二つのオリエント

日本人の風景といえば、まずは富士の山。岩間を結ぶ注連縄の向こうから昇る太陽、遠景にうっすらと富士山が見えるならば、これぞ日本の風景である。
実は、そんな場所がある。伊勢志摩の風景である。
今年5月に開催される伊勢・志摩サミットで、安部首相は「伊勢は日本のふるさと」と語った。
特に、伊勢の初日の出を拝むのが、正月恒例の人も多い。つまり日本人は「初もの」に特別の価値をおく。
さて、「日の出るところ」を意味する言葉がオリエントで、ものごとが始まるという意味で「オリエンテーション」という言葉が使われている。
ヨーロッパから見て、オリエントといえば「中近東」を指すが、それはあくまでヨーロッパ(イギリス)からの視点である。
実際に中近東(パレスティナ)は、ヨーロッパ文明の柱「キリスト教」の揺籃の地であるから、ものごとが始まる場所であった。
しかしグローバルな視点からみて「日の出るところ」といえば日本が最もふさわしい。日本より東方の国は存在しないからだ。
日本という国名も「日の本(もと)」だし、国旗も「日の丸」。
遣隋使の小野妹子の煬帝に渡した「国書」に、「日出る処の天子、書を日没するところの天子へ致す」では、日本を自ら「日出るところ」としている。
日本のことを「日の出るところ」とよび中国を「日没するところ」としたことに煬帝は怒ったらしいが、日本基点で地理的位置関係に言及したにすぎない。
煬帝が怒ったのはむしろ、世界に「天子」が二人存在することだったのかもしれない。
さて、日本が「日の出る国」であることと、日本人が「初もの」が好きなのは、なんらかの関係があるかもしれない。
それは何モノにも汚されないもっとも純粋な状態を「愛でる」傾向があるということだ。
身近な話をすれば、高級な料理は当然に高級な食器や箸を使うのが普通だが、日本の場合は少し状況が違う。
日本人が粗末な「割り箸」でも好むのは、それが「初モノ」という価値が付与されるからだ。同じ割り箸が二度目の利用なら、これほど失礼な箸は存在しない。
また、お正月にはお手つき(加工)前の「小枝」をお箸として使うし、空気が清澄な世界での「初日ノ出」などを愛でる傾向にあるのも、そうした傾向と無関係ではないのかもしれない。
また天皇の宮中で行われている神事「大嘗祭」や「新嘗祭」でコメを神と食すと、新しい霊がみずからの中に入りこみ、新たな時代・新たな年を迎えるということになる。
さて、もう一つのオリエントが生んだ聖書には、「日の出る方」という言葉が登場する。
「また、もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、”日の出る方”から上ってくるのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使いにむかって、大声で叫んでいった、"わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない"」(ヨハネ黙示録7章)。
また、伊勢神宮の「捧げもの」に注目した時、「お手つき」前の自然物を尊ぶ傾向は、古代イスラエルの「初穂の祭り」を連想する。
その一つが古代イスラエルの「初穂の祭り」(ヨム・ハ・ビクリーム)は、「長子あるいは初子」という意味である。
旧約聖書には「イスラエル人の間で、最初に生まれる初子はすべて、人であれ家畜であれ、わたしのために聖別せよ。それはわたしのものである」 (出エジプト13章)とある。
「また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた」(創世記4章)ともある。
さらに、「エジプトの国でわたしがすべての初子を打ち殺した日に、わたしは、人間から始めて家畜に至るまでイスラエルのうちのすべての初子をわたしのものとして聖別した。彼らはわたしのものである。わたしは主である」(出エジプト13章)
この「初子を打ち殺した日」というのは、モーセがエジプトのパロにイスラエル人を去らせよと要求した時、パロはそれを拒みエジプトの長子がことごとく疫病にかかり亡くなった出来事を指している。
この時イスラエルの長子達は、神の命によって入り口の鴨居に羊の血を塗ったことにより、疫病を免れることができたのである。
イスラエルでは、こうして神が下した災いを過ぎ越したことを記念として、「過越祭」が民族的な祭りとなっている。 ちなみに、「鴨居に羊の血で赤く塗る」ことについては、日本の神社にある「赤い鳥居」を連想する人も多い。
また、日本民族の祖先が天から下った民すなわち「天孫」という発想自体、神の子イエスがこの地上に生まれたことや、「高天原」や「天のエルサレム」など、天と地の繋がりを示す世界観で「二つのオリエント」は、共通している。
また新約聖書の「初穂」には、「新しい契約」に相応しい「新しい意味」が付与されていることに注目したい。
具体的には、イエスキリストの復活につき、「今やキリストは、眠っている者の初穂として死人の中からよみがえったのである」(Ⅰコリント15章)
さらにイエスを信じ復活を約束されたものにつき、「父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちをいわば被造物の初穂にするためなのです」(ヤコブ1章)としている。
さて、伊勢神宮にも、古代イスラエル同様に、「初穂の祭り」というべきものがある。
たとえば伊勢神宮に今年穫れた新穀を奉納する行事に「初穂曳」があり、毎年「新嘗祭」の奉祝行事として行われている。
さらには、日本の皇室には「三種の神器」というのがあり、八咫鏡(ヤタノカガミ) 草薙の剣(クサナギノツルギ) 八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)がそれにあたる。
一方、古代イスラエルにも、「三種の神器」とよばれるものがあり、神殿または移動式神殿である「幕屋」に収められていた。
それは、「マナのはいった金のつぼ」、「芽を出したアロンの杖」、「契約の二つの板」で、それぞれイスラエルの故事に基づいたものである。
その故事の詳細は省くが、こうした「三種の神器」が収められた「契約の箱」を運ぶ古代イスラエル人の姿は、祭りにおいて日本人が「神輿」を担いで練り歩く姿を彷彿とさせる。
また聖書には、昭和の右翼思想「八紘一宇」の思想を連想させるものがある。
創世記のノアの洪水の後に、ノアの家族と動物達のみが生き残るが、ノアには三人の子供がいた。
セム・ハム・ヤペテで、それぞれが黄色人種、黒人、白人の祖先となる。
その三人の子に、神は預言を与えるが、その内容は「神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」(創世記9章)。
この預言のポイントは、「セムの天幕に彼を住まわせる」という部分で、欧米人(ヤペテ)は、科学技術と合理的精神で世界を支配したが、宗教的な意味ではむしろセム系(黄色人種)が生み出したキリスト教やイスラム教の配下にあることと符合している。
もう一方のオリエントが生んだ日本書紀の神武天皇の言葉を元に生まれた「八紘一宇」の思想は、「八紘」が8つの方角を示し、「一宇」は一つの家を意味する。
すなわち、白人も黒人も黄色人種もすべて一つの屋根、すなわち「天皇と一つ家根の下にはいる」という自己本位な世界観ではある。

新約聖書のイエスの言葉に「あなた方は世の光 地の塩になりなさい」(マタイ5章)というのがある。
実は日本文化でも、光と塩に、宗教的意味合いで重要な価値を置いている。
日本人は「清澄」であることを愛し、その意味で「影」や曇りを「気枯れ」として嫌ったのではなかろうか。
例えば、日露戦争(日本海海戦)の指揮官・秋山真之(あきやま さねゆき)の出撃第一報「本日天気晴朗ナレドモ 波高シ」という短い言葉の中にも、単に天候記述ではなく日本人の「こころ」の原点のようなものを感じる。
そして日本人にとって、太陽の光を映す「鏡」が大きな位置をしめる。
鏡は中国から日本にもたらされたもので、中華思想にあっては周辺諸国に銅鏡を下賜することにより、その支配圏にある諸国を序列化したということでもある。
銅鏡はそれほど大きな「所有意義」があった。
ただ、その鏡は日本では中国とは異なる「意味づけ」がなされたのではないかと推測する。
我々が博物館でみる「銅鏡」は裏面を見せており、何の変哲もない表面をほとんど見ることがない。
現代の鏡はガラスの裏面に銀メッキして光の反射を高め姿が映るようになっている。
しかし、古代の鏡は石や金属の表面をきれいに「磨き」上げることで光を反射させている。
日本では、素材として青銅や白銅を鋳造し表面をきれいに磨き上げたものだ。
もし巫女のような人が鏡をかざして人々に向かって光を反射させたら、まるでそこに太陽が降りてきたように見えるのではなかろうか。
太陽の力を最も畏怖する人々にとっては「太陽の化身」のように見えたにちがいない。
そればかりか、光は心の内側までも照らし出すかのような畏れを抱かせたかもしれない。
その呪術的な効果は絶大であり、それだけに「銅鏡」は宗教的権威のシンボルとみなされたのではなかろうか。
新約聖書にも、「神は光であって、神には少しも暗いところがない」(ヨハネ第一1章)とある。
また、日本人とユダヤ人は、塩を「清める力」をもつと意識している点で共通している。
日本において古来の神主の行事には、塩が必ず使われる。相撲なども土俵に上がったとき塩をまく。格式の戦い料理屋なども開店前には門前に塩をまいて清めている。葬式には必ず塩がおいてある。
参列者には塩の入った小袋が渡されて穢れを清める。
ヨーロッパには、そこまで「塩」に対する意識はないが、旧約聖書の中には、塩による清めの考えが繰り返し記されている。(レビ記2章13節)
そしてイエスは「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味がとりもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである」と語っている。
だだしイスラエルでは日本と異なり、塩は山から岩塩として取られていた。
イスラエルには「死海」という塩分の多い湖があるのだが、有名なソドム、ゴモラという「悪徳の街」は、この死海の底に沈んでいる。神様はこれらの町を塩分で「清め」られたのか。

聖徳太子は「和をもって尊しなす」と、「十七条の憲法」の中で日本人の根本精神を「和」であること表明しているるように思える。
和が崩れることは、「気枯れ」(→穢れ)に繋がる認識されたということではなかろか。
イエスは「和解」について次のように語っている。
「だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。」(マタイ5章)
この部分は「和」の精神というよりも、神事をするときには、水や塩で身も心も清めるという日本人の心に通じるものがあるように思う。
またイエスは、「もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえてくださるであろう。二人または三人が、私の名によって集まっているところには、私もその中にいる」(マタイ18章)と語っている。
こういう言葉に対し、日本人にとって争いごとや対立を意味し、それが心の明らかさを失う気枯れ(穢れ)とみなされたものではなかろうか。
また、芸術や芸能は本来神に捧げられるものであるが、日本人にとって「和」は、1のものを2にも3にもしたのではなかろうか。
欧米では、詩人や作家は、しばしば孤独で天才的な隠遁者である。
「ライ麦畑でつかまえて」のサリンジャー、アメリカの女流詩人のディキンソンは、今でいういわば「ひきこもり」、ショーン・コネリー主演の映画「小説家をみつけたら」の主人公も隠遁者のような小説家であった。
欧米の考えだと、詩歌は、神の啓示を受けて作られるので、詩人や作家はあまり人付き合いをせず隠遁していてもかまわない。
芸術とは、啓示を受けた個人が作るという発想である。
ところが、日本の伝統では、詩歌は常に人と人との仲で生まれると考えられてきた。
和歌や俳句も、歌会や句会といった他者との関わりの場でつくられるというのが基本的な考え方である。
場の雰囲気や感情を共有し、お互いに関わり触発しあう中で、よりよき詩歌が生まれるとした。つまり交流の場で人をもてなす中で作られるとした。
また新約聖書の中には、日本人の「言霊信仰」を思わせるところが出てくる。
「また船をみるがよい。船体が非常に大きく、また激しい風に吹きまくられても、ごく小さなかじ一つで、操縦者の思いのままに運転される。
それと同じく、舌は小さな機関ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。舌は火である」(ヤコブの手紙三章)
その他に、人前ではなく隠れたところにいいことをしなさいという「隠徳」の思想は、新約聖書の「右の手ですることを、左手にしらせるな」(マタイ5章)を思い起こさせる。

トインビーとい歴史家は、日本文化を中国文化に亜流ではなく、独自の文化圏としたが、最近の歴史学者ハンチントンは「文明の衝突」で、今日の世界は次の8つに分類されるとしている。
(1) キリスト教的カソリシズムとプロテスタンティズムを基礎とする西洋文明(西欧・北米)、(2)東方正教文明(ロシア・東欧)、(3)イスラム文明、(4)ヒンズー文明、(5)儒教を基礎とするシナ文明、(6)カトリックと土着文化を基礎とするラテン・アメリカ文明、(7)サハラ南部のアフリカ文明、(8)日本文明。
この分類のなかで注目すべきことは、日本だけが「一国一文明」となっていることである。
「一国一文明」ということは、国を失えば、日本文明も滅ぶことを意味する。
グローバル化が世界中の文明をフラット化し、日本文化もその波に呑みこまれんとすることに不安を抱いたが、東北の大震災で、運命を静かに受け入れ秩序を正しく行動する日本人の姿は、世界の賞賛をあびた。
アインシュタインは離日に際して、自然の美しさ、神社仏閣の荘厳さに心動かされ、「純粋さと穏やかさ、しつけと心の優しさなど日本人固有の価値を忘れないでほしい」という言葉を残している。
ここで「国際化」をモノとカネが激しく移動する時代として、「グローバル化」をモノとカネに加えて、情報とヒトが激しく移動する時代とく区別してみたい。
国際化の時代には、「日本人の常識は世界の非常識」などと自己卑下する傾向があったが、グローバル化の時代では、日本文化の価値を初めて認識する場面が増えている。
「クールジャパン」、「日本KAWAII」、「MOTTAINAI」、「OMOTENASHI」「和食」だけではない。
外国人は、レントゲン車が職場を周ったり、行事の場所取りでテープを周りにはるなど、その合理性と効率性に驚いている。
日本の宿に泊まると、浴衣の準備や布団敷きなど「忍者がいるのか」と思うほどいつのまにか出来あがっている。
日本人は、日本を「発信」してみて(あるいはネットで外人が発信して)、ようやく「日本の当たり前が世界の奇跡なのだ」ということに気付き始めた。