仕事の垣根

最近、看護師が患者の「死亡確認」ができるようになったという新聞記事がでていた。
看護師という仕事も、医者同様に人の生命に関わる仕事だが、人の「生き死に」の確認を医師以外の者がすることについて、少々違和感を覚える記事だった。
というのも最近、スキーバスの事故に代表されるように、人の生命や安全が軽んじられる事件が頻発しているからだ。
戦前の話だが、「先走り少年」という仕事があった。
走る電車の前を「電車がきまっせえ~あぶのおっせえ~」と叫びながら線路を走る仕事で、12歳から15歳の少年が、通行人の「安全対策」として採用されたのだ。
始発駅から終点までずっと走るわけではないが、雑踏や街角、橋上の一部の区間を、電車の先五間(約9メートル)以内を先行して走るのが標準とされた。
昼の「旗」はまだしも、夜は「提灯」を持って叫びながら走ったのだから、「先走り少年」の安全の方がよほど心配になる。
しかも、毎月1日と15日しか休業日がないのだから、今ならば幾重にも「労働法違反」にあたる。
実際に、「先走り少年」が電車に轢かれる事故が相次いだので廃止された。
最近では、戦時中の男性労働力不足解消のため、少年達が「ちんちん電車」を運転していたという証言が各地でなされている。
実際に事故が起きた場合、少年達にはどのような処遇が待ち受けたのだろうか。
当時の少年達が、そんな「重責」を担わせられていたこと自体が、当時の社会の現実の厳しさを物語っているし、悲しい事態だったといえる。
そして今日という時代、様々な分野で人手不足が生じ、そうした「事態」と無縁でなくなりつつあり、誰もがきちんとした「責任」が取りにくい事態が生じているといってよい。
実際この世の中には、「分不相応」に重責を負わせられるような場面がある。
例えば、プロと素人との垣根を外してみて、市民がズシリと「その重さ」を感じているのが、「裁判員」という仕事である。
その一方で、責任の重さとは不釣り合いなくらい、不当に「軽い」扱いを受けているような場合もある。
そんなケースにおいて、安全や生命に対する意識を曇らせているのかもしれない。
今、「同一労働 同一賃金」という労働基準法の改正への議論がなされているが、「正○○」に対する「助○○」・「○○補」・「準○○」といった資格の人々への待遇は正当なものなのであろうか。
例えば、教員の世界で、教諭がいて「講師」がいて「非常勤講師」がいる。
私立高校あたりでは講師をたくさん雇って経営のヤリクリをしている学校も多く、講師の場合は1年契約で身分は不安定であるものの、仕事そのものの内容と責務の重さは教諭と変わらない。
少なくとも、生徒たちからすれば、「先生」であることに全く違いはない。
ただ、戦前からあった「助教諭」という地位が、イマダ存在することはあまり知られていないようだ。
確かに、かつて「代用教員」という地位があったが、それとドウ関係するのだろうか。
1900年の小学校令改正において、従来授業生・雇教員などと呼ばれていた「無資格教員」による代用を正面から規定し、一応、法令の根拠のある教員区分となった。
戦後も、普通免許状を持つ人が少なく、教員を確保するために、少ない単位で取得できる臨時免許状所有者を「助教諭」として雇った。
しかし現在は普通免許状を持ってる人がたくさんいるので、「助教諭」の必要性はホボなくなっているといってよい。
ただ、 小学校の産休補助などで近くに普通免許状を持っている人がいないような時は、「臨時免許状」によって短期間依頼されるケースがあり、高校の産業系(特に工業)では今でも「助教諭」の採用試験をおこなっている自治体もあるという。
作家の経歴の中にしばしば「代用教員」経験者を見出すが、作家以外にも財界の大物になった元・代用教員も結構いる。
名前をあげると、五島慶太・石川啄木・宇野浩二・大屋晋三・土光敏夫・宇野千代・小津安二郎・坂口安吾・佐分利信・竹下登・三浦綾子・宮尾登美子・木田元などが代用教員経験者である。

さて、戦前の「遺風」が残る仕事といえば、「准看護師」もそのひとつである。
高卒後、3年以上の専門教育を受けるなどして国家試験に合格した「看護師」に対し、中卒後、養成所なら2年履修し、都道府県知事の免許を得て、「準看護師」となる。
2014年のデータで、全国で就業する看護師は114万人、准看護師36万人となっている。
その7割が病院に集中する看護師に対し、准看護師は病院が40%と最多だが、診療所35%、介護施設など21%と、多様な分野を支えているが、制服、業務が同じで、外からは見分けがつかない。
ただ年収はだいぶ違い、最近の調査だと、20代前半看護師の377万円に対し、准看護師は283万円となっている。
現在の看護の「枠組み」は、戦後日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)公衆衛生福祉局長のサムス准将と、オルト看護課長ら専門教育を受けた女性看護師らが作った。
彼らは、当時の病院が患者の家族が看護をし食事を作って一緒に食べる「下宿屋」のようだと大きな衝撃を受けた。
そこで、「若い娘を医師が引き取って、約1年か2年の間、掃除や洗濯のかたわら看護の仕事を教えただけ」という現実の転換がはかられたのである。
1948年制定の「保助看法」は看護師資格の基礎教育を高校卒業まで12年以上とし、この上に3年の臨床看護コースを置いたが、50年の女性の高校進学率は36%。高卒ばかりに頼れないと、急場しのぎに日本側が提案したのが「中学卒」の看護師だった。
看護師不足は続き「二重構造」がずっと残った。短期で養成でき、給与の安い「准看護師」に頼る医療機関が少なくなかったからだ。
現在、准看護師の養成校には大卒、短大卒が2割弱。社会に出た人を含め、より容易に看護職を目指せる道であるのも確かである。
しかし、結果として看護師の給与も抑え込まれ、就業しない「潜在看護師」が70万人近くもいるという。
身近に魅力ある仕事も多い大都市では、求人数に求職者が追いつかない。看護婦とまったく同じ仕事をさせられるのににも拘わらず、給与は安いからだ。
厚生省が設置した「准看護婦問題調査検討会」は、21世紀初頭の早い段階を目途に看護婦養成制度の「統合」に努めることを提言したが、いまだに統合はされぬままである。
そうした、国家の「不首尾」を象徴するかのように、東京を挟む2県で「正反対」の取り組みが起きている。
神奈川県は12年に准看護師の養成をやめると決めたが、埼玉県では今春、新たな養成校が開校したというのだ。
埼玉県知事は、今後の高齢化に備えるには数の充足が欠かせないと訴えるのに対し、元ジャーナリストの神奈川県知事は「准看護師は終戦直後の遺物であり、在宅医療などに対応するには看護師の高度化が不可避と、今時、養成校を新設するなどトンデモナイとこきおろす始末。
いずれの県知事も、真摯に地域や時代の要請に応えるべく打ち出した答えなのだが、人の命をあずかる看護師の仕事について、都道府県によって見解が「正反対」という状況は、人の安全(生命)に関わるだけに、いつまでも放置できない事態ではなかろうか。

外部の人から見て、歯医者、歯科衛生士、歯科助手の具体的な仕事の「垣根」についてあまり知らない。
せいぜい、歯医者の仕事を傍らにいる歯科衛生士がサポートしているイメージぐらいはわかる。
ただ歯科衛生士が単独で、何らかの施術を施すこともあるので、法律によって厳格に仕事の「垣根」が定められているのだろう。
さて現在「少子高齢化/男女の同権化」という流れの中で、様々な規制緩和を行うことが時代の要請である。
そうした「規制緩和」の議論の中で、個人的に興味深かったのは、美容師と理髪師の仕事の垣根を取り払う議論である。
両資格の取得にはそれぞれ2年かかり、ふたつとも撮るには最短で4年かかる。
理容師と美容師の職務は、もともと1947年に制定された理容師法に規定して運用された。つまり、美容師の職務は、理容師法の中に定めて運用されたということだ。
ところが、理容と美容に求められる技術に違いが生じてきたため、1957年に美容師単独の法律「美容師法」が制定され、法律にのっとって美容師の職務が運用されてきた。
しかし、1974年に理容師法、美容師法の法律の解釈をめぐり理容業界と美容業界が激しい対立が生じた。
顧客へのパーマネントウェーブサービスをどちらの業務範囲とするかを巡って1978年まで「パーマ戦争」と比喩されるほど激しい対立を演じたのだ。
ところが「パーマ戦争」は、1978年12月に厚生省の局長通達で「全国理容生活衛生同業組合連合会」と「全日本美容業生活衛生同業組合連合会」が合意書に調印して終結をみた経緯がある。
その結果、この年から現在まで、理容・美容の業務範囲として適用されている。
現行制度では、理容師に男女のカットおよび「顔そり」、男性のパーマに伴う「カット」が認められている。しかし、男性のパーマのみは認めていないし女性のパーマもかけられないのが実態。
これに対し美容師は、女性のカットと男女のパーマおよびパーマを伴うカットが認められている。半面、「男性のカットのみ」は認められておらず「顔そり」もできない。
つまり、約23万人働く理容師はヘヤセットやメイクができず、49万人が働く美容師は襟足などを除いてヘーピングができない。
こうした理美容業の「職務の棲み分け」は、理髪は理容師の職域。美容は、女性のサービス領域という男女の「性別による区分け」と相互の職域を侵害しないという考えが支配されていたことによるものだ。
こうした中で、政府の「規制改革会議」は、理美容業の職務領域の範囲を含む規制について「新しいサービスやビジネスモデルなどのイノベーションが妨げられ、競争が制限されるなど業界の発展を阻害する要因が多い」と指摘した。
同時に、「美容室を利用する男性が増え、多様なヘアスタイルや価値観がある現代社会において性別によって提供できるサービスを限定する規制は、実情にそぐわない」との指摘がでた。
両方の資格をもつものは約1万人しかおらず、増えれば美容室での顔そりや理容室での髪結いを受けやすくなるなど、「利便性」が高まるに違いない。
その結果、法改正によって理容師、美容師が行う業務の「垣根」を無くして職務範囲の規制を撤廃し、理容所、美容所の重複開設の容認などについても規制を撤廃するなど理美容業を取り巻く規制が大幅に緩和される見通しとなった。

今日における生命や安全に関わる資格についての問題点をあげてきたが、「理容/美容」とてその根源をたどれば、命の問題と無縁ではない。
世界史を見る限り理髪と医療が、混然一体の中から「分化」してきたことはあまり知られていないようだ。
しかしそのことを如実に物語る「証拠」が存在する。
それは、どこの理容室の前に立っている「青・赤・白」の帯が回転するネオン・ポールである。
中世ヨーロッパの絵画に、腕から血を採られている患者が長いポールを杖のように立てて握っているものがある。
採血は受け皿に溜るようになっているが、どうしても腕を伝わってポールのほうへ血が流れてしまう。
それを目立たなくするためにポールは赤く塗られ、そのポールは、当時貴重だった包帯を洗って干す棒としても使われた。
そのポールへ包帯を巻き付けて外に45度の角度で干したのが外科医の象徴つまり「サインポール」の始まりなのである。
実は現在、この「サインポール」を外科の病院で見ることはできないが、やがて床屋の前にある回転しているポールとして登場する。
これを英語圏ではバーバーズポール(Barber's pole)と呼ばれるが、バーバー(BARBER)は英語では「ひげ」を意味するラテン語(BARBA)から来ている。
実は中世ヨーロッパにおいて、髪を切るということは人間の体の一部を切るという意味では外科手術と共通であり、病院で行われていたのである。
ただ、サインポールの「赤は動脈、青は静脈、白は包帯」を表しているという説もあるが、これは実際は違うようだ。
サインポールは元々中世のイギリスで、当時の理髪師が外科医も兼ねていたことから血液を表す赤と包帯を表す白の2色で生まれた。
理髪師と外科医を別けるため理髪店は赤白に青を加える動きもあったが定着せず、その後アメリカ合衆国で同国の国旗(星条旗)のカントンの色である「青」が加えられたものである。
というわけで現在、理容のサインポール(バーバーポール)には青が加えられて三色になっている。
ところえ、今の社会の喫緊の問題は、保育や介護といった安全もしくは命に与る仕事の広がりであり、それを一体誰が担い、そのための給与をどうするかということである。
保育と介護の仕事で共通していることは、仕事がきついうえに「給与」が充分でないため人手不足となっていることである。
「潜在保育士」の多さは、前述の「潜在準看護師」と重なる。
いずれも人の安全に関わる仕事だけに、資格を簡単には緩和できない。しかし給与を上げようにも財源もない。
今のところ、国は、保育士不足その結果としての「待機児童」を減らすために、朝と夕方は2人のうち一人は無資格でも可能にする、潜在保育士の復職に一時金を支給し、小学校や幼稚園の教諭を代わりに活用するなどを提起している。
要するに保育士の「仕事の垣根」を幾分おろして、「無資格」でもその仕事ができるようにするということに他ならない。
現在、医師の最後の診察から24時間以内に死亡した場合には、現場から看護師が死亡を伝えることで医師は「死亡診断書」を交付できるが、24時間を越えると医師は改めて診察しなければ「死亡診断書」を出せないことになっている。
特に、「終末期」と判断された後の死亡では、医師の速やかな死亡診断が困難な状況もある。
医師が少ない地域などでは、到着するまでに時間がかかるため、死亡に備えて「入院」することサエもあるという。
要するに、規制緩和の狙いは、「みとり」を在宅でしやすくするため、医師が行う「死亡確認」を看護師にもできるようにするということ。
これを、この世のナンデモ「効率化」の流れのヒトツとまでいってしまえば、反発されるかもしれない。
結局、規制改革会議は、24時間を越えても医師の指示のもとで看護師が死亡を確認することで、「死亡診断書」を交付できるようにした。
「死亡診断書」がすみやかに出れば、家族は「死亡届」の提出や「火葬」などの手続きに入れることは、確かなことである。
ただその一方、看護師の死亡確認では、「犯罪」などによる死亡を見逃す恐れも指摘されている。
「仕事の垣根」を死守するのか緩めるのか、あまりに複雑な要素をはらんでいる。