「信仰」の保証

今日、民衆革命やテロ、自然災害など「予測不能」なものが多発しているためか、現代人の多くは何か「震われぬもの」(ヘブル12章)を求めているのだと思う。
16C宗教改革を起こしたマルチン・ルターは「神はわがやぐら わが強き盾」の賛美歌でも知られる。
そしてルターの「人は信仰のみによって救われる」は、カトリック教会の「教会の権威」に対する最大の「挑戦」となった。
しかし人々は、何をモッテ「信仰をもった」と確信できるだろうか。例えば「復活」や「再臨」に対する信仰なくして信者といえるだろうか。
イエスは「主よ主よというものがすべて天の国に入れるのではない」(マタイ7章)と厳しいことをいっている。
また「カラシダネ一粒の信仰があるならば、この山にむかって移れというなら、そのようになる」(マタイ17章)といっている。
コノ言葉に信仰をアテハメルのならば、一体誰が「信仰」をもっているとイイキレルだろうか。
ルターは、「天国への入場券」(免罪符)を金で売買するような教会に「抗議」し、カトリックのように天国と地獄のカギをもつ「教会の権威」を認めないため、信仰も「自分次第」ということになる。
そして結局は、「人は信仰のみによって救われる」というのは、「自分が信仰をもった」と信じる他はナイという「自己撞着」に陥ってしまうのである。
そういうわけで、自分が信仰をもっているか、別の言い方をすると「自分は救われているのか」絶えず不安がつきまとう。
そこで、カルビン派は「救い」を目に見えるカタチとしての「蓄財」に求めようとした。
それを一応「神の祝福」の表れとミナスわけだが、プロテスタンティズムが、これによってキャピタリズムに転じるとは、さすがのカルビンにとっても「予想外」だったにちがないない。
それでは、財をナサヌものは天国にいけないのか。
聖書には「貧しい者は幸いナリ」「金持ちが天国に入るのは駱駝がハリの穴を通るより難しい」と真逆のことをいっているではないか。
マネーゲームで「蓄財」する人間よりも、「清く美しく」生きる人々のほうがヨホド「天国」に近いのではなかろうか。
ちなみに世界中のお金持ちが集まる街の一つ「サンフランシスコ」の地名は、映画「ブラザーサン・シスタームーン」にも描かれた清貧のカトリック修道士「聖フランチェスコ」の名にチナンダものである。

ヨーロッパは、「精神的起源」としては紀元800年に始まったといっていい。
それまでヨーロッパは地中海沿岸を除き、森に覆われていて、イスラムや中国文化圏と比べてカナリの「後進地帯」であった。
そしてラテン人が作った一都市国家ローマが「ローマ帝国」へ成長する。
ペテロ・パウロの伝道によりキリスト教が広がり312年にキリスト教が公認され325年のニケーア公会議で「アタナシウス派」が正統派となった。
アタナシウス派は、「三位一体」を主張する宗派であるが、イエスに「神性」を認めないのが「アリウス派」である。
アリウス派は、平和裏にローマ帝国内に住んでいたゲルマン人の間に広がっていた。
さて、375年以降ゲルマン人は本格的な大移動を行い、パンとサーカスで内側から腐っていたローマ帝国を476年に滅ぼしてしまう。
ゲルマン人は、小さな支族集団に分かれていたが、メロヴィング家のクローヴィスが統一してこの小国家を統一して「フランク王国」を建てる。
そしてクローヴィスはゲルマン神話に生きた人だったが、夫人の影響もあり「ローマ教皇」お墨付きの「アタナシウス派」に改宗する。
ローマ人にとってローマ帝国が無くなったあと、頼りになったのはローマの行政区ごとに作られた「教会」であった。
かつて元老院議員をだしたような有力な家柄のものが「教会の聖職者」としてローマ人の指導者的立場にあったりしたのである。
ゲルマン人はローマ教皇からみテ侵入者であり、破壊者であった。
しかしフランク王が「改宗によって」、同じ教会の信者になるというのは、ローマ人にとってはコノ上もない「心強さ」を与えたことだろう。
この王をみんなで助けようと、ガリア地方今のフランスにあたる地域のローマ人たちはクローヴィスを支持するようになった。
また、フランク王国にとっても「教会の行政区」がもつ統治のノウハウを手に入れることもできたわけだ。
しかしフランク王国はクローヴィス以後、内紛や「権力闘争」で次第に力を失っていった。
かわりにフランク族の「まとめ役」になったの宮宰であるカロリング家のカール=マルテルである。
彼は732年のトゥール・ポワティエ間の戦いで、ピレネー山脈を越えて進撃してきたイスラム軍を撃退した。
この結果、カール=マルテルの評判は一気に上がり、何よりも「異教徒を防いだ」功績は大きく、カロリング家はローマ教皇から厚い信任をうけるようになる。
マルテルの息子がピピンは父の実績と名声を引継ぎ、「メロヴィング家」の王を追い751年に王位についた。
これが「カロリング朝」の始まりである。
ピピン3世が即位するにあたっては、ローマ教皇がかれの王位を認め、かわりにランゴバルド王国の領土を奪って教皇に寄進した。
これを「ピピンの寄進」といい、「教皇領」のハジマリとなった。
そして、800年その子カール大帝に(一度滅びたハズの)「西ローマ帝国」皇帝の冠位を授ける。
カール大帝は武力統一をすすめる一方、学問や文芸をも奨励し「カロリング・ルネッサンス」という時代をウチ開いた。
結局、カール大帝の戴冠は、「ローマ帝国の伝統」と「ゲルマン人の文化」と「キリスト教」の三者が結びついたことを意味し、ココニ「ヨーロッパ精神」の原型が象られることになった。
したがって「カール大帝の戴冠」の800年をもって、「ヨーロッパ精神」のハジマリの年といってよい。
しかし、ヨーロッパ精神のこうした「三者融合」が、本来のキリスト教からハナレサセルことになった。
ゲルマン人はなぜアリウス派かというと「三位一体」という思考法がついていけなかった点と、もともと「女神」を信じていたゲルマン人にとって、男性の「イエス・キリスト」に神性を認めることに「違和感」があったのかもしれない。
そこでゲルマン人への妥協の産物としてキリスト教に「女神信仰」を導入する。それが「聖母マリア」信仰である。
また、キリスト教を「公認」したコンスタンテイヌス帝は、ローマの太陽信仰に「妥協し」て天地創造の秩序たる「土曜安息日」を「日曜聖日」に変えてしまう。
というわけでヨーロッパのキリスト教はオリジナルとは離れ、在地宗教との「妥協」の産物として確立されていくのである。

この世界に「ミスター」と呼ばれる人はたくさんいるが、「ミスター」はある集団のリーダーというのだけではなく、ある集団の「精神そのもの」というべき存在なのだろう。
つまりミスターはその集団の「精神」の体現者といえる。
それでは「ミスター」を国に求めたらドウカ、例えばミスター・アメリカとかいった具合に、その国の精神の「体現者」としてふさわしいのは誰か、ということである。
しかし、特定の人物(現存の人でも歴史上の人でも)をもって「国民」を「代表」させることは「均質的」な人間集団であるか、バラバラでも、少なくとも国民の性質が「正規分布する」ことを前提にしなければならない。そんなことはありえない。
しかしアル国の歴史を通じて存在したいくつかの「価値観の系譜」なかで一番強く長く意識される「人物像」というのはアリエそうである。
一番の「好例」は、スイスの「ウイリアム・テル」ではなかろうか。
スイス国民の多くは彼を「ミスター・スイス」と認めて異論がないのであろう。
スイスは小国であり、昔からの「国家的課題」は「独立」であり、そのことは今日に至るまで「引き継がれて」いるからである。
14世紀、オ-ストリア・ハプスブルク家は、強い自治権を獲得していたこの地域の支配を強めようとして、ゲスラーというオーストリア人の代官を派遣した。
ゲスラ-は、その中央広場にポールを立てて自身の帽子を掛け、その前を通る者は帽子に頭を下げてお辞儀するように強制した。
しかし、テルは帽子に頭を下げなかったために逮捕され、罰を受ける事になる。
ゲスラーは、クロスボウの名手であるテルが、テルの息子の頭の上に置いた林檎を見事に射抜く事ができれば彼を自由の身にすると約束した。
そしてテルはクロスボウから矢を放ち、一発で見事に林檎を射抜いたのである。
そしてこの事件が「反乱の口火」となり、「スイスの独立」を実現したのである。
そういうわけで14世紀のウイリアム・テルは、今なおスイス人にとって「独立のシンボル」ともいえる。
個人的にスイスのアルプス登山鉄道の基点・インターラーケンの町に滞在したところ、ウイリアム・テルの歌劇がどこそこのホールで開かれているというポスタ-がはりめぐらされていた。
そしてそのポスターには、「ウイリアム・テルこそはスイス人の魂である」ということが書かれてあった。
そして、スイスが「永世中立国」宣言に代表されるように、小国でありながらヨ-ロッパや世界の中で実にユニ-クな国つくりを行い独自路線を歩んでいることは、「ウイリアム・テル」の精神が現代にも生きて繋がっていることを思わせられる。
また、スイス銀行の「守秘性」には、弾圧されたユグノー(新教徒)達の苦難に根ざしていることを付言しておこう。

さて、ピュータリタンが建国したアメリカ精神の体現者は、「信仰の保証」をナンに求めたのだろうか。
アメリカに存在するいくつかの価値観の系譜の中に、「セルフ・メイド・マン」とでも呼ぶべきものがある。
つまり勤勉と努力によって「立身」をハカルというものである。
アメリカの建国宣言の起草にもかかわったベンジャミン・フランクリンは、そうした価値観を具現する存在であるといってよい。
フランクリンは父親の代にアメリカ大陸に移住してきて、父親はボストンでロウソクや石鹸をつくっていた。
家は貧しかったので、小学校も満足に行っておらず、12歳で印刷屋をやっていた兄のところで働きはじめた。
しかし兄とはうまくいかず、17歳の時に無一文でボストンを離れて、フィラデルフィアにやってくる。
ここで「印刷工」として働き、22歳の時には独立して自分の印刷所を持つようになる。
当時、印刷所はカレンダーをつくって売っていたが、フランクリンはここで知恵をしぼった。
たくさん売れるためには「独自性」を出さなければならない。
そこでカレンダーの余白に「ことわざ」を印刷するこにした。
聖書をはじめとするいろいろな本から、「人生訓的」なものを探し出してカレンダーを埋め尽くし、足りなかったら、自分で「ことわざ」をつくった。
そうして出来上がったのが「貧しきリチャードの暦」というカレンダーである。
これがスゴイ人気を呼んで、売れに売れまくった。
これで、フランクリンは有名になり、金持ちになる。
「貧しきリチャードの暦」はロングセラーにもなって、ことわざを入れ替えながら、これ以後25年間モ出版されつづけたのである。
これだけ売れたのは、「ことわざ」を入れるという工夫だけではなくて、フランクリンの選んだ「ことわざ」そのものに、当時の植民地の人々を揺り動かす「何か」があったのであろう。
暦の余白に書かれた「ことわざ」とは次のようなものであった。
「女と灯火のない家庭は魂のない人のようだ」
「軽い財布、重い心」
「よく愛し、よく鞭打て」
「仕事を追い、仕事に追われるな」
「早起きは人を健康に、金持ちに、賢くする」 「必要のないものを買えば、まもなく必要のあるものを売らなければならなくなる」
「御馳走が多いと意志がやせる」
「天は自ら助くるものを助く」
「今日の一日は明日の二日」
どこかで聞いたことのあるようなものばかりだが、彼が繰り返し繰り返し訴えているのは、「勤勉、節約、蓄財」でコレズまさしく「ピューリタニズムの精神」といってよい。
しかしフランクリンのいう「蓄財」とは、今日のマネーゲームによる「蓄財」とはカナリ意味が違う。
それは「早起きしたら金持ちになる仕事」が想定されていることに一番よく表れている。
植民地に渡ってきた人たちの多くは農業をしている。
そして、「未開の荒野」がいくらでも広がって土地はいくらでもある。
早起きして、一坪でも開墾すれば、それが自分の農地となり、翌年の収穫増加につながる。
つまり働けば働くほど土地が手にはいるという特別な環境だったのであり、日々の「労働」による蓄財こそが「信仰の保証」ということである。
したがって成功は自分の「努力次第」でどうにでもなる。
フランクリンの自ら案出した言葉「天は自ら助くるものを助く」という「自助努力」の精神が、フロンティア・スピリットといった「アメリカ的精神」が生まれるのである。
そして、フランクリン自身が、自分の才覚と努力で一文無しから大金持ちになっているわけで、「アメリカンドリーム」を最初に実現した人物だといってよい。
フランクリンは印刷所で成功を収めた後は、他の様々な分野に興味関心を持ち手を伸ばしている。
彼は「セルフ・メイド・マン」の名ににふさわしく、何でも自分でやってみよう精神をもった人であった。
フランクリンは持ち前の好奇心で電気の研究を始めた。
有名なのが「雷の研究」で、フランクリンは雷は電気ではないかという説を立てて、嵐の日に凧を飛ばした。
そしたら、見事に凧に雷が落ちた。
凧には電線がつけてあって、フランクリンの足下に置かれた蓄電池に、見事に電気が伝わってきたのある。
この研究で、電気科学の研究者としてヨーロッパでも有名になる。
ちなみに、凧を持っていたフランクリンはなぜ感電しなかったのかいうと「好運」という他はない。
そのほかフランクリンは、ストーブの改良、アメリカではじめての図書館の設立、奴隷制度反対協会設立し、晩年は政治家、外交官としても活躍して、「アメリカ独立」に貢献した。
フランクリンの顔写真を見ると、誰にでも陽気に声をかけて冗談をとばしそうなマサニ「ミスターアメリカ」なのである。

ヨーロッパからアメリカへと、ソノ「精神の源流」に溯っていえることは、人間とは「信仰の保証」を「清貧」やら反対に「蓄財」やら「労働」に求め、涙ぐましい努力する存在であることだ。
それでは聖書は「信仰の保証」を何といっているか。意外にシンプルである。
ヨハネによる福音書14章には、次のようなイエスの言葉がある。
「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。 」
この言葉の意味するのは、蓄財や清貧ではなく「神の実在」に触れる以上の「信仰の保証」はないということである。
そして世の終わりの時、油を用意していた五人の「賢い乙女」と用意していなかった五人の「愚かな乙女」の比喩(マタイ25章)は、その「信仰の保証」たる油をもっていたかどうかの違いである。
油は聖霊を意味し、キリストとは「油そそがれたもの」の意味である。