創造的コラボ

高杉晋作の辞世の句「面白きこともなき世を面白く」というのがあった。
確かに、この世の中ソンナに面白いものではない。
しかしアエテ、世の中を「面白くしている」ものを探せば、個人的には最近の「コラボレーション」が浮かぶ。
コラボレーションとは、複数の立場や人によって行われる協力や連携のことで、芸術や文化面での「コラボ」は色々な「面白い」姿や形を見せている。
最近では、松任谷由実の曲「ひこうきぐも」が宮崎駿のアニメ「風たちぬ」に使われたのも面白いコラボであったと思う。
溯って1980年代、久保早紀「異邦人」は、シルクロードを背景とした企業のイメージ画像とコノ曲が「コラボ」したことが大ヒットに繋がったといわれる。
「コラボレーション」という言葉は、1990年代末頃から、経営・情報の分野でもよく用いられるようになった。
企業間や部署間のコラボレーションを推進するための高度な「情報技術」が、次々に導入されるようになったからである。
複数企業の共同作業による商品を表す場合、これを「コラボレーションモデル」とか「コラボレーションアイテム」などと表現する。
例えば、キティーちゃんマークの文房具とかスニーカーなどが、コラボレーションモデルと呼ばれる。
だが、何でも共同することをすべてコラボレーションというと、「コラボ」本来の意味合いは薄められてしまいそうだ。
コラボレーションの語が用いられる場合、そこには「意外な組み合わせ」があって、ソコニ「付加価値の創出」というニュアンスが込められるということであろう。
そして最近のインターネットの記事には、今日の「コラボレーション」による「付加価値の創出」を象徴するような次のような記事が出ていた。
//株式会社レイジースーザンは、9/22(日)、23(月・祝)に東京芸術劇場コンサートホールにて行なわれる、東京フィルハーモニー交響楽団と倉木麻衣さんのコラボライブで、好評だった昨年に引き続き、倉木さんとのコラボレーションによる、オリジナルブレンドのアロマオイル2種類と、オリジナルミュージックグラスを販売いたします。
アロマオイルは、倉木さんがセレクトしたオリジナルブレンドで、優美でリラックス効果のある香り「ネロリ」とフローラル調の優しい香りが広がる「ラベンダー」の2種類。
ライブロゴがプリントされた重厚感のあるグラスは、携帯電話や音楽再生機器を入れると音が反響しスピーカー替わりとしても楽しめます。
オーケストラと心地よい歌声を堪能できる「Symphonic Live -Opus2」をイメージした、ゆっくりと音楽を聴きながらくつろぎたい時にぴったりなアイテムです。//
ところで個人的に思うことは、コラボレーション・モデルに最近「身体性」が加わっていることである。
ここで「身体性」とは「体の一部と化する」ということを意味する。
そうした要素をもつコラボ製品を勝手に「ハイパー・コラボ・アイテム」とよびたい。
そういう意味では、スマートフォンも様々なアプリを導入することによって、メール、映画、音楽、地図情報に、カメラにもナンにでもなることができる。
一息つけば、何はトモアレ、スマホの画面を見るという人が多くなっている。
大きさもポケットにも入るサイズなので、肌身離さず「体の一部」にさえなっている。
そういう意味で、スマホも「ハイパーコラボモデル」の代表格といってよい。
しかし最近のニュースでは、技術的なコラボレーションによってさらに「身体性」を増したようなモノが登場している。
例えば身障者向けあるいは介護向け補助装置をまるで「ウェア」のように身につけて自由に動くことができる。
こういう製品はおそらく介護用ロボット製作会社が多分野の会社とのコラボによって実現したモノであろう。
また最近驚いたのは、「メガネ」に情報機能をつけたもので、映画「ターミネーター」のような世界が「現実化」しているということである。
その専用のメガネを掛けていると、例えばカーナビのように実際の道に矢印が表示されたり、目線と同じ動画撮影ができたり、口コミのあるレストランの前を通るとそのグルメ口コミ情報が表示されたり、外国人と「同時通訳」をしてくれたりするわけだ。
電卓機能との連想で時計とコンピュータ機能が結びつくの比較的考え安いが、メガネとコンピュータ機能のコラボは斬新であった。
そのうち靴やバンドにコンピュータ機能をつけるとか、耳掻きとか毛抜きとかにコンピュータ機能をつけるとかいうこともアリウルのではななかろうか。

最近の企業の製品開発におけるコラボレーションは枚挙にイトマがないが、コノ世の中ちょっとした「コラボ」で人を楽しんだり豊かになったりするのではなかろうか。
ハウステンボスで「九州一花火大会」を見にいくと、花火と和太鼓やクラシックなどの「共演」で、従来見た「花火大会」と違うカタチを楽しむことができた。
同じ会場では「大道芸」もあっていたが、パフォーマーが3本のバトンに1個のルービック・キューブをいれて「お手玉」するうちに、キュービックの一面を一つの色に合わせるというパーフォーマンスがあっていたが、これは二つの技をコラボさせることによって人々を楽しませることが出来たものである。
さてコラボーレーションの中には、ナルホドとうならせるようなものがある。
以前、NHKの美術番組で、いわさきちひろの「絵画」と、小林一茶の「俳句」のコラボレーションが紹介されていたことを思い出す。
子供を詠った俳句の多い一茶と、懐かしい子供の姿を絵にしたいわさきちひろ作品は、絶対に相性がいいはずだが、今まで誰もそれを本格的にやった者がいなかった。
作品をほんの一部だけを見たが、なるほどとうならざるをえない。
俳句と絵のマッチング具合で、絶妙にコラボレ-トすることは間違いなしである。
またあるバイオリニストが、演奏の背景に「いわさき作品」をスクリーンに映し出して流すというコラボをやっていた。
例えば、昔なつかしい故郷の風景を奏でるような音楽には、いわさき作品はピッタリの感じがある。
こうした絶妙な「コラボ」もある一方、まったく違う分野の人が行う「意外性」のコラボレーションのケースがある。
演歌歌手とDJとか、書道家とタップダンサーとか、ロックミュージシャンと料理人とかいうものもある。
つまりコラボするというもの中には、既成の観念を打ち破って一端「カオス」をつくるという意図が込められているのかもしれない。
カオスの中で、「新しい自分」を発見し、ソレヲを表現していこうという方向性である。
「カオス」が生み出すものについては、かつてMITラボの所長が語っていたことを思い出す。
MITメディアラボは、米国マサチューセッツ工科大学建築・計画スクール内に設置された研究所である。
主に表現とコミュニケーションに利用されるデジタル技術の教育、研究を専門としており、1985年にニコラス・ネグロポンテ教授と元同大学学長のジェローム・ウィーズナーによって設立された。
2011年、日本の伊藤穰一氏が、MITメディアラボの第4代所長に選出され、時々マスコミでも登場さえている。
メディアラボでの研究は、特に「学際的」な研究に焦点を当てている。
中心技術に直接関わる研究ではなく、技術の応用や、斬新な方法による統合分野を開拓している。そのためメディアラボのプロジェクトの多くは、芸術的な性格を持っている。
カオスに生きることはマイナスではなくプラスであり、「創造」に変えうる力だと「カオスに飛び込め」というのが、昨年マサチューセッツ工科大学の「イノベーションの殿堂」と称されるメディアラボの所長に就任した伊藤穣一氏である。
伊藤氏は日本におけるインターネットの普及に非常に大きな貢献をした人物ではあるが、驚くべきことはに伊藤氏は卒業した大学とてなく、「博士号」とてもない。
親しい人々からはDJをしていた体験からJoiと呼ばれることサエある。
高橋氏は1966年、学者の父と岩手の名家のお嬢様である母のもと生まれた。
父は京都大学にて化学を研究し、師はノーベル化学賞の福井謙一であったため、幼いころから家族ぐるみで付き合いがあった。
福井教授が伊藤を散歩に連れて行った時、葉っぱが木から落ちて川に流れる姿を見て、カオスのように見えるの中にも秩序があるといったことに、自分の進むべき道を予感したという。
伊藤氏は自らを異質なものを結びつける「コネクター」と位置づけているが、それは高橋氏が送った「カオス的人生」と深く関わったものだと推測できる。
3歳のとき、父の研究の関係でカナダへ移住し、さらに5歳のとき、父がECD社()で研究者として働くためアメリカはデトロイトへ引っ越した。
ECD社とは高校を卒業するまでに技術特許を1500も取得していたという天才、スタンフォード・オブシンスキーが社長をやっており、社員の7割が博士、ノーベル賞受賞者もたくさんいるような会社なのだそうだ。
伊藤氏は13歳のとき、このECD社でアルバイトをするようになり、1979年にここで初めてコンピューターに出会う。
独学でコンピューター言語を覚え、知らず知らずのうちに部署の社員よりもプログラムが書けるようになっていたという。
父親と母親は離婚したが、母は生活のため、父の勤めるであるECD社にて「秘書」として働きはじめるが、今度は母の方が能力が認められ、人事部長→役員→副社長と出世した。
まさにカオス的家族である。
伊藤氏が15歳のとき、日本法人の社長という待遇で母が日本に戻るタイミングで一緒に帰国し、インターナショナルスクールへ通った
帰国後すぐに、アップル2を購入し、コンピューターゲームにはまり、ゲームをコピーするためにソフトのプログラミングの勉強に没頭した。
8歳のとき、コンピューターやネットワークの本場で学んでみたいと思いアメリカの大学を志願した。
行くならハーバードかスタンフォードと思っていたが、成績が足らずタフツ大学に入学した。
しかし、大学がおもしろくないとの理由で1年で退学して帰国後、することもなかったため、再度アメリカに戻り、父のいるデトロイトのECD社に社員として働きはじめる。
しかし、シカゴ大学物理学部に入学して最初は猛烈に勉強するが、後に自分の目指す方向と違うことに気づき、クラブのDJにはまった。
そして、本格的にDJをするために、再度大学を退学。クラブのヘッドDJとなり、1年間クラブを経営する。
伊藤氏によればネットワーク時代、面白いアイディアがあれば、それがやるに値するかどうかを、時間とコストを使って調べるくらいなら、不十分でもいいから、トリアエズ始めたほうが、コスト的にもずっとリスクが少ない。
とりわけ、日本企業は失敗をあまりに恐れるために、上手くいくかどうかを調べることに力を注ぎすぎ、それでは時間の無駄であるばかりか、格好のタイミングを失ってしまうのだという。
伊藤氏自身、東日本大震災後に、メールやスカイプで世界中の友人に声をかけ、世界中の放射線を共有できるプロジェクトSafecastをあっという間に立ち上げている。
ECD社を退職した母はNHK関連の仕事をしており、その関係で伊藤氏はハリウッド映画のアシスタントとしてLAで3ヶ月ほど働いた。
この時期にコンピューター・グラフィックスと出会い、コンピューター・グラフィックスの仕事をするために、LAと日本を行き来する生活となった。
1993年、アメリカのプロバイダ会社が日本でのインターネット接続回線のテストをしたいと頼まれ、伊藤氏の自宅兼事務所に専用回線がひかれ、通信料はすべて無料の使い放題で、同年夏、事務所のコンピュータすべてインターネットが使えるようにして、自分たちのホームページを制作し、インターネットビジネスを開始した。
今、社会が急速に変化し、カオス化する現代である。
常識を覆すような革新が求められる中で、伊藤氏はマトモに専門の大学教育さえうけていないにもかかわらずMITメディアラボの所長に抜擢された。
伊藤氏は、以上の経歴のようにクラブDJで生計を立てたり、IT企業を創業したり、投資家やNPOの代表など多様な分野で経験を積んできている。
伊藤氏の「異能」は、異分野の人と人をつなげる「コネクター」としての力であるといってよい。
これまで接点がなかった分野を融合させ、そこに新たな価値を生み出す人物として期待されてたからであろう。
伊藤氏は、小さい頃から本や学校で学ぶタイプではなく、人に会って話しを聞き、自分で実際にやってみて、経験から学ぶタイプだったそうだ。
伊藤氏にとって、既存の大学教育のあり方とその生きかた必ずしもマッチせず、大学のような「狭い世界」では飽き足らなかったのかもしれない。
伊藤氏イワク「自分ができるよりも、できる人を知っていることに価値がある」。
世界中を見渡してコノ人とアノ人を結びつけたら、きっとイノベーションが起こるにチガイナイと予測する。
というわけで、伊藤氏はMITラボの所長になってからも、ボストンにいるのは稀で、毎月地球を数周して、世界的な頭脳のコネクター役となっておられる。

産業、学問、芸術を問わず分業化がすすみ専門性が特化することが産業社会であった。
しかし、IT技術の発展はある意味「ポストモダン」の社会を構築しつつあるのかもしれない、と思う。
すなわち異分野や異能が融合することによって新しいものを生み出す社会ということである。
したがってポストモダンな「コラボレーション」とは、単なる協力ではなく、「響きあう異なもの」というあり方の追及、またはその実現行為であるとみることもできる。
響きあうからには、相互に「距離」があった方が面白いということである。
よく考えてみると、日本的芸術は、俳句、俳画などにみるように、余計なものをできる限り削ぎ取った表現を追求してきた。
つまりふんだんに「余白」や「間合」や「行間」をとっているので、案外「コラボレーション」は、日本の文化的土壌と相性がいいのではないか、という気がする。
つまり互いの余白に己の表現を滑り込ませ、その「重なり具合」「響き具合」を楽しむという趣向である。
人を文章や画像で表現する際に、ある人物を浮き立たせるためには、別の人物をブツケてみるというのが、「人の描き方」のひとつの方法である。
同じ世界の違う性格の人物をブツケてみたり、違う世界の似た性格の人物をブツケたりして、人物像の特質が浮かび上がってくるということがある。
例えば美術の世界で、仮にゴッホとゴーギャン二人の天才をブツケたらどう描けるかナンテ思う人がイルかもしれない。
しかし、この二人が実際に「共同生活」したことがあったのである。
現実生活に「コラボレーション」がおきていて、溶け合ったり威嚇しあったりして、「創造的」であると同時に「破壊的」でもあった。
ゴッホはゴーギャンの描した「ゴッホ像」に傷つき耳をソギ落としたくらいである。
「芸術的人格コラボ」とでもいえそうだが、異質なものをぶつけると創造的になるというのは、「悪妻が芸術家を生む」というのも、そういうことと関係があるのかもしれない。
この場合、「コラボレーション」というよりも「偶然のバッティング」というべきか。