フランスの空白

フランスの有名な映画に「禁じられた遊び」(1952年)という作品がある。我々もナルシソ・イエペスの弾く「ギターの音色」で聞きなじんでいる。
この映画は、ナチス・ドイツとの戦争が続いていた時代を舞台にしたもので、主人公の両親がドイツ軍の戦闘機による機銃掃射で殺されることから、反戦映画のひとつに挙げられよう。
とはいえ、「禁じられた遊び」とは何を意味するのか。
主人公の少女はパリで育ったために、お祈りの仕方も分かっていない。その少女を救った田舎のおばさんたちは、それを知ると、慌て少女にお祈りの仕方を教える。
ところが少女は、小動物を殺して埋め、十字架を立てるという奇妙な「儀式」を行うようになる。
異常事態の中では、まっとうな宗教の教えでさえも歪められてしまうということなのか。
もしそうならば、そこには現代にも通じるメッセージ性を感じさせる。
昨今の自爆を含んだテロリズムの横行は、人の命や運命さえ弄んでいるようにみえるからだ。
さてフランスといえば、パリのノートルダム大聖堂をはじめ、日本人の観光客が多く訪れるキリスト教の教会が多数存在している。
また、フランスの西海岸にあって世界遺産にも登録されているモン・サン=ミシェルも、小島のなかに建つのはキリスト教の修道院である。
というわけでフランスは「カトリック国」であり、その伝統が脈々と受け継がれているイメージがあるが、映画「禁じられた遊び」で、少々意外だったのは、「パリ育ちの少女はお祈りを知らない」という部分である。
18世紀終わりに起こったフランス革命によって、それまで絶大な権力を誇っていたカトリック教会の力が大幅に弱まったことは確かで、内線の舞台となりバリケードが築かれたパリでは、教会に行く人が少なくなったは事実であろう。
とはいえ、人々のキリスト教信仰は、農村部では相変わらず引き継がれていた。
しかし今、フランスでは、我々の想像を絶する規模で「教会離れ」と「宗教離れ」が起こっているらしい。
教会は「空っぽ」になり、聖職者も減っている。つまりフランスには「宗教的空白」が生じている。
ある調査によると、映画「禁じられた遊び」が公開された1950年代には、フランス人のうち日曜日にミサに与っていたのは35パーセントに及んでいた。
ところが、2011年の調査では、1パーセントに満たないという。
ただし、フランス人の60パーセントは自分はキリスト教の教会に属していると答えているので、洗礼だけは受けている。
それでも1950年代には、90パーセント以上のフランス人が子供に洗礼を授けていたのと比べ、「宗教的空白」は都市部だけの問題ではなく農村部にも広がっている。
教会に出席する信徒が大幅に減少すれば、教会は成り立たたなくなり、聖職者になろうとする人間も減っていく。1950年代においては、フランスで司祭になろうとする人間は毎年1000人程度いたが、現在では毎年100人程度と、10分の1に減っている。
そのため、外国から司祭を招いたり、司教区の統廃合も行われたりしている。
また、「無宗教・あるいは懐疑的な不可知論」が29パーセントであり、さらに「無神論」が13パーセントである。両者をあわせると、42パーセントに達する。
フランス人も、日本人と同じように「無宗教」になってきたと考えられるかもしれないが、その内容はまるで違う。
日本人の場合、自分たちは無宗教であるとは言いながら、宗教と一切関わらないわけではない。
初詣には神社仏閣に出かけていき、葬式は仏式でやることが多い。
ともに外側から見れば、間違いなく宗教行為であり、意識と行動とのあいだに大きなズレがある。
つまり、日本人は、特定の宗教を信仰していない、特定の教団には所属していないという意味で、無宗教を自認し、そう公言する場合が多いからだ。

フランスの憲法はその第1条で「フランスは、出自、人種あるいは宗教の区別なく、すべての市民の法の前の平等を保障する」としている。
もともとフランス人というのは民族の概念ではなく「価値観」を共有する人々の集まりという理念にたっている。
ところがフランスではカトリックが衰退し、いまや人口の上でも、文化の上でもイスラム教徒の存在感が増している。
そして、フランスにおいて「西欧の価値観」が衰退して、キリスト教徒が「マイノリティー」になるという危機感を持つ人が増えている。
それでもフランスには歴史の中で積み上げられてきた、自分とは異なる他者とどう「共存」していくかについての知恵、つまり「政教分離」の原則がある。
言い方を変えるとフランスは、あえて「非宗教」の共和国の装いの下、政治と宗教を分離してきたということだ。
それは、政治と心の問題を切り離すことで、仮に移民によってイスラム教徒が増えても、国の在り方そのものには影響が出ないように機能する「安全弁」となるハズだった。
しかしテロの頻発により、「政教分離」の原則たるすべての宗教を同等に扱うのはすでに難しくなっている。
それはスカーフや十字架などの外見を規制する程度の問題では済まず、イスラム教を名乗る「ニヒリスト」(虚無主義者)が、フランスの「宗教的空洞」を埋めるかのように増殖していることを指す。
その歪みは、「禁じられた遊び」というにはあまりに甚大な破壊行為として表れている。
その背景には、全体的に進行する経済格差や移民に対する差別があり、フランスという「国家の理念」さえ打ち砕こうとしている。
具体的にいうと、アフリカ系移民の「国籍剥奪」の問題である。
同時テロの実行犯には、フランス生まれでフランス国籍を持つ移民系の人物が含まれていたため、オランド大統領は必要であれば「国籍」を剥奪できるという憲法の改正を提案した。
しかし、「自爆テロ」を行うような人物が国籍の剥奪を恐れるとは思えず、むしろテロを助長する結果にならないかという反対意見が大きい。
そして、法務大臣が改憲案は抑止効果がなく受け入れられないとして辞任した。
この問題は、より深い問題を含んでいる。
フランス革命の原点に立ち返れば、その原則は「自由・平等・博愛」であり、それぞれが国旗の中に「三色」として表現されている。
北アフリカから来た300万もの「二重国籍」の人たちをフランスのコミュニティーから切り離すことは、それ自体がフランス共和国の原則の理念の否定にほかならないからだ。

明治時代に日本に伝わったキリスト教を日本の知識人たちはどう受け止めたのであろうか。
キリスト教とは、パレスティナの荒地に生れた民族的な臭さを抜いて、「唯一神」の存在を合理的理論(神学)で説く教義としてうけとめられたのか。
そういう神学的な内容より、まずは西欧文化への憧憬として受け入れられたに違いない。
明治以降に日本に伝わったキリスト教はプロテスタントが多く、日本の近代文学史においても、多くの作家たちはその創作活動においてキリスト教の影響を受けている。
初期のキリスト教徒が、内村鑑三の影響が強く、プロテスタント系のキリスト教作家たちの多くが、旧約聖書を中心とした「父性的」な神の方に目を向けてしまった傾向が強い。
そして厳格な倫理主義や独善的な姿勢に、次第に信仰から離れていくケースが多い。
その典型が、太宰治の場合で、信仰を「ただ神の笞をうけるために、うなだれて審判の台に向かふ事」と理解し、「神の愛は信ぜられず、神の罰だけを信じる」と書いているほどである。
その一方で、フランスに留学して「カトリック」を主題とする小説を書いた遠藤周作は、そうした流れとは一線を画した存在といえる。
そのテーマは厳格で罪を厳しく裁いていく父性的なプロテスタントではなく、「マリア崇敬」にみられるような母性の強い慈愛と寛容のカトリックだからだ。
遠藤周作がキリスト教に入信したのは12歳の1935年のことである。
最初は単に母からの勧誘による入信にすぎなかったキリスト教が、遠藤の一生を貫くテーマになったのは、戦時国家体制に合わせる為の信仰の「消極的否定」という経験は、遠藤が「隠れキリシタン」に興味を持つきっかけになった。
彼が戦後最初の留学生として向かったフランスでの道程は、遠藤流の「神の像」を作り出す原体験になったと言えよう。
日本では好運とだけ思われていたフランス留学であったが、はるばる海を越えて着いてみると、「大使館もない、平和条約も結ばれてない所で「同じ同胞と顔を合わせることもなく」「たった一人ぼっち」で勉強するということは、「大きな壁にぶつかるような」気分であった。
遠藤は研究室に入る気持を次第に放棄していく。
それに加えて、同世代のフランス青年からは日本の悪徳について指摘され、日本人を「野蛮、残酷、狂熱」人間として思う「人種的偏見」が厳然として存在する異国で屈辱を感じる。
27歳になるまで一度も接した事のない異文化でのカルチュアーショックはともかく、戦争直後という時代的状況自体や、見るもの、聴くものの全てからくるショックは想像を絶するものであっただろう。
こういう体験を通して遠藤は西洋人と違う自らの肌色の差を切実に感じたに違いない。
それゆえ、帰国してまもなく小説を書き始めた遠藤がテーマとして選んだのは「白い人黄色人」という色の差異に託された、西洋と東洋の差に関する思索であった。
戦争と留学という体験を通して得られた遠藤の異文化体験は病床体験とかみ合わさって「母なる神」としてイメージ化される。
ところで、遠藤が再入院したのは中堅作家として筆名を振っていた1960年のことである。
3年間にわたる死との戦いの中で遠藤は自分なりの神のイメージを掴むことができた。その結果掴んだ神のイメージは「踏絵のイエス」という形態で表出される。
それは、一緒に苦しむ「人間の同伴者」としてのイエスの発見と「母なる神」としての「神の像」の獲得であった。
ところで、遠藤周作の思索の中で一番違和感を感じるのは、「日本人に合ったキリスト教」という言葉である。キリスト教信仰に民族的違いがあっていいのかという疑問である。
しかし、これは西欧キリスト教に対する無理解からくる疑問であるとわかった。
西欧のキリスト教は、ヘブライの民族臭を脱した「理性的」な唯一神信仰ととらえられがちだが、実はそれは大間違いだといってよい。
遠藤周作がキリスト教と日本の風土を結び付けられる根拠としたのはマサにその点で、ヨーロッパの「土着的信仰」とキリスト教との関係に注目していたからにちがいない。
実のところヨーロッパのキリスト教はギリシア的な哲学に留まらず「土着信仰」までも吸収している。
ケルト、ゲルマンの樹木信仰、宿り木崇拝など、当初に無い要素も取り込んで、外来の要素を取り込んで柔軟に変化することで、キリスト教は世界的な宗教になり得た。
その表れの代表が「マリア崇敬」「聖人崇拝」などで、カトリシズム(普遍主義)は、ヨーロッパの土着信仰を取り入れたから、最大教派「カトリック」たりえたということだ。
遠藤周作は、西欧でそれが許されるのならば、長崎の隠れキリシタンにみるごとく「日本の土着」を取り入れた「日本人に合った」キリスト教を構想できるはずだと考えたに違いない。
そこで戦後、基盤を失い、否定されていた日本の伝統を再評価、再認識することにより、抑圧され緊張を強いられていた日本のキリスト教に新しい性質を付与しようとした。
つまり洋服ではないキリスト教を見出そうと、神を「同伴者イエス」というとらえ方をした。
とはいえ遠藤の場合、母性原理に基づいた「母なる神」が全面にでて、超越者たる「父性」は、かなり後退している印象が強い。
遠藤は、キリスト教をそれが生み出す文化や儀式・儀礼の総体として受け止め「西欧キリスト教」を強く意識したようだが、実は原点にある「聖書」のそのものは、意外にも日本文化と通じ合うものが多いという観点はほとんどみられない。
キリスト教の原点は、あくまでもオリエント(中東)にあり、西欧キリスト教はその「亜流」に過ぎないのに、日本人のほとんどが西欧を本家とみる錯覚に陥っている。

人に聞くところだが、フランスという国は、他人のことに干渉しない点で徹底している面がある。
それでも、カトリックが生きているかぎりは、どこかで人々は繋がっている意識があったはずだ。
しかしフランスでそれほど急速に「宗教的空白」が生じているのか、理由はよくわからない。
もうひとつ人に聞くところだが、フランス人はとても理屈っぽい。フランス人は「理性(合理性)重視」に傾き過ぎる傾向があり、それが「カトリックの衰退」と関係があるのかもしれない。
例えば、フランス革命で登場したロベスピエールは神に替えて「理性の祭典」というものを行ったし、18世紀のオーギュスト・コントは、社会のすべてを設計しうると「社会学」を創始した。
パリのソルボンヌ大学には、このオーギュスト・コント像があり、そのことは小説「白い人黄色い人」にも登場する。
さて、現代のヨーロッパの若者が、自由だが寂しい「個人主義」より、イスラム的な「共同体」を志向するのは、経済的な格差の拡がりと無関係ではないであろう。
若き日にイギリスに留学した夏目漱石は「私の個人主義」のなかで「自己本位」という四文字を自分の手に握ってから大変強くなったといっている。
「豆腐屋が豆腐を売って歩くのは、決して国のために売って歩くのではない。根本的の主意は、自分の衣食の料を得るためである。しかし当人はどうあろうとも、その結果は社会に必要なものを供するという点において、間接に国家の利益になっているのかもしれない」。
おそらく夏目漱石はイギリスでアダムスミスの自由主義経済学にも接したであろうが、まるでスミスの「予定調和説」を思わせる箇所である。
夏目式にいえば、利己心と自己本位は、似て非なものだ。経済学にいう「自己本位の人」とは、漱石によれば、他人の個性を認めつつ、自己の個性の発展をし遂げようと思う人のことである。
例えば、ボランティアをやっている人は、自己犠牲の精神でやっているわけではない。それは、人に喜んでもらうことが、自分にとって気持ちがいいという「自己本位」でやっている。
自己本位でやっていることが、いつのまにか他人のためになっている状態が「予定調和」である。
もしも、社会全体にこういう気持ちが漲っている限り、健全な経済が営まれているといえるだろう。
つまり、人に喜んでもらうために良い製品をできるだけ安く提供しようという気持ちがありかぎり、経済は「予定調和」へとむかう。
アダム・スミスが最初に書いた本は、「道徳感情論」で、次のように書いている。
アダムスミスは、「我々が食事を期待するのは、肉屋や酒屋やパン屋の慈悲心からではなく、彼ら自身の利害に対する配慮からである」。
そして「彼らが自分の利益を追求するからこそ、我々は彼らの提供する食事を楽しむことができるからだ」としている。
またアダムスミスは、「いかに利己的であるように見えようと、人間本性の中には、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものとするいくつかの推進力が含まれている」とも書いている。
ここにあるアダムスミスの「シンパシー」のある利己心を、夏目漱石の他者を尊重する「自己本位」と読み替えてもよい。
ただ問題は、信仰の空洞化や国家理念の喪失がこうしたシンパシーを希薄にしているということだ。