実用か美学か

なぜ憎まれたのか。大相撲の朝青龍と自動車のトヨタには共通点がある。
日本の国技の世界に入った朝青龍は圧倒的に強かったばかりか、強さゆえに日本相撲の「美学」を踏みにじったこと。
敗者へのいたわりに欠け、荒っぽく、土俵上でガッツポ-ズし、稽古時には荒手のワザで若い力士に怪我を負わせた。皆でやるはずの巡業稽古もで休んでサッカーに興じ、日本の伝統と文化を体現する大相撲の様式をシバシ逸脱した。
土俵上の立ち居振る舞いの中に、馴染んできた大相撲とは異なる要素を見つけると、不快な思いに駆られたばかりではない。そんなモンゴル出身の朝青龍が日本の国技の頂点にあったということ自体、日本人の誇りを傷つけた。
その意味では、アメリカ自動車業界におけるトヨタと似かよっている。
自動車の開発は、そのプロセスにおいて、国民のナショナリティと文化的オリジナリティを背負って開発されたもの。
フォードの大量生産は、アメリカ的合理性と効率性追求の産物であり、「キャデラック」というバカでかい自動車は富と成功のシンボルであり、アメリカンドリームの象徴であった。
アメリカの夢とか愛情が自動車の中に結晶されているということであり、 自動車生産は、いわばアメリカの「国技」だったといっていい。
一方の日本車は、燃費から乗り心地まで、その製品開発において「消費者の実用」に徹し、相手国の事情に合わせて作られたいわば「無国籍車」だった。
そんなクールな車が、GMやロ-ルスロイスのオリジナリティを市場で打破していった。
それはアメリカのナショナリティやオリジナリティを傷つけたということでもある。
この点で連想するのは、日本の柔道の「美学」が、無国籍の「JYUDO」の強さによって踏みにじられつつある点である。
人の誇りやシンボルを大切にする生き方を「美学」とするならば、無駄を省いて勝ち負けに徹する生き方を「実用」に置き換えてもよい。
朝青龍もトヨタも「実用」に徹することで、相手国の「美学」を傷つけた点で嫌われた。
朝青龍もトヨタもその代償を払わなければならなかった。日本において朝青龍の行動は逐一非難の対象となり、アメリカにおいてトヨタは、根拠が薄い「欠陥車騒動」でバッシングを受けた。
朝青龍もトヨタも嫌われたが、「嫌われ者同士の戦い」とえば、アメリカ大統領選挙。第三回の討論対決に至っては、中途から完全に中傷合戦に入り込み、なんら「生産的」な討議ではなかった。
さて、日本には「武士道」というものがあって、相手の弱点を攻撃しない、少なくとも傷ついたところは狙わないという「美学」があるが、アメリカにはヨーロッパから伝わった騎士道精神のようなものはないのであろうか。
大統領討論会は、少なくとも「美学なき戦い」であったということができる。
まずは、討論のはじめに握手をしないというのも、前代未聞だという。
握手のルーツは互いが「手のうち」にいかなる武器をもっていないことを確かめ合うことで、フェアな戦いをするという互いの意思表示でもある。
しかも、マスコミによってすでに明らかになっている新味もないスキャンダルを持ち出してきて批判しあう図に、「ゲスの極み」という言葉が多い浮かんだくらいだった。
互いに多少の「美学」があるなら歩み寄って、国民が望んだ「政策論議」で優劣をつけるフェアプレーに徹しようぐらいの気持ちを最初の「握手」にこめて欲しかった。

アメリカという国には、フェアプレーという「美学」があるが、それよりも「実用」を重んじる国である。
最近の「肉体絞り」のコマーシャルにいうとおり、「結果にコミットすること」ということなのだ。
さて、「実用主義」すなわち「プラグマティズム」は、アメリカ社会において何時ごろから根付きはじめたのだろうか。
「ベンジャミン・フランクリン」。この人物の名前ぐらいは聞いた人は多いと思うが、さて何をした人なのか、それを一言で表わすのが、これほど難しい人も珍しい。
フランクリンは大統領でもなければ、英雄でもなければ、まして聖者でさえもない。
それでもこの人物がアメリカを体現している人物であることに異論はない。つまり、フランクリンを知ることは、アメリカという国を解き明かすことでもある。
フランクリンは、貧しい生い立ちから明確な目標と強い意志でアメリカン・ドリームをものにした人物である。
個人的にフランクリンを「ミスター アメリカ」とよびたい理由は、彼が「何をなしたか」より、彼が抱いていた確固たる「原理」の中にあるといってよい。
それを一言でいえばプラグマチズム(実用主義)。
プラグマチズムにおいて、行為や制度の良し悪しは、それによって生じる「結果」によって判断される。
したがって「結果」を手早く生み出す効果や有用性が重視される。
したがって彼が目指す「幸福」という結果に結びつかないものは、できる限り排除するという「自己抑制」を自らに課している。
ベンジャミン・フランクリンはイギリスから移住してきたロウソク職人の家庭で15番目の子どもとして生まれた。
10歳で学校教育を終え、12歳には印刷出版業していた兄のもとで見習いとして働き始める。
そのうち兄と喧嘩別れしてボストンを出て、その後の3年間、ニューヨークやロンドンなどを転々。
1726年にフィラデルフィアで印刷業を再開し、アメリカ初の「タブロイド誌」を発行する。
ただフランクリンは、貪欲に成功をめざしたわけではない。どうやら彼のめざす「幸福」の要素には、公(おおやけ)につくして人々から尊重されることも含まれていたようだ。
1727年、フランクリンはフィラデルフィアに「ジャントゥ」と呼ぶ青年会議所の先駆とでも呼べる組織を結成した。
ジャントゥ・クラブは、消防隊の組織、夜警団の組織、外灯会社の設立、道路舗装組織などフィラデルフィアの地域改善のための施策を次々と実行していった。
特筆すべきは、彼自身の学歴が「小学校卒業」にとどまっているのにもかかわらず、フィラデルフィア・アカデミー(後のペンシルベニア大学)やアメリカ初の公共図書館を創設している。
何ごとも彼自身の体験と独学でから学んだフランクリンだけに、学校や教育への思いが強かったのかもしれない。
その一方で、学校で勉強しなかった分、発想が自由だったようで、「サマータイム制」を提案したりしている。
しかし彼の名を世に知らしめたものは、なんといっても処世訓・格言集「貧しいリチャードの暦」(1734年)である。
当時、印刷所はカレンダーをつくって売っていたが、たくさん売れるためには独自性を出さなければならないと、知恵をしぼった。
そこでカレンダーの余白に「格言」を印刷することにした。聖書をはじめとするいろいろな本から、「人生訓的」なものを探し出してカレンダーを埋め、足りなかったら、自分で「処世訓」をつくった。
そうして出来上がったのが「貧しきリチャードの暦」というカレンダーである。このタイトルには、この格言を守れば、誰でもが成功者になれるということを意味を込めている。
これが大当たりして、フランクリンは有名になり、金持ちにもなる。
また、フランクリンは持ち前の好奇心で「雷の研究」を行った。その際、彼は「雷は電気ではないか」という仮説を立てて、嵐の日に凧を飛ばした。
すると、見事に凧に雷が落ち、凧には電線がつけてあって、フランクリンの足下に置かれた蓄電池に、見事に電気が伝わってきたのある。
この研究でフランクリンは、電気科学しての名声を得たうえ、燃焼効率の良い彼の名がつくストーブの発明をはじめ、グラスハーモニカ、ロッキングチェアー、遠近両用眼鏡などまで発明し、人々の生活の「実用」に貢献している。
フランクリンの精神は、「勤勉性」などの面でピューリタニズムと重なりつつも、信仰よりも「功利主義」的な思考法が占めていたようだ。
その表れが彼の掲げた「13の徳目」で、それが身に着くまで絶えず「自己改善」をはかった。
それは、身につけることさえできれば、誰もが成功できるというものを選んでいったと思われる。
そのフランクリンの「13徳目」とは、次のとうりである。
「節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲」。
フランクリンはこれらの徳を「習慣化」するために、計画表(進捗表)まで作って無理なく一つ一つ順番に取り組んでいったという。
それは、前の徳の習得が次の徳の習得が容易になるからだそうだ。
実は、フランクリンはこれらの「徳目」ひとつひとつにコメントを書いているのだが、12番目の「純潔」を読むと、まるで貝原益軒の「養生訓」を思わせる内容であった。
さて、「十三徳目」はキリスト教における信仰(聖霊)の実つまり「愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰、温和、自制」とも重なるが、フランクリンの「信仰」の立ち位置は、どういうものだったであろうか。
例えば、キリスト教でいう「安息日を聖日として守るべし」や「公式の礼拝には規則正しく出席すべし」は、彼の実用主義の立場からは、重要視されなかった。
フランクリンは、自分用の簡易な儀式文(祈祷形式)を作ってそれを使い、もはや公式の集会には出席しなかった。
つまり 実用に供しない信仰までは求めなかったということだが、彼が本質的にプラグマチストであったことをよく物語っている。
ちなみに、「神は自ら救うものを救う」というのはフランクリンの処世訓であり、ピューリタン的土壌に育った「セルフメイドマン」の典型的人物だったようだ。
ところで、「アメリカンドリーム」の欺瞞性を突いた物語に、フィッチジェラルドの名作「グレート・キャツビー」がある。
ここで、ベンジャミン・フランクリンの「影」としてキャツビーを捉えるのも面白い。
フランクリンの人生を面白いという人もいるが、反面で自己改善の進捗表を作って生きるなんてつまらないし、 また結果から行為を判断するという考え方も、ある意味でアメリカ文化の「皮相さ」を物語っているという見方もできる。
実際、プラグマチズムでいうように、「結果にコミットする」のなら「金がすべて」ともなりかねないし、手段を選ばずということになりかねない。
キャツビーもまた、アメリカンドリームを求めたセルフメイドマンの生き方をした人物である。キャツビーは、ノースダコタの貧しい農場から身をおこしたたたぎあげの人物だった。
ただフランクリンが住む地域や国のために自己改善を行ったのとは違い、キャツビーは自分の出生を恥じて好きな女性の愛を手にいれるためにそうしたのであった。
キャツビーは、まばゆく神秘的な女性デイジーの愛に相応しい人間になろうと努力し、成功した暁には彼女をパーティに招く夢を描き続けた。
その一方、キャツビーの華麗なる姿の裏側には、違法行為によって蓄財を行ったことが描かれている。 また、デイジーはすでに人妻であった。
キャツビーはあくまで自己抑制的なフランクリンとは対照的に、ある部分で欲望に忠実な主人公として描かれ、彼が描いた夢は「悪夢」となり死という結末に至る。
結局、金という成功に裏切られたという点で、キャツビーは「裏フランクリン」とも捉えられるかもしれない。

日本人の意識では、裁判とは真実を追究する場という意識があるが、アメリカは真実を追究するより、事件を迅速に処理すること自体に重きを置いているように思えることがある。
その一番の表れが「司法取引」である。真実を明らかにするには時間も労力も多く使うことから、「司法取引」が当たり前のように行われている。
確かに事件によっては、「司法取引」がもっとも適合するケースはたくさんある。
アメリカ屈指の大企業で、2000年代初めに経営破たんしたエンロンやワールドコムの巨額の不正経理事件でも司法取引が使われた。
内部事情に精通した財務部門の幹部の供述によって最高経営責任者の有罪に結びついた。
司法当局の幹部は、「司法取引がなければ決して起訴できなかった」と語っていて、捜査機関にとっては、まさにうってつけの捜査手法であることがわかる。
その反面、次のようなケースもある。
経緯の詳細を省くが、ある女性は司法取引を拒否して、28年半も入牢させられた。
もし彼女が司法取引に応じていれば、懲役10年ほどで出所できた。
女性としては「無実」の罪を認めるわけにはいかないということだったが、冤罪により30年も刑務所にいるよりも、やってもいない罪を認めて「司法取引」に応じた方が、結果的に刑期は少なく済んだのである。
彼女は、真実を追求する「美学」を追ったことで、長い刑期に服すという「実用」に反する結果を招いた。
日本では「司法取引」に慎重な見方が大勢を占めてきた。
他人の悪事を密告して責任を免れるような行為は、日本人の気質に合わないと考えられていたからだ。
潮目が変わったのは、振り込め詐欺や暴力団が絡んだ事件で末端の容疑者が十分に真実を供述せず、全容解明が難しくなってきたことが背景にある。
その結果、捜査機関の側から司法取引の導入を望む声が高まったのである。
そして、日本でも2016年5月「司法取引」が「取調べの可視化」とともに、刑事事件において導入されることになった。
アメリカにおける裁判においては、じっくり審理を重ねるよりも、早めに妥協点を見つけよう、大きな犯罪を効率的に根絶していくには、小さな罪には目をつぶろうという考え方である。
こうした「司法取引」の発想は、アメリカが独立した当初からのもので、実用主義であるプラグマティズムの哲学が根底にある。
しかしそれでは、アメリカ社会の行き方はあまりに「皮相」すぎると思う一方で、その土台には、意外にもキリスト教の教えとセットではないか、という思いを抱いている。
ところで最近、「説明責任」という言葉がしばしばでてくる。この「説明責任」訳して「アカウンタビリティー」という言葉は聖書から出ている。
本来の「説明責任」とは、この世に対して自分の行為についての説明責任があるのではなく、神の前で自分の行為につき「申し開き」をする意味で、聖書では、この申し開きに'account'という単語があててあり、'explain'(説明)とは微妙なニュアンスの違いがあるのだ。
したがって、この世で裁判において、陪審員を入れ替えたり、弁護士のドリームチームを雇って無罪を勝ち取ろうと、死後において神の前の「最終審」において、アカウントしなければならない。
「実用」ばかりではなく、いつしか真実は明らかになるという信仰のワンクッションがあっての「司法取引」ではなかろうか。