「目ヂカラ」の魔法

ベストセラー作家・シドニー・シェルダンの若き日の大ヒット作品が、テレビドラマ「かわいい魔女ジニー」(1965~70年)である。
それは、井上ひさしの若き日の作品がテレビ人形劇「ひょっこり ひょうたん島」(1964~69年)であるのと同じくらいに、巷間には知られていないようだ。
宇宙飛行士のトニーが不時着した南の島で「不思議な壺」を発見!その中から驚くほど可愛い”魔女ジニー”が飛び出してくる。
ジニーは壺から出してくれたトニーを「主人」だと慕いアレヤコレヤの魔法で彼を喜ばせようとする。
とはいえ、あまりに奇想天外な魔法にトニーはいつも、ハラハラ、ドキドキ。
男性にとってのいわばファンタジーなのだが、「魔女ジニー」を題材にした歌は、実際にクリスティーナ・アギレラや韓国のグループ「少女時代」を、魔法のように世界的なスターに押し上げた。
ちなみに、それぞれ歌のタイトルは、クリスティーナ・アギレラは「ジニー・イン・ザ ボトル」(1999年)、少女時代は「Genie」(2010年)である。
そして、この「かわいい魔女ジニー」と人気を二分したテレビ番組が、「奥様は魔女」(1964~72年)で、最近では、ニコール・キッドマンが映画において「サマンサ役」を演じたのは記憶に新しい。
しかし、こうしたアメリカのドラマが「魔女」を可愛く楽しく描いたのは、アメリカ建国史の魔女にまつわる「いまわしい歴史」を記憶から消し去りたかったのかもしれない。
ちなみに、この暗黒史はアメリカの作家ホーソン作の「緋文字」に描かれている。
実は、アメリカ建国史における出来事は案外とアメリカ人の深層意識を形成していることに気づかされる。
その一つがメイフラワー号でアメリカにたどりついたピューリタンの数である。
この数字「101」が、アニメ映画「101匹ワンちゃん大行進」の中に生かされていることでもわかる。
さて、前記の2つの人気テレビ・ドラマの主人公には「魔法のかけ方」に幾分違いがある。
ジニーは、瞼をパチパチ、サマンサは、鼻をピクピク、というものだった。
目ピク、鼻ピクがアメリカの深層意識に根差すとまではいわないが、今やIT技術の進歩は、目パチ、鼻ピクで作動する「魔法」を現実のものとしつつある。

国内で配信が始まったスマートフォン向け位置ゲーム「ポケモンGO」が今や社会現象となっている。
ゲーム内のキャラクターである「ポケモン」を収集するため、多くの人達がスマホをのぞき込みながら街や公園を歩き回る姿を、いたるところで見かけるようになった。
反面、駅の構内や高速道路、深夜の立ち入り禁止区域などへの「ポケモン」の出現が問題ともなっている。
このポケモンGOには、「拡張現実(AR)」機能が使われており、スマホの「AR機能」をオンにしてプレーすると、スマホのカメラで撮影した街角や自宅の部屋に、あたかもポケモンが存在しているかのように見える。
これまで、ごく一部の人々にしか認知されていなかった「AR技術」だが、「ポケモンGO」によって一機に身近な技術となった。
これまで、「バーチャル・リアリティー」(VR=仮想現実)という技術は知っていたが、ポケモンGOに取り入れられた「オーグメンテッド・リアリティー」(AR=拡張現実)とどのような違いがあるのだろうか。
いずれもコンピューター空間でゲームをしたり、風景を眺めたりできるというものだが、VRは「すべて」がコンピューター空間であるのに対して、ARは現実世界の風景に「重ねて」バーチャルな世界が見えるという違いである。
VRもARも20年以上前から研究されてきた技術だったが、最近になって再び注目されているのは、技術の進歩によってそれを簡単に体験できる「デバイス」が登場してきたからに他ならない。
VRのデバイスとしては、大きなゴーグルのような「ヘッドマウントディスプレー(HMD)」で目を覆うと、驚くべき3次元空間が広がって見える。
視線を移すと風景も同じように動き、本当にそこに居るかのような「錯覚」が起こる。
例えば、アメリカの不動産業者の用意した映像をテレビでみると、映像が実に精巧でフローリングの床の木目までがはっきり見えるほど。
ダイニングルームやリビンググームの壁から天井まで首を向けるだけで見回すことができる。窓からの風景も実際に見下ろしているかのようだ。
室内から外に出ると道路から建物を見上げることも可能。周囲の風景がどうなっているか、道からどれほど離れているのかも手に取るように分かった。
どんなに美しく撮られた写真も実際の現場とはギャップがあるものだが、VRならかなり近い現実感覚を味わえる。
VRがゴーグル型のHMDで現実世界と人工的な世界を「差し替える」のに対し、ARは、現実世界の映像に特定のコンピューター映像を重ねて表示する。
ポケモンGOでは、リアルな世界に隠れているポケモンを探し出して捕まる。
そして、それを育て強化することによって、別の人が集めたポケモンとジムで戦わせることなどが魅力となっている。
ポケモンGOの場合、2種類のAR技術を使っている。
一つは、グーグルマップをベースにした全地球測位システム(GPS)による「位置情報」技術であり、もう一つがスマホ内蔵のカメラを使った技術だが、仕組みは案外と単純である。
ポケモンを捕まえるモードに切り替わった際に、カメラの映像(リアル世界の風景)とポケモンのコンピューター画像を組み合わせているにすぎない。
フェイスブックなどの交流サイト(SNS)にユーザーが撮影した写真が投稿されたことで、口コミでポケモンGOの魅力は急速に広まった。
SNS上には、何でもない街中をポケモンがウロウロしているように見える画像や、ネコがポケモンに飛びかかろうとしている画像など次々アップされている。

「仮面をかぶる」とはよくいうが「身体を着る」とはあまり聞かない。しかし最近人は「体を着る」ようになったといっても過言でなない。
着るからには、もちろん脱ぐことももちろん可能なのだが、体の一部と化している分、脱ぐことを忘れてしまいがちである。
具体的には、コンピュータの端末をまるで体の一部のように「身にまとう」ことによって自分とそのエクステンション(拡大) の見分けがつかないほど「一体化」つつあることである。
最近の「ウェアラブル・コンピュータ」は、PC本体・デイスプレイ等をほぼ「身体の一部」として身にまとうことができる。
例えばメガネ、コンタクト、指輪、時計、スーツ等に組み込んで利用する。
またこれから、日本は超高齢化社会を迎えるので、手足が思うように動かせなくなる人も増える。
そこで装着型またはアシストスーツやパンツで歩行を補助したりするものも登場している。
身障者向けあるいは介護向け補助装置をまるで衣服やスーツのように身につけて自由に動くことができる。
おばあちゃんでも満員電車の中で長時間立つことができる「ばあっちゃんリアリティー?」を体験することになる。
実はスマホの登場段階において、あたかもそれが人間の体の一部と化しているということを思った。
スマホを肌身離さず身につけていて、一息つけば必ずスマホ画面を見る人とか、電車で覗き込んでいる人々の姿をみると、スマホはかなり「身体の一部」と化してるといっていい。
昔の軍国主義教育で、死んでもラッパを放さなかった少年の美談は、今や「死んでもスマホを放さなかった若者の哀話」へと転じるような出来事もそのうち起こるかもしれない。
さて、人が身にまとうことのできるデバイスを「ウエアラブル端末」というが、ウェアラブルコンピュータによる「身体性」の拡大、すなわち「見る」「触れる」などの人間の「身体機能」は拡大・延長している。
スマホはメール、画像、音楽、語学学習、地図情報に、カメラなど何にでも利用できる。
そしてスマホに様々なアプリを導入することによって、こうした「身体性」は飛躍的に拡大する。
とはいえスマホは人間の体の一部に近くはなったが、手に持ち、指で画面をなぞる等の操作を行う必要がある。
そのため、手のひらに載せて落ちないようにしている点、画面を見るのにある程度の距離を置く点など、人間の動きの「自由度」を奪うため、カラダの一部とはなりきれていない。
ところが、ウエアラブル端末のデスプレイは曲げたり巻いたりしても鮮明に表示できるものが開発されているので、カバンの中に丸めておいてもいいし、身にまとう感じで使うこともできる。
さらには、ウェアラブルコンピュータの中には、「体の反応」をセンサーで探知して動くものが登場しており、人間は、「身体を着て」「目を装着し」「頭脳をかぶって」生きていく存在になろうとしているのである。
ここでは、人間の時々の意思をどのように端末に伝えるかが、技術的に大きな課題となるが、すでに次のようなものが実用化されている。
指の動きでスマートフォンを動かしたりメールを送ることができる「指輪型端末リング」、メガネに映る風景をスマホ経由でネットに送信し、友人と共有できる「テレパシーワン」、脈拍数や血管年齢なども常時計れる「イヤホン」などもある。
今一番の進化を遂げているのが、眼鏡型デバイス(Google Glass)である。
こうしたウェアラブルの中で発展が最も著しいのがメガネに情報機能をつけたもので、映画「ターミネーター」のような世界が現実化しているといって過言ではない。
朝起きてその専用メガネをつけると今日のニュースのヘッドラインが片隅に流れる。
これは、「視線移動」や「まばたき」を検出してスマホアプリを動かせる。
眼鏡の「鼻あて」(パッド)部分の2つと、左右のレンズをつなぐ「山」(ブリッジ)部分に1つの、計3か所にセンサーが設置されている。
この配置によって、視線をどの方向に向けて動かしたのかや,まばたきの有無と時間を計測するというのが、の基本である。
さらに、加速度センサーや角速度センサーも内蔵しているので、頭の動きや傾きも検出できるという。
各センサーが得た情報は、Bluetooth経由でスマートフォンに無線伝送され、アプリケーション上で目的に応じて使用される。
これを「視線入力操作」に応用すると、目を左右に動かすだけでスマートフォンのホーム画面が左右に切り替わるといったことが可能になる。
この技術のキーとなるのが、カメラを使って視線の「位置」を捉える「アイトラッキング技術」である。あくまで認識するのは「動き」であり、マウスポインター代わりに使うものではなかった。
ところが、最近の新聞に出た「ある技術」に目が止まった。
スマートフォンをつけたVR機器を両手で「双眼鏡」のようにもつと、目の前にファッションショーの様子が広がる。
舞台を歩くモデルお近くには、「セレクト(選択)」というボタンが表示され、気に入った服があればボタンに視線を移すだけ で「買える」というものだ。
両方の手でもっているため、目で操作すると楽に選べることになる。
また、長時間の列車や船旅の過ごすような時、退屈しのぎに、どんな平面でもいいからソコの一点を「長見する」と映画モードにきりかわり選択メニューが表われ、まばたきの回数でメニューを選ぶことができる。
それで、通勤の電車の座席でじっとカバンの表面に映し出された映画を、誰にも気づかれずに本人だけで楽しむことができるのである。
また仕事上外国人と会話すると、その「同時通訳」がメガネの片隅に表示される。
休日にメガネを着用して外出をすると、目的のデパートにいく道筋を矢印でもって表示する。
口コミのあるレストランの前を通るとそのグルメ口コミ情報が表示されたりする。
また目線の動きを止めて「長見する」と写真が何もせずに撮影できたりする。
デパートの建物を見るだけで、その建物の中のどのフロアにどんな店があるかがメガネの片隅に表示されるし、スーパーで食料品を見れば、色分けで賞味期限・消費期限も表示される。
人ごみのなかでストーカー歴やら窃盗歴のある人物の接近を教えてくれる。
そしてディプレーを「ウエアラブル」にした東大大学院の開発も、人間の身体性をさらに拡大する可能性がある。
数か月前に、東大大学院の研究グループが、人の皮膚よりも薄く柔軟な有機LEDを開発したと発表した。
極薄の高分子フィルム上に有機発光ダイオード(ポリマーLED)を積層したもので、厚みは3μmと皮膚組織より薄い。
柔軟性も高く、200%まで引き伸ばしても、シワがよるほど縮めても発光する。
技術的なポイントは、有機発光ダイオードが大気中でも安定動作するように酸素や水分を通さず柔軟性を確保するフィルム素材としている。
皮膚表面で作動する「表示器」や顔に貼り付ける「発光シール」などが試作されており、身体状態を計測するメディカル用途のほか、ファッションなどへの用途も考えられるという。
これは、周囲の風景を体の「皮膚」と化したディスプレーに表示することにより、完全保護色の下で「人間の透明化」も可能となる。

スマホと繋がる眼鏡デバイスの開発は、これまで「指の操作」でやっていたことを「視線」の移動で行うことができる。
その際、視線の動きやまばたきの頻度が、我々を「魔法の世界」に導いていきそうな気配だ。
そして今我々は「新しい自分」をさえ身にまとうところまできている感を抱かせる。
その「究極」をいえば「眼球」に直接埋め込まれ、脳に直結したディスプレイの実用化などさえも議論されているという。
そうなってくると入試問題を「長見する」ことによって送られてきた「解答」を書いたとしても、それはその受験生の「能力の一部」という感じにもなり、不正をしているという自覚は生まれないかもしれない。
さらにこれからは、パソコンばかりではなく、あらゆるものがインターネット化する。
これをIoT:Internet of Things(モノのインターネット)という。
ということになると、我々の家庭での生活では、「まばたき」ひとつでテレビをつけたり切ったり、あらゆる家電の操作ができる。
視線を「上下」に移動させれば、テレビのボリュームを上げたり、視線を「左右」に動かせばチャンネルを変えることができる。
また、まばたき三回でテレビを終了できるし、鼻をぴくぴく動かしても、それが可能となる。
確かにこうした技術は高齢や難病のため体が動かない人々にはありがたいものとなろうし、人々は新たに獲得した「目ヂカラ」で魔法使いにでもなったような気分にひたれるだろう。
ただ、ジェニーでもサマンサでもない一般主婦が、家庭内で特殊メガネをつけてテレビやファンヒーターに向かって目をパチパチ、鼻をピクピクならまだしも、流し目や上目づかいのウインクまでやっている図は、あんまり想像したくない。