税の網目の中で

我々は、法律の網の中に生きているとよく言われるが、同時に「税」の網の中ニモ生きている。
日常的に使用しているガソリンの税金ひとつとっても、それが道路財源に響き「建設業界」の取り分の大きさをきめ、政治資金への影響も甚大である。
「借家」にかカカる税金を変更すれば、オフィスの供給水準が変わり、都心の地価に大きな影響を与え、「街の風景」も全然変ってくる。
農地の「軽減税率」を少しでも重くすれば、宅地供給が増え住宅建設に影響を与え、それが様々な資材や家電業界にも影響するというわけである。
要するに我々は「税負担」に限らず、税の網目の絡みの中で、気づかずに恩恵を受けることもあれば、損失を受けたりもしているのである。
ソンナ中、誰しもが「税は公平に」と考えるが、何が税の公平かについてサエ「社会的合意」得ることはキワメテむずかしい。
極端な公平をネラッタ税制であっても、それで全体の取り分が縮小してしまってはモトモコモない。
また、ドンナニ「税負担の公平」を求めても、その「経済効果」までも公平(中立)というわけにはいかないのである。
結局、様々な利害関係をもつものが政治勢力と結びつき、少しでも「取り分」を増そうというセメギあった末、そのオトシどころが今日の税金の姿といえる。
つまり税金は「政治の産物」、いいかえると「力関係の産物」なので、税にソレホド「公正さ」を期待すべきものではないかもしれない。
ところで財政には「公共財の供給」、「景気の調整」、「所得の再分配」という機能がある。
最近強く思うことは「所得の再分配」機能が著しく「逆行」していることである。
「所得の再分配」とは所得の「平等化」を図るため、本来は「富者から貧者へ」と所得が移転されるものである。
しかし、最近の「再分配」は「貧者から富者へ」という流れ方が目立つように見える。これを「所得の逆分配」ということにする。
たとえ「所得の逆分配」でも、プラスの経済効果があれば救われるのだが、それさえも見当たらないものもある。
例えば、最高税率70パーセントだった相続税が50パーセントに引き下げられた。
最高税率70パーセントとは、最低でも6000万円以上ないとカカッテこない税金である。
ここで減税したところで消費も投資も増えるわけでなく、富者の貯金がサラニ増えること以外にドンナ「経済効果」もない。
「富者を肥えさせる」ダケのための減税ならしないほうがよい。
また今問題となっている消費税は、「所得の逆分配」のサイたるものである。
それはカツテあった「物品税」と比べればよくわかる。
消費税は、生活必需品にも「ぜいたく品」にも同じ割合でかかる税金なので、相対的に貧者に大きな負担のカカル「逆進的」 傾向をもつ税金であることは、誰しもが知るところだ。
1989年に「消費税」が導入される前に、日本には「物品税」というものがあった。
これはあくまでも「ぜいたく品」にかかる税金で、現在の消費税総額の「20パーセント以上」の税収があった。
なにしろゼイタクしなければカカラナイ税金だったので、貧者を苦しめることのない税金だった。
少なくとも、「ぜいたく品」から税をかけようという健全な意識はアッタのだ。
したがって、「ぜいたく」の範囲を「プチぜいたく」まで拡大すれば、現在の消費税並みの「収入」は得られたに違いない。
消費税率を上げるくらいならば、かつての「物品税」の裾野を広げる方が、ヨホド健全ではなかったろうか。
また消費税とともに廃止された税金に「特別地方消費税」というものがあった。
高級料理店にかけられていた税金だから、高いものを食べなければかからない税金である。
これも「消費税」導入より、地方から国に税収が「委譲」されたので、「特別地方消費税」も廃止されたものである。
一方、消費税は、前述のように貧困者に「負担」が重くなるため、欧米では生活必需品については軽減措置をとっているので、ソコマデ「逆進的傾向」をもたずに済んでいる。
もっとも10パーセント以上もの消費税がかけられている国では、そこを配慮しなければ不満が爆発するだろう。
例えば、食料品は「消費税なし」か「軽減税率」が適用されている。
例えば、カナダではドーナツ5個以内は外食とみなされ、6%の消費税がかかるが、6個以上買うとその場では食べられないとされ、「食料品」となり消費税はかからない。
ドイツではハンバーガーをお店の中で食べると、外食とみなされ19%の消費税がかかるが、テイクアウトにすると、食料品とみなされ消費税は7%で済む。
イギリスで、チョコつきのクッキーは贅沢品とみなされ、17、5%の消費税がかかるが、チョコがついていないと消費税はかからない。
というような具合で、消費税については細かい配慮の下でなんらかの「軽減税率」が適用されているのである。
日本でも欧米並に消費税が10パーセント近くになれば、適切な「軽減税措置」が喫急の課題となっていくことが予想される。
また「所得の逆分配」の観点からみて大きな問題は、たくさんの派遣労働者やフリーターの存在である。
実は彼らの存在は、「社会保険料」の引き上げや「消費税」の導入と大いに関わっているのである。
社会保険料というのは、企業と社員が半々負担するものであるが、社会保険料というのは「段階的に」引き上げられている。
企業側からすれば、社会保険料の必要がある正社員をナルベク減らしたいという「誘因」が働くことになる。
また、消費税は消費者が払うものという錯覚を抱くが、本来は企業が払うもので、製品価格にソノ分を「上乗せ」して消費者に税負担を「転嫁」しているにすぎないのだ。
それでは企業はどんな計算のもとで「消費税」を払うかというと、「意外な」事実が浮かびあがる。
「売り上げ1億円ー経費8000万円=利益2000万円」の企業を考えてみよう。
ただしこの企業の経費8000万円のうち、人件費が3000万円とする。
法人税や住民税は、利益の2000万円にかかる。
一方、消費税は「(利益2000万円+人件費3000m万円)×消費税率0、05」で求められる。
なぜ人件費をプラスするかというと、経費のうちで材料などの仕入れには消費税を支払っているが、人件費には消費税がカカラナイ部分だからである。
上記の式からわかるように結局、人件費3000万円に「消費税」がカカルので、企業は人件費を少しでも抑えようとする。
その結果アウトソーシング会社を利用して、派遣社員やアルバイトを多用するのである。
またあまり目立たないが、「退職給与引当金」が廃止されたことも大きい。
退職金引当金というのは、社員に退職金を払うためにお金を積み立てていき、積み立てたお金は「計上」できるというものである。
会社は「退職給与引当金」がなくなると、会社は退職金を貯めておくことができない。
退職金をアラカジメ用意できないということは、退職者が出たときに一度に多額の支出が必要になる。
その結果、退職金を廃止したり減額する企業が急増した。
そこで退職金の必要がないアルバイト、パート従業員を多用することになったのである。
正社員が減り、派遣アルバイト、パートがふえるということは、税制を通じて「所得の逆分配」が起きていることの「顕著な表れ」である。

最近のニュースで、韓国では「美容整形」に10パーセントの課税されることになり、駆け込み「整形」が増えていると聞いた。
個人的には、自分の生まれながらの顔を変えるナンテことに対しては、モット「課税」してしかるべきかと思う。
しかし金持ちは美しくなれるのに、貧者は「美しくなれず」、玉の輿に乗る「チャンスの芽」さえ失うということになれば、大きな反発を生むのかもしれない。
しかし、人間の本質的な欲望については、税金がアマリ高くなるなれば「闇」が繁盛するにキマッテいるから、税金ダケではどうすることもできないのだ。
それでも、ある種の税金の中には「生活習慣」や「価値意識」を見直そうといった「啓発的な」ものも見られる。
日本でもギャンブル性の強いトランプや花札を購入する際に課された「トランプ税」なども、ある部分「啓発的」(生活指導的)要素もあるのか、と思う。
フランスの「農薬税」のような環境や食の安全を守ることを謳い文句にした税や、イタリアの「ポルノ税」のように治安や風紀を守る名目で設けられる税が増えている傾向にある。
面白いものに、ヨーロッパ諸国やアメリカなどでも「ポテチ税」の導入が検討されているという。
「ポテチ税」とは聞きなれないが、ポテトチップスを含むスナック菓子や清涼飲料水などが課税対象である。
ハンガリーで実施されている「ポテチ税」の場合は、男性の4人に1人が肥満といわれているハンガリーの「肥満対策」でもある。
またイギリスの「渋滞税」は、ロンドン中心部の渋滞が多いエリアに自家用車で乗り入れる際に、1日8ポンド課税されるというもので、これによってイギリス・ロンドン市内の深刻な渋滞を解消するためのものである。
スウェーデンの「海賊税」は違法コピーによる「著作権保護」のためのものでCDーRなどの記録可能なメディアを購入する際にかかる。
また、ブルガリアでは、少子化対策なのか独身者から収入の一部を徴収する「独身税」などもあるらしい。
さらに、ロシアでは国家のイメージの「一新」するためか、ロシアの風習の象徴ともいえる「ひげ」をなくすために制定された「ひげ税」がある。

ところで、ナチスがユダヤ人の子供達に行った「恐ろしい実験」がある。
ユダヤ人の子供達から徹底的に社会性を奪い取ることによって命令通りに殺人を犯す「殺人マシーン」を育てようとしたことだ。
その子供達には普通の子供達以上の栄養を与えながらも、母親には「お面」などをカブセて生活させ一切の人間的コミュニケーションを「排除して」食事だけを与えて生活させたのだ。
こうした子育てを行わせた結果、多くの子供は生存することなく死んでいった。
実は人間は、母親が目を合わせる、名前をよぶ、赤ん坊に微笑んだり頬ずりをしたりする、などして広い意味でのコミュニケーションをはかることによってその生命力が維持されているのである。
このエピソードから得られる逆教訓は、「人間生命の社会性」ということである。
つまり人間の生命力は内側に単独に存在し得るという考え方の否定であり、生命力という能力でスラ個人の自然性(素質)ダケでは育たないということである。
中世まで世界各地に「人頭税」というものがあった。
日本では古代律令制のもとで良民・成人男子一人あたり「稲二束二把」という形でかけられた税金である。
土地や生産物ではなく人間の「頭数」にかけられるという点と、富者も貧者も存在という点で等しく課税対象になるため、貧乏人にとっては著しく不利な「逆進税」となることから「悪税」そのものといってよい。
この「悪税」たる人頭税の正統性をあえて探せば、王制(または天皇制)のもとで土地は王の私有物、人民も王の私有物という意識があり、人間が存在する事は王や天皇の「恩恵」に与かることであり、その威光の下にある人間は「人頭税」を取られるということに対して、文句はいえないということなのだ。
人頭税は「頭数」にかけられるという意味だが、もう少しソフトに人間の存在にかけられる「存在税」といいかえられる。
民主主義の今日の人々は、天皇や王への「恩恵の念」はない。
しかし、人間の存在という事がきわめて社会的なものであり、社会から多くの恩恵を得て存在しているとするのならば、人間は自らが「負って」いるものにもう少し意識が向いてもいい。
実際にそういう意識で、「ボランティア」などで世の中に返そうという人も少なくないに違いない。
つまり人間が様々なもの負って存在している以上、「存在税」にも一分の理があるのだ。
もちろん人間に「存在税」をかけよナンテいう暴論を吐くつもりはない。
これからの高齢化社会にむけて若者世代にはナンデ自分達が老人の負担をソコマデ負わねばならぬかという不満も出よう。
しかし現役世代の今日の生活が、老人世代の築きあげたものに「負って」いることが大きいことにも目を向けてはドウカ、ということである。
もちろんイイコトばかりではないが。

最近NHKテレビで「新富裕者」という番組があっていた。
「新富裕者」の特徴は、金融知識とIT技術をもって非常に短期間で莫大な収入を得たものであり、若い年齢層の割合が高いのが特徴である。
彼らは、自宅に設置した幾つかのコンピュータ画面を同時に見ながら、金融取引している。
率直な印象をいえば「働いている」というより「ゲームにイソシンデいる」ようにしか見えない。
もっとも本人達にスレバ「身を削る」ように働いているということかもしれない。
精神的・知的負荷はどうあれ、少なくとも「汗水たらして」働く労働とは違うように見えた。
また彼らの特徴は、少しでも「税金」の安い国に居住地を移す傾向があり、番組ではシンガポールやバハマに居住地を移した人々を追っていた。
彼らが居住地を変えることの理由は、自分たちは一日中働いているのに、たくさんの税金をとられてドウシテ働く意思サエないものを養わねばならないのか、納得がいかない。少しでも税金が安い国に行きたいというわけだ。
ところで資本主義経済の特質は、「私有財産制」「市場経済」と「商品経済」ということになどであろうが、中でも「私有財産制」の確立は人類史上最も大きなエポックであったといてよい。
経済人類学のポランニーが指摘するように、人間の労働力の商品化と土地のの商品化は人類史上における最も「突出」した出来事であったといえる。
それまでは「社会性」や「共同性」が強く一人の人間の判断だけではどうすることもできなかった土地や労働が「析り出され」て商品となったのである。
そして最近では「知的所有権」という言葉に表わされるように、労働力の商品化とは一段違う「能力」や「知識」の商品化ということもおきている。
さて、英語で所有を意味する言葉は、「have」「possess」「own」などいくつかある。
この中で「own」という言葉は所有を意味するが、「所有」以外にも「負う」という意味もあるのだ。
親が子供によくいう言葉に「誰のおかげで大きくなったと思ってんだ」という言葉があるように、人間が自分の「所有」と思い込んでいるものが、実際には他者に相当「負う」ているものが非常に多いということである。
市場経済のもとで労働力や知識が「商品」として売り買いされるなかで、自分の健康や能力などを完全に「自己形成」だと思い、どう利用しようと自由であると思いがちであるが、実はすべての「所有物」の形成史をヨクヨクたどっていけば、市場の外部または他者に負っている部分が大きいのである。
いかなる天才といわれる人の能力にせよ、親やコーチや自然環境などの「外部経済」つまり金銭をともなわない働きかけをもって「開花」しているのである。
それでいうと、地盤・看板・カバン(お金)を引き継ぐ「二世議員」なんて「地盤引継ぎ税」なんかをかけるべきだ。
前述のNHKの番組によると、新富裕層達は同じタックス・ヘイブンの国にあつまるので自然に「サークル」ができる。
そこに住む住民も彼らの存在をよく知っており、彼らは全員フェラーリで「群れ」をなして街を走行するのを楽しみとする。
各人が車を10台以上持っているのに、フェラーリに乗るのが会員証明みたいらしい。
「お金持ち」のデモンストレーションみたいだが、正真正銘の金持ちがソンナことをするとは思えない。
また彼らの特徴は、「税金対策」のために簡単に自分の生まれ育った土地を捨てられるという点である。
最後に彼らの1人である日本人が語った「一生この仕事を降りるわけにはいかない」という言葉が印象的だった。
会社や役所から一生逃れられないというのならマダしも、自立して仕事をして一生を楽に生きるダケの財産を築いた人にしては、意外な言葉だった。
そういえば「possess」いう言葉は「所有」という意味であるが、もうひとつ「とり憑く」という意味がある。
「持ちもの」にとり憑かれて、自由を失ってしまうということはアリソウな話である。