政治の企業化

最近、政治と企業経営が、似かよった面が多くなったように感じるのは、自分だけだろうか。
まず、政治が絶えず「短期的」成果で国民を引きつけようとしている点である。
ソノ極限が「バラマキ政治」だし、「官僚丸なげ」はアウトーシングよる効率化ともとられる。
そうした「成果」に従って、政治家は次の選挙で「票」という「配当」をうける。
つまり政治家は、次期選挙の「票」に繋がらないような「長期」ヴィジョンを訴えたりしなくなったということである。
先日、朝日新聞に内田樹氏が、「百年の計より目先の得、非効率という智恵を疎んじ 一枚岩の政党を選んだ」と、自民圧勝の参院結果に対して「批判的」な論を寄せていた。
この論稿の核心は、「経済的な」時間意識が「政治過程」を侵食し、本来政治の政策論議には馴染まない「スピード感」とか「効率性」に、国民が「政治的価値」を置いたという指摘である。
もちろん、政治にスピードや効率をメザスようになった理由のひとつは、民主党時代の「決められない政治」への「反動」もあったであろう。
「公民」の教科書的な知識からすれば、「参議院」は「解散」がなく「任期が長い」ので、その時々の「民意」に左右されることなく、「長期的」視点に立って議論できるという点に「存在意義」があるといえる。
今回の選挙後、自民圧勝による国会の「ねじれ解消」が「決められる政治」へと繋がるという論調が多かった。
確かに衆参の与野党の勢力図が「正反対」という意味でのネジレは「特異」なケースではあろう。
しかし、参議院と衆議院の意見が「異なる」こと自体はむしろ健全で、両者が「一つ」となって機能するのが「効率的」という考え方の方が、ヨホド異常である。

ソレデハ内田氏のいうところの「百年の計」というものに、具体的にドノヨウナものがあるだろうか。
今年三月頃、NHKの「復興を夢見た男たち」という番組で、浜井市長によって「広島平和都市建設法」という戦後初の「地方自治特別法」が成立する経過が語られていた。
浜井市長は終戦時の配給課長当時「夢を語る会」のメンバーとしてドンナに「広島復興プラン」を描いても、いつもブツカッタのは、「財源」と言う壁だった。
何度も国会に陳情に赴き、有力議員を夜ガケ朝ガケで訪問た。
浜井氏は広島を戦後「平和」のシンボルとして、その復興させることがイカニ国にとって大事なことか説いたが、ナカナカ予算を獲得することができなかった。
そして、自分が市長をしても意味がないのではと、何度も「辞職」を考えたと綴っている。
そうしたある日、GHQに働きかければ何とかなるのではとヒラメいた。
当時のGHQの国会担当に「法案」を見せたところ「素晴らしい」という応えを受けた。
これを機に「広島平和都市建法」実現へと歯車が動き出したのである。
しかし、人々の気持ちはいまだにバラバラだった。
「百年は人が住めない」といわれたこの焼け跡を本気で復興するつもりか。
どうせ金を使うなら、この焼け跡はコノママにしておいて、どこか別のところに新しい町を作ることを考えてはドウカといった意見もあった。
また一方で、市民の住みなれた土地に対する執着を断ち切るのは、そんな生ヤサシイものではない。
たとえ行政がどうあろうと、計画がどう立てられようと、彼らは自らの道を曲げないのである。
ゲンに、市民たちは続々と焼けただれた町に帰りはじめたのである。
復興局も、審議会も、こういう市民の姿を見ては、計画の完成を急がないではいられなかった。
そして何よりも、広島を復興の為には広島市民の心を一つにすることが大事だと「平和の祭り」をすることを思いついた。
浜井市長は、原爆で死ぬべきはずの人間が、生き残ったのだから、自分の人生をすべて「広島復興」にささげようと覚悟していた。
新しい街づくりの為には、いままでの住宅地にソノママ人々が住み直すだけでは何の発展もなかった。
バラックを立て住み始めた人々に立ち退いてもらうことも必要がある。
息子の浜井順三氏は、突然押し入ってきた「立ち退き」反対の怪しい人々との等の口論が恐ろしかったと語っている。
襖を挟んで「奥さんが未亡人になってもいいのか」といった脅し文句が聞こえてきたこともある。
しかし、浜井市長とイツモ対立する立場にあった市議会議員は、浜井市長は誰よりも腹が据わっていて根性があったと語っている。
やくざマガイの人間に匕首(アイクチ)付けられようと、「どうしてもやらねばならぬのじゃ」といって広島の未来にむけた「都市設計」を開陳した。
そのうちに、ヤクザ達もその話に聞き入った。
浜井市長が「死んだつもり」で広島復興に賭ける姿は、癌宣告をうけて公園設立に命をかけた黒澤明の「生きる」の主人公と、オーバーラップするものがある。
浜井市長の思いは、広島の復興がどんなに日本にとって大きな意味を持つか訴えることであった。
それは、国から予算を引き出すための「戦略」でもあった。
1947年4月、公職選挙による最初の広島市長となり、同年8月6日に第1回広島平和祭と「慰霊祭」をおこない、「平和宣言」を発表した。
1948年から式典はラジオで全国中継されるようになり、この年はアメリカにも中継された。
1950年、平和記念公園を建設。朝鮮戦争の影響で、平和祭をはじめ全ての集会が禁止される中、パリにおいて、朝鮮半島での原爆使用反対を唱えている。
ところで、浜井市長の在任期間は、1947年~55年/1959年~67年であるが、途中「落選」をはさんだのは、理想的すぎると批判が強かった100m道路(平和大通り)建設計画の縮小・見直しを公約に掲げた保守系の渡辺忠雄に敗れたためである。
それでも、トータルで4期16年務めた。
1949年に制定された「広島平和都市建設法」は、当時の市民から「あまりに理想的」と批判をうけたが、現在の広島市を造る大きな基礎をつくる上で、この法律が果たした役割はキワメテ大きい。
「広島平和都市建設法」によって、広島市中区中島町に平和を祈念する公園(広島平和記念公園)の建設、同じく市中心部への幅員100m道路(平和大通り)の建設を打ちだし、現在の広島市の街並みの基礎を造ったのである。
この緑地を間に挟んだ道路建設は、広すぎるという批判を受けたが、交通のためではなく「防災の目的」であったことを強調している。
1968年2月26日、広島平和記念館の講堂で開かれた、第4回広島地方同盟定期大会に出席し、不動の信念と抱負を訴え終えた直後、来賓席に戻ると同時に心筋梗塞で倒れ他界した。62歳であった。
浜井市長は一貫して核兵器の全面禁止を訴え、「原爆市長」または「広島の父」と称されている。

冒頭の内田氏は、「経済的な」時間意識がドウシテ「政治プロセス」に入り込んだかという点について、グローバル化による「流動性」の加速化という以外には、特に「論及」されていなかった。
個人的には、その最大の理由は、「マニフェスト政治」にあるように思う。
ところで、政治と企業経営とは「本質的」に異なるものの、両者の間にいくつものアナロジーを見出すことができる。
政治は税金を徴収し国民に福利サ-ビスを提供し、その成果を有権者が評価する。
企業も出資金を集め製品(サービス)を作り顧客に利益を与え、その成果を最終的に株主が評価する。
利益が上がらなければ経営陣の入れ替えが行われる。
内閣(政府)は国会で信任を受けなければ、「内閣」は辞職するか、選挙で国民の信を問わねばならない。
株式会社では、当期の営業成績や決算報告を「株主総会」で公表し、その経営体制の存続如何が問われる。
政府の「マニフェスト」も、「営業成績」と同じように株主総会ナラヌ国会で、その「実効性」が評価され「政権」の存続如何が問われるこことになる。
従来の公約が抽象的なスローガンになりがちなのに比べ、マニフェストでは「政策の数値目標・実施期限・財源・方法」などを明示する。
近年、マニフェストにより政府の政策が「数値目標」として発表されるようになっため、政治プロセスとソノ評価が、企業社会に近似してきたのである。
従ってより政策の「実現度」を、ヨリ明確に評価できるようになったという利点はある。
今後、「何かやります」とか「後世に名が残る何かでかいことやります」とか「無難に任期までやりとげます」では通用シナクなったということだ。
政府も、企業が財務評価や利潤率など等しく、「客観的な」評価基準の下に運営されるようになり、「短期的」な成果で評価されるようになったということだ。
政権交代が起き、政策の大きな転換が起きた場合ナド、こうした「評価基準」は意味があることであるといっていい。
さて、会社の買収などが当たり前のように行われる企業社会にあって、「会社は一体誰のもの」ということが議論されるようになった。
欧米型の理念型に即していえば、株主や投資家の立場を重視して「会社は株主のもの」という見方が当然視されている。
企業の存在目的は利益の最大化であり、その利益は最終的には株主に帰属する。
もちろん、社員が仕事に対して「やりがい」を持って働くことや、顧客が会社から高い満足を得ることは会社にとって重要だ。
しかし、社員や顧客が重要なのは、彼らが会社に利益をもたらし、最終的に株主の利益を最大化していくれるからに外ならない。
ソコデ株主の利益を「最優先」し、社員や顧客の問題に対しては、株主の利益に沿って対処することが、会社として当然の行動である。
逆に言えば、株主の利益を損なってまでも、会社が社員に気をつかったり、顧客に利益を与えたりするのは、株式会社の「存在目的」に反するともいえる。
だから会社の事業内容の再編、経営陣や社員のリストラは当然、株主の考えに従って行われるべきだということになる。
つまり会社の経営陣や社員は、株主の代理人(エージェント)にすぎないということだ。
しかし、日本型の株式会社は現実にはこうした形態をとらなかった。
また株主からみて会社は「長期的利益」を目指すか、「短期的利益」を目指すかで「業績評価」が違ってくるが、日本型株式会社は前者を目指した。
マズ、「日本型」株式会社は株主の利益を最大化するダケの存在ではないことを示す「装い」をしている。
多くの会社の「定款」などには、事業を通して社会に貢献したい、という会社の設立目的が掲げられている。
「長期的」にみれば、社員がやる気を持ち、多くの顧客が高い満足を感じるような事業をする方が、会社の価値もあがる。
ソモソモ普通の人間は、「金銭的目的」だけのために働くことはできない。
会社の事業内容に、何か「公共的」な意義がなければ、社員は誇りをもって仕事ができなし、士気もあがらない。
そんな殺伐した雰囲気の会社に長居はしたくないし、まして人生を賭けようという気持ちは起きないであろう。
社員への投資をせずに、株主の利益になることバカリをやれば、長い目で見て実力をもった会社は育たない。
極端な例をあげると、株主が短期的な利益を目的として会社を売り払おうとすると、通常会社の内容は大きく傷つき、価値がソコナワレてしまうこともある。
だから、会社の経営は、「株主」の思い通りではなく、経営陣、社員、顧客の「総意」を汲んで行うべきだという考え方の方がよほど健全である。

コノタビの「参議院選挙」でいえば、今回の参院選の結果、自民党の大勝、共産党の躍進、公明党の堅調という結果であり、結局、党の「綱領」がシッカリした政党が「勝利」または「健闘」したといいわれている。
一時的な「機運」で党勢が伸びたような政党は、ことごとく低迷した。
こうした政党は、「綱領的・組織的に統一性」といった党をまとめる「芯」がなく、国民に「分裂感」が伝わったことも大きな原因であろう。
また、「若年層」の選挙が行かなかったこととも関係あるかもしれない。
少し前の若年層は、組織票に支えられた「既成政党」に対してNOをつきつけ、「新しい風」を期待する傾向があったが、ソノ若年層の意識の「受け皿」がなかった点が大きかったのではなかろうか。
ソレデモ、選挙に行った老年層が、行かなかった「若年層」への「資源配分」を考慮した政治選択をしたならば、ある程度若年層も救われる。
しかし、そうは思えないところが、今度の選挙が「シニカル」に思える点である。
人間の寿命は100年だから、最長では100年後に成果を見るという時間意識が考えられる。
100年とは長すぎると思うかもしれないが、子供や孫の時代に「成果」を見るくらいの「時間意識」の意味である。
昔は、子供や孫の為つまり「100年の計」のために「犠牲」を厭わないという意識があったのではなかろうか。
一方、「経済的な時間意識」というものは、政治的な時間意識よりもハルカニ短い。
会社の寿命も長くて30年くらいではなかろうか。
企業では、短期的には赤字だが、100年後つまり子供や孫の時代に「利益」が出せるといった「選択」はホトンドありえない。
企業活動は今期「赤字」を出してしまえば、「株価」が下がって資金繰りに窮して、倒産のリスクに直面する。
「100年の計」に投資する投資家はいない。
研究費でも補助金でも、長くカカッテ結果が不透明なものに対しては、オリようがない。
さて、近代化が進む中で、ヨーロッパでも日本でも同じように「国民国家」という、それまでは存在しなかっ た新しいシステムが育てられていった。
ソモソモ、人間はかならずどこかに「一元的」に所属しているというのは、近代社会の生み出した生き方のひとつである。
「私は○○会社に所属している」「私は日本人である」というような帰属感である。
これが国民国家のベースにもなっているのだが、グローバリゼーションはそういう「帰属感」をマスマス希薄化していくに違いない。
民主党政権の「決められない政治」への反動だろうか、「スピード感」などという、政策の内容と無関係な語が政治過程におけるプラス評価して語られるようになった。
こういう時間意識の変化には、グローバル化によって「過剰」に流動的となり、「国民国家」意識が希薄化していることと並行しておきている。
結局、グローバリゼーションの進展は、「国民国家」という幻想が剥がれ落ちていくプロセスでもある。
人々がノマド的(遊牧民的)になったとすると、国から引き出せるものは早く「頂いて」おこうという意識しか育っていかないのではなかろうか。
まして、次の世代に何かを「残そう」ナドといった意識は失われていく。
結論をいうと、日本の「企業観の変化」が、政治の「時間意識」をモ変化させたということである。
その背景には内田氏のいうごとく、グローバリゼーションの進展による「流動性」の加速化ということになろう。
昔、日本人の企業経営は色々批判はあろうが、相対的に「従業員」の福利を重視していた。
そこには、経営を終身雇用や年功序列というもので代表される「長期的な視野」で捉える「家族的経営」というものがあった。
ところが、近年の企業経営は「株主主体」となり、労働者に正社員と派遣社員の区別があるなど切捨ても容易であり、「短期的成果」ダケを求められるようになった。
そうした企業の短期的視野が、「マニフェスト」政治などをキッカケに、いつのまにか政治にもとりいれられるようになったということではなかろうか。
というより、企業観の変化が国民の意識を自然に変えたと言った方がよいかもしれない。