レントシーキング

レントとは、イギリスの農園主が小作人から徴収していた地代のことである。
土地は価格(地代)に関わらず供給は増減しない。
そこから転じて「土地のように」皆が求めても「増えないもの」が生み出す報酬やその価格を、経済学で「レント」というようになった。
そうみると、特権や利権も「レント」に近いもので、シバシバ「規制」によって生みだすことができる。
そして利権を生み出そう、利権を守ろう、利権に与ろうといった様々な活動を「レント・シーキング」とよぶ。
この「シーキング」とは「求める。探す」という意味である。
例えば、ある地域に月400万円相当の「理髪市場」があったとしよう。
もしも4店の理髪店があったしたら、各店は100万円程度の月間「売上げ」を期待できる。
この状況下で、出店数を条件を満たす「2店」に制限するという規制が導入されたとすれば、2店の売上はソレゾレ200万円に「倍増」することになる。
この規制によって、「利権」が生じたことになる。
反対にこの地域で通常より多くの利益を得られることから、「新規参入者」は出店できるように「規制緩和」を求めてくる。
他方、「既存店舗」は、既得の利権を守るため「規制の撤廃」には反対する。
その際に、政治家や官僚に働きカケたり、「規制の撤廃」がドンナニ害をもたらすかを人々に説得する。
こうして、多様な「レント・シーキング」が生まれる。
ところで先日、インターネットでの薬販売「解禁」のニュースが新聞にでていた。
確かにインターネットでの薬販売には、「安全上」の問題について不安がよぎる。
そのために「自由化」することができないという、モットモな言い分が出てくる。
しかし、本当に「対面」販売とインターネット販売に大きな安全上の差があるのかといえば、インターネット販売でも「運用面」で工夫すれば安全性を確保できる可能性が高い。
例えば「副作用」の大きいオソレのある薬品は販売を禁止すればよい。
それよりも、インターネットでの薬販売の「自由化」には、別の問題がありそうである。
ここにレントシーキングの問題が浮上してくる。
普通、薬は薬局で販売するのであるが、インターネットで販売するとなると、「薬剤師」の存在が不要となり、薬局の「売上げ」が減少することになる。
こうして、ドラックストア協会など「既得権益者」達は、インターネットによる薬の販売を認めないように働きかける。
一方で楽天などは、インンターネットでの薬の販売の「全面解禁」を求めている。
溯ること10年、量販店のドン・キンホーテは深夜で薬剤師が店舗に不在の時、「テレビ電話」を通じて薬剤師が対応して医薬品を販売することを始めた。
すると、タダチニ厚生労働省と日本薬剤師会の反対にあった。
「きちんとした」説明ナシに薬を売るのは危険だという「理由」のためである。
もうひとつの例は、病院経営は医療法人などの「非営利団体」に限られていることである。
また薬剤師も医師も、それぞれの財・サービスを供給できる人は「免許」によって限定されている。
株式会社の病院経営を認めるといった「規制緩和」の主張に対して、厚生労働省や日本医師会は、「安全性」が確立していない治療法や医薬品を使用することで患者が「安全上」の問題があることを主張した。
また、裕福な患者だけが特別な医療を受けられること、医療を扱うのに「営利団体は適さない」などの理由をあげて反対している。
この問題も、実は利権追求活動(レントシーキング)が、問題解決を阻んでいるケースなのである。
つまり、それぞれの業界団体の「もっともらしい」言い分の背後には、自分たちの「既得権益」を守りたいというホンネが隠されているからである。
反対に「規制緩和」を実感できて良くなったと思える例をあげると、自分が若い頃に比べると「お酒」を売っている店が増えたことである。
かつてアルコール類販売する免許は「人口基準」と「距離基準」を満たさなければ認められなかった。
要するに、お酒を「自由」 に売ることはできなかったのである。
いわゆる「酒屋さん」は、「未成年の飲酒が増加する」などの理由から「免許制」の廃止に反対してきたのである。
しかし「規制緩和」という時代の流れには抗うことはできず、2003年9月からトウトウ「原則自由化」された。
そして、異業種の「新規参入」が可能となったのである。
これによって酒類を販売するコンビニが増えたり、アルコールをメニューに加える宅配ピザが出始めたりした。
また栄養ドリンクも、昔は薬局でシカ売られていなかったが、現在はコンビニで売られている。
今思うと、栄養ドリンクが何で薬局でシカ売られていなかったのか不思議なくらいである。
ソレダケに、各業界は「レント」を獲得するために政治家や官僚に働きかけるなどをしているということであろう。
こうした利益集団が、具体的には、ロビー活動、贈賄、接待などをすることによってレント・シーキングはエスカレートする傾向がある。
レント・シーキングは社会的には大きな「ムダ」をもたらすことが多い。
その「格好の例」が今話題となっている「待機児童問題」であり、その問題の根にある「闇」はキワメテ深いと言わざるをえない。

現代社会において、認可保育所に入れない「待機児童」が急増している。
特に、東京、横浜、川崎などの都市部が深刻で、この原因は、急速に進む雇用情勢の悪化にある。
夫の失業や収入減を助けるために、これまで専業主婦をしていた妻がパートやアルバイトを急に始めたことから、「認可保育所」への入所申請数が急増してきたためだ。
また、これまで保育料の高い「無認可保育所」に入所していた人々も、収入減から保育料の安い「認可保育所」に切り替えようとしているものとみられる。
これに対応して、各区市町とも「定員増」を必死に画策しているところである。
しかし、世の中が需要と供給で調整されるならば、ナゼ認可保育所の前に「行列」ができるのか、つまりナゼ待機児童の数がへらないのか、不思議でならない。
ところで、厚生労働省が管轄する「正規の保育所」(認可保育所)には「公立保育所」と「私立保育所」がある。
認可保育所とは「公立保育所」や、国の基準を満たした社会福祉法人が運営する「私立保育所」のことである。
パートやアルバイトで稼ぐ多くの主婦達のことを考えれば「認可保育所」への入所希望は納得できるが、「財政的」に考えた場合に、これらの人々の子供の認可保育所への入所には大きなクィスチョンがつく。
社会の全体的視点からすると、現在の認可保育所の低年齢児童一人当たりのコストは非常に高く、パートやアルバイトの収入よりも、「保育」にかかる運営費、もしくは自治体の負担額の方がハルカニ高いという「現実」がある。
例えば東京二十三区の「公立保育所」において「〇歳児」一人当たりにかかっている保育費用(月額)は、ナント40万~50円台である。
私立保育所の場合は東京「二十三区平均」で29万円である。ではどうして「公立保育所」では、これほどに保育費用が「高い」のか。
保育費用の大半は「人件費」であるから、この異常な高コストの最大の原因は「保育士」たちの人件費の高さにある。
東京都二十三区では、公立保育所の(常勤)保育士の「平均年収」は800万円を超え、園長に至っては1200万円に近い。
各公立保育所に一人ずつ東京都の「局長級」がいることになる。
一方で民間の保育士の賃金は22万円と安く、大変きつい仕事であるため、保育士の資格を持っていても保育士として働かない人や途中でやめる人が多い。
そのために慢性的に保育士不足になっている。
ところで、トンデモ人件費の公立保育所が「安い」料金で保育サービスを提供できるのは、自治体から「多額の補助金」が出ているからである。
その「原資」はもちろん人々の税金である。
保育所の利用者は保育所の「料金」ばかりに目がいって、こうした公立保育所の「不当廉売」が大きな「参入障壁」になり、結局は自分達の首を絞めているという点を見逃している。
保育所を作ろうとすると、とんでもなく高い初期投資が必要になる。
そこで新規の事業者が参入できない。サラニ競争を恐れる公立保育所の「レント・シーキング」で行政がなかなか「認可」を下ろさない。
言い換えると、認可保育所をこれ以上増やさないことによって、保育3団体(日本保育協会、全国私立保育園連盟、全国保育園協議会連盟)および保育労組・厚生官僚に利権(レント)を生じさせているのである。
「認可保育園」の新設は地方自治体が判断し、株式会社の参入など規制緩和は政府が決定する。
つまり、あらゆるレベルで政治がか変ってくる。
そこで、保育園業界は強い「政治力」を備えるようになった。
特に、「保育三団体」は強い政治力を持ち、厚生労働省の「部会」などにも参加するなどしてレント・シーキングを行っている。
安く購入できてありがたがっている「消費者」を抱きこんで、「自由化・民営化などとんでもない」と「署名活動」にも余念がない。
結局、「行列が出来る」ほどの需要があっても、料金の安い公立保育所の供給は増えない。つまり「待機児童」は減らない。
ところで、「認可保育園」と「認可外保育園」(ベビーホテルなど)の経営には、天国と地獄ほどの差がある。
認可保育園の経営は楽で非常にオイシイのだ。
認可保育所は、認可外保育所がもらうことのできない巨額の「施設整備費」を受け取っているため、園舎は立派で、園庭も大きい。それでいて、補助金のおかげで月謝の平均は「約2万円」と安い。
一方、都心の「認可外保育所」の多くは、雑居ビルで運営され、0歳児の月謝は6万~7万円かかる。
これだけ差があれば、認可保育所には黙っていても園児は集まる。そして、園児が集まれば、それだけ多くの補助金が入ってくる。
オカゲで、認可保育所の経営者に経営感覚は育ちにくい。
。 また、私立認可保育所の多くは社会福祉法人によって運営されている。
社会福祉法人は地域の篤志家などが自らの財を提供して設立し、保育園運営を始めたケースが多い。
しかし、補助金事業で「公的側面」が強いにもかかわらず、後任の理事長も自ら決めることができる。
現在では、二代目、三代目と後を継いでいる保育園も多い。
また法人税を支払う必要がなく、一族を職員として雇うことも多い。
また、「既得権益」を守るための組合活動も強固なものとなり、人員数を最低基準より増やして、一人当たりの労働時間を短くし、休日出勤も残業もしない。
しかも、福利厚生は手厚い。
私的認可保育所も、補助金漬けの上、経営努力しないでも客はいくらでもくるという状態だら、だんだんと非効率で高コスト構造に変わってゆく。
これだけの「特権」をヤスヤスと手放すわけがなく、保育園業界は、団結して「新規参入」を阻止して「レント」を守り抜こうとする。
全国の他の公立認可保育所は自治労(全日本自治団体労働組合)の影響が強い。
現在、全国の自治体で公立認可保育園を民間に委託する動きが相次いでいるが、これらの団体を背景に、組織的に「委託反対運動」を起こしている。
国は株式会社などによる保育所設置を形式上認めたが、会計方式の違いや認可保育所の「政治力」を気にしてか、株式会社による申請があっても、自治体が認可しないことも多い。
結局、株式会社などによる認可保育園は、全体の2%以下にとどまっている。
つまり認可保育所の「低料金」の裏で、大きな「赤字」が発生し、これはすべて税金で穴埋めされていく。
消費者は保育料に関心を寄せてはいるが、実はその何倍もの「税金」を徴収されていることを意識しないのである。

ところで認可保育園への入所は、親の働き方などを「点数化」してその「優先度」を決めるが、そこで優遇されるのは正社員夫婦である。
非正規社員やパートで働いている場合は、点数が低い。
正社員は忙しいし、保育費に見合うだけの高所得という見方であろう。
パートやアルバイトで生活費を稼ぐ親の子供が認可保育園に入れなかった場合、認可外保育所に預けざるをえない。
もちろん良質な認可外保育園もあるが、「安かろう悪かろう」といったところも多く、死亡事故も起きている。
現在の保育制度は、弱者に優しい制度になっていないのだ。
だから政治家は、料金の安い「公立保育所」を作ったのだといいたかろうが、それがホトンド「弱者」のためになっておらず、非効率と高負担の体質を生んでいる。
今一度原点に戻って認可保育所の「待機児童」問題を「純経済学的」に見た場合、需要に見合った価格が設定できていないから「行列」ができるのは当然である。
したがって、公費漬け・補助金漬けの「高コスト体質」の保育産業の問題を改善するには、「保育料」価格の「自由化」である。
つまり、保育所の保育料を「市場」に見合うように「高く」すればば子を「預けたい」親が減り、待機児童は減らすことはできる。
これで自治体の財政難も減るし、低料金という参入障壁もなくなり、新規参入によって競争がおきて認可保育所も経営努力をせざるをえなくなる。
つまり、保育所業界に「市場メカニズム」が機能するようにするということだが、パートで働かなければならなし高い保育料も払えない「低所得者対策」をどうするかが大きな問題である。
少なくとも、認可保育所に湯水のように公費補助金を投入するのではなく、直接、低所得者に保育料の「補助」を渡せばよい。
その際、現金での支給ではなく、低所得者が確実に保育所を利用することを担保するためには、保育所入所に充てることのできる「クーポン券」を政府が配ることもできる。
結局、元の市場価格に戻して、その後につくった法律(割当の要件、参入規制)を廃止するということである。
しかし、既得権益者の「レントシーキング」というものは、ソウさせないための活動なのだから、ヤヤコシイ。
また現在おおおそ200万人いる「認可保育所」に通う子どもの親たちも、見方によっては「既得権者」といえる。
そうした「改革」によって今通っている認可保育所のサービスが見直されるとしたら、親たちから「反対」の声が上がるだろう。
とにかく「待機児童」の問題はどこにどう向かっても解決が難しい、現代社会の根深い「闇」を象徴しているように思える。