インナー・サークル

アベノクスで経済に回復の兆しが見える中、日本社会に突きつけられた課題のひとつ「企業経営の透明化」は、なかなか進捗をみせではいないようだ。
マイケル・ウッドフォード氏は、日本のカメラ・メーカーのオリンパスの「17億ドル」の損失隠しを暴いた後、オリンパスの社長職を解任された。
同社「取締役会」は数週間にわたり、不正会計の謎について嘘をつき続けたのだが、ツイニ真相が明るみに出ると、取締役会が自分たちの職を維持する一方、「内部告発」した社長の側が職を奪われたのである。
ウッドフォード氏はこれを「ブラック・コメディ」と呼び、日本以外の先進国では起こり得ないことだと嘆いた。
オリンパス株は一時、株式時価総額の8割が吹き飛んだにもかかわらず、同社株を保有する「機関投資家」はオリンパスの取締役会に対して「一言」の批判も口にすることはなかった。
怒りに満ちたウッドフォード氏は、日本企業の取締役会を「不思議の国のアリス」にナゾラエ回顧録を出版する。
この本の中で、ウンッドフォード氏は日本企業には、もっと積極的な株主と規制当局、そしてもっと独立した「社外取締役」の必要性を訴えているという。
一方、日本の経団連は今のところコレ「社外取締役義務化」については強く反対している。
この出来事から、日本企業の「ガバナンスの欠如」やイマダに強い「秘密主義」が問題化されている。
オリンパスの経営体質を擁護するつもりはないが、この出来事の一面は、日米の「企業観の相違」を浮き彫りにした出来事ではなかったであろうか。
今、「コーポレート・ガバナンス」(企業統治)という言葉がサカンに使われている。
オリンパスという会社が「コーポレート・ガバナンス」が欠如していることは間違いない。
「コーポレート・ガバナンス」は、会社の経営が「株主の利益」に反していないのかにつきチェック体制が十分できていて、それをコントロールする能力があるかが問われているということである。
コノ考えの前提として、企業は絶えず「株主」の方を向いた経営をスベシということである。
しかし日本人の長年の企業観は、「株主のため」というより、「従業員のため」という傾向が強くあった。
そこは社員が長く勤める場所であり、家族を含めた社員の「福利厚生」に務めるとも「企業経営」の大きな要素であり、ソノ上で株主の利益を守り、「環境保全」など広く地域住民への貢献なども「社会的責務」果たしていかねばならぬという「優先度」ではなかっただろうか。
「コーポレート・ガバナンス」の考え方をアテハメルと、賃金をあげることや働く人々の福利厚生に優先度があることは、「株主の利益」に反することにもなるのだ。
日本では、会社の利益を「株価の総額」としてとらえ、それを「最大化」していこうという発想はアマリなかったのである。
ところで、「取り締まる」を広辞苑でひくと、「物事がうまく行われるように、また不正や違反のないように管理・監督する」とある。
「取締役」の本来の意味は、株主の代表として会社を「外から」監視するというものである。だから本来取締役というのは原則として、資本を出した株主が「社外」から派遣してくるものなのだ。
そこで欧米では、特に「取締役」は経営能力の優れた人材を連れてくるのが普通であり、「社内」から昇進してきた人物が社長なるということは滅多にない。
一方、日本では会社の優秀な人材は取締役にと昇進し、そのなかでも専務取締役・常務取締役と昇進して、最後に社長や会長もその中から選ばれるのが「常識」である。
また、会社の監査役までも「社長の部下」であるようでは、マトモな「監査」ができるハズがない。
「取締役」が仮に「社外」からであったとしても、相互に株を持ち合っている企業グループの中で互いに役職を「兼任」しあい、企業社会の支配層によるいわゆる「インナーサークル」が形成される中で、「企業統治」に必要な充分なチェック機能を期待できるだろうか。
少なくとも「企業経営の透明性」は期待できそうもない。
アメリカ型の「企業経営」は、株価価値の最大化を第一としている為に、逆に株主の立場から経営者を厳しく監視し、成績が上がらない経営者の首は簡単にスゲ替えられ、従業員のリストラも肯定されるというものである。
この際、「社外取締役」が数多く配置された取締役会コソが「ガバナンス」の主体となるのである。
一方、ヨーロッパの企業経営は、「株主プロパー」なアメリカとは、労働者が「経営参加」するという点で少し違っている。
その「背景」には長くヨーロッパに根付いた「社会民主主義」の伝統があり、もっと直接的には「職能」の世界で育った労働組合運動の成果があるといえる。
特に、ドイツ、フランスを中心として「経営参加」、「共同決定制度」にみられるように、労働者への「情報公開」や「事前協議」が要求され、リストラ、首切りはアメリカのようには自由には行えないという面がある。
またヨーロッパにみられる高い「環境保護」の観点から、「将来世代」を考慮に入れた企業経営のあり方も模索されてきたといってよい。
他方、日本では、労働者が「経営参加」することはないものの、労働組合の幹部から「転じて」会社の経営陣に入ることケースが一般的に見られる。
そして、それは欧米ではマズあり得ないことである。
日本では戦後、「労使一体」で戦後復興を果たしてきた労働組合が「人事管理」に大きな力をもっている。
従って、社長といえども組合の力を借りないと、「人事管理」ができないという側面がある。
会社の「人事部」に組合役員がカナリいて、早くから管理職になって「人事部長」の地位に就いたりしているのである。
それで、労働組合の役員ポストが「出世コース」といわれるような「奇妙な」事態が起きるのである。
驚くべきことに、日本の大企業の重役のうち6人に1人が労働組合の役員を経験しているといわれている。
要するに、日本企業の型はある種の「共同体」(ゲマイシャフト)であり、とうてい「株主」にだけ顔をむけて「経営」するわけには行かず、むしろ「従業員」の利益を第一にして、その「福利厚生」にも重視しなければならない。
そして株主の利益を代表する年に1度の開会「株主総会」は、カタチだけで済ませてきたという経緯がある。
高度経済成長の中、地域共同体の喪失を、企業「共同体」が補ってキタということである。
こういう企業共同体同志でインナーサークルを作っているのが日本社会の現状であり、つまり、本質的に日本の企業体質は「株主の利益」を目指すものでナク、インナーサークルの中では「粉飾決済」という嘘がマカリ通り、嘘も方便という「甘さ」が生まれるのではなかろうか。
そのインナーサークルの「暗黙の秘密」を内部から告発した側が排除されたのが、冒頭のマイケル・ウッドフォード氏「解任劇」ではなかったであろうか。
だが、企業が「従業員志向」だからといって、赤字や損出を隠す「粉飾決済」を行ってきたことが「正当化」さえるハズがない。
企業の取締りが何代にも渡って嘘をツキ通したとなれば、株主どころか従業員の利益にも「反する」からである。
実は日本企業を「従業員志向」などと一括するのはソモソモ誤りである。
現実には政治家・官僚・暴力団などもインナーサークルに食い込んでおり、株主の為にも、実際に働く「従業員」の為にも「企業経営の透明性」が求められてしかるべきである。

1980年代のバブルの時代は、深海でうごめく魑魅魍魎が一機に「水面上」に浮かびあがった感があった。
そしてバブルの渦中で、「闇の世界」との関わりの中で深海に引きずりこまれ、沈んでいった人も多い。
このバブルの時代に「財界」のトップといっていい人物を根こそぎ食い尽くした一人の男がいた。
この男が、大手銀行の「天皇」とまで呼ばれた人物の家を食い滅ぼす過程をドラマ化すれば、サゾヤ見応えのあるものが出来るであろう。
この事件とは、人間のもつ欲望と、同時に、様々な弱さを露呈させた「イトマン事件」であった。
当時、住友銀行には、「磯田天皇」とまでいわれる磯田一郎氏が「会長」として君臨していた。
磯田一郎は、メインバンクとして安宅産業の倒産問題と東洋工業の経営危機問題と「二正面」から困難な問題と立ち向かわなければならない「危機の時代」に頭取という地位にあった。
ところで安宅産業の前身・安宅商会は、鉄鋼・肥料・パルプ・機械の輸入で、手堅い会社として「定評」があった。
戦時中に安宅産業と名を改め、手を広げて総合商社となり、高度経済成長の時に「急膨張」して組織が組織でなくなり、経営意思の統制にも問題がでてきた。
堅実経営の安宅に「ユガミ」が生じたのは、「ファミリー経営」がもたらした弊害だったといえる。
創業者の安宅弥吉は、大商会所会頭もした名士であり立派な経営者であったが、後を告いだ息子がスッカリファミリー経営にして「私物化」してしまった。
息子は一方で美術に傾倒し、陶磁器の世界的コレクションにまで手を伸ばす。
会長には頭のキレル人物がいたが、この息子社長の前では「実権」がなかった。
上下の「意思の疎通」も滞りがちで、海外支店から来る情報も有効に活用されぬまま、個人プレーが続き、組織が組織としての体をなさなくなっていたのである。
そしてカナダの石油精製プラントの投資が、中東戦争による原油ネ値上げにより失敗して大きな損失をだし、倒産は免れ得ない状況にあった。
そんな中で、住友銀行を中心に伊藤忠商事との「合併」が進められて行ったのである。
それまでの住友銀行は、昭和40年不況の際に住友に問題企業が出なかった時、堅実経営の評価の他に「逃げ足が速い」という評価も混じっていた。
住友は審査がシッカリしており、経営者の判断として深入りしないのだが、安宅産業倒産の時は違っていた。
住友銀行は真正面からこの問題と戦い、伊藤忠商事との「合併」を実現させた。
この時「住友銀行」の頭取であったのが磯田一郎であり、磯田の時代に住友は変ったとサエいわれた。
当時の磯田一郎評を読むと、特に人を「見極める」点においてキワメテ優れた「人物像」が浮かんでくる。
1983年の株主総会で、船場の支店長だったNという人物が取締役に選ばれた。
だがN氏は、そのわずか十数日後に亡くなってしまった。不治の病にかかっており、50歳の若さで亡くなった。
磯田は、もう助からぬ命だと知った上で、N氏を強引に「取締役」に推したのだった。
すでに死の予感に苛まれていた男に、「君を取締役に推薦する」と推したとき、その男の胸にどんな思いを抱くだろうか。
消えそうになった命の炎が再び燃えたに違いないし、万が一回復したならば、必死に働き恩を返そうという気になったかもしれない。
だからこそ死にたくないと思ったに違いない。
これほどの人事ができる人はザラにはいない。
住友の「人事政策」には以前から定評があった。
出身学校がどこであろうが、結局は何をしたかで決まる。ひとことでいえば、「実力主義」ということである。
磯田が頭取になってからは、この伝統のモノサシにもうひとつ加わったといわれる。
それは、減点主義より、「加点主義」そして「信賞小罰」の考え方である。
一度「貸金」のことでひっかかっても、それだけで左遷するようなことはしない。
もう一度新しい地区の支店長としてチャンスを与え、「再起」を期待した。
そこから出た磯田の有名な言葉は、「向こう傷を恐れるな」という教訓である。
よく引き合いに出されるエピソードが、「吉野家倒産」の時の話である。
二十数年前に、吉野家が一度倒産した時に、住友も被害をうけ特に丸の内支店は十数億円のコゲつきを出してしまった。
当然、支店長はクビを覚悟する。
ところが、左遷どころか、日頃の積極的な仕事ぶりが評価され、一回り格が上の銀座支店長に抜擢された。
当の本人が感激して発奮したのはいうまでもなく、やがて抜群の成績をさげ、1983年には取締役に栄進した。
磯田一郎という人は、そういう人心のツボをよく心得ていた人ということができる。
人事の公平を期することは自分に厳しくしないといけないと、昔から自分の資産を株式運用することは一切せず、むろん身内の相談にも応じない。
また自分が頭取になってから、取引企業からもたらされる「公開株」の取引などは厳に禁止している。
この時期、公開株はすぐ値上がりして容易に利益 が得られたが、磯田は地位を利用した利権には厳しく自他を律した。
人間の生き方について潔さを最高の徳目にあげている。
そして「イトマン事件」とは、それほど自己に厳しい磯田会長に懐にまで飛び込んだ伊藤寿光という男によって引き起こされた商法上の「特別背任事件」である。
そんな磯田会長に付け入る「スキ」となったのは、磯田会長の自分の娘への「溺愛」にあったといえるカモしれない。
さて、「イトマン事件」の全貌は複雑すぎて、その全てを描くことは手にあまるが、ごく大まかに言うと次のようになる。
伊藤萬は大阪の繊維商社だったが、1973年のオイルショックで経営が悪化したことで、メインバンクの住友銀行役員だった河村を社長に迎えた。
伊藤寿光は元は協和総合開発研究所の役員で、雅叙園観光の仕手戦に融資していた200億円が焦げ付き、その資金繰りで住友銀行の当時の会長やその腹心だった河村に急接近した。
これが「伊藤萬」に筆頭常務として参加する契機で、伊藤萬を通じて住友銀行から融資を受けるようになる。
この雅叙園観光の債権者の一人だったのが許永中、伊藤を通じて「伊藤萬」との関係も深めていった。
伊藤が磯田氏と知りあったのは、闇社会にも繋がる「地上げの実績」であった。
伊藤はいつもニコニコしていてヨク気がつく男ではあった。
そして、磯田会長は伊藤寿永光という男を家の中にまでマネキ入れる。
伊藤は毎朝、磯田家に通い得意の料理をふるまい、そして磯田家の人々と朝食をとるマデになる。
そのうち磯田会長は、伊藤が自分の「息子」であるかのような可愛い存在に見えてくる。
そして伊藤を住友銀行の取引会社のイトマンの「常務」にした。
磯田氏からすれば、もともとの腹心でありイトマンに送り込んだ河村社長の下に、伊藤寿光を「常務」としておけば、イトマンのコントロールは「磐石」となるという腹づもりだったのかもしれない。
ところが、伊藤寿光は「闇社会」を通じて知り合った不動産管理会社代表の許永中という人物とともに、イトマンを食い尽くしていく。
ところで、磯田会長が溺愛する娘が、東京プリンスホテルで「画廊」を開いていたが、「画廊経営」は「付け焼刃」でやるほどに簡単なものではない。
しかし磯田会長は、ナントカ娘を成功させたいと思うあまり、伊藤にこの「娘」のことを頼んだのである。
二人に男女の関係が生まれたとしても、それほど不思議ではない。
伊藤からすれば「絵画」の取引を材料に、いくらでもイトマンのカネを引き出せる「口実」ができたというわけである。
そして伊藤のもとに、いろいろな絵や不動産を持ち込んだのが許永中であり、二人はそれらを担保に巨額の「融資」を引き出したりする。
イトマンの決裁権は社長の河村氏にあったハズが、実権は常務の伊藤が握り、許永中とともにヤリタイ放題でイトマンを貪りつくすのである。
イトマン事件で3000億円の資金が「闇社会」に流れたといわれ、それらがどこに消えたのか解明されていない。
1991年、大阪地検にイトマンの河村社長、伊藤寿光常務と許永中ら6人が、「特別背任容疑」で逮捕された。

最近、「ステーク・ホルダー」という言葉をよくみかける。
ステークホルダーとは、企業の経営行動などに対して直接・間接的に利害が生じる関係者(利害関係者)のことをいう。
具体的には、株主、消費者(顧客)、従業員、得意先、地域社会などが挙げられる。
ステークホルダーが注目されるようになった背景には、企業間での持ち合いの解消などによる「安定株主の減少」や利益のみを追求する経営者による「不祥事の発生」等による「企業価値逓減」などによって、コーポレートガバナンスを図る役割を「期待」されたことなどが挙げられる。
しかし、企業経営につき政治家や官僚や警察や闇世界までもがある種の「インナーサークル」を形成しているような社会で、企業経営が「株主の利益」に反しないかをチェックする「コーポレート・ガバナンス」はどれほど機能するだろうか。
もっとも「コーポレートガバナンス」 は、経営陣の特別背任などの「違法性」がナイカをチェックすれば良いことなのかもしれない。
仮に「違法性」はないにせよ、今日の企業経営は、株主の顔色を伺ってばかりでは、「企業経営」は成り立ちえないのは明白であり、そういう「多元的企業観」こそ健全なものではなかろうか。
しかも、企業のグローバル化などより、ステーク・ホルダーの対象が地理的・領域的にも大きく広がってきている。