パンかサ-カスか

「すべての道はローマに通ず」という言葉がある。
これはローマから街道が帝国全土に張り巡らされたという「空間的」な意味でいわれるが、この言葉は「時間的」な意味でも当てはまるように思う。
つまり今日起きていることは、古代ローマでも起きたことか、現代に通じる「何か」がアルということなのだ。
古代ローマは「パンとサーカスの都」と言われる。
広大な属州から搾り取った富がローマ市にはドンドン流れ込んで、その富がローマ市民に分配された。
ローマ市民であれば、何も財産がなくても食べるに困らず、娯楽もタダで楽しむことができた。
そのことを言い表したのが「パンとサーカス」である。
まず「パン」とは、穀物の「無料配給」のことで、一人なら充分に食べていける分が配られた。
つまりローマ市民は働かずとも、ナントカ暮らせたわけだ。
ネロ帝は、裕福な市民を死刑にして財産を没収し、兵士や民衆にサービスをしまくったし、カリグラ帝は金貨ソノモノをばらまいた。
ネロもカリグラも「暴君」といわれるが、意外にも民衆には結構人気があったのだ。
ローマの皇帝は、民衆の支持もしくは「兵士」に支持されてコソ安泰だったため、バラマクだけバラマイタというのが「実相」である。
また皇帝達は、「人気取り」のために国家の「祭り」や「記念日」をドンドン増やしていった。
そういう祝日祭日に市民は「サーカス」を見て楽しむことができる。
「サーカス」といってもアクロバチックな「曲芸」ではなく、モット生々しい「見せ物」であった。
それは、「剣奴」といわれる奴隷達に、相手を倒すまで戦わせるという「見世物」であり、「刺激」を求めるローマ市民にとってこの上ない楽しみであった。
そしてその為には「剣奴養成所」もつくられた。
こういう見世物の「現場」こそが、イタリア最大の観光地・コロッセウムであり、収容人員は5万人にも達した。
コロッセウムに地下には剣奴と戦わせるための「猛獣の檻」がしつらえてあり、時には天幕を張って中に水を張って「模擬海戦」までもやったという。
そして、「ベンハー」という映画に描かれたヨウナ「戦車競争」もあった。
ちなみに、この戦車競争が撮影されたのは、チルコ・マッシモ競技場である。
そしてこうした「娯楽」の費用は、皇帝や有力者持ちなのである。
ところで「市民サービス」としてモットモ身近なものが「公衆浴場」であった。
カラカラ帝の造った「カラカラ浴場」が世界遺産となっている。
しかし、浴場を建設した皇帝を冠したた公衆浴場はローマ市内至る所にあり、皇帝の「バラマキ人気取り」政策の「実態」を今の時代に伝えている。
さて公衆浴場といっても、日本の「銭湯」を思い浮かべたら大間違いである。
近年の映画「テルマエロマエ」のおかげでで、ローマの公衆浴場のメージがある程度日本人にも正しく伝えられている。
現代でいうならば、大理石の風呂をもつスパつきフィットネス・クラブとかスポーツ・クラブとかに近いであろう。
入場するとまずトレーニング・ルームがあって、そこでレスリングしたり、球技したり、円盤投げ、やり投げの練習で一汗流す。
次はマッサージ・ルームにいき、ここで身体をホグシテもらって、いよいよ入浴する。
低温サウナで慣らしてから高温サウナへと進み、身体をキレイにして暖まったところで、最後はプールでひと泳ぎする。
このあと遊戯室や談話室に入って、チェスみたいなゲームをしたり、空腹になれば食堂へ行き一日を過ごすのである。
そしてその入場料はスコブル安い。
映画「テルマエロマエ」でも公衆浴場での食事シーンがあったが、我々日本人には「違和感」を覚えるものだった。
人々は寝そべって、箸もフォークもスプーンも使わずに手づかみで食べる。
手が汚れるので、それを食事服で拭う。
ココで使うのが、汚してもよい「食事服」である。
属州やら植民市から、大量の食糧がとどけられるのだから、貴族達の宴会となると「度外れ」ていたことはいうまもでもない。
宴会となると、金持ち達は「食事服」に金をカケ贅をこらす。
その高価な食事服を惜しげもなく汚してポイポイ捨て、一回の宴会で何回も「着替え」たりする。
また、給仕が配った「嘔吐薬」を飲んソレを吐き出しながら、何時間も延々とオイシイものを食べ続ける。
これでもかこれでもかと食事が出てくるので、奴隷が客人の口の中に羽を突っ込んでクリアさせる。
つまり、満腹の喉に異物を突っ込まれて、吐きださせ、貴族はまた新たな皿に挑むといった具合で、想像するダニ「清潔さ」と「情緒」に欠けた食事風景である。
宴会の主催者は金に糸目を付けず、珍味をどこからでも手に入れてきて、風変わりな調理を施す。
要するに、彼らは「散財」することコソが「ステータス・シンボル」だったともいえる。
つまりローマ市民は、遊んでくらすことができ、見るもの、食べるものにも、「刺激」を求めつづけたわけだ。
その結果、イタリア映画「サテリコン」にみるように、太った人間バカリになったのではなかろうか。

ところでコンナ生活をしていたローマ社会では、子供が増えるどころか「出生率」が低下していった。
男と女がいて避妊法が発達しているわけでもなく、避妊や中絶が適切におこなわれず失敗すれば、子供が生まれるのは自然の成り行きである。
何しろ、働かずとも食っていけるのだから、親が子のために働くという発想が生まれない。
ムシロ日々の娯楽を前に、子を産み育てるのが面倒で邪魔クサクなったのではないか、と想像する。
実際に、元老院の名門貴族の家が「断絶」するので、イタリア半島以外からも名門の家の者を元老院議員に任命して「欠員」を埋めるようになったほどだ。
男女間の性における退廃も著しく、生まれた子が誰の子か分からない。
貴族は自分で子供を育てるわけではないのだが、ソンナ子に財産を譲るのもバカラシイということになる。
そしてローマでは、「子捨て」が横行していたのである。だから「出生率」が低下したといっても、見かけ上の「出生率の低下」にすぎない。
ところでローマの金持ちはたくさん奴隷を使っていた。
一般市民でさえ、町に出る時は最低二人はお付きの奴隷を連れていく。
大金持ちになると、主人の右の靴を脱がす奴隷とかいった「専門分野」の奴隷がでてくる。
また有能な奴隷は子供の家庭教師をしたり、家計を取り仕切ったりするものもいた。
ところで、こうした「奴隷の供給源」だが、「戦争捕虜」や新しい征服地の住民などが「奴隷」としてローマに連れてこられていた。
ところが五賢帝の二番目のトラヤヌス帝の時がローマ帝国の「領土が最大」となった。
それ以後ローマ帝国は、新しい征服地がなくなり、「戦争捕虜」も激減した。
それで奴隷の数が激減するかと思えば、意外にも奴隷の数は減らなかった。
理由は「子捨て」の増加のためであると推測される。
ローマには、「乳の出る円柱」とよばれる「捨て子」の名所があり、こうした捨て子を集めてまわる業者サエもいた。
こうした業者が捨て子を奴隷として育てて売り、これが奴隷の新たな「供給源」となったのである。

以上見てくるとローマはゲルマン人によって滅ぼされたとしても、それは最後の「一突き」であったにすぎない。
ローマ内部ではあらゆる面で「瓦解」始まっていたというのが、「実情」であろう。
数年前、1975年に書かれた「日本の自殺」という論文が文芸春秋にトップに「再掲載」され話題をよんだ。
1975年といえば、イマダ日本が繁栄の途上であった時代なのだが、この論文は信じがたいホド「今」を言い当てているからだ。
過去の「文明の没落」を研究した結果、「文明の没落」は外部の力によって生じるのではなく、内部から「自壊」していったことを明らかにした。
この「自壊作用」のメカニズムとは、繁栄と都市化が大衆社会化状況を出現させ、活力なき「福祉国家」へと堕落し、エゴと悪平等の泥沼に沈みこんでいくというプロセスをたどる。
ローマ市民は、広大な領土と奴隷によって次第に働かなくなり、政治家のところに行っては「パンよこせ、食料をよこせ」と要求するが、「大衆迎合的」な政治家はソレに与え続けたのである。
現代の政治家は任期中には税金を上げないと国民の人気トリに終始する。
フリーターがニート族といわれる若者も多く、就職しても1年未満で会社を辞め、職を探す意欲もなく失業保険で喰っている。
母親は子育ての拒否から子供の虐待事件がアトをたたず、見かねた役所は赤ちゃんポストまで設置したところもある。
一方で老人は手厚い年金をもらい、仕事のない人間は、「オレオレ詐欺」で老人世代から莫大な金を巻き上げている。
官僚は、天下りをハシゴして国民の税金を貪っている。
現代でも人々は働らかずに遊んで暮らしたいので、他人の働きの成果を掠めることばかりを考えるようになる。
それは、ローマ人が属州からの産物や奴隷から搾り取ったものから、働きもせずに産物を得た姿と重なるものがある。
この「日本の自殺」を書いたのは「グループ1984」というグループで、各分野の専門家20数人による学者の集まりであった。
この論文の結論として、政治家やエリートは「大衆迎合主義」をヤメ、指導者としての誇りと責任を持ち、ナスべきこと主張すべきことをすべきであること、人の幸福をカネで語るのをヤメ、国民が自分のことは自分で解決するという自立の精神と気概を持つべきだと「戒め」ている。
経団連会長で中曽根行革審の土光敏夫氏はコノ論文を絶賛し、コピーしては知り合いに配ったという。
ところで今の日本社会で、文字どうりに「瓦解」が始まっているものに、高度経済成長期に数多く立てられた建造物がある。
ローマ人は建設技術や土木技術に優れた人々だっただけに、帝国の衰退とともにソレラ建造物の劣化を食い止める方策をとらずに瓦解にまかせていった。
日本は財政難の状況であるため、こうした建造物の「瓦解」を食い止めることができるかが、大きな課題であある。
そしてインフラの「崩壊」とまでいかなくとも、「不整備」となるとソノ影響ははかりしれない。
インフラとは一般に、主に道路、鉄道、港湾、水道、ガスなど生活・産業発展に必要な基盤的なものを指すものである。
昨年の笹子トンネル天井落下事故はそのことをシンボリックに表した事故であった。
ローマ帝国は古くから、道路や水道などの「インフラ整備」で輝かしい「業績」を残した帝国であることは間違いない。
しかしそのローマ帝国も、末期にはそうした大規模インフラの維持コストが高まりのため、「財政危機」と「軍事力」衰退をまねき、帝国滅亡の「引き金」の一つとなったといわれている。
また、水道管として使われた鉛管から、水中へ溶け出した「鉛イオン」が、市民たちの体内に長年蓄積した結果、市民の「健康被害」が広まり帝国衰退の原因となったといわれている。

個人的に、最近のトルコやブラジルでの民衆の動きを見て「パンとサーカス」ではなく、「パンかサーカスか」という言葉が浮かんでくる。
特に驚いたのは、サッカー日本代表も参加しているコンフェデレーションズカップ開催中のブラジルで、コンフェデ杯や1年後に迫ったワールドカップ 開催による「国費の無駄遣い」などに「反発」するデモが拡大したことである。
正直いって、あのサッカー好きの国民がマサカという気になった。
首都ブラジリアなど各都市で市民計約20万人が 参加し、過去20年間で最大規模のデモとなった。
ブラジルは、ワールドカップばかりではなく、2016年のリオデジャネイロ五輪を控えているため、治安対策ばかりではなく「市民の不満」を緩和するような政策をとらない限り、大会の開催そのものが危ぶまれる。
時に、食料品価格の高騰は、多くの市民の不満のタネとなっている。
実はブラジルのワールドカップ開催による政府の「税金浪費」に抗議するデモは日本にも拡大していた。
静岡県西部在住のブラジル人が30日、浜松市内でデモ行進を行った。
約70人が、在浜松ブラジル総領事館前などを含む市中心街約2・6キロ区間を歩き、母国政府への「怒り」を訴えたのである。
そしてそのデモを呼び掛けたのは、ナント磐田市のアルバイト日人女性であった。
「意味のないものにばかり税金が使われ、教育や医療、治安維持など大事なことに使われていない」と訴えた。
また日本に暮らして18年の日系人男性は、「公立小中学校の教員の月給が平均4万円とは安過ぎる」と、教育軽視の現状を指摘している。
思い起こせば1972年のミュンヘン五輪での事件があった。
イスラエル選手団の宿舎がパレスチナゲリラに襲撃され、「平和の祭典」は一転してテロ事件の現場と化した。
「黒い九月」と称するパレスチナゲリラのメンバーが宿舎に忍び込み、選手らを人質にして立てこもり、イスラエルで収監されているパレスチナ人らの釈放を要求した。
その中には、3ヶ月前にテレアビブで乱射事件を起こした日本赤軍の岡本公三らもいた。
警察の突入後、待ち伏せ作戦は不発に終わり、事件は空港へと舞台を移す。そこで銃撃戦となり、「人質全員」が巻き添えとなって死亡した。
オリンピックは、会長の裁決により「継続」となったが、いわゆる「喪章をつけた」オリンピックとなった。
世の中に、様々な宗教やイデオロギーをまとった「テロ」というものがある。
しかし、行き着くところは「貧困」である。つまり「パン」の問題である。
ローマ帝国においても、ローマ市民と属州民との間で大きな格差があったし、その富はモノイワヌ「奴隷」からの収奪によってもたらされたものであった。
確かに「サーカス」で勇気や力を与えることはあろうが、現代社会においては、こうした費用はローマの時代とは違って「富裕者モチ」というわけではない。
あくまでも市民自らの負担であり、「サーカス」開催の利益はどちらかといえば「富裕者」にころがり込んでくる「仕組み」になっている。
つまり現代は、パンとサーカスが「両立」しえず、パンとサーカスが「トレードオフ」(取引)の関係となった世界ということである。
そしてこのたびのブラジルのコンフェデレーション・カップ反対運動は、格差社会における「パンかサーカスか」の問題を先鋭的に突きつけたものとなった。
さて、もしも2020年東京オリンピック開催が決まれば、日本人はどう反応するかは見モノではある。
治安対策には膨大な税金がつぎこまれるだろうが、オリンピックのメダリストの「凱旋パレード」見たさに銀座に50万人もの人々が集まるくらいの国民性でもあるからして。