発狂か発酵か

核エネルギーは、ウラン235に中性子をブチアテ、「核分裂」が起きることで生じる。
わずか1グラムの物質から放出されるエネルギーは、石油なら1トントラック2台分、石炭なら3台分にあたるという。
核分裂とは、要するに、物質の「発狂」にあたる現象ではないか。
人間が、連鎖的におきる「発狂」を、その後処理まで含めて完全にコントロールできるとは、とても思えない。
「原子核」が分裂するエネルギーは、それほど膨大で気まぐれなのだが、そのエネルギーを生活の場に積極的取り入れてきた日本人の姿は、自らが育んできた伝統の知恵とは随分と隔たったものだ。
日本人は、あらゆる工夫を通じて、自然そのものを生活に溶け込ませて、しかもリサイクルさせながら生活する伝統の知恵があったからだ。
住居ひとつをとっても、風がよく通り、夏には涼やかな鈴がなるように工夫されていた。
障子や襖によって仕切られるため、昼でも至る所に薄暗さを感じる。
谷崎潤一郎は、「陰画礼賛」で日本座敷の美はこうした陰翳の濃淡によって生まれたと書いていた。
電気やガスで何でも照らし出すのは、日本人の心の「奥ヒダ」の一部を奪い取ったかもしれない。
日本人の風景にはいつも「湿気」というベールがかかっていて「おぼろ」であり、空気が揺れているように見える「陽炎」(かげろう)を愛でるような、デジタルな感性とは縁遠い人々だったのだ。
そういう点を見れば、本来、日本人は自然エネルギーの開発に最も適合した感があり、原子力を産業社会の主要なオプションとしたことは、そうした日本的テクノロジーの可能性の芽を自ら摘んだことにもなる。
今でもよく覚えているが、2010年夏、浴衣姿の女性たちが道に水を撒くシーンが各地でみられた。
それは、「古い知恵」を見直そうというキャンペーンに見えたが、その翌年、東北で311の大震災が起こった。
人間、というより日本人には、もっと身の丈にあった技術があるのではなかろうか。
そのひとつが湿気が多くモノが腐りやすい日本の環境で育った「発酵」の技である。
日本には優れた物理学者がいる一方で、微生物のチカラを研究する「天然物化学」の分野で、優れた研究者を輩出している。
それは日本の伝統の知恵に根差した「お家芸」ともいえる。
自然界には、「生産→消費→分解」のサイクルがあるが、このサイクルの中、「分解」の仕事をするのが微生物である。
そして微生物(菌類)の「力」を借りて保存をかねた日本食のバラエティの広がりは世界一といってよい。
日本人は、湿気が多くモノが腐りやすい環境に生きたため、「発酵」という分解作用を食料にいかす技を磨いていった。
「発酵」とは、カビや酵母、細菌など微生物の働きによって、食材に含まれているでんぷん質やたんぱく質が分解されて、アミノ酸や糖分などが生成される過程をいう。
夏に高温多湿な日本では、その気候から特に「カビ食文化」が発達した。
西欧でカビ食といえば、ブルーチーズやカマンベールだが、日本の代表的なカビ(麹菌/ニホンコウジカビ)は、清酒・味噌・醤油など「和食」に欠かせない食材を生み出している。
みそや酒、しょうゆ、納豆などは微生物を使った食品で、培養する環境を整え腐敗させる「悪玉菌」を増やさず、善玉菌だけを増やしてく。
実は「麹菌」は、大陸から伝わったものではなく、日本独自に発生したものらしく「国菌」といわれ所以である。
こうた「発酵」の技こそが、「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録された最大の理由であろう。
例えば、味噌はニホンコウジカビと乳酸菌、日本酒はニホンコウジカビと酵母という、二種類の微生物が原料となる大豆や米を発酵させまる。
大豆や米に含まれるタンパク質や炭水化物を、まずニホンコウジカビがアミノ酸やブドウ糖に分解し、乳酸菌や酵母が発酵しやすい環境をつくる。
つまりニホンコウジカビは、微生物の働きを助ける微生物というわけだ。
ニホンコウジカビの「発酵」の力は食品だけではなく、抗生物質などの医薬品や洗剤など様々な分野に生かされている。
例えば、「冬虫夏草(とうちゅうかそう)」と呼ばれるカビがある。
これは冬場に昆虫の体内に入り込み、夏に昆虫が死ぬと菌糸が体外に生える様子が草に似ていることから、この名がついている。
千年以上前から漢方薬として重宝されているが、貴重かつ高価なため、人工的に培養する方法が研究されてきた。
この冬虫夏草の遺伝子をニホンコウジカビに入れると、化合物を効率よくつくることがわかった。
ニホンコウジカビを遺伝子の「入れ物」として使うことで、抗生物質のような、人に役立つ物質の生産性を高めることもできる。
日本人が研究の先端を走る「天然物化学」とは、天然物から有効成分を取り出して「創薬」などに生かすことを目指すものだが、実に根気のいる仕事である。
なにしろ土1グラムに数10万~数億個の微生物がいるといわれ、それぞれが作り出す数千~数万の物質から「有効成分」を探り出す。
大村智・北里大学教授は、当時の職場に近いゴルフ場周辺の「放線菌」が出す物質を発見し、共同化学者とともにその化学構造を改良し、多くの人々を救う薬を使う「ノーベル医学生理学賞」受賞につながった。
日本人は自然を慈しみ畏敬する思いが強いが、そこに探求における粘り強さ加わって、ノーベル化学賞や医学賞に匹敵するような研究が次々と生まれている。
さて、微生物は、自ら酵素の働きでさまさま化合物を作りだすが、人間でいうと、汗のような代謝物だ。その中に、「薬の元」になるものが含まれている。
ただ天然物による「創薬」は効率が悪い上に、「生物多様性条約」などに抵触するため、一度は下火になった。
しかし、人工の化合物は構造が単純になりがちなのに対して、人工ではなかなか作れない複雑な構造や思わぬ効果をもつものがあるため、あらためて脚光をあびている。

南米のジャングルには「サラオ」という空間がある。そこに様々な動物が降りてきて土を食いに来る。
土には毒消しの作用があるそうだが、テレビに見た「サラオ」で様々な動物達が集まって土を食べる風景は不思議かつ異様なものだった。
環境破壊によって動物達は、従来の毒のない植物だけではなく「毒性」のものをもかなり食べざるをえなくなったというのが、「サラオ」という空間の成立事情だという。
人間も産業社会の進展のなかで放射能を発するなど、「毒性」の強いエネルギーにまで手を伸ばさざるをえなくなった。
その一方で、人間が自らを「癒す薬」を限られた自然界に見出そうとしている姿は、サラオに集まる動物たちに似ている。
「琥珀(こはく)」(英語: amber)という美しい固まりをデパートなどで見かけることがある。
琥珀は、「木の樹脂」(ヤニ)が地中に埋没し、長い年月により固化した「宝石」である。
「琥」の文字は、中国において虎が死後に石になったものだと信じられていたことに由来する。
実は、琥珀をマサツして静電気でモノを引きつける「現象」は、ギリシャ語で「琥珀」を意味した文字から「エレクトロン」と名づけられた。
これが「電気( electricity )」の語源で、「琥珀」は旧石器時代から様久な用途で人々に親しまれてきた。
ローマでは神聖な「お守り」として中国では邪気を遠ざける「魔よけ」として、またお香にすることで「精神安定」の為の治療薬としても利用されてきた。
それにしても、電気の語源が「琥珀」とは、意表をつかれる話である。
「薬草学」は古代ギリシアの時代にまで遡り、デイオスコリデスが「マテリア・メデイカ」(薬物詩)を書いたのが始まりといわれるが、現代の「創薬」は19世紀にはじまるといわれる。
19世紀初頭に、生薬の有効成分を取り出すことができ、ケシから鎮痛効果を示すモルヒネが取り出され、樹皮からマラリアの薬キニーネが取り出された。抗生物質の「ペニシリン」のように、微生物が作る成分もその後つくられた。
19世紀の間に、有効成分の化学構造を一部変えて効果を高めたり、副作用を抑えたりすることもできるようになった。
代表的なものが、19世紀末に発売された「アスピリン」で、鎮痛剤として世界中でのまれる薬である。
柳の樹皮に含まれるサリシンを元にしたサリチルサンを改良することで、胃が荒れる副作用を大幅に軽減した。
さらに天然成分由来の「化学構造」を解明する研究も進んだ。
天然物の成分は量が少ないのは悩みの「種」だったが、それによって20世紀半ばには、構造をもとに人工的に合成、量産が可能となった。
とはいえ世界数百社が巨額な開発費を投じても、薬になるのは年間20種類ぐらいなのだそうだ。
スパイスの「八角」から抗インフルエンザ薬「タミフル」が、「イチイの樹皮」から抗癌剤が、「青カビ」から脂質異常性の薬が見つかった。こうした成分をもとに開発され、合成されている。
70年代80年代には、有効成分から薬を育てる方法へ、そして「狙った効果」を発揮する薬を「デザイン」する方向へと変わった。
狙った物質とは、狙った効果があってしかも「副作用」を抑えられる薬ということだ。
それでは、「デザイン」とはどういうことかというと、標的物質に「かぎ」と「鍵穴」のようにピッタリのハマルものをコレクションの中から探すのだという。
コンピューターでそれを探せば、1週間で1万種が調べられる。
最初は2次元だったが3次元でも標的物質と化学物の構造を計算し、うまい「組み合わせ」を見つけることができる。
現代の創薬は、素朴で地道な「天然化学」から乖離してきた印象をうけるが、「狙った効果」とはいえ「狙ってできないこと」にも目をむける必要がありそうだ。

「バイオマス・エネルギー」は、いきもののチカラをエネルギーに変えるものである。
ブラジルでは、1973年の石油ショックによる原油価格の高騰に対処するため、政府が「プロアルコール政策」を実施し、自国で豊富にとれるサトウキビから生産できるエタノールをガソリン代替にすることを進めてきた。
1977年にフォルクスワーゲン・ブラジリアを皮切りに導入され、既にブラジルでは年間に販売される新車の半数以上がエタノール燃料に対応した車となっている。
アメリカ合衆国でも、1970年代から中西部のトウモロコシも生産地帯においてエタノール混合率10%のガソリン「ガソホール」が販売されてきた。
90年代になると、「クリーンエア・アクト(大気浄化法)」にもとづき、エタノール混合に優遇措置がなされた。
また、エタノールとガソリンの混合燃料(フレックス燃料)に対応した車(フレックス車)の販売も増加している。
しかし、サトウキビもトウモロコシも、人間の食料から動物の飼料ばかりか、エネルギー源としてまで使われるとなると、価格の高騰をまねくのは当然である。
また、それらの耕地を開くために森林伐採を行うならば、それこそ「環境保全」にとって悪影響の方が大きくなる。
そこで今注目を集めるのが「ミドリムシ」である。
「ミドリムシ」は、微生物の性格と植物の性格という両方の性格を併せ持っている。
体内に葉緑素を詰め込んでおり、植物(藻)としての性質をもっており、驚くべきことに光合成を行う。
そして今や、ジェット機の燃料にミドリムシを使うことも実用化されている。
ジェット機は燃料を使うことで、地球温暖化の原因となる二酸化炭素を大量に出す。
一方、「ミドリムシ」などの藻類は育つときに光合成して大気中のCO2を吸収する。
これで燃料をつくれば、排出量から吸収量分を差し引くことで、環境負荷を「和らげられる」と期待できる。
サトウキビやトウモロコシはエネルギーと食糧との競合が問題となったが、「藻類」ではこうした問題が生じない。
日本でもベンチャー企業や全日空が、沖縄・石垣島の施設で培養したミドリムシを原料として、「バイオ燃料」と呼ばれる生物由来の燃料工場を横浜市に建てている。
全日空は、2020年までに通常の石油由来のジェット機に「1割分」混ぜて週1往)復、羽田~大阪間ほどの近距離を飛ばす計画だという。
さらに最も注目を集めるのが、土にすんでいる微生物の力で電気を起こし、「携帯電話」を充電するという革新的なプロジェクトである。
現在、約500台の電池を東アフリカ・ウガンダに持ちこみ、電力のインフラに乏しい農村の住民たちに使ってもらう実証実験を進めている。
それではなぜ、土で電気を起こせるのか。
スプーン1杯の土には数十億の細菌などがいて、有機物を分解する際に「電子」を放出するものもい。
その電子を電極に取り込んで「電気」を起こすことができるのだという。
実は、微生物の代謝と電気が関係あることは1世紀も前からわかっていたことである。
大きな進展のきっかけのひとつは、10数年ほど前に、体外に電子を放出しながら生きる微生物「シュワネラ菌」が見つかったことである。
このいわば、「発電菌」発見によって一気に研究が進むことになった
微生物自体が発電するとは驚きだが、その原理自体は実は自然界ではむしろ当たり前のことなのだそうだ。
すべての生物は、運動するにしろ身体の組織をつくるにしろ、生きるためにはエネルギーが必要。
人間の場合は有機物を食べて、呼吸によって取り入れた酸素を使って分解してエネルギーを得ている。
その過程で、有機物から電子が放出され、酸素がその電子を受け取って水になる。
この電子の放出・受け取りがいわば「発電」と同じような仕組みなのだという。
つまり、いきものには本来、発電と同じような「仕組み」が備わっているといえる。
だが、細菌がつくる電気は微弱すぎて、その使い道がなかった。
つまり、長く効率よく電子をとりこめる技術が存在しなかったのだが、LED技術の実用化はこの研究にとっても追い風となった。
小さなLEDライトの消費電力は従来の白熱電球の1000分の1以下ですむため、「微生物」の力でテレビはつけられないとしても、LEDライトがともせるようになった。
アフリカ大陸では総人口の約5割が、今でも電気なしで暮らしていると言われている。
しかし、廃水の有機物などをもとに「発電菌」からつくった電気ができれば、電気のない暮らしとサヨナラできる。
いわば「微生物燃料電池」が携帯電話の充電に使えることが証明されれば、他の電子デバイスへの応用の可能性も広がる。
今や、「発電菌」とまったく逆の代謝「電気を食べる」微生物の研究もおこなわれているが、物質の「発狂」の後始末、つまり放射能を分解する微生物の存在さえも報告されている。