トレイサビリティー

この世の中、アカウンタビリティー(説明責任)など新たな言葉が広まるごとに「寛容さ」を失う感じだが、寛容にもホドがあるというのが、豊洲市場の「消えた盛土」問題ではなかろうか。
さて、ホームページの末端のページからリストをクリックしていけば元ページに戻れる仕組み~童話「ヘンデルとグレーテル」の中の、落ちたパンくずで足あとを追うという物語にちなんで、「パンくずリスト」とよんでいる。
実際の話、アメリカで一人の泥棒が犯行現場にあったキャンディを持ち帰り、包み紙を捨てながら隠れ家に戻ったため、あえなく御用となった。
このマヌケな犯人は、包み紙で「追跡可能」となったわけだ。
追跡可能を意味するのが「トレイサビリティー」。オリンピックの「エンブレム問題」などを含め、今一番問われているのが、この「トレイサビリティー」ではなかろうか。
日本社会を責任の所在が曖昧な「無責任体制」というが、それだけでは実態を表してしていない。
それは、足跡を意図的に「消して」責任を回避するぐらいのことが行われている社会なのだ。
それを如実に示したのが、豊洲市場の盛土消失問題で、現職の市場長を更迭するぐらいでは、「巨悪」を眠らせることになる。
さて、「トレイサビリティー」ということに関して、ひとつの立派なサンプルがある。
たった一人の一言で、ある金融機関がわずか1週間で「取り付け」の危機に追いこまれた出来事につき、ある地方新聞社が、その情報やデマの伝達経路を徹底的にトレイスしたものである。
それは、1973年12月8日、愛知県豊橋市で起きた、女子高生の何気ない会話から始まったわずか「1週間のストーリー」である。
下校中の電車車内で、豊川信用金庫に就職が決まった女子高校生を、友人が「信用金庫は危ないよ」とカラカッタことからはじまった。
それも同信金の経営状態を指したものではなく、信用金庫は強盗が入ることがあるので危険だという意味で、それさえも冗談でいったことであった。
12日には、街の至るところで、豊川信金の噂の話題が持ちきりとなり、そうした噂を聞いたアマチュア無線愛好家が、無線を用いて噂を広範囲に広める。
その後、同信金窓口に殺到した預金者59人により約5000万円が引き出される。
同信金の支店に客を運んだタクシー運転手の証言によると、昼頃に乗せた客は「同信金が危ないらしい」、午後の客は「危ない」、夕方の客は「潰れる」、夜の客は「明日はシャッターは上がるまい」と時間が経つにつれて噂は誇張されていったという。
そのうち14日には、「職員の使い込みが原因」から「理事長が自殺」という二次デマが発生し事態は「深刻化」していった。
信金側の依頼を受け、マスコミ各社はデマあることを報道し騒動の沈静化を図る。
15日、自殺したと噂された理事長自らが窓口対応に立ったことも奏功し、事態は沈静化に向かっていった。
女子高生のなにげない会話から、わずか1週間で地元の信用金庫を「取り付け」の危機に導いたわけである。
ところで「トレイサビリティー」をキーワードとするマネー・システムがある。
何かと話題となっているビットコインは、日銀の保障もなく、金の裏づけもない。
この通貨が流通できるのは、「トレイサビリティー」あってのことである。
ビットコインの仕組みにつき、次のような文章と出会った。
「ビットコイン取引は完全に"追跡可能"である。これはビットコインにおけるどのような活動も追跡可能だ、ということだ。もちろん、幾らか限界は生じてくるが、資産を共有している場合や、共通の取引履歴を残すことに同意していた場合であれば、元の利用履歴を追うことは難しいであろう。しかしそれも既に情報の一端と言える。セキュリティを強化したいのであれば、”疑わしい”行動を起こしそうな人や、履歴を全く残していないような人と関わりを避けるのが良策であろう」。
正直、あまり理解できない文章だが、ビットコインは、その履歴を”追跡可能か”すなわち「トレイサビリティー」が鍵であることがわかるであろう。
ちなみに、ビットコインの取引の経路を遡っていくことを「マイニング」(採掘)とよぶ。

日本社会の最近のモヤモヤ感の大きさは、いろいろな面でのトレイサビリティの欠如を反映している。
すなわち重大な決定に対して、誰が何をどのように決めたかをトレイスできず、「次」に生かすことが出来ないというモヤモヤ、ウヤムヤ感である。
このことは同時に、社会全体の大きな「不効率」を生むことに繋がっている。
役所では通常「議事録」を書くことになるが、試しに我が地元の「福岡県/定例議会/会議録」を検索してみるとインターネット上にシッカリと公開してあった。
またネット上には、「国会会議録検索システム」も設置されている。
しかしこうした「議事録」においても、いざ責任の所在に関わるところでは、霧ががかるらしい。
ものごとには必ずや「言いだしっぺ」がいるはずだが、本人が足跡を消すか、その有力者の意を忖度した人々が責任を伴う発言を気化させるかのように、「皆」で決めたことにする。
その場の空気に抵抗できる雰囲気にないといったことまで議事録に表されることはないので、マトメ方によってはどうにでもなりそうだ。
最近、こうした審議会の議事録は、インターネットで公開もされるようになっているが、突然4回目とか5回目からの議事録の「公開」が打ち切られるといったミステリーがおきたりする。
かつて、東北大震災で設置された「原子力災害対策本部」を含め東日本大震災に関連する政府の重要会議のうち合わせて10の会議で「議事録」が作成されていなかったことが明らかになったことがあった。
特に事故直後の1週間について、経済産業省原子力安全・保安院の担当者は「メモの情報もほとんどない。当時は切迫した状況で、資料を集めきれたか確証はない」「録音がなく、これ以上詳細に復元することは難しい」としている。
当事者への同情も禁じえないが、その一方で「切迫した」状況であったからコソ、「議事録」が必要であったということもいえる。
日本の「公文書管理法」では、政府の「意思決定の過程」を検証できるようにするため、重要な会議の記録を残すよう定めている。
結局、議事録がナイでは済まないので、お茶を濁すかのような「議事概要」を、震災から1年目にしてようやく明らかにした。
とはいっても、「あの時」の記憶をメモしたものや記憶をツナギ合わせて列挙したもので、わずか70ページ程度のものでしかなかった。
一方、アメリカの「原子力規制委員会幹部」と日本政府とのヤリトリが公表されたが、3000ページ以上にわたる記録となっている。
アメリカ当局が事故の発生直後から独自に情報の収集や分析に努め、対応を検討した経緯が詳細に記されていた。
これは、「録音」に基づき作成され、委員同士の生々しい会話や、発言の言い回しまで正確に再現しているという。
アメリカでは、1950年に施行された「連邦記録法」という法律で公文書の保存や管理を定めていて政府機関の会議などのやり取りは「議事録」として残すことになっている。
最近では、オバマ大統領がインターネットのツイッターでつぶやいた内容も保存の対象となるなど、時代に合わせ公文書の保存を徹底して行ってきているという。
また、日本の行政府の重要な「政策決定」の過程には、「専門者会議」や「審議会」というものが置かれることが多い。
いわゆる「行政審議会」というもので、国民各層の利益を代表する事業者や、実務・学識経験者などから組織される。
民主主義を補完する「国民参加機関」として、行政に関する重要な政策方針を策定したり、特定の処分を下す際に「意見の答申」を行うものである。
しかし、行政審議会の内実は、行政側の決定を追認し、「結論ありき」の決定に箔をつける目的で行われることが多い。
したがってこうした審議会においても「議事録」というものが作られるばかりではなく、それが「公開」されてしかるべきなのだ。
上から一方的に政策を推し進めていることや、ツジツマが合わない議論はできなくなる。
さて、豊洲新市場の盛り土問題で、盛土の工法を検討したのが外部有識者で構成される「技術会議」である。
先日、東京都と「技術会議」の間で面白いやりとりがあったことが判明した。
問題となっているのは、2008年12月25日に開かれた第9回技術会議の「技術会議が独自に提案した事項」という資料だ。
この日の会議ではその他の複数の資料があって、約2か月後に東京都のホームページで公開された。
しかし「技術会議が独自に提案した事項」だけは、後からこっそり「追加公表」されたもので、「建物下に作業空間を作る必要がある」と書いてあった。
ところが、この件に関してテレビ出演した技術会議メンバーのひとりがスタジオで怒りをぶちまけた。
メンバーによれば、その資料は、東京都が勝手に作ったもので、技術会議ではまったく検討していない。
今回の「内部調査」の過程で、東京都が盛土をしないことを決めたというわけにもいかないから、この「資料」を都合よく利用したにすぎない。
つまり都サイドで、盛土をせずに地下空間を作ることがあらかじめ決まっていたのに、いかにも技術会議が「発案」したように見せかけたものである。
そして最近、東京都の中央卸売市場長は、「技術会議」の会議録資料を都側が捏造(ねつぞう)したことを都議会経済・港湾委員会の集中議で認めた。
実際は都側が建物下の空洞を提案したにもかかわらず、この資料には、技術会議が「地下水から基準値を超える汚染物質が検出された場合、浄化できるように建物下に作業空間を確保する必要がある」と提言したと明記されているのだ。
つまり都が、建物下に空間を作ることを案したにもかかわらず、技術会議から提言を受けたとする「虚偽」を内容としたものであった。
この資料は、盛り土問題発覚後の9月16日に都のホームページ(HP)に掲載された。そして、同30日に公表された都の「自己検証報告書」は、このことが「盛土案変更」の決定につながったと指摘したのである。
野党側の「本当に技術会議の提言だったのか」と質問したのに対して、担当者は「議事録を見ると、提言を受けた事実はない」と答えた。
では、「なぜ技術会議の提言としたのか」との追及に、市場長は「技術会議でやり取りされた経緯について書いたつもりで、変な議論に持っていくつもりはなかった。結果として間違いがあり、おわびしたい」とよくわからない謝罪をしている。
東京都は、本来議事録を通じて問題点を明らかにして、それを今後に生かすべきなのに、トレイサブルであるべき「議事録」を捏造までして、「足跡」までも消さんとしているということだ。

日本国民には、致命的な「トレイサビリティの欠落」が二つほど存在していると思う。
それは、市場の盛土消失とは「次元」が異なるほど大きな問題である。
それは日本人は、自分達の「出自」を知らない民族で、それを"追跡する"と大きな壁にぶち当たってしまうことをも意味している。
原始時代の日本人のルーツは多様であり、北方アジア系、南方アジア系、南洋系などなど、様々な民族の流れが「合流」した結果、日本という国が出来上がった。
しかし○○系というのは、どの「方向」から民族がやってきたことを示すのみで、具体的にどんな民族が日本にやってきたかを明らかにしているわけではない。
古代において、東アジアをさらに西に溯れば中央アジアさらには中近東にルーツがある人々も日本にやってきているかもしれないのである。
こうした民族的由来が霧に霞んでいるようなことは外国にもあるに違いないが、日本における最初の統一政権たる大和朝廷の成立(天皇の成立)の経過が不明なのである。
日本の歴史はそれまで中国の歴史書によって「文字」として明らかにされたが、大和朝廷が結成された4世紀ごろは、ちょうど中国の争乱により中国の史書の記録を欠いたままである。
つまり日本人にとって、最重要な時期の歴史の文字のデ-タとしてはポッカリぬけており、天皇陵の考古学的な探求も宮内庁によって大きく制限されている。
つまり、国の始まりはトレイサブルではない。
戦前、古事記や日本書紀などによる「国創り神話」があった。戦後そうした非科学的な「神話」は否定され、自由や民主主義という理念が新たな高揚をもたした。そして「所得倍増」などの国民一体の「経済成長」が一つの理念として社会に充満していた。
そして、日本人は、自由や民主主義の価値を体得した「新たな国民」に生まれかわったという錯覚さえ抱いていたのではなかろうか。
しかし、「食う、着る、住む」などの基本的な要求が満たされたのはヨシとしても、それ以後、日本社会全体が「漂流」しているようにみえる。
先が見えない時、人間は自分の淵源をトレイスして、ひとつの方向性を見出そうとすることは、大いにあることだ。
しかし、日本の国の起こりはとても霧深く、日本人はいまだに十分に自己を語ることができない。
もうひとつの「トレーサビリティの欠落」は、戦後の日本の「国づくり」にある。
それは、戦後の日本の国のカタチを決定したといっていい、マッカーサー草案はわずか9日間の「密室」での作業であったということばかりではない。
1949年、鉄道に関する不可解な事件が下山事件・三鷹事件・松川事件と連続して起こった。
松川事件は東北本線松川駅で列車が転覆し、機関士3名が殉職したというものであるが、枕木を止める犬釘がぬかれており、これが誰かが故意に何らかの目的をもって工作したものであることは明らかであった。
こうした三事件に共通したことは二つあり、一つは事件の捜査が始まらないうちから、政府側から事件が共産党又は左翼による陰謀によるものだという談話が発表されたことである。
その背景には鉄道における定員法による大量馘首問題があった。実際に、国鉄の労組は出鼻をくじかれ世論を味方にすることもできずに、馘首はかなりすみやかに行われていったという経緯がある。
第二の共通点として、こうした事件の背後にアメリカ占領軍の影がチラツイていることであった。
列車転覆の工作に使われたと思われるパーナには外国人と思われる英語文字が刻んであった。
アメリカは日本で「労働組合の育成」を行ったが、それが左翼化することまでは望んでいなかった。
松川事件で被告達は「全員無罪」となったのであるが、真犯人が判明したというわけではない。
戦後、こうした事件を背後で操ってきた勢力との繋がりを完全に断ち切れているのか。
今日に至るまで、日本という社会がこうした「暗部」といまだに繋がっていると推測できるような出来事は、時々起こっている。
日本人にとって、「国の起こり」「戦後社会の始まり」は、相変わらずトレイス不能な霧の中にある。