日本発「おもてなし」

「五輪招致」プレゼンでの安倍首相の「福島原発汚染水はコントロール下にある」という発言は、実態とはチガウ発言だった。
ただし、あの場面でアソコまでいってしまったからには、「汚染水問題解決」はオリンピック開催までの「決意表明」と受け取りたい。
もうひとつ、滝川クリステルさんが身振りつきで示した「O・MO・TE・NA・SHI」は、対外的な宣伝よりムシロ、国内的に「おもてなし」への関心を喚起させる効果がアッタように思う。
しかし日本では今「絶滅黒髪少女」という歌がハヤルくらいだから、果たして「おもてなし」の心は失われずに、生きているのだろうか。
海外では「MOTTAINAI」に次いで「OMOTENASHI」という言葉も広がりつつある。
たとえば2010年の12月、台湾に石川県・和倉温泉のNO1老舗旅館「加賀屋」が進出し、その中で「おもてなしの心」を台湾人の従業員に広めているというニュースがあった。
またTVで、「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で33年連続日本一に輝く加賀屋の「奇跡の集客」の秘密は何かを探るという番組があった。
そしてそのカギこそが加賀屋流「おもてなし」であった。
さてアジアにとどまらず、日本の「おもてなし」は1970年代の旧東ドイツで実戦されていたという驚くべき事実がある。
鉄のカーテン内に存在したドイツ民主共和国、首都ベルリンから南へ300キロも離れたテューリンゲン地方の山岳地帯にズールという町がある。
この街は、世界の情勢や物品の流れなどからは隔てられた田舎町だが、当時「武器工場」の存在で知られていた。
そこに国営商業団体経営の「ヴァッフェンシュミード」(=武器製造)という物凄い名のドイツ料理レストランがあった。
そんな場所に、一人のドイツ人が「日本料理」の店を開き、驚くべきことにソノ店では「おもてなしの心」が追求されていたのである。
アンシュッツ氏は料理人の家系出身で、ごく普通のレストランを経営していたが、23年目の記念日に研究を重ねた黄金虫のスープを出して客から「大目玉」をくらってしまう。
その後、彼はある日本人の大学教授と出会うことによって日本料理への関心が芽生え、「日本料理創作」へとノメリコンデいく。
アンシュッツ氏は、それまで日本に行ったことがなく、もちろん「日本料理」など見たことサエなかった。
彼は手に入るカギリの日本と日本料理に関する本を読み漁り、自分の店を「日本の旅館風レストラン」に改造したのである。
社会主義的統制経済の下では食材も極端に乏しく、そこで日本料理を提供するのはカナリ無謀な話であった。
しかしアラユル種類の「代用品」を工夫していった。
醤油の代わりにはウースターソースを使い、海苔がないのでホウレン草の葉っぱで巻き寿司を作った。
好奇心を持ってマレに店を訪れる日本人客に助言を請い、助けてもらいながら日本料理の腕をヒタスラ磨き続けた。
当時日本へ行くことなどマルデ夢であった東ドイツ人は、「異国情緒」を味わってみたいと心から願っていたにちがいない。
彼の店は非常な人気を博し、1人100東ドイツマルクという、平均的家賃1ヶ月分より高い値段にもかかわらず、予約は「2年先」までイッパイとなり、客は引きもきらなかった。
人気の原因は、ただ珍しいからというだけでなく、最高の「おもてなし」にもあった。
自分の料理をもっと客に喜んでもらうためには、日本を「丸ごと」味わってもらうことが不可欠と考えた。
そこで彼は、日本の着物を着た女性によるサービスというアイディアを思いつき、雇い入れた地元の若い女性達を、「日本の女性」へと教育していった。
着物はほとんどが手ヅクリだったが、一度など、近くの劇場で上演されたオペラ「蝶々夫人」で使われた衣装を譲り受け利用したという。
やがて人々は彼女達を「パートタイム芸者」と呼ぶようになる。
また、施設内に大きな日本式の風呂が造られ、カクテルを手に風呂を楽しんだ客達は、浴衣を着て食卓につき、主人のアンシュッツ氏がそこで箸の使い方を説明し、日本流エチケットの基本を伝授した。
東ヨーロッパ以外の国とは国交を開いていなかった東ドイツで、まさに「奇跡」としか言いようのない店の存在であった。
やがて1年に1度、首都ベルリンから日本大使が店を訪問するようになり、当局がこの風変わりな事業を大目に見る理由となった。
やがて当局は外国人観光客にとっても、彼の店が「観光スポット」であると認め、当時すでに多くの日本人が住んでいた西ドイツのデュッセルドルフから、本物の「日本の食材」を輸入することを許可した。
最終的に、年間15トンの食材を日本から輸入し、従業員数52人を雇用するまでに成長した。
ベルリンの壁が壊されるまでの間に、2百万人ものゲストをモテナシタことになる。
この話は、近年ドイツで「スシ イン ズール」というタイトルで映画化された。
日本人からすれば「荒唐無稽」にも見えて笑ってしまう映画だが、そのヒタムキナ挑戦に感動するに違いない。
この日本料理店は、東西ドイツの統一後、役目を終え閉店された。
のちにテューリンゲン州の「日独協会会長」をつとめたアンシュッツ氏は、その後日本政府から勲章を授与され、2008年に亡くなっている。

最近「おもてなし武将隊」というのが名古屋・熊本にあるのを知った。
東ドイツでは「武器製造」という名の店が「おもてなし」をしたが、日本では「武将」がおもてなしをする。
武将モドキが観光客を「おもてなし」するとは「荒唐無稽」にも思えるが、ソレガなかなか好評のようだ。
はじめ大学生がボランティアでやっていた名古屋城や熊本城の「観光案内」なのだが、単なる「観光案内」にとどまらずに「タイムスリップ」を味わえる趣向となっている。
「全国の武将隊」の先駆けとして、2009年11月にデビューした名古屋城「おもてなし武将隊」は、名古屋が多くの有名武将を輩出した舞台であり、徳川御三家の城下町であったことなどの「輝かしい歴史」をもっている。
名古屋城「おもてなし武将隊」は、過去と現在、現在と未来を繋ぐ「歴史の語り部」となり、名古屋城を訪れる人々に地域の歴史ロマンを伝えている。
サラニ、次のようにソノ「使命」を語っている。
//慎み、恥じらい、礼儀、思いやり、真心、謙虚、誠意、勇気。日本は”便利さ、豊かさ”を追求するあまり、大切な何かを失くしてしまった、と良くいわれています。
私たちは、サムライの本分として、“古き良き日本人の美徳”を伝えていきたいと考えています。いつも謙虚に、何ごとにも一生懸命に、私たちは自分たちの使命をまっとうします//。
さらに熊本城「おもてなし武将隊」も2012年に誕生したが、ネットのツイードから、現場での「語り口」を想像していただきたい。
「明日の熊本城天気予報。午後は四割。雨天の影響もあり少しばかり寒さは和らぐようじゃ。明後日より雪が散らつくようじゃから皆風邪ひかぬようお気を付けくだされよ。今宵はこれにて失礼致しまする」。
「明日午後の天守閣前にて行う演舞は14時20分より開始致しまする。十分早うなりまする故、お気を付けくだされ。 殿。是非是非!!共にああけぇどを闊歩致しましょうぞ」。
「魂だけでも飛ばしてくだされぃ。(メールくれの意味)しかと受け止めまする。次の催事は分かり次第、ついったぁもしくは武録(ブログ)にてお知らせ致しまする」。
「残念にござる。突然のお知らせ故、致し方ござりませぬな。何かまた貴殿に楽しんで頂ける催事があると良いのじゃが。援軍にお越し頂けるのでござりまするかっ!おぉ、嬉しいのぅ、嬉しいのぅ」。
暑い中鎧を身にマトッテ加藤清正や福島正則、黒田官兵衛といった武将に「成りきる」仕事人達の姿に夢を与えられる。
そしてこの「武将おもてなし隊」はイケメンが多いことも、女性客に人気の原因なのだという。
熊本市によると、武将隊は国の緊急雇用創出事業を利用し、予算約6400万円でスタートした。
公募で20~30代の男女10人が選ばれたが、前職は俳優やフリーター、会社員など様々で、デビュー前にダンスや演技の指導を約1カ月間受けたという。
結局「武将おもてなし隊」は、ディズニーランドで仕事をしている人々と同じく、「夢」がプロ意識を育てるということの「好例」ではなかろうか。

「おもてなし」の心というのは、細かく真心のこもったサービスといったもので、一朝一夕のアルバイト気分で出来るものではなく、そこには徹底した「プロ意識」で生まれるものであろう。
しかし「プロ意識」ダケならば「おもてなし」はナニモ「日本発」のものではなく、外国でも可能ではないか。
日本人にデキテ外国人にデキナイことにこそ「おもてなし」の本質がある。
そこには、日本独自の「職業意識」とツナガルものがあるのではなかろうか。
例えば、儒教社会である韓国には「老舗」というものが存在しない。
韓国で飲食店で成功した人がいるとして、日本なら子供に自分の後を継いでもらい発展させることを願うが、韓国人はマッサキに調理場を出ることを考える。
それは仮に自分の腕一本で成功したとしても、料理をすることは卑しい仕事だという意識があるからである。
そして自分の儲けたお金で息子を官吏にしようといい大学を目指させるのである。
だから韓国では何代も続いた飲食店とか料亭というものが存在せず、包丁を作って何代目といった「職人」が育たないのである。
そうした仕事は儒教社会における「職業差別」ゆえに、「一代」で辞めてしまう場合が多い。
日本では新人研修で便所掃除をさせるが、韓国ではそうした研修はありえず作業服をきることさえ嫌がるのだという。
「儒教の毒」にあまりアタラレテいない日本では、学校教育ではアタリマエに「掃除当番」というのがある。
しかしこれは世界的にみても「日本独自」のものだといってよい。
アメリカで道場を開いた日本人空手家がいたとして、門人に掃除をさせようとすると反発をくらったり、学校においても掃除を生徒にさせず外部から人を雇い入れる。
日本は掃除を教育また修業の一環と考えるが、その発想の源は「禅」にある。
禅寺に行くとわかるが、掃除も食事も自分のことはすべて自分でやらせられる。
そして掃除を卑しいこととは考えず、トイレを掃除すると「美人」にナルといった「トイレの神様」までがいらっしゃるとまで思っている。
日本の新幹線は信じられないほど時刻が正確で、その精密さを支えているのが清掃スタッフの素晴らしい仕事ぶりだ。
ホームに整列した清掃員が丁寧なお辞儀をしながら顧客を出迎えてくれる。
それだけでなく、洗練された動作で瞬く間に新幹線を清掃してしまう。
あっという間に、清潔な空間が出来上がるのだが、一番素晴らしいのは清掃員たちの仕事に対するプライドだ。
正直、日本以外の国では「清掃員」という仕事にプライドを持って働いている人ナンテ多くはない。
なんで日本のトイレの美しさは世界一で、同じスターバックスのトイレでも日本と海外では違う。
「商習慣」の違いかもしれないが、日本人はチップを求めることをしないし、チップによってサービスの質が変ったりしない。
どんな客に対しても、誠実にプロフェッショナルとしてサービスを提供してくれる。
また、会席料理は幕の内弁当の美しさに代表される日本の食事は美しい。
日本人は、料理は美味しければいいというのとは違う。
日本の料理人のコダワリはそんなレベルじゃない。
食事にも季節感や彩に気を使し、料理人のパーフォーマンスさえ客に見せる。
ユネスコで「無形文化遺産の保護に関する条約」が採択され、2006年に条約が発効した。
そうした中で、地域の食文化を無形文化遺産に登録しようと、フランスやメキシコ、それにスペインやイタリアなど地中海の食文化が無形文化遺産に登録された。
アジアでは韓国も宮廷料理の登録を申請しており、こうした世界的な盛り上がりがある。
最近農林水産省で、寿司や会席料理などを生んだ日本独自の食文化を「世界無形遺産」にしようという検討会議が開かれた。
会議のなかでは「日本食を通して日本を理解してもらうきっかけとすべきだ」という意見や「日本食が健康に良いことをアピールすべきだと」という意見が出ている。
福島第一原発の事故で失われた、日本食品への「信頼回復」を図り、観光客を日本に呼び込みたい意向もあるだろう。
しかし登録申請のためには、「日本食文化」を「特徴づける」ものは何かがマズ問われる。
第一は、豊かな自然から食材が生み出されることである。
日本には、米を中心として1500種類に及ぶ多彩な農産物や魚介類、海藻などの地域独特な食材が存在している。
我々は昔からこうした食材を「新鮮な」ママ食べるとともに、味噌や醤油、納豆などの発酵食品としても利用してきた。
第二に、食の「演出」や「作法」いったものも「食文化」の構成要素である。
日本料理はよく「目で味わう」と言われる。
舌で味わうだけでなく、料理の盛りつけや彩り、それに食器や箸へのこだわりなどが重視される。
こうした作法や演出を含む「おもてなし」や素材をスベテ使い尽くす「もったいない」などの考え方も、「日本食文化」を構成する重要な要素にチガイない。
身近なところで、朝弁当を買いに行くと従業員みんなで「いってらっしゃい」といわれると、家族による「気のぬけた」言葉以上に元気がでる。
また何を買わずとも、デパートにいって楽しいのは、モノを買えというだけの殺伐な雰囲気ではなく、「おもてなしの心」が漂っているからではなかろうか。
また少々大仰に思えてもイタレリツクセリというのもナカナカいい。
佐賀のある温泉では、リムジンカーで客を迎えにきたり、ホテルでチェックイン間もなく、お茶にお菓子がオシボリが出てくるし「足湯」が使えたりする。
接遇の丁寧さや見た目の美しさではなく、「働く人」たちの裏表のない心配りにあり、ウワっツラな「営業」だけではできない何を感じることができる。
客に「夢を売る」サービスなればこそ、客をガッカリさせたくないという「気持ち」から、「自己犠牲の精神」さえ生じサセルのではなかろうか。
かつて第1次内閣発足時に安倍首相は「美しい国日本」をカカゲタが、「美しい日本とは何か」という質問に答え「日本人の立ち居振る舞い」の美しさに言及していたことを思い出した。
はしなくも、それは「おもてなし」に通じるものがあるようにも思える。
つまり、「おもてなし」は日本文化の「総体」の中ら生まれれたモノであり、外国人にはマネが出来ない「何か」ということである。