リフレとその思想

歴史の「もし」を考えるのはあまり意味がないことかもしれない。
後から見て選択の余地はいくらでもあったかに見えるが、すべては「後知恵」なのだ。
特に政策責任者の場合には「選択の幅」はあまりナイのではなかろうか。
大勢に順応しないと、政策責任者がその地位を守ることはできないからだ。
それでも「もしも」と考えてしまうのが、「金解禁」のケースである。
日本の経済政策史上、最も重要な分岐点とは「金解禁」といって間違いない。
それも「旧平価」による解禁であった。
歴史は単純には繰り返しではないので、「昭和恐慌期」と「平成不況」では無視できない様々な違いがある。
しかし、「実験」の難しい社会科学においては、「歴史的経験」の検討は有益な情報を与えてくれる。
先進諸国ではココ70 年ほど、長期にわたる「物価下落」を経験したことがない。
その事実からすれば、一番近い1930年代の「デフレ不況」を学ぶ意義は大きいと考える。
実は、「金解禁」は当時の不況打開策として考えられたものであった。
また今日の安部首相がTPP参加も「不況の打開策」として決定したことを鑑みれば、中身は違っても「方向性」では同じなのである。
「TPP参加論争」も、日本の今後の国のカタチを決定づけるものであろう。
昭和恐慌前後におきた「金解禁論争」は、その帰趨に日本の命運がかかっていたという意味で、両者は似かよっているのである。
さて、このたび日銀人事において、総裁・黒田東彦氏と副総裁2人が、政府の「承認」ではなく政府の「指名」であるかのように決定した。
安倍首相の注文である、思い切った金融緩和と年2パーセントのインフレ目標の実現、すなわちアベノミクスの忠実な「実行者」を指名したということである。
この「副総裁」の一人として決定したのが学習院大学教授の岩田規久男氏である。
上智大学教授時代に「岩田ー翁論争」で平成不況を日銀の政策の「失政」と追及した人物だが、今回の日銀人事につき「維新の会」からは総裁にドウカという意見が出たり、民主党からは「リフレ」に踏み込みスギテ危険であるという意見も出た。
「リフレ政策」とは、物価政策目標を2パーセントと決めたら、それが実現するまで「金融緩和」をする政策である。
新総裁の黒田氏は、政策目標実現のためには、ナンデモスルといっている。
さて、岩田氏が中心に立ち上げた研究会に「昭和恐慌研究会」がある。
実は、岩田氏らの「リフレ」主張に根拠を与えるものが、昭和恐慌からその脱出に至る「リフレ政策」の成功である。
昭和恐慌時の通貨体制である「金本位制」とは、通貨の価値が金と固定されている通貨制度のことである。
具体的には20世紀初頭、金の価格は1トロイオンス(31.1035g)=20.67ドルと法律で定められていた。
ドルと「一定」重量の金の関係が「固定」されていたということである。
金本位制を採用していた国では、どこも中央銀行がその運営をつかさどっていた。
ただ、真の「金本位制」の下では、貨幣は基本的に金と結びついているから、自動的に流通する通貨の量が決まる制度だが、実はそれほど機械のように完全な通貨制度というわけではない。
日本は1897年に金本位制を確立させ、金の輸出が行われていた。
しかし、第一次世界大戦中に欧米諸国が相次いで金の輸出を「禁止」したため、日本でも1917年に禁止していた。
ところが大戦後、欧米諸国は相次いで金本位制に復帰、日本もこれに続こうとしたが、関東大震災や金融恐慌といった混乱のためカナワなかった。
金解禁の主な目的は「為替相場」の安定と、「輸出拡大」による国内産業の活性化である。
そしてようやく1930年1月、浜口内閣は、政策の目玉である「金解禁」を断行した。
金解禁とは、金(貨幣や地金)の輸出を解除することであるが、問題だったのは「新平価」ではなく、金の輸出禁止(1917年)以前の「旧平価」で金解禁を行ったことである。
つまり「旧平価」は日本が不況に陥る前の平価(外貨と比べての価値)であり、それでの金解禁は事実上の「円の切り上げ」になってしまう。
円高では輸出には不利だから、「輸出拡大」による景気浮揚効果が損なわれる。
そのため、東洋経済新報社の高橋亀吉や石橋湛山らは「新平価」での解禁を主張したが、その意見は大勢を占めるには至らなかった。
当時、アメリカは空前の「好景気」を謳歌していたように見えたこともあって、円が多少上がったところで、それほどに輸出に影響は出ないだろうと考えた。
「金解禁」当日、市場はこれを歓迎し、株価は上昇した。
しかしこの時すでに、アメリカの景気にカゲリが見え始めていたのだ。
第一次世界大戦でアメリカは好景気にわき、戦後に英国が債務国に転落する一方で、世界大国としての位置を占めつつあった。
しかし、経常収支黒字に伴う金の流入にもかかわらず、米国はそれに対応する金融緩和を行わず、金融政策を「引き締め」気味に運営する。(ナゼそうしたかが大きな問題だ)
これによって、他の国々も引き締め的に運営せざるをえなくなる。
なぜならば、他の国々は、金本位制にとどまる限り、為替レートを米ドルに対して「固定的」に維持しなければならないからである。
金本位制を通じてデフレ圧力が世界経済を伝播されていた。
1929年の10月、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落し、株式取引所が大混乱に陥っていた。
いわゆる「暗黒の木曜日」である。
これが全世界に波及して世界恐慌になるのだが、それは後世になってわかることである。
皮肉なことに、金解禁は国民に「不景気打開策」として売り込まれていたのである。
浜口内閣は得意の絶頂で「衆議院」を解散し総選挙を行った。
結果は浜口率いる与党・立憲民政党の「圧勝」であった。
そして井上準之助蔵相は、当時大勢を占めた「旧平価」での解禁を押し切った。
金解禁に備え、円高でも輸出が伸びるように「緊縮財政」を進めて物価を下げた上で、「金解禁」に踏み切ったのである。
だがアテニしていたアメリカは、その時すでに「恐慌」という名の底なし沼に足を踏み入れていた。
その結果、輸出はまったく伸びなかった。
「緊縮財政」の上に「輸出不振」では、日本も不況に入り込まざるをえない。
そればかりではなく、海外の「投機」の動きが事態を深刻にしていった。
アメリカのナショナルシティ銀行では、連日続く株価の暴落に苦しんでいた。
そこへ、日本で「金解禁」が行われそうだというニュースが飛び込んできた。
アメリカで恐慌が起これば、紙幣は紙クズ同然となる。
そうなる前に紙幣を金に交換しておいたほうがいい。
そして、ナショナルシティ銀行は日本から「金貨」を輸入しまくり、他の銀行もこれに追随した。
そのため、「金解禁」後わずか2ヶ月で1億5千万円(今に換算すると、9兆6千億円)もの金貨が外国に流出したという。
ところが井上準之助は、金の流出は(物価下落をまねくので)、輸出が増えていく前兆だと強気だった。
しかし、アメリカの不況はヨーロッパにも波及し、各国とも輸入を増やす力は失せ、日本の輸出が増えるはずもない。
そして日本でも株価や物価が下落し、中小企業が次々と倒産、完全失業率も増えていった。
それでも日本はアメリカから借金をしてまで「金の輸出」を続けたというのだから、「政策の失敗」は明白だった。(なぜ、ここまで固執したのだろう)
イギリスが金本位制を離脱し、ヨーロッパの金融恐慌が深刻化し、金の輸出をツイニ「再禁止」したのである。
イギリスから金を輸入していた人々が、今度は日本から「金の輸入」を始めた。
こうなると、日本で金輸出が「再禁止」になるのは、時間の問題だった。
まもなく、日本国内の金は尽きてきた。
金の流出を防ぐ手は、もはや金輸出を「再禁止」するしかなかったのである。
無理に円高で解禁したため、「再禁止」を実行すれば「円の暴落」は目に見えている。
米国のナショナルシティ銀行は、今度は「ドル買い」を開始した。
これに三井・三菱・住友・安田といった日本の財閥も追随したのである。
こうして、イギリスの金再禁止後わずか1週間で二億ドル(約13兆円)もの「ドル買い」が行われたという。
三井のドル買いに対し、政府は「三井財閥は金輸出再禁止を見越して、円売りドル買いをし、正貨準備の流出に拍車をかけた。これは売国行為である」と糾弾した。
新聞などもこれに追随し、一斉に攻撃を始め三井財閥へ批判が集中した。
理由は何であれ、市場が「金本位制を死守する」としている国に対する信認を失うと、その国は投機的な攻撃にさらされる可能性が出てくるのだ。
注意すべきことは、この事件は政府の「金解禁の失策」を「財閥批判」にスリ替えた点である。
そして政府の失政の責任を逃れようとした。
しかし、三井銀行はイギリスの金輸出禁止に伴い、ロンドンに持っていた資金を凍結されるため「決済」ができなくなるので、ドル買いを行っただけで、「投機的行為」ではなかった。
三井の筆頭常務の池田成彬は回顧録で「なんの変哲もない銀行の事務だと思っていた」と述べているくらいだ。
1931年、政友会の犬養毅内閣発足とともに「金輸出再禁止」が決定され、株式・商品市場は大幅に下落した。
加えて東北地方の大冷害と生糸・米穀相場の暴落により、不況はさらに深刻なものとなった。
時の蔵相は井上準之助ではなく、高橋是清に託された。
無念の井上準之助は、1932年に血盟団員・小沼正よって射殺されている。

浜口内閣・井上蔵相の旧平価・金解禁の「失敗」の裏側に一体ナニガあるだろうか。
岩田氏の「昭和恐慌研究会」があげた意外な理由に「清算主義」というものがあった。
「清算主義」とは、景気変動を自動的な調整過程の一環とみなす見方であり、この自動的過程に極力介入しないことで景気の速やかに回復を図るというものである。
金本位制は自動調節メカニズムを前提としており、清算主義はその自動調節メカニズムへの(過剰なまでの)信頼を具体化したものである。
不景気を好景気の反動とみなし、不況期には不良事業・企業の「徹底淘汰」が景気転換には必要不可欠とする見方つまり「清算主義」が道徳的にも魅力を放っていたともいえる。
政界に転じた井上準之助は、「清算主義」の代表的な信奉者だったのだ。
もう少し現実に即した言葉を使えば「財界整理論者」ということだ。
浜口首相・井上蔵相の経済政策には、好景気を「空(カラ)景気」とみなす傾向があったということだ。
彼らは驚くべきことに健全なる経済運営は、不景気によってもたされると考えたフシさえあるのだ。
経済政策の中に、不良は淘汰さるべきという「道徳感」が持ち込まれたというのは言い過ぎだろうか。
加えて、ドイツの(ハイパー)インフレーションや、国内のインフレーションの記憶が生々しかった時に、「新平価」解禁、ましてその後の「リフレ政策」への支持はナカナカ得られなかったのである。
ところで、前述したように石橋湛山は「新平価解禁派」だった。
また、西欧諸国が金本位制から離脱(金輸出再禁止)している以上、金本位制の維持はすでに時代遅れである。そしていち早く「再禁止」を主張する。
さらに、この恐慌からの脱出するかについては、財政・金融政策によるリフレーションを督促した。
つまり、1.利子率引き下げ、2.公開市場操作、そして3.公営(公共)事業の推進である。
石橋は財政政策単独では、物価上昇につながらないことも知悉していた。
公債が日銀によって応募されない限り、通貨量が増えず、通貨量が増えなければインフレーションは引き起こされないからである。
その要点は、徹底的な通貨供給による「インフレ期待」の醸成である。
はじめ、その効果は容易には発揮されないかもしれない。
しかし、期待の変化とインフレそのものの効果が「互いに因となり果となりて、所謂累積的に作用する」。
というのも、通貨膨張が「頑強に続けられるならば」、どんな「銀行でも無限に資金を遊ばせておくわけにはいかぬ」からである。
はじめはコール市場に資金が出るが、そこの市場金利も下がるから、それからは既発及び新発行の証券に投資することを余儀なくされる。
購買力は、はじめは既発証券に対するそれとして、それから新発行の証券、そして動産・不動産に対するそれとして現実化する。
そして、短期金利、そして長期金利を引き下げることによって、投資は増加するだろう。
投資が増加すれば、財と労働への需要が起こることになる。
ここで、「リフレ派」の特徴がハッキリと出ている。
「この効果を発揮するまで、頑強にインフレーションを続くべしと説くのである」と。
同時に石橋はリフレ政策への批判にも答えている。
ひとたびインフレーションを始めると、無限に之を続けねばならないから、その結果第一次大戦後のドイツのようなハイパーインフレが起きるだろうという批判があった。
「このリフレはハイパーインフレのような戦争という如き外的原因から迫られたそれと異なり、政府又は中央銀行の欲するままに統制し得る。これに何の危険があろう。ひとたびインフレーションを始めれば、止め度がなきに到ろうなどと言ふ者は、思索全く足らざる者である」
といっている。
実際に高橋是清蔵相のもとでの政策の「完全転換」後の成果はめざましいものだった。
日本経済は驚異的な復活を遂げる。
物価は激しいデフレからマイルドなインフレに転換する。
株価が上昇し、生産が伸びる。為替が減価し、逼塞していた重化学工業は息を吹き返し、産業構造の転換が急速に進んだのである。

歴史は単純にはくりかえさない。
時代を今日に移してみて、インフレを意図的に起こす「リフレ政策」が日本経済が長年の低迷から抜け出す「起爆剤」になるか、制御できない物価や金利の上昇を招いてしまうのか。
最大の問題は、膨大な「赤字財政」の下での「リフレ政策」が成功するかドウカということである。
市場は黒田日銀によるマネーサプライ増のための大量の「国債購入」を見越して、国債への投資が増加した。
それで、長期金利は0.6パーセント台と歴史的低さとなった。
しかし経済理論の教えるところ、本当に「物価」が上がってくれば、それにつれて長期金利も確実に上がってくる。
借金大国の長期金利が急に上がると、財政の「利払い」は膨らむ。
景気回復による税収増が追いつかなければ、国の台所はますます苦しくなる。
巨額の国債を抱える国内銀行は、金利が1パーセント6兆円超の損出を出すとされ、金融不安を再焼しかねない。
そんな兆候が見えはじめたら、「日銀はもっと国債を買って金利を押さえ込め」と迫るだろう。
デフレ脱却のための金融緩和は、借金穴埋めのための国債買い入れへと変質する。
物価が上がりすぎても金融引き締めに転じることができず、泥沼の緩和になりかねない。
中央銀行が国の借金のためにお金を刷れば、ソノ国の通貨は信用を失い、通貨の暴悪と制御不能のインフレを招くのは「歴史の教訓」である。
日銀は「通貨の番人」として役割を果たしてきた。
アベノミクスは、その「サンクチュアリ」(聖域)へと踏み込んだのである。