ハロー・バービー

石井ふく子の童話「ノンちゃん雲に乗る」(1947年)に、主人公が水たまりの中の大空に落ち込んで、別の世界に入り込んでしまう話がある。
この水たまりは、ファンタジーの入り口だが、次は現実の話。
或る小学校の先生が、いつも丸い円の中に絵を描く子がいて、聞いてみると子供は「水たまり」だという。
精神的なストレスを抱えたその子は、「水たまり」に映った風景ばかりを絵に描いていた。
その子にとって世界は無辺ではなく、いつも水たまりによって縁取りされていのだ。それはその子をとりまく世界のメタファー(暗喩)ともとれる。
子供の世界は、我々の想像を超えて、様々な心の状態に左右されるものらしい。
さて、昔懐かしの着せ替え人形「バービー人形」は、1959年のデビュー以来、今に至るまで表情から体型まで少しずつ進化を遂げ、累計10億セット以上を売り上げてきた。
「バービー人形」をたかが人形と軽んじてはいけない。
それについては、絶えず「子どもにどんな影響を与えるか」が議論されてきたからだ。
例えば、長い足、細いウエスト、大きな胸を強調する姿は、フェミニストや母親たちから批判を浴び、バービーで遊んだ女児は、スリムな容姿への憧れが肥大化して、自らの体型を卑下するようになる。
極端な場合バービー人間は「醜形恐怖症」の原因という研究結果も出たこともあるという。
それでもバービー人形は、根強い人気を保ってきたが、基本的に「ありえない体型」であることに変わりはない。
もっとも最近注目の「遺伝子(ゲノム)編集」で、バービー人形のような子供にデザインしてくださいといえば不可能ではないのかもしれない。
この方法を使えば、理論的には「目を青く、背を高くする」といった操作を受精卵に加え、望みどおりの赤ちゃんをデザインすることも可能である。
つまり「リアル・バービー」の出現である。
さて、いままで漸次的変容を遂げてきたバービー人形が、今「大変革」を迎えようとしている。
そして世の批判に応えるかのように、1年前バービーのスタイルに変化の兆しが表れた。
足首を動かして、初めてハイヒールだけでなくペタンコ靴も履けるようになった。
そしてバービー製作会社のマテルは「痩せすぎ批判」に対応して、ついに新しく「長身」「小柄」「ふくよか」のバービーを登場させることを発表した。
マテルの社長は「バービーは女の子の周りの世界を反映している」と説明し、公式サイトに掲載したビデオで、「自分の体形なんて気にしなくていい、と女の子たちに伝えたい」と語っている。
そして、バービー人形は4種類の体形に加えて、肌の色は7種類、目の色は22種類、ヘアスタイルは24種類から選べるようになり、全部で33種類と一気に多様化した。
さてバービー人形の多様化に加え、もうひとつの「大変革」が、インターネットとの通信により、「会話」ができるバービー人形、商品名「ハロー・バービー」が登場したことである。
「ハロー・バービー」登場の理由は、スマホのアプリやネットを使ったオンラインゲームに押されっ放しで、売上高がここ数年、落ち込み続けたことが最大の理由である。
製造元のマテル社は、社の看板でもあるバービー人形を、ネット時代を反映した最新型の「スマートトイ」に生まれ変わらせる必要にせまられたわけだ。
「ハローバービー」はスマートフォンなどに搭載されているのと同じ音声ガイド機能を内蔵し、会話することが可能となる。
ネックレスに仕込まれたマイクとスピーカーで聞き取った一言一句は、無線LANを通じてトイトーク社に送られる。
音声データのテキスト変換と分析を経て、80000ものセリフから正しい応答が選び出され、バービーに戻される。ここまで1秒とかからない。
さて日本ではいま、自分で物事を考えることができるロボット「Pepper(ペッパー)」が話題を呼んでいる。
ソフトバンクが開発・販売した人工知能(AI)搭載の感情認識パーソナルロボットで、インターネットと無線(Wi-Fi)でつながっており、カメラとマイクで読み取った相手の表情や音声(会話内容)を、ネット上にあるサーバー(クラウド)内のAIが蓄積・理解・学習し、相手と正しく会話する仕組みである。
ソフトバンクの「ペッパー」は、本体価格19万8000円のほか、クラウドに接続して会話機能を使うための「基本プラン」に月額1万4800円(税別、36カ月契約)が必要で、それ以外にも故障した時に1万円ほどの保険パックも必要だという。
「ハロー・バービー」はソフトバンクと同じ仕組みを使って、今や恐るべき能力を身に着けた。
重要な答えを記憶しておいて、後々の会話に生かすことができるのだ。
まず「音声認識」をしてもらうには、「ハロー・バービー」が装着しているベルトの留め金部分を長押しする。
「ハローバービー」は、「好きな色は青」とか「将来の夢は獣医さん」という情報など、趣味から将来の夢など折に触れて会話のネタにする。
そして、「ダンスが好き」「自転車に乗るのが好き」といった持ち主の趣味や趣向を覚え、その後の会話に反映させる。
会話を通じて、それぞれのバービーが「個性」を形成し持ち主によって全く違うバービーになるという。
それならば、顔は優しくかわいらしいのに、いつも罵詈雑言を吐くような「不肖の人形」に育つかもしれないと心配したが、下品な言葉や不適切な言葉」はブロックするという。
「ハロー・バービー」も経験を積めば、様々なトピックに対応できるうえ、冗談を言ったり、相手のことを学んでアドバイスすることもできる。
そして、親の離婚歴や祖母の死亡などについては二度と話題としない「賢さ」も持ち合わせている。
マテル社は、価格は74ドル99セント(約9000円)というリーズナブルな価格での販売を予定しているが、そのことが再び「バービー人形」をめぐる議論を沸騰させている。
保守派からは、ハロー・バービーのようなスマートトイは、子供たちが想像力を巡らせて楽しむ伝統的なお人形遊びを無粋なものにし、子供から想像力を奪ってしまうのではないかとの疑問や反論が噴出。
これに対し製作者側は、「スマートトイは旧来の伝統的で想像力を活かした玩具遊びの質を高めるものである」と反論している。
ただ、コミュニケーションの問題として懸念されるのは、子供たちの会話内容が集まるクラウドAIのセキュリティーが脆弱であることだ。
ハッキングされれば子供にとって好ましくない人形に変貌してしまう可能性が指摘されている。
実際、イギリスの大手ウェブセキュリティー会社の研究者が、イギリスで発売された女の子の人形「ケイラ」のコンピューター・ソフト(クラウドAI)をハッキングし、「ケイラ」の会話内容を操作することに成功したという。
例えば、「おはようケイラ。元気?」と持ち主の女の子が話しかけると、ある日突然「クソガキ、だまれ」と反応するかもしれない。
ハッキングに成功したセキュリティ研究者によれば、「ケイラ」のソフトには、「ケイラ」に喋らせたくない不適切な言葉を「ブロック」する機能があるが、この機能の脆弱性を突けばハッキングは非常に簡単だったと報告している。
ハッカーがソフトを改竄すれば、ある日突然、「ヤンキー保母さん」やら、「レデイス・スチュアーデス」なんかに変貌してしまう可能性があるのだ。

バービー人形の社会的影響力を考える時、幼い時から人形と頻繁に会話するというのは、生身の人間とのコミュニケーションにもなんらかの影響を与えるのではないか。
例えば、バービーとの会話の中で、バービーの反応の傾向が知らず知らず身について、予想された心地よい応えばかりの会話になってしまうことだ。
ちょうど紙おむつの「快さ」が、人間の感情を希薄にしたといわれるように、それが人間の感情にも影響を与えないかということだ。
我々は、コミュニケーションをする時、相手の興味関心のあるところから、話を引き出し話を進めようとする。
それが相手に「合わせた」会話ということで、そのうち言葉を交わさなくても「通じ合える」関係になる。
「ハロー・バービー」との対話は、少なくと人間の会話の広がりから比べれば、非常に少ない言葉の選択によってなされる。
したがって予想できないような意外な反応というのは、人間の会話としては面白くとも、バービー人形との間ではむしろ製品の性能の悪さを示すものでしかない。
仮に、とても良い関係が築けたとしても、ネットが途絶した場合、会話の相手があくまでも人形であったことを思い知らされることになる。
それが子供の精神体験としては、どういう意味合いをもつものか、よくわからない。
以前テレビで、母ザルが自分の子供が死んだことを認識できず、ミイラに近くなるまで抱き続ける場面があったのを思い出す。
ただ、仮にバービー人形が破損して使えなくなったとしても、自宅に3Dプリンタを置いておけば、いとも簡単にその複製を作ることができる。
そして、新しく作ったバービー人形をクラウドAIとつなげれば、人形の性格再生もできる。
ただ、その人形を自分が今まで親しんできた人形と「同一物」とみなせるか、といった問題もある。
また幼児にとって、最高のコミュニケーションの相手は母親であるはずであり、その機会が奪われる可能性がないとはいえない。
実際、少子高齢化、女性の職場進出という方向性は、そうした傾向を助長するかもしれない。
そこで、ナチスがユダヤ人の子供達に行った恐ろしい一つの実験を思い浮かべた。
ユダヤ人の子供達から徹底的に社会性を奪い取ることによって命令通りに殺人を犯す「殺人マシーン」を育てようとしたことだ。
その子供達には普通の子供達以上の栄養を与えながらも、母親には「お面」などをかぶせて生活させ一切の人間的コミュニケーションを排除して食事だけを与えて生活させたのだ。
こうした子育てを行わせた結果、多くの子供は生存することなく死んでいった。
実は人間は、母親が目を合わせる、名前をよぶ、赤ん坊に微笑んだり頬ずりをしたりする、などして広い意味でのコミュニケーションをはかることによってその生命力が維持されているのである。
このエピソードから得られる逆教訓は、「人間生命の社会性」ということである。
つまり人間の生命力という能力ですら、個人の自然性(素質)だけでは育たないということである。
そしてこれは幼児期だけではなく大人になる過程で、個人の自然性に対する周囲の様々な働きかけや物的な刺激によってようやく発達するということである。

会話型「バービー人形」の問題を突きつめると、結局その存在が「子供の社会化」にとって「有益か、有害か」につきるように思う。
数年前、NHKの動物番組でマングースの子育てを見ていて、動物の世界での「子育ての社会化」について知った。
マングースの子供達は青年オスに弟子入りして昆虫の捕獲法や食事法を学ぶ。
食事法というのは、固い甲羅の昆虫を後ろむきで股の間から木にうちつけて甲羅を割って食べる方法などである。
母親は寒季が来る前に沢山の子供を育てなければならないので、そうした技術を教える余裕がない。
そこで子供達はこれはと思うオスに「自己アピール」して生きる術を学ぶ。
青年オスに気に入られるように熱意を充分見せたり、可愛らしく振るまわねければ「弟子入り」は認められないのだから厳しい。
母親とは違う他者である存在(青年オス)に自らの「子育て」の一部を子供自身がお願いにあがるのだから大変なことである。
結局「自己アピール力」に欠ける子供は生存できないのだ。
要するに「リアル」な社会で学ぶことこそが大切で、そうした「リアルな世界」と「人形相手の世界」とは随分と開きがある。
特に最近、「スマートハウス」や「スマートシティ」という言葉をよく聞くようになった。
「スマートハウス」とは、1980年代にアメリカで提唱された住宅の概念で、家電や設備機器を情報化配線等で接続し最適制御を行うことで、生活者のニーズに応じた様々なサービスを提供しようとするものである。
2010年代にはアメリカの「スマートグリッド」の取り組みをきっかけとした、地域や家庭内のエネルギーを最適制御する住宅として再注目されている。
世界で環境問題に取り組む今日、エネルギー消費を抑えるスマートハウスは注目を浴びており、さまざまな企業が参入をしているが、「スマート・グリッド」はこれからのキーワードのひとつといってよい。
ところでスマートグリッドは、「電力の自由化」が進展したために、そのフラツキを制御するためにアメリカの電力事業者が考案したものである。
「スマート」という語が表すように、従来型の中央制御式コントロール手法だけでは達成できない「自律分散的な」制御方式も取り入れながら、電力網内での需給バランスの最適化調整を行っている。
こうしたシステムは、省資源などの目的に対して「最適解」を提供するため、「スマート○○」ともてはやされるが、それが本当に「社会全体」の安定に寄与するのか、何か大きな「盲点」があるのではないのか。
そのスマートさとは、所詮人間の狭い世界観の中で考えられたものでしかないのではないか。
そんなことを痛感させられるのが、人間が住みやすい環境を作ればつくるほど、様々なアレルギーに悩まされるようになった点である。
最近のテレビ番組で、アメリカの「アーミッシュ」とよばれる人々には、アレルギーのがいないことを伝えていた。
個人的にペンシルバニア州に住む「アーミッシュ」の存在は、ハリソンフォード主演の名作「刑事ジョンブッフ 目撃者」(1985年)で知った。
彼らがアレルギーが少ない理由は、小さなときから、家畜に触れ合う機会が多いことにあるらしい。
さてアレルギーに関して、注目される報告の一つは、赤ちゃんと微生物の関係についての研究報告だ。
赤ちゃんは誕生後、微生物にさらすと良い、母乳も含め免疫を強める要因になる。
つまり、誕生後に、微生物に触れる機会が増えると「腸内フローラ」との関係で、アレルギーになりにくい体質を作るのだというものだ。
逆からいうと、生活環境の快適さや清潔さは、アレルギー体質を増やしているということだ。
この事実は、人間の「体質」の問題ばかりではなく、「精神」の問題を含めてもっと広い視野でとらえるべき視点ではなかろうか。
幼いころから人間に似た「バービー人形」とコミュニケーションをして、その癖に馴染んだ人間が、「リアル」な人間とのコミュニケーションに長ける人間になるとは思えない。
人形には善意も悪意もなく、善意や優しさを装うに過ぎない存在だからだ。
バービー人形が人間に近づくほど、人間アレルギーを生むのではなかろうか。
とはいっても、ロボットやバービー人形とともに生活する生活環境にある子供なんてそう多くはないだろうから、それほど深刻に考えるほどのテーマでもないかもしれないが。