特異な「徴税力」

平安期の「宋銭」は名前からもわかるように国産のお金ではなく中国のお金である。これを流通させたのは平清盛である。
特に博多で「日宋貿易」の実権を独占的に握った平清盛は、「土地」という不動産にしか価値を見出せなかった源頼朝とは違い、数歩も「近代人」に近づいていたといえる。
宋銭を使えば、数量でもって価値を表せるし、米や絹より持ち運びにも負担がかからず、少ない「取引コスト」で多様多彩な取引が広く実現できるからだ。
ただし、お金の発行権は歴史的に国王(朝廷)の権威と権力の象徴であり、外国のお金を日本で流通させるなんて「国辱」ものでしかない。
まさに「憎まれッ貨、世にはばかる」だが、それをあえてやったのが、平清盛である。
なぜ、そんなことが出来たのだろうか。
その背景のひとつは、日本政府(朝廷)が流通させた「国産貨幣」にロクなものがなかったという不信感がある。
例えば、奈良時代の708年国産初の「和同開珎」が発行されたが、早くも翌年には「私鋳銭」に対する刑罰についての詔が出されている。
素材となる銅の供給もままならず、それらしいマガイモノが流通したということである。
死刑を含む「厳罰化」(711年)にもかかわらず私鋳銭はなくならず、以後「国産貨幣」は衰退する一途を辿ったのである。
つまり日本には、まともな「鋳造技術」がなかったといえる。
一般にひとつのモノが「通貨」として流通するのは、通常、非常に長い時間の「淘汰」を必要とする。
したがって、近代的貨幣制度の整備以前には、色々なものが「交換手段」として使われたが、おおまかにその国の「通貨」とは何かと問う時、一番わかり安い「識別法」は、その国の国民が「何を」税金として政府に収めているかということである。
国民が政府が「絹」で税金で収めさせていたら通貨は絹、「米」で収めさせていたら通貨は米と考えてよい。
もっとも絹や米のような物品貨幣は「汎用性」が高くはなく「通貨」にまで至らないので、せいぜい「米本位制」や「絹本位制」というぐらいの言い方が適切かもしれない。
そして、貨幣が登場する段になり、国王の顔が刻まれたコインならばそれは間違いなく「税」の支払いにあてられるものと考えてよい。
聖書の「カイザルのものはカイザルに」という言葉どうり、王は、貨幣に自分の「肖像」を刻むことによって、その貨幣の「通用性」すなわち「通貨」たることを国民全般に保証するばかりではなく、自らの「威信」までも示したのである。
しかし、国王でもない「私勢力」(平家)が、しかも外国から輸入した貨幣を「通貨」としてしまったのが「宋銭」である。
当時、平家一門は朝廷内で重要な官職を占めており、その頂点にいた平清盛には後白河法皇に「匹敵」するほどの実権を持っていた。
実際に、朝廷側が、清盛死後自らの「威信」を取り戻すために「宋銭禁止令」を何度か出しているぐらいである。
平家ならば、天皇しか持つことができない「貨幣発行権」を手に入れ、実質的に「国王」として君臨できるぐらいの「驕って」も不思議ではない。
しかし、それならイッソ平家の「家紋いり」の貨幣に作り直すとか、それが反発を生むなら、違うかたちの「国産貨幣」に鋳直すくらいのこともあってもよさそうだが、そうしなかった清盛は「名より実をとった」ともいえる。
当時、中国から「宋銭」を輸入して、国内向けに「鋳直す」なんていうコストをかける必要がないほどの「特異な」社会情勢があったからだ。
その社会情勢とは、意外にも当時日本全国に広がっていた「末法思想」だった。
日本では浄土信仰に加え「末法思想=終末思想」の影響で日本全体でかえって仏像つくりが盛んになった。
実は、中国から銅銭を輸入するなんていう「発想」は、平清盛によって生まれたモノではない。
それは、「銅」がほしかった寺社勢力によるものだった。
それではなぜ、寺社が「銅」が欲しかったかというと、仏像を大量につくる為には仏像の素材たる「銅」が必要になったからである。
最初、中国の貨幣を材料に「経筒」(経典を収める筒)が作られたようになり、それが仏像にまで発展していったのだ。
仏教勢力は貨幣としての「名目」よりも、素材としての「実体」に目をつけたということだ。
それをヒントに、この宋銭を日本でそのまま「通貨」として流通させるということを思いついたのが、平清盛だった。
そして平家は年貢を「宋銭」で支払わせるまでに至ったのである。
当時、人々は絹・米の代わりに「宋銭」を貨幣として受け取ったとしても、仮に「通貨として何物にも交換できなくとも、そこから「仏具」になるし、経筒の「材料」となるという気持ちあったのである。
わざわざ、宋銭を国内貨幣に鋳直そうなどという回りくどいことをする必要などないはずだ。
さらに、平清盛は、絹や米と格段違って「貨幣」というものが取引を一気に拡大させ、それがサラニ膨大な「税(年貢)収」を生む可能性を認識していたのだ。
もし「宋銭」が全国に普及すれば、その輸入を平家が独占的に担うことにより、宋銭の「販売益」を独占できる。
そればかりか、朝廷が握っていた「通貨発行権」を実質的に自分の側に引き寄せることにつながる。
それで、瀬戸内海の各地で行われた大規模工事の賃金を「宋銭」で払ったり、平家の勢力が及ぶ広大な領国・荘園において年貢を「宋銭」で納めさせた。
こうして平清盛は、特異な社会情勢の中で、宋銭を流通させ「特異な徴税力」を握ったのである。
結局、平清盛が輸入した宋銭の通貨価値を保証したのは「末法思想」ということになる。
それによって、皆が「宋銭は、誰にとっても価値がある」と思われる状況が出来ていたということである。

日本政府は世界最大額の「借金」をもちながら、どうして日本の「円」は世界で比較的安全な資産であるとみなされているのだろうか。
どうやら、海外市場は国の借金の「規模」によってのみ、国債を評価しているわけではないようだ。
では、世界の人々が「円」をもつことの安心感は、どこに由来するのだろうか。
まさか「末法思想」(終末思想)にその背景を求めるわけにもいかないが、今日においても、日本の置かれた「特異」な環境や条件による点で、平安時代と共通している。
ところで最近、食器を包んだ古い新聞紙を広げると、1991年10月10日の或る新聞記事が目についた。
それは、アメリカに永住決めた日本人女性の「現地報告」のようなカタチで、ニューヨーク市近郊の高級住宅街スカースデール村に住み着いた日本人のことを書い記事だった。
日本での受験戦争に備えて塾通いをし、深夜まで宿題に追われる子供たち。言葉の壁に阻まれて家にこもる妻たち。
週末は日本企業所有のゴルフ場に通う夫たち。 地元に溶け込もうとせず、カプセルのように絶縁した空間に住む日本人の肖像がよく描かれていた。
アメリカという、これほど暖かく外国人を受け入れる社会はないのに、その「おおらかさ」を享受できずに去る人が、あまりに多いという嘆き。
外国に多数の進出しながら根付かない日本人。それを、焦げ付かない調理器具になぞらえて「テフロン現象」とよぶ人もいる。
あるいは、日本人が住む地域へ帰宅する通勤列車を「オリエント・エクスプレス」と呼んだりしている。
民族が集中して住むのは珍しくないのだが、日本人だけがナゼ目立つのか。
他の民族は永住移民が中心だが、日本人は駐在員が圧倒的に多い。
つまり日本人は、短期駐在中心だから、心は常に日本に顔が向き、地元への溶け込むことに消極的である。
記事は、国際化のウネリの陰で静かに「心の鎖国化」が進んでいると、結んであった。
現在の日本人の「内向き」傾向と重ねて、この記事が目にとまったのだが、グローバル化の進行の中で日本人は皮肉にも、心ばかりが身体の方も鎖国化が進んだかのようだ。
それは若者の、外国大学への留学生が激減していることなどに表れている。
何もわざわざ治安の悪い外国に行かなくても、国内にいても外国の大学の授業が受けられるし、「仮想的」な海外体験の可能性が広がっている。
ところが、日本人のこうした「内向き」さは嘆くべきことばかりではなく、経済的には意外な「好結果」をもたらしている。
それは、日本政府に「特異な」徴税力をもたらし、日本の財政破綻を一部「救って」いるということだ。
「徴税力」といえば、我々は消費増税が国民に受け入れられるかどうかなど「政治的な力」を思い浮かべるが、ここでいう「徴税力」とは、増税したらどれだけの国民が海外へ逃げるかという問題である。
日本は島国で、温暖で暮らしやすい。さらに日本人は外国語が苦手。
だから増税しても簡単に海外に逃げ出さない。
ところが世界には少し増税しただけで国民がどっと逃げ出す国もある。
反対に、日本でこれだけ「消費増税」への反対世論が強いのは、多くの日本人が「増税」されても外国に逃げられないからだという見方もできる。
このたび、「パナマ文書」で発覚したことは、世界の主要な要人が、南米の島国を「タックス・ヘイブン」として利用していることを明らかにした。
同文書には、日本の法人(ペーパーカンパニー服務)など400あまりも記載があるというが、今のところ日本政府の要人や財界のトップの名は出ていない。
日本人は借金は多いが、保有する「金融資産」も世界一多く、それを海外のペーパーカンパニーまで作るようなカタチで大がかりな「財産隠し」をすることが比較的少ないということの表れでもある。
今、日本には借金問題にある一方、世界一の金融資産があって、まだまだ「国債」を引き受ける余力はあるという認識がある。
他の国では、GDPの2倍もの大量国債を発行したり、それを国内市場で消化(売却)するなど、とてもできることではない。
だが、こうした、日本経済の「潮目」は変わりうる。そのポイントは経常収支の動向である。
経常収支は、貿易収支、所得収支、サービス収支の合計からなるが、日本は2014年の上半期とはいえ、「経常収支」が赤字となったことが話題になった。
それ以前、2011年の日本の貿易収支が1963年以来、実に48年ぶりに赤字へ転落し、それを所得収支(海外への投資収益)などでカバーできなくなったことを意味する。
外国での現地生産の活発化や、原発事故による火力発電の稼働率上昇で燃料の輸入が増えたこともある。
では、日本が貿易赤字なのになぜ経常収支が黒字を維持できたかというと、所得収支が「貿易収支の赤字」をカバーしているということが一般的なカタチとなったということである。
今の貿易の仕組みは、日本がアメリカに対して貿易で黒字になると、ソノ黒字分でアメリカの国債を買うというのが、一般的なカタチとして定着している。
なぜなら、「黒字分」のドルをいちいち円に換えるより、その黒字分で得たドルで、そのまま「米ドル債」を買えば、円高へのフレを抑えることができる。
アメリカからみても、長く日本から借金して(つまり米国債を売って)日本から色と々輸入したきたということだ。
そのお金を貸した分の利子が今所得収支の「黒字」として日本にもたらされてきた。
また海外に移転した日本企業がその収益を日本に送る「所得収支」もある。
だから、貿易収支で赤字になっても、こうした「所得収支」でカバーできるのである。
しかし所得収支の赤字は、日本の対外資産(米国債)などを手放すことになり、日本から国外に資産が出て行く事を意味する。
そして「経常収支の赤字」となれば、日本経済ががいままで体験したことがない「異次元」経済に入ったことを意味する。
以前アメリカで「双子の赤字」というように、「経常収支赤字」と「財政赤字」はセットとして考えられている。
その理由は、マクロ経済学の基本である「投資(I)=貯蓄(S)」論で、民間部門の貯蓄超過が政府の財政赤字と経常収支黒字の合計に等しくなるというものだ。
直感的にいうと、国民の貯蓄「超過分」は、政府への貸付と海外への貸付にまわっていると考えると、わかりやすい。
したがって、「経常収支の赤字」が意味することは、今までとは違って「資金調達」(国債引き受けなど)を「海外資金」に頼らざるをえなくるという点である。
そうなると、日本経済は外国の投資家の動向に大きく揺さぶられることとなり、日本経済はこのところ続いたギリシア経済と接近しつつあるということになる。
だがそれでも、ギリシャに比べてもはるかに借金残高が多い日本国債が安全とみなされるのは、次のような理由がある。
まず第一にギリシャは、国債が「ユーロ建て」で、ユーロという通貨を使えるけれども、ユーロを勝手に印刷したり、発行する権限がない。
ギリシアは他のユーロ加盟国同様に、金融政策をすべてFCB(ヨーロッパ中央銀行)に委ねてしまったから、独立国でありながら独自の金融政策を行うことができない。
もちろんギリシアには「徴税権」は残されているが、国民の「徴税拒否運動」が政治的な分裂を引き起こしている。
そして、ギリシアは「10年物国債」を世界中の投資家に買ってもらおうとしたが、金利はなんと30パーセントに達した。それくらいの利率をなければ売れないということなのである。
その究極の理由は、ギリシア政府の「徴税力」の弱さといってよい。
また、日本国債はギリシア国債と比べると、「円建て=自国通貨建て」である。
日本では、円という自国通貨で発行し、円という自国通貨で返済する。
返せない時の究極の保証は、増税しても簡単には資金が外国に逃げていかない日本政府の「特異な徴税力」と言い換えることが出来る。
国の借金残高は、100兆円超。これまでは、「経常黒字」(日本が海外に貸し付けた分の利子など)を通じて積み上がった国内貯蓄が国債の受け皿となり、主に国内で買い手がついた。
「経常赤字」は、国内の資金不足を海外からの資金調達で補った結果であり、一概に赤字が悪いわけではなく、経済成長率や失業率の水準である。
特に、長期にわたる貿易赤字は、輸出主導で経済を拡大してきた日本の国際競争力の低下を意味し、海外投資家の日本を見る目も変わってきつつある。
また日本を代表する企業の会計上の「不正」なども、外国からの資金が集まりにくくなっている。
平安時代には、末法思想が「宋銭」の流通を助けたが、今の時代にあって、地震や災害などに対する不安は、積極的な投資に対するマイナスの効果をもたらしている。またいざという時に備えた「貨幣需要」も、金回りを悪くしている面もある。
最大の問題は、少子高齢化が進む中で、貯蓄率の向上は望めず、国内だけでは買い手が足りなくなる恐れがあり、社会保障費や医療費の増大が、日本政府の政治的な意味での「徴税力」(国民に増税を受け入れさせる能力)をためし、その政治力の「限界点」コソが、日本経済のシグナル(潮目)になりそうだ。