇の地位は神代から続く血統によるという神話に基ずくものと説明する。
確かに「神話」は、古代人が世界をどうみてどう捉えたかを知ることができる「貴重な」資料であり、歴史的事実ではナイからといって軽視することはできない。
だが「神話」による支配者の正統性の根拠など忘れさられてもイイハズで、そんなにも長く時代を超えて受け入れられてきたのはナゼカということに目を向ける必要があるように思う。
なぜなら「王朝」(血統)が変わってしまえば、新しい「正統性」の根拠はイクラデモ作り出すことさえ可能だからである。
しかしソウはならなかったことコソ重要である。
さて、神話に表れた意識や態度が民族の様々の信仰や行動を相当に制していることを思えば、「神話」の世界にこそ民族の最も無意識かつ「根源的」なものが秘められているとみなすことができる。
イワバ「三つ子の魂」である。
古事記には、空高くに在る「高天原」を舞台としてた神々の世界が描かれている。
イザナミやイザナギによって日本の国つくりが行われ、アマテラスという女神が地上の争いをただすために派遣したニニギノミコトという神の子孫(天孫)が日本をおざめることになる話などがでてくる。
こうした物語を読んで第一の印象は、けっして高天原の神々は西欧の神のように「超越的」な存在ではなく、かなり人間に近しい存在であるということである。
アマテラス(「天照大神」)は名前からして太陽神であり、日本人がすべての生命の根源に「太陽」を直感的に感じ取っていた意識の表れなのだと思う。
エネルギーの法則やらエントロピーの法則を学んだ現代人の知識にも「太陽」が地球上のあらゆる生命活動の源であることは、異論のないところではなかろうか。
つまりアマテラスの子孫たる天皇は、日本人が日々の生活を営む上で遍在するあらゆる自然の恵みの「体現者」のようなものとして、時代を超えて受け入れられてきたということである。
さらに血の繋がりというのも自然の流れであり、自然を崇拝する日本人が「血統」を大事におもうこともわからぬこともない。
「高天原」から降ってきた天皇は、超越せる存在というわけでもなくムシロ人間と近しい存在なのだが、その意味では、天皇を「天子様」とよぶ呼び方は日本人一般の感覚をよく表していると思う。
そして「天子様」は日本にもたらされるあらゆる恵みの根源であり、日本の国土や自然そのものが「神殿」のようなものとして受け入れられていたならば、逆に天皇以外のどんな支配者がその存在を超えて君臨できるだろうか。
またどんな新しい「神話」が「天子様」に打ち勝つことができるだろうか。
個人的想像であるが、天子様をナイガシロにするようなことをすれば、時々の支配者は天の恵みを失い年貢さえとれなくなるという微かな恐れさえ抱かせるにタル存在であったのかもしれない。
それゆえに支配者自らがどうしても「天皇」を奉る必要性があったのである。
これが政治権力を失っても「天皇」の存在が日本からなくならなかった理由ではなかろうか。

イマの日本で、憲法が天皇は日本の象徴であるということから始まるのは「違和感」を感じるという人は多いカモしれない。
また軍国主義の時代の「特殊な天皇制」のイメージから「反発」する人もいるかもしれない。
個人的には天皇を「崇拝」したりはしないのだが、もしも天皇という存在、天皇という言葉がこの日本から消えたならば、日本人としての自分の心の内側を探る大きな「よりどころ」を失ってしまいそうである。
つまり、天皇制を過去の遺物としか捉える他はなくなってしまい、政治学者丸山真男がいうところの今ソコにある「古層」を照らす手がかりを失ってしまうということである。
「天皇などいらない」という人は、自己を「歴史の産物」として重層的に捉える視点を失っていく。
終戦直後の昭和天皇の「人間宣言」で神話との繋がりを否定する発言があったにせよ、また仮に現実の天皇の人間性がどんなにキマグレでヘンだったにせよ、日本人の「古層」を最もよく担った存在として今に至るまでで引き継がれて来ているという意味では、自分の内面でどこか「聖なる」ものとの繋がりとしてとらえている。
そして、どんな人間でも「曰くいいがたい」信仰や文化の複合的要素を胸に抱えているが、それを考えうる「言葉」がなければその存在に気付かないことが多いものなのである。
そこで「言葉不足」ならば、モノでも人でも「象徴」としての何かが存在すれば、自分の心に潜んでいる「何か」を言葉にする契機ぐらいは生まれるのではないかと思う。
自分が唯物論者であるという自認している人間は、事物に霊魂が宿るなどという「アニミズム」は絶対信じないと語る。
しかし、この唯物論者が額縁のある母親の遺影をあたかも母親自身を抱くように大切にしたりするものである。
この時その唯物論者に、その額縁の中に故人の魂を感じているのではないかと指摘してあげると、その額縁というモノに霊魂がやどるというアニミズムの世界をグ-ンと理解してくれるに違いない。
つまり、多くの日本人がアニミズムの世界観にドップリつかっていることに気がつかないのである。
つまり、シンボライズするものがない限りは「自分の古層」に気づかないのである。
かつてアメリカのカーター大統領が来日した際に、天皇が「稲を植えること」を聞き、自分も農民の一人であることを縷々切々とのべ、天皇に対して敬意を表したという。
ところで、今でも宮中で行われる「新嘗祭」において天皇自ら田植えをして、刈った新穀を、天照大神に捧げ、豊饒を祈るという何の変哲もない民族の風習を「農民のごとく」自ら実践するが、そういったことを一体ドコの国王がするだろうか。
さて日本人の「国体の種子」とは何であろうか。
聖徳太子の十七条の憲法の第一条は「和をもって尊しとなす」である。
続いて「人々が上も下も和らぎ、睦まじく話し合いができるならば、事柄はおのずから道理にかない、何事も成し遂げられないことはない」とある。
日本人にとって一番大切なのは「和」が大切であることは、今でもしばしば強調される。
後段にある「話し合い」至上主義は他の文化にはないユニークなものである。
キリスト教社会やイスラム社会では、話し合いでも「変えては」イケナイ原則が存在する。
ところが日本はそういう原則がナク、話し合いできまったことが「決定的」となる。
一人で決めない、決めてはいけない、正しいことでも独断と決めたら「反発」を生む。
こうして蒔かれた「和」が、輪or環(集落)でもあり、それが大きくまとまったのが大きな和(輪)ツマリ「大和の国」となったとも推測される。
つまり天皇から国民いたるまで「和」がマットウされることこそ日本の国体であり、日本の「国体の種子」は「和」であり、そのシンボルが天皇なのである。
天皇が「日本国統合の象徴」というのはそういう意味だろう。
今グローバル社会の進展で世界がフラット化しつつある。それまでにない「格差社会」の進展やTPP交渉の影響は、日本の「国体」を根元から崩していきそうな勢いである。
つまり日本が日本でなくなりつつある。
だからこそ日本人の「古層」を照らすシンボルに大きな意義があるのではなかろうか。