「ロゴス」とは何か

聖書には「世の初め」のことが書かれてあるが、旧約聖書(ヘブライ語)と新約聖書(ギリシア語)では、まったく異なるアプローチで書いてある。
それぞれ引用してみよう。
旧約聖書(創世記):「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は、”光あれ”と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた」。
新約聖書(ヨハネによる福音書):「はじめに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言ははじめに神とともにあった。すべてのものは、これによってできた」。
以上の引用箇所の中で、まずは新約聖書の「言(ことば)」という箇所に注目したい。
少なくとも「言」から受ける印象は、「言の葉(ことのは)」といったヒラヒラ感がない。
ギリシア語で、この「言(ことば)」にあたるのが「ロゴス」という語である。
実は、ギリシアの哲学者プラトンの思想の中で、「イデア」とともに重要な位置を占めるのが「ロゴス」である。
プラトンによれば、「イデア」とは真の実在であり永遠不滅のものである。
プラトンは魂が「転生」するとし、人は生前や死後において「魂の世界」に至り、そこでイデアを直接「見知っている」としたのである。
そして例えば、三角形は様々の形があるが、それを三角形と認識されるのは、人が魂の世界で「三角形のイデア」を見てきたからである。
同じように、何かを見て美しいと感じるのも「美のイデア」、何かを正しい思うのも「善のイデア」を見てきたからである。
つまり、人は魂の内にイデアの「記憶」を秘めており、それを思い出す(想起)ことで物事を認識する。
そこで、人々が魂の世界で「見た」ものがイデアなら、いわば魂の世界で聞いた語が「ロゴス」といえばわかりやすい。 それはちょうどヨハネのいう「言は神とともにあった」という箇所に対応しているように思える。
ちにみに空海は、仏の世界(宇宙)に通じる言葉を「真言」とした。
ところでプラトンのいう「ロゴス」の概念は、師ソクラテスから受けた「啓発」が大きいに違いない。
そのソクラテスは、真理を導き出すのに「問答法」(弁証法)という方法を用いたことで知られる。
これは、ふたつのことがらを「対立」させ、それらをより高いレベルで統合させて真理へと至るとする。
具体的には、ソクラテスが投げかけた「ある問い」に対して、相手が出した答えにさらに「疑問」を投げかけると、相手は自己矛盾に陥って、答えに窮してしまう。
ソクラテスにとっての出発点はこのように相手に「己の無知」を自覚させることであり、それこそが真理に近づく第一歩だとした。
ソクラテスのこうした問答法のことを「ディアロゴス」というが、それは「ロゴスの分裂」を意味している。
ちなみに人々は、ソクラテスのこうした方法を真理への「産婆術」と呼んだが、実際にソクラテスの母親は「助産婦」であった。
さて、「ロゴス」という語は「拾い集める」という原義を持つらしいが、「ロゴス」は現代における「論理」(ロジック)よりもかなり意味が広く、「理由、原因、説明、理性、論理、秩序、意味、根拠、比例、言語」などの意味を持つ。
さて、プラトンは20歳の時に、当時62歳のソクラテスに出会うが、ソクラテスは「問答法」において、議論をする相手にまず「言葉の定義」をせまったという。
そして言葉の中には、単なる言葉を超えた「魂の言」(ロゴス)に近づこうとしたのである。
この点につき、我々日本人には「言霊信仰」があるので、魂と言葉を結びつけることにそれほど抵抗がない。
要するに「言霊」とは、発した(言った)ことがそのまま実現する力をもった言のことであり、日本人は昔から相当な「コトダマイスト」なのだ。
それを物語るのが、日本中いたるところにある「国見」という地名である。
これはその土地を治める人は、どこでも春に種を蒔く時には、自分の治める領土を高いところに上って見下ろす。見下ろして何をするかといえば、その土地をほめたたえる。
こうした国を眺望しつつ「国ほめ」の行事をやった場所に、国見山、国見峠、国見岳などちう地名がついているのである。
多くの現代人は、「言霊」なんて関係ないと思うかもしれないが、それは染みついてしまっているから気が付かないということかもしれない。
言霊の社会では、言ったことに呼応して何かが起こるので、実際に起こって欲しくないことは、言ってはいけないことになる。
雨が降って欲しくない時に、誰かが明日雨が降るかもなんていうと、それがたまたま雨が降ったとしても、お前がそんなことを言ったから雨が降ったんだと責められたりする。
つまり、何事かのリスクを「仮説」として語ることでさえも「災い」を招くとして避けがちなため、リスク管理の弱さの原因となっているのだ。
そういう意味で、日本社会は真の言論の自由のない社会だともいえる。
人間が魂の世界で聞いた言をロゴスとするなら、旧約聖書の冒頭、「神は、”光あれ”と言われた。すると光があった」と、新約聖書の「言ははじめに神とともにあった。すべてのものは、これによってできた」とが、実は同じことを別の観点から語られたものにすぎないことがわかる。
さて、聖書の中で「言(ロゴス)」というものを具体的かつ印象深く示すエピソードがある。
「ルカによる福音書」7章には次のような出来事が書いてある。
イエスが、カペナウムという町で知った一人のローマ人(異邦人)百卒長の出来事である。
百卒長は、自分が頼みにしていた僕が、病気になって死にかかっていたため、イエスの噂を聞いてユダヤ人の長老を通じて、自分の僕をなんとか助けに来てくれないかとお願いした。
イエスは人々と連れだって百卒長の家に向かったが、家からほど遠くないあたりに来た時、百卒長は友人を送って「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。 自分でお迎えにあがるねうちさえない」といった。
さらに「ただ、お言葉を下さい。そして、わたしの僕をなおしてください」といい、次のように語った。
「わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
イエスはこれを聞いて非常に感心し、ついてきた群衆の方に振り向いて「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」と語った。
そして聖書は、使にきた者たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた、と告げている。

ギリシア哲学といえば、ソクラテス・プラトンに次ぐもうひとりの偉大な人物アリストテレスを見逃すわけにはいかない。
ソクラテスとプラトンが師弟関係にあったように、プラトンとアリストテレスも師弟関係にあった。
二人もやはり、40才あまり年の離れた「師弟」であるが、中世神学から現代哲学にもツラナル哲学の「ニ代潮流」を生み出した。
経済学の世界には、マーシャルとケインズが師弟関であるが、いずれの関係も弟子が「師の批判者」という立場で論をはり名を馳せた点で共通している。
アリストテレスは、この点に関して有名な言葉を残している。
「私は師プラトンを愛す。しかし、それ以上に真理を愛す」と。
ヨーロッパ中世の「キリスト教神学」と深く関わるプラトンとアリストテレスの思想について、少々噛み砕いて説明したい。
「プラトン主義」では、人には「犬」とはどういうものかという概念(イデア)が与えられており、それに合致する動物が犬であるとする。
そこで重要なことは、「犬」という概念=「ロゴス」をつかむことである。
一方、「アリストテレス主義」では、マズ「犬」と呼ばれているたくさんの動物を詳しく「観察」する。
そうするとそれらには、それぞれ異なるところもあるが、それらスベテに「共通」する要素が浮かび上がってくる。
それコソが「犬」とはどういうものかという「概念」を生み出すというわけである。
つまり両者の違いのエッセンスは、「プラトン主義」は、永久「普遍」なるものが実在することであり、「アリストテレス主義」は、「個物」を離れた「普遍」など存在しないということである。
したがって、アリストテレス主義では、「個物の観察」を何よりも重視することとなる。それは、医者の家に生まれ「観察」を重視したアリストテレスの性格からくるものだっったのかもしれない。
さて、古代ギリシアの「プラトンとアリストテレス」の思想的対立は、中世ヨーロッパにおいては、装いも新たに「普遍論争」として展開する。
名前の背後の「普遍の実在」を肯定するプラトン流の「実在論」と、そうした「普遍の実在」を否定するアリストテレス流の「唯名論」という考え方の対立。
つまり「実在論」と「唯名論」との対立といいかえられる。
では、こうしたものの考え方を「キリスト教」に導入したらどうなるのか。
プラトンは「魂」を「肉体を離れても実在する霊的な存在」であると説いたのに対して、アリストテレスは、「魂」というのは、体を離れては存在しえない、生物の機能、性質のようなものであると考えた。
ところで、キリスト教神学上の「一大転換」は、古代教父以来続いてきた「プラトン主義」から「アリストテレス主義」への転換といわれている。
その立役者がトマス・アクィナスがうち立てた「スコラ哲学」である。
スコラ哲学とは、キリスト教とギリシア思想の融合、つまり信仰と理性との「調和」を図ろうとした試みであり、それが前述の「普遍論争」をまき起こす結果となったのである。
カトリックの「古代教父」の時代、プラトンの流れをくむ「新プラトン主義」が隆盛をきわめた。
それは古代教父の代表的人物アウグスティヌスが「(新)プラトン主義者」であり、その神学にもソレが反映されていたからである。
以来11世紀頃までも、「プラトン主義」がキリスト教神学の主流を占めていたのである。
この「プラトン主義」の影で忘れ去られていた感のあったアリストテレスの哲学は、意外なカタチでよみがえる。
古代ギリシャ哲学を学んだイスラムの学者達によって「再発見」され、西ヨーロッパに「逆輸入」されたのである。
さまざまな事物は相互に似ていることがあるが、その類似点そのものが「もうひとの存在」なのだと導く「実在論」は誤りとした。
それは「類似性」に対して人間が付した「意味」というレッテルにすぎないとしたのである。
だから「普遍」は「個別」を離れては存在しないし、「個別」を通じて「普遍的なもの」を理解しようとする人間の「認識作用」を重視したのである。
そうした流れを最初に受け止めたのが、エロイーズとの恋愛書簡で有名なアベラールのような人物である。
アベラール自身は「普遍の問題」については「唯名論」の立場すなわち「個物ノミ」が存在するという立場に立っており、彼あたりから壮大な「スコラ哲学」が築かれていった。
神学上の問題をいえば、「プラトン主義」的立場からは、与えられた啓示としての「聖書」から世界を見ようとするのに対して、「アリストテレス主義」的立場からは、この世界の観察から「神の存在」と「神の働き」を見いだそうとする態度になる。
したがって「プラトン主義」ではキリストの受肉や十字架や復活の「歴史性」はあまり重要性をもたず、永遠の「神の言」としてのイエス・キリストに重点が置かれる。
逆に「アリストテレス主義」では、逆に「イエスの歴史性」つまり「十字架の死」や「復活」などが非常に大きな意味をもってくる。
しかし歴史的・感覚的に把握できない事柄については、「認識」(または信仰)を得ることができなくなる。
アリストテレス的立場によれば、有限の「自然的理性」では「三位一体」や「贖罪」といった真理を「認識」することはできない。
しかし、有限な存在が無限の存在を「類比」(アナロジー)によって理解することは可能だとしている。
アリストテレスの真意はわからないが、すくなくともイエスは、「天国のこと」を比喩で語っている。
さて、トマス・アクィナスは、人間の信仰のうちで「理性」によって語られるべき部分と、「啓示」によってノミ語られる部分とを分けていた。
神の存在や魂の不死は「理性」によって議論されうるが、「三位一体」や「聖餐における化肉」といったことがらは、「理性」によってではなく、「啓示」によって初めて語られるとしたのである。

ソクラテスが処刑された理由は、ひとつは「国家が認める神を信仰していない」ということと、後ひとつは「青年を堕落させている」という理由であった。
どちらも根拠が薄弱なのだが、当時の政治的状況から告発されたといってよい。
その 政治的状況とは、ソクラテスがその国の市民であるアテネがスパルタとの戦争(ペロポネソス戦争)に敗れ、暫く親スパルタ勢力の独裁政治があり、その親スパルタ派が追放された後の民主派政権の下で行われた裁判である。
民主派とは、アテネの中産階級を中心にした保守派で、アテネの制度・文化を回復し、ポリスとしての団結を求めていた時期であった。
ところがソクラテスは「フィロソフォス」(愛知者、哲学者)と自称し、こうした制度・文化をはじめ物事を根本的に批判的に考え、そうするようにとを周りの人に勧めた。
そして集まったのが、様々なしがらみの少ない青年達で、民主派(保守派)にとっては、ソクラテスの動機がどうあれソノ活動そのものが不愉快であったわけだ。
これから一致団結しようという時、それに疑問をもったり、疑念をまき散らすような人間は「不純分子」といってよい。
あるいは、ソクラテスに恥をかかされた連中による単なる「仕返し」的なものにすぎなかったのかもしれない。
ソクラテスに弁明や逃亡を進めるものもいたが、従容として「毒杯」をあおいだ。
イエスも「だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです」(ヨハネ10:18)と予告したが、使徒達によってその十字架による死とその復活が地中海世界に伝えられ、プラトンやアリストテレスなどのギリシア哲学の援用により「キリスト教神学」が形成されていったという流れだ。
さて、聖書の有名な言葉に「人はパンのみによって生きるにあらず、神から出るひとつひとつの”言”によって生きる」(マタイ4章)とある。
この「言」にも「ロゴス」がアテられているが、宇宙や自然の営みから我々の生活が成り立っていることを鑑みれば、神の言(ロゴス)こそは、世のはじめより我々に日々生きる条件を備えているといってよく、それは日々のパンどころの話ではない。
またロゴスとは、宇宙において「実現せん」と今も働き続けている「神の言(ことば)」といえる。