インセンチブの操作

地震が起きれば、円安になるか、円高になるのかは、つかみがたい。様々なインセンチブが絡んでいるからだ。
2011年3月、東日本大震災が起こった。
「日本国家」の存亡を脅かすといっても過言でもないほどの未曾有の大震災だ。日本経済の先行きを不安視し「円売り」が生じると予想することもできる。
「円安」になるかと思ったが、1ドル70円台まで「円高」が進行した。一体なぜだろうか。
大震災のような有事が起きたとき、いつもよりたくさんの現金を「円」を手元に置いておきたいという「誘因(インセンチブ)」が働くということはある。
その時、どのようにして「円」を手に入れればいいか。
日本の企業や投資家は海外に投資しているので、ドルや、外国の金融商品などを持っている。
そこで、日本企業や投資家は、有事のときドルや外国の金融商品などを売って円を手に入れようとする。
このように、本国に円資金が還流することを「レパトリエ―ション(レパトリ)」というが、震災後円高にふれるのは、それを予想してのドル売り/円買いがおきるからだ。
阪神大震災・東北大震災で、「有事に円高」が定説になり、熊本地震でも、そういう投機がおきないともかぎらないが、あんまりいい気持ちはしない。
しかし、日本の保険会社が、大規模な保険料の支払いが予想される時に、手持ちのドルを売って円高にぶれるのは、実際の必要上のことだから致し方なかろう。
このレパトリの動きこそ日本で大災害が発生したときに「円高」に動く理由といってよい。
ただし、世界的にも大きな日本の保険会社は震災時の「保険料」支払いを、海外資産の売却を行うことなく国内資産で賄うことができれば、レパトリの動きは生じない。
つまり、人々や企業の経済的インセンチブは、時と場合によって様々な要因が絡んで掴みがたいということだ。

さて多くの国で、終戦直後にハイパーインフレーションが起きているが、これはどうしてか。
日本の戦後のハイパーインフレーションは、政府支出が「臨時軍事費」として、大蔵省の権限ではなく、陸海軍の権限で行われたために、インフレ-ションのついての注意はほとんど払われていなかったという点もあげられる。
「臨時軍事費」とは、混乱期にある中で、旧軍関係者と海外居留民を平和裏に内地に復員させ、日本を復興させるためには大量の資金を支払う必要があったのである。
具体的にいうと、終戦の為に打ち切られた軍需品についての民間企業との契約、動員された軍隊から将兵、軍属が除隊する際に支払う給料や退職金、そして復員手当ての支払いなどにあてられたオカネである。
つまり戦争中の公約とはいえ軍はそれを破棄するのに忍びず、もしこの支出を止めたならば軍人達がが簡単には復員しないだろうという懸念からめに支払われたのである。
その結果、民間に大量の資金があふれ、ハイパーインフレーションに繋がったのである。
要するに、人々にそれまで以上の現金が必要になったたという点では、震災直後と終戦直後の状況は似ているといえる。
戦後の混乱期におきたハイパーインフレーションから我々が学ぶ教訓はたくさんある。
ます「不良債権」の問題があげられる。
戦争末期から軍需産業の資金繰りは、銀行の融資によって行われていた。
国は戦時補償の支払いを上記の「臨時軍事費」を除いて停止したため、それは軍需産業への膨大な貸付が「不良債権化」した。
当然に銀行の信用は落ち、預金の一斉引き出し「取り付け騒ぎ」がいつおきてもおかしくない状況にあったため、それを防ぐために「預金封鎖」の強行された。
その約二年半あまりつづいた「預金封鎖」の間にインフレーションが進行し、物価は12倍にも跳ね上がった。
預金額が物価にスライドするわけはなく、顧客の預金資産の多くが実質的な意味で政府によって12分の1になるまで奪われたことになる。
つまり、銀行と企業の再建は、預金者の負担によって行われたということだが、戦後の「預金封鎖」の出来事は、過剰な不良債権をかかえる現代にも通じるところがある。
それは「ゼロ金利政策」によって預金者は相当な「預金金利」を奪われている点である。
一応、景気対策という「大義名分」が掲げられているが、それよりも政府の借金や、不良債権を抱える大手ゼネコンや金融機関の金利負担を軽減し救済する措置として行われている面が大きいのだ。

最近、人間の「インセンチブ」の複雑なカラミを思うところが多い。
例えば今、日本でインセンチブの絡みを思わせるのが「無人自動車」(完全自動運転車)の導入である。
つまり「車に乗ろう」という誘因(インセンチブ)のことだが、高齢化社会にあっては、「無人自動車」は福音にも思えるが、本当に操縦者のいない車がこの世にあふれるのだろうか。
車導入のインセンチブが絡んでくるのは、「ドライブの楽しみ」や、事故を起こした際の責任の所在が不明な点・危険回避は必要と思うし、部分的な自動運転の中での気持ちの「緩み」が常態化するといった「モラルハザード」が生じることにもなる。
経済政策において、人々の「インセンチブ」を十分に読み取らなければ、政策当局者の意図と真逆の効果を生むことになることが、しばしば起きる。
また、人々が経済的合理的に行動するといっても、それが「長期的視野」にたって行動するか、「目先の利益か」で随分違ってくるし、そもそも何をもって「長期」とするかも問題である。
そんなことを思いいたったのは今、家庭用の金庫の売れ行きが伸びていると話だ。
人々は、低金利で銀行にあずけておく魅力が減ったうえ、政府のマイナンバー制度導入による資産把握に対抗するかのように、お金を「死蔵」しはじめたのだ。
これでは、政府が狙う2パーセント物価上昇をますます遠のかせる結果になる。
日銀があおる「インフレ期待効果」のシナリオは、物が高くなるなら早く買おうという「消費刺激効果」だろうが、1970年代の石油危機で分かったのは、物価の値上がりが予想されれば、所得が実質的に下がるのを警戒する人々が買い控えに動くことである。
つまり、「インフレ期待」は消費抑制効果として表れるのだ。
それは「増税予想」にもあてはまる。消費税があがるから早く買おうという「消費刺激効果」もあれば、消費税があがるのなら、将来は厳しいので貯蓄をしておこうという「消費抑制効果」としても働くからだ。
しかしさらに根本的なことは、先進国の中央銀行は近年、大量のお金を市場に流す超金融緩和でインフレをめざし、通貨安を競ってきた。
つまり、自国通貨の価値を自ら減ずる。
それは「目先」の景気対策として意味があっても、「通貨」を、潜在的なインフレというカタチで結局は滅ぼしうるのだ。
「通貨の歴史」を簡単にみてみよう。
どんなものでも自然発生的にお金に成り得るのだが、全世界の歴史過程において、あたかも多神教が一神教に淘汰されるように、貴金属たる「金」がオカネの位置をしめ、その役割をはたしてきた。
言語がコミュニケーションの伝達手段であるごとく、「金」が市場における「交換」というコミュニケーションの 世界の共通手段となっていったのである。
そして歴史的にみると、政府あるいは中央銀行は、この金という金属の価値と結びつくことで、自らが発行するオカネに対する信頼を得てきたのである。
イギリスの場合、1868年の名誉革命以降100年間にわたって、政府が「債務不履行」に陥ることはなかった。
戦時に国債を増発するが、平和時には税収で国債を償還する仕組みが整備されていた。
そのために、政府の債務は高い信用を得ることができたのである。
一方、フランスは同じ100年間に3回もの国債の「債務不履行」を起こし、国の信用は徐々に、しかも深く傷ついた。
フランス革命の引き金を引く「三部会」が召集されたのは、深刻化する財政危機の解決策を議論するためだった。
免税特権をもつ階級貴族階級からも税金をとる必要が生じたからだが、貴族階級はそれを受け入れなかったことが、「革命勃発」の引き金となった。
革命の混乱で税収が減る一方、内乱で食料が手に入らず、戦争で歳出が増えたために、1793年にルイ16世が処刑されて以降4年間で、物価は数百倍に跳ね上がった。
結局、1797年に政府が借金の3分の2を踏み倒した後に、物価はようやく安定した。そのことで、市民は大きな犠牲を蒙った。
ところで、19世紀の英国で産業社会は本格化していった。
その成長の始まりとともに不足してきた金貨を補うための仕組みが、「紙幣」を発行する中央銀行であったといってよい。
日本の場合は、明治「新政府」は、歳入不足を補うために太政官札などを大量に発行し、大蔵省紙幣寮は「紙屑問屋」とよばれた。
伊藤博文は紙幣整理と近代的銀行制度の確立が急務だとして、米国のナショナルバンク制度も導入を建議。1872年 有限責任の株式会社、「国立銀行」が誕生する。
設立者は資本金の6割以上相当の政府紙幣を上納し、同額の公債証書を受領した。
これを抵当に国立銀行紙幣を受け取り発行することになった。
だが、紙幣の流通が極度の不振に陥ったため、76年に金などの「交換義務」を撤廃すると、79年末までに150の国立銀行が乱立し、紙幣発行高は激増し、今度はインフレが加速した。
そこで、日本銀行が設立して「混乱」を収拾するが、歴史の教訓は、政府債務が累積しても歳出削減や増税ができない場合には、ほぼハイパーインフレーション(超インフレ)が起きるということである。
紙幣が「金」の裏づけを失うと、オカネがオカネとして機能するためには、皆が「オカネが価値あるもの」として信じて受け取るという、いわば「共同幻想」以外にはないことになる。
最近の「タンス預金」の動きは、大きなウネリになっていないが、その意味することはシンボリックである。
「銀行いらない」→「中央銀行」いらない。手持ちの資産は、「政府にしられたくない」という動きである。
数年前、キプロスで通貨危機が起きたとき、仮想通貨「ビットコイン」で国外にお金を持ち出す人が現れたことを思い出す。
このビットコインの動きは、政府管理をはなれた把握できない通貨であり、米国ではマイクロソフトなどの有力IT企業が決済に採用して普及しつつある。
日銀がマイナス金利のように貨幣価値を減ずる政策を採り続けるなら、円を信用できなくなった人たちがビットコインに流れてもおかしくない。
ただ、2年前にビットコイン取引の世界最大手マウント・ゴックス社が盗難などの問題で破綻(はたん)したのを見ると、仮想通貨はどこか危なっかしさが残った。
とはいえ、盗まれても政府が救済してくれる通貨は、逆に政府が突然台無しにもできる通貨だともいえる。
仮想通貨は政府や中央銀行の手が及ばないのがいいところ。価格は急騰もするし、急落もする点では金や銀に似ている。
紙幣の発行コスト低いが、金は採掘量に制約され、採掘コストもかかるため、金に価値があると見なされる。
つまり通貨の価値もやはり「稀少性」に支えられていなければならないのに、それを無軌道に印刷したのでは信頼性を失うのは当然。
実は、ビットコインも、ネットワーク上にたくさんあるビットコイン取引の記録の正当性を保証するのに、コンピューターを使った大量の計算作業が必要であるため、簡単に増やせるものではないところに価値がある。
新たなビットコインを生むのは金の採掘のように大変なので「マイニング(採掘)」と呼ばれているくらいだ。
では将来、ビットコインが円やドルに取って代わる可能性としてはどうか。
また従来の貨幣も、モノやサービスの価値を測る基準を人々に提供する「価値尺度の提供」という役割は残るであろう。
とはいえ、従来の円やドルが信用できなくなって、「預金封鎖」近しなんて予測まで流れたら、人々は当然に政府に資産が知られたくないのため、何らかのデジタル化された「仮想通貨」のたぐいに逃げ出す可能性は高い。
仮想通貨は、「価値貯蔵手段」としては今のところリスクが高く「通貨の条件」は満たさないにせよ、「資産隠し」や「資産移動」などに利用される可能性がある。
少なくとも、電力に「選択肢」が生まれたように、貨幣に「選択肢」が増えることはいいことだ。

「ハーヴェイロードの前提」という言葉がある。ケインズ経済学において、「政府は民間経済主体に比べて経済政策の立案能力・実行能力に優れている」という仮説である。
経済学者ハロッドが「ケインズ伝」で、ジョン・メイナード・ケインズが生まれ育ったケンブリッジのハーヴェイ・ロード6番地に因んでケインズの政治思想につけた言葉である。
当初は肯定的な言葉として使われたが、現在では増税と政府の裁量権拡大を正当化するケインズ経済学を「批判」する意味で使われることが多くなった。
実際、現政権が日銀の人事にまで介入してやってきたアベノミクスは、「ハーヴェイ・ロードの前提」に立つものだったともいえる。
日本銀行は、マネーの供給さえ増やせば人々がインフレを予想して消費に動くハズだと、3年間、量的緩和を続けてきた。
最近の金融緩和の限界説に対し、日銀は「まだまだやれることがある」と、マイナス金利政策まで打ち出した。
政府日銀は、まるで低成長と低金利のワナに、ハマッテしまったかのようにもみえる。
その結果、「タンス預金」が増えお金が死蔵されはじめた。今や家庭用金庫が売れているらしい。
また、異例の金融政策で、株高など資産価格の上昇したが、そのメリットをうけたのは、金融資産を多くもつ富裕層だけで、ほとんどの人々はそれを受けられず、「一億総活躍」なんていう言葉はむなしく響く。
ところで、タンス預金に対して「貨幣」そのものにマイナス金利がかけられる方法がある。
ドイツの思想家シルビオ・ゲゼルが提案した「スタンプ付き紙幣」は、一定期間が過ぎたらスタンプを買って貼らないと使えなくなる。
これなら「タンス預金」に逃げられない。妙案だが、こんなこといちいちしていたら手間がかかるし、社会的コストも高く「反発必至」であろう。
ただ、現代ならICカードやフィンテック(金融と技術を合わせた造語)を活用したデジタルの世界で簡単に実用化できるらしい。
しかし仮に、そこまでやる政府がやるなら、国民の目には政府は「提供する存在」ではなく、「奪う存在」にしか見えなくなるだろう。
通貨の選択肢が広がっている以上、政府の目に届かないカタチで価値の貯蔵方法を選ぶ可能性もある。
要するに、政府が国民の経済的「インセンチブ」を操作するのにも、おのずから「限度」があるということだ。