「日本教」仏経派

江戸幕府は儒学を「正学」とした。そのため日本人はイマダ儒教の影響から逃れることができない。
それはちょうど、仏教の「檀家制度」がいまだに我々の生活を縛っているのに似ている。
儒教には、今日の道徳教育においても生かしたい面も多くある。しかし、その「毒気」にはまともにアタリたくはないものだ。
先般、国会議員の女性議員にたいする男性議員のヤジの中にも、その「毒気」の一端が感じられる。
また、女性国会議員の比率がいまだに先進国の中でも極端に少ないのも、儒教的な毒と無関係とはいえないであろう。
とはいえ日本が「儒教文化圏」にありながらも、19世紀に東アジアで唯一近代化に成功できたのも、そうした「毒気」を幾分解毒する作用をもった社会であったからにちがいない。
その「解毒」作用のヒトツが、日本人は何事にもひとすじの道を歩むことを大切にする「○○道」が存在することだ。
武士道はもとより、茶道や華道、柔道や剣道。そこまでならマダシモ「料理道」から「掃除道」まで存在する。
一つの道に精進して極めることが尊ばれ、「カリスマ主婦」から「掃除のカリスマ」までが生まれることになる。
道を究めることに「貴賤はない」ということだ。
「万葉集」には、天皇から貴族、防人から一農夫までの歌が収められている。「和歌」を究めることに貴賤はない証拠だ。
道を究めるのは「精進」であり、どうあれ尊敬に値するのだ。ただ、精進だけにスポーツの世界で勝利後にガッツポーズを控えたり、喜びを露わにしないナンテいうのも、キット日本人しかないメンタリティーなのではなかろうか。
このように、何事も道を究めようと「精進」するところは、「禅」による影響が多大であろう。
禅の世界では、「身の回り」のことに関しては何でもしなければならない。
これが日本社会で「儒教的毒気」を幾分和らげたように思われる。「○○」道の存在は、身分制社会をある程度緩和するように働いたからだ。
その一つの典型は、日本では企業の新人研修などで「便所掃除」をさせることがあり、学生にも教育的意図も含めて「掃除」が課される。
しかし外国では掃除は社員や学生のする仕事ではないと嫌がられ、拒否されることもある。
特に儒教社会ではその傾向が強く、根本的に身分制社会で、それが経済発展の弊害になてきた面がある。
中国で、そもそも皇帝とは、人間界はほうっておくと無秩序になるので、天が世の中を収めるために差し遣わした徳のある人間である。
だから皇帝のことを、「天子」とした。遣隋使の国書をみた煬帝が怒ったのも、日本の大君が自らを「天子」と名乗ったからだ。
天子は二人いるなどありえないからだ。
ただし、天子が徳を失えば、別の有徳者が民衆を統治する。つまり「易姓革命」だが、儒教が「天」を語るところが宗教といえる部分であるが、「天」は西洋でいう造物主や人格神とは根本的に異なっている。
さて、儒教的社会はソノ皇帝に使える官吏が民間より偉くで、超難関のペーパーテスト(科挙)で選ばれたエリートである。
人間の守るべき道は儒教に示されているので、科挙とはどれくらい儒教を理解しているかをためす試験に他ならない。また儒教には「政治的な要素」も含まれているので、官吏は政治学をマスターした人間として政治に関わることができる。
そして儒教社会では「農→工→商」の身分差があるが、「士」に関していえば日本では武士を意味するが、中国や韓国では「官吏」を意味する。
そしてイマダに「官尊民卑」という意識が根強く残っており、職業に対する貴賤意識も強い。
その典型的な表れが儒教国・韓国では「老舗」というものが存在しないことだ。
飲食店で成功しても、卑しい仕事なので材を築けば、いち早くその世界から脱することを考えるからだ。
もちろん、飲食業を子供に継がせようとは思わないという。
さて、日本人の志向する「○○道」の「道」は、一本道である。
日本では「ひとつのことを続ける」ことに「色々やること」よりも高い価値が置かれている。
野村元楽天監督は、現役時代に自分のことを「生涯一捕手」を、この「生涯いち○○」みたいな人生に対するスタンスは、今でも日本人の生き方として、あるいは職業倫理として好意的にとらえられることが多い。
ただ、「○○道」には、ひとつの重要な前提がある。「道」を極めた先には、「達人の境地」のような万事に通じる普遍的な世界が開けているというものだ。
だから「道を知る者」同士は、たとえまったく違う世界の人間でも分かり合える。
スポーツのメダリストの政界デビューも、入試の「一発芸」も「極めたる者」の普遍性という観念から、許容されているのかもしれない。
この点、欧米は対照的であり、かつて広島カープにいたホプキンスのエピソードを思い出す。
1970年代半ば山本浩二・衣笠祥雄とともに広島カープ全盛期に3番打者として活躍した。
1977年引退後は、選手時代から勉強を重ねていた医者の道を志し、シカゴの医大に再入学し整形外科医になった。
カリフォルニア州ローダイ市で病院を開業し、意義深い「第二の人生」を送った人といえる。
広島カープ時代にダッグ・アウトでドイツ語を勉強していていたし、試合の合間に医学書を読むばかりではなく、試合前に聴講生として広島大学で実験を行っていたエピソードもある。
日本だとソンナ時間と体力があるんだったら、「野球道」に励めといわれるだろう。
ホプキンスを日本人選手からドイツ語を学んでどうするのかと尋ねられたら、自分は今から医者になると明言していたという。
ホプキンスに「余生」という言葉はなかった。医者になった後に60歳を過ぎてさらに転身し、ミッション系大学で「聖書学」を教えている。
聖書には有名な「タラントの譬え」があるが、敬虔なホプキンスは造物主に対して、自分の能力(タレント)をフル活用しようとしたようだ。
「道」を尊ぶ日本社会では、職人の評価が高い。長い年月をかけて磨きあげた「匠の技」は圧倒的な尊敬の対象だし、「人間国宝」も、そういう尊敬心の上に成立している。
こういう意識こそが「モノつくり大国」ひいては近代化の成功を生む結果となったのであろう。

孔子は「怪力乱神を語らず」といったが、儒教は単なる処世訓に留まらない宗教的側面がある。
そのひとつが「天」という概念であり、もうひとつが「祖先崇拝」を基盤にしている点であろう。
儒教では子孫が絶えることを何よりも嫌う。
その理由は、自分を祭ってくれるものがいなくなると困るからである。
しかも祭るものは「男系」でなければならない。したがって「女性の役割」は男の子を産むことであり、それができない場合は他に「第二夫人」作ってもいいことにもなる。
明治大正昭和初期の文学を読んでいると、人々が「家」に束縛され「家系」を絶やさないことにイカニ強くこだわっているかがわかる。
パール・バックといえば中国で生活した体験をもとに書かれた「大地」が有名で、1930年南京において執筆され、1931年に出版された。
パールは、宣教師の子どもとして中国で大半をすごし、日本にも足跡を残している。
1892年6月、パール・バックはアメリカ、ウエスト・バージニア州のヒルズボロで生まれた。
両親は熱心なクリスチャンで、宣教師として中国へ赴いていたが、母は出産のため一時里帰りして娘のパールを生んでいる。
パール・バックは、父親が宣教の地を中国ではなく、日本を選んでいたらどうだったか、この才女は何をえがいただろうか。
そんなことを思うのも、格好の材料があるからだ。
女流作家の円地文子の小説「女坂」をたまたま読んでいて、ハタと思った。この小説は、パールバックの「大地」の焼き直しだと。
そして、パールバック「大地」の訳者をあらためて確認すると、円地文子という名を見出したのである。
パールの「大地」も円地の「女坂」も、それぞれ社会の中で女性がおかれた「忍従」の姿を描いたという点で共通しているからだ。
日本の明治という時代、つまり成功した男が何人も妾を囲って生きている社会に舞台を置き換えている。ちなみに、女性が生きるにつらく長い道のりを円地文子は「女坂」と表現している。

日本人の大半は、先祖供養は仏教本来のものであり「シャカの教え」であると信じているが、先祖供養もお寺にある先祖代々の墓も、毎年定期的に行われる「お盆」の行事も、シャカの教えとは無関係である。
仏教はシャカの悟りから出発した「シャカの教え」であることはいうまでもないが、その仏教は「輪廻思想」を大前提としている。
シャカは、生・老・病・死という「四苦(しく)」は人間の宿命であり、この世に生まれて生きること自体を苦しみだとした。
仏教が目指す最終目的は「悟り」を得て輪廻のサイクルから抜け出すことで、それにより本当の幸せになれると考える。
仏教におけるさまざまな修行は「輪廻」から抜け出すことを目的としたもので、少なくとも「生者のための仏教」である。
人間は解脱できないかぎり、肉体の死とともに一定の期間を経て、次の輪廻の世界に生まれ変わることになる。
そこで生と死を貫く、何らかの主体の「同一性」があることを前提とするが、その輪廻の主体とは具体的に何なのか。
日本人なら「霊魂」に決まっていると思うが、シャカは霊魂の存在を認めないのだ。
さらに、シャカ「「死とともに肉体は単なる抜け殻になる」として、死体は無用のものだから「火葬」にして捨ててもよいということになる。
仏教では、死後は「中有(ちゅうう)」という時間に入ると考える。その長さは49日とされ、その間に次に生まれる場所が決められる。
そこで少しでもよい所に生まれ変われるように、僧を通じて供養する。
供養は初七日に始まり、7日毎に行われ、49日目に、本人の生前の行為・善悪に応じて生まれ変わる所が決まることになる。
そして生まれ変わる処というと、6つの候補となる世界がある。
すなわち「天上界」「人間界」「修羅界」「畜生界」「餓鬼界」「地獄界」である。
いずれの世界に生まれ変わるにせよ、輪廻のサイクル内にとどまる以上は、苦しみの生活が続くことには変わりない。
「解脱」して仏とならないかぎり、すなわち「成仏」しないかぎり、いつまでも輪廻のサイクルを抜け出すことはできない。
シャカは「解脱」した「仏」のひとつにすぎない。
となると、すでに生まれ変わりを果たしているのなら、当然「先祖供養」そのものが意味をなさないことになる。
実は、シャカの教えに従えば、血縁者の供養・先祖代々の供養などは全くのナンセンスであり、不必要なものということになる。
また、抜け殻である肉体や骨は用のないものであり、墓も必要ないということになる。
日本のお寺にある墓や「位牌」には、わざわざ「○○家先祖代々」と記されているが、日本の仏教から先祖供養と墓を取り除いたら何ものこらない気がする。
実は日本の仏教の最大の特徴は、「死者のための仏教」に特化していることで、悟りを得られるなら墓は不要だとしているお寺や宗派は実際には存在しない。
「輪廻」と「先祖供養」は本質的に相反する。
シャカの教えを忠実に実践して、悟りを得て「輪廻」を脱しようと思っている人などほとんどいないと言ってもよい。
日本の仏教は、どうしてこのような変身をとげたのだろうか。一番の要因は儒教の影響である。
さて、先祖霊への崇拝を土台とする儒教は、中国民衆の心をつかみ、外来のインド仏教と鋭く対立することになった。
やがてそうした仏儒の抗争の中で、仏教サイドが譲歩し、輪廻思想とは全く無関係な先祖霊崇拝・先祖霊信仰を取り入れるようになったのである。
その際、仏教サイドが考え出したものが「偽経(インド原典のない仏典)」だった。
インド仏教と違うことを教えとするために、新たに偽の経典をつくることを思いつく。
偽経の代表が「盂蘭盆経」と「父母恩重経」で、前者はお盆の行事の根拠となる経典で、仏教における祖先祭祀の合理化をはかったものだ。
後者は現世の「孝」を説く経典で、子供を育てた父母の恩の重いことを述べたものである。
仏教サイドから、儒教の「孝」を取り入れようとした結果つくられた偽経である。
こうしてインド仏教とは異なる「中国仏教」つまり「儒教化した仏教」ができあがった。
こうして儒教の「先祖霊崇拝」の影響を受けて大変身した中国仏教が、日本に伝来したのである。
ところで、日本では仏教伝来以前から、「先祖霊崇拝・祖霊信仰」が行われていた。
民俗学の柳田国男によれば、日本人には「あの世にいる先祖は山や海に住んで、お盆や正月に子孫の元に帰ってくる」との信仰があったという。
太古の日本では「先祖の霊は死後、時間の経過とともに浄化され、やがて氏神になり子孫を守るようになる」との信仰があった。
古代の日本には、こうしたシャーマニズム的土壌があったために、中国から伝来した仏教は日本古来の先祖霊崇拝と無理なく融合することができたのである。
本来のインド仏教には、墓石(墓標)を立てることや墓参りなどはしない。仏像でさえ作らない。
実は、日本の家庭に見られる「仏壇」は、仏教本来のものではなく、儒教における「祠堂」がミニチュアとして取り入れられたものなのである。
また仏壇や寺に安置される「位牌」も、儒教の「招魂儀式」で呼び寄せた祖先の霊を憑かせる「神主依代」を模倣したものなのである。
ところで、孔子の教えを中心にした儒教には、もともと仏教のような「形而上学」がないという弱点があった。
その弱点を補おうとして登場したのが、11世紀の宋学(朱子学)であった。
宇宙の万物は「陰陽二気」の織り成しによって存在しているという「理気二元論」という壮大な「思想哲学体系」をつくり出した。
一般的に儒教では、人間を精神と肉体の2つに分けて考える。精神を支配するものを「魂(こん)」、肉体を支配するものを「魄(はく)」と呼んでいる。
死ぬと魂魄(こんぱく)が分離し、魂は天へ上って空にとどまり、魄は地中(墓)にとどまる。
儒教では、子孫が天(空)に漂う先祖の魂と、墓にいる先祖の肉体(魄)を、地上の子孫のいる場所に呼び戻すことによって、先祖は再びこの世に現れることになると考える。
これが儒教で最も重要視される「招魂儀式」であり、血縁関係のある子孫の集まりの中で厳かに行われることになる。
こうした儀式を未来永劫にわたって執り行うためには、血縁が続き子孫が繁栄することが絶対的に必要とされるわけだ。
儒教においては、死後も肉体は重要なものであり、骨はその肉体の象徴として大切に扱わなければならないと考える。
火葬に付すなどとんでもない話で、死体は埋葬(土葬)でなければならないということになる。
日本人的意識では、人間は死後も霊魂として存在し、その中には「地縛霊」となったり「未熟霊」として地上に近くに留まり続ける。
また、先祖供養を中心とする日本仏教では、先祖の罪が子孫に及ぶという観念もあるようだ。
ともあれ、古来からのシャーマニズムに儒教が混交した、シャカも与り知らない日本仏教が形成されていった。
鎌倉時代の一遍の「踊り念仏」や親鸞の「専修念仏」などに至っては、もはや「ガラパゴス仏教」とでもいえそうだ。
それとも「日本教」仏教派とでもいうべきか。