旧日本軍と日本銀行

「空からお札が降ってくる」といえば幕末に起きた「ええじやないか」の乱舞を思い起こすが、この場合の「お札」とは紙幣(オサツ)ではなく御札(オフダ)である。
今日の日本経済を語る言葉のひとつが「ヘリコプターマネー」。日銀による異次元緩和が、空からオカネが降ってくることを連想させるからだ。
幕末と今日のもうひとつの違いは、今日の人々は狂気乱舞するどころか、かなり冷え切っていることだ。
金融緩和は従来、金利を下げることを旨としてきたが、金利が下がりきったところでは、あとは「量」を拡大するほかはない。
その「量的緩和」のシナリオでは、日銀が撒いたオカネを人々が「拾って」(ゼロ金利で借りて)使ってくれるハズだったが、人々はオカネを拾わないか、あるいは家に持ち帰って「退蔵」するばかりなのだ。
その「量的緩和」を懲りずにやっている今日の日本銀行の姿は、旧日本軍の失敗を描いたロングセラー「失敗の本質」(1991年)の内容を思い起こさせるものがある。
この本の副題には「日本軍の組織論的研究」と銘うってあり、旧日本軍の失敗は今日の日本の組織にも様々な教訓を与えてくれる。
その概要をいうと、第一に「ゼロ戦」は徹底的な軽量化で、既存の戦闘機を上回る空戦性能を得て、当時、戦闘機で警戒中の戦艦を沈めることは不可能という「常識」を覆したのである。
当時のイギリス首相チャーチルに「人生最大の屈辱」といわしめた、英国が誇る戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」の撃沈がその最も華々しい戦果あった。
しかし日本軍は、自らの「勝利の本質」を深く自覚することができず、初期の「成功体験」に基づいた戦闘方式を頑なに変えることなく、結局は敗れていくことになる。
第二は、日本人が好む「型の反復」によって達人を目指すという思想である。
軍事訓練で精度を上げるならまだしも、実際の戦闘では、相手も対抗策を打ち出してくるため、さらに上の戦術で戦かわないと勝てないのに、「型の反復」だけではどうにもならない。
「戦艦同士」の攻撃力で勝敗の趨勢が決まっていた太平洋戦争初期、日本海軍の艦隊は東南アジア海域での戦闘で、連合軍艦隊に圧勝している。
この時期には、日本軍は「既存思想」(型の反復)で練磨した力の最大化で、破竹の勢いで快進撃を続けることができた。
ところが米軍は、当時最強だったゼロ戦の「軽量/旋回性能」という指標をはやくも見抜いた。
そしてその指標を「無効」にする新しい戦略を立てた。
米軍はゼロ戦を封じ込めるために、「2機1編隊」による複数攻撃や、重武装機の開発などによって、「零戦の強み」を無効にしたのである。
その結果、太平洋の後半において、レーダーにより味方戦闘機を誘導するという米軍の「防御思想」が功を奏し、レーダー圏内では戦闘機単体の多少の性能差が、まったく勝敗に結び付かなくなっていく。
旧日本陸軍参謀の瀬島龍三は、シベリアの流刑地からの帰国後、伊藤忠商事の社長から入社を打診された。瀬島が自分は戦争のことは学んだが商売のことは知らないと答えると、社長は戦場も商売も同じだと答えたという。
このエピソードにならい、「戦場」の話を「市場」と置き換えてみよう。
新たなイノベーションを生み出す戦略は、既存の指標を発見し、それを覆すことである。
ソニーの盛田昭夫のウォークマンの開発から、今日のスティーブ・ジョブズが行ったiMacやiPodの戦略はまさにそれであった。
盛田が立てたのは、アメリカ製の居間に置かれるカラーテレビとは「違う指標」であった。
その上で、アメリカ製カラーテレビの指標を理解した上で、まったく「別の指標」によって購入されるオリジナル商品を目指して、大ヒットを記録することになった。
そして盛田は、超小型トランジスタラジオ、ウォークマン、トリニトロンTV、家庭用ビデオカメラなど、世界中の人々に親しまれる人気商品を生み出し、ソニーを世界的企業に押し上げた。
「戦場」においては、過去に成功した「指標」にいつまでも固執をすれば、相手方からすれば最も料理しやすい「カモ」になってしまう。
この「指標」という言葉は、日銀の「インフレターゲット(物価目標)」政策を思い浮かべる。「2年で2パーセント」はデフレスパイラルの時期には、経済の上向き期待をもたらし効を奏し、株価が上がった。
しかし、消費税増税を延期せざるをえないほど「効果」があがっていない段階で、「マイナス金利」にまで踏み込んでまで、この「指標」に固執することが適切なことなのか。
後述するとうり、その「副作用」の方が大きくなりつつある。
アベノミクス当初の「異次元緩和」で、株価も上がり、円安によって物価も上がってデフレ気分をある程度払拭した点で成功した。
しかし時間がたつにつれ、多くの国民はむしろ生活者レベルでの「貧困の拡大」を見て、インフレターゲットで景気がよくなっているより、格差の拡大を感じている。経済が上向きであるという「期待」がもてないようだ。
第三は、市場において「敵にイノベーションを起こさせないための「阻害戦略」である。
豊臣秀吉が「刀狩」を行って自分のような存在が二度と出ないようにしたことを思い起こす。
これは自らが有利な戦略を保持している時に、現状で支配的に機能している自社の指標を、敵に覆されることなく出来るだけ長期に維持しその利益を最大化することである。
我々が体験したことをいえば、ある特定のソフトを使用するために「互換性」の広がりが、いつまでもそのソフトやPC購入を促す効果となっている点などである。
特定のプレゼンソフトでデータが送られてくる場合、受け手はその内容を読むために、同じ企業のソフトが必要になり、より多くの消費者に「特定ソフト」を購入すべきという指向性が高まることになる。
マイクロソフトのワードやエクセルといったソフトが「世界標準」となることで、OSにウィンドウズを選ぶ人が自然と増える。
第四は、現在多くの日本企業が陥っている組織上の問題点で、成功体験のある人物がトップにつくと、自分たちのヤリカタを絶対視しするため、柔軟に対応できなくなる点だ。
現場から遠ざかった社長、重役が象牙の塔にいて命令を出し、イエスマンばかりが出世していく環境では、情報は上にあがらず、組織はますます硬直化していく。
しばしば本社ビルの建て替え後に、成長力が著しく衰える会社が少なくないのは、そういう理由からだろう。
旧日本軍において、前時代的な攻撃方法を繰り返し日本兵の屍の山を築いた日本軍の指揮官を思い浮かべる。
現場を総括する人間が問題意識やアンテナの感度が高く、それが上部に伝わり生かされやすい環境を作り上げねば、組織はアットいうまに劣化していく。
トップもまたマーケット最前線から伝わった情報をもって「新指標」を見抜き、新戦略をうちたてる能力を持ち続けねばならないということである。

日銀の行う金融政策の基本は、「マネタリーベース」を操作して、市場に出回る「マネーストック」を調整することである。
「マネタリーベース」とは現金と、準備金(金融機関が日銀内に開設している当座に保有している法定準備金および超過準備金)の合計である。
準備金は、市中銀行は、法によって顧客から預かる預金の総額に対して「一定割合」(この割合のことを“支払準備率”という)の日銀当座預金を持つことが義務付けられているからだ。
「マネーストック」とは、中央政府と金融機関が自分のものとして持っている貨幣が除かれているのがポイントで、生産部門にまわっていく可能性のある貨幣の量ととらえておけば良い。
「異次元緩和」で最も誤解しやすいのは、日銀が出来ることは市中銀行から国債などを買って「マネタリーベース」を増やすことができるのみで、直接「マネーストック」を操作したり増やしたりすることはできないということだ。
なぜなら「マネタリーベース」と「マネーストック」の間には、「二つの意思」が介在すからだ。
金融機関のお金を貸そうという意思と、顧客がオカネを借りたいという意思次第で、支払準備率が同じでも「信用創造」のレベルつまり預金通貨量の拡大レベルが大幅に変わってくるからだ。
日銀が操作できる「マネタリーベース」は、あくまで信用創造の基礎となるオカネにすぎず、このオカネが民間銀行に供給されて貸出しの原資となり、貸出しと預金の繰り返しによって銀行と企業を循環することで、銀行の「預金通貨」がどんどん膨らんで「マネーストック」が増えていく。
たとえば、好景気の時には、企業は生産設備を増やそうとして銀行からの借入を増やすと、自然と預金通貨量は増加していく。
日本の現状では、日銀は「マネタリーベース」を金融緩和でさかんに増やしているのだが、マネーストックは前年比2~3%程度で推移しており、あまり伸びていないのだ。
つまり、銀行間の短期市場ではオカネが余ってゼロ金利に近くなっているにもかかわらず、オカネが「貸し出し」を通じて生産活動(設備投資)に回っていないことを意味する。
それでは金融機関が「貸し出し」を増やすのに積極的ではないし、日銀当座預金に置いていても利子はつかない、それどころか「マイナス金利」では料金さえ課される。としたらオカネを「何で」運用しているのだろう。
その答えは、「国債購入」に向けられているのだ。
金融機関は潤沢になった資金を企業や個人への「貸し出し」に使わず、ひたすら国債を購入しているという「構図」となっている。
日本政府からすれば、「超低金利」で市中銀行からオカネをいつでも借りられるので、こんな有難いことはない。 そこで、「財政ファイナンス」なんていう言葉が浮上している。
要するに、今の日本経済は資金は潤沢にあるのに、「資金が循環していない」ことコソが問題であり、日銀がいくら一段と金融緩和に踏み込んでも「滞留する資金」が増えるだけのことである。
そうした現状を踏まえず日銀がこれまでやってきたことを繰り返すなら、旧日本軍が大好きな「型の反復」そのものではないか。

日銀の政策委員会には、学者ばかりではなく実務家も配しているので、現場でどんなことが起きているのかは掴んでいるとは思う。
最近テレビで、異次元緩和からさらに踏み込んだ「マイナス金利」が現場でどのようなことがおきているかを伝えていた。
マイナス金利で、市中銀行は日銀に預けて「手数料」をとられるくらいならば、「貸し出し」にまわしたほうがいい。そこで銀行は貸し出しに積極的となり、企業は低金利でオカネを借りて設備投資が増え景気がよくなるという「シナリオ」だった。
まずマイナス金利の導入で効果があがっているのが「住宅ローン」で、20年固定金利で0,85パーセントに下がっている。これはマイナス金利導入前の「半分」で、20年トータルで返済額を400万円近くの負担を軽くすることができるという。
このように家計には「マイナス金利」は恩恵となっているが、企業に対してはどうか。
テレビに登場したある中小企業の返済計画では、この半年で返済金利は0、15パーセント下がっていた。
するとその企業の元に、これまで取引がなかった名前を知らないような銀行が新規の融資話を持ち込んでくるようになったという。
その経営者は、銀行は「借りてください」と来るが、仕事のメドがどこまで立つかという点で「不透明」な部分が多く、オカネを借りて「設備投資」というのは厳しいと語った。
今日より明日の方がよくなりそうだから、はやめにお金を借りようという気持ちにならないかぎり、銀行貸し出しは増えないということだ。
全国の銀行の貸し出し残高の伸び率は、「マイナス金利」導入前を「下回って」、日銀の思いどうりになっていない。
マイナス金利は、企業の貸し出し金利を抑えることとなり、銀行の収益を圧迫する。金融機関の「収益悪化」は我々の生活にも悪影響を及ぼしつつある。
表面化したリスクに加え、水面下で高まっているリスクがあるからだ。
「企業向け融資」に頼る地方銀行は、企業にオカネを「貸したい」気持ちが前面に出すぎると、「与信」のハードルが下がって、結果的に不良債権を抱えるリスクが高まっている。
ある企業が在庫の量を偽るなどをして利益を水増しし粉飾決算を続けていたのを金融機関が見抜けなかった事例などがあがった。
マイナス金利によって経営が苦しくなった地銀や信金において、どうしても貸したいという焦りが増し、「粉飾決算」を見落とすリスクが高まっている。
実際ここ1年で粉飾決算が一因で倒産した企業は増加している。
その一方で、大手銀行の場合には全く逆の見方がある。
マイナス金利で銀行の収益が厳しくなると融資に対して慎重になる。つまり絶対に不良債権は出さないという「守り」にはいるということだ。
つまり「貸し渋り」がおきるということで、これでは、日銀のシナリオと真逆の悪循環となる。
また何より「マイナス金利」は日本経済は異常な事態に入っているというメーセージともなっているという。それが企業家の意欲をそいだり消費者の購買意欲を減らせたりする面も否定できない。
ヨーロッパで「マイナス金利」がうまくいったのは、銀行が「貸出金利>預金金利」でまだ利ザヤが取れ、貸し付ければ儲かるというカタチがあったからだ。
だが日本の場合、すでに量的緩和を徹底的に進めたためもはや利ザヤがなくなっている中でのマイナス金利だ。
それは、銀行は「預金→貸し出し」という「本業」ではもうからなくなっていることを意味する。
マイナス金利で、日銀に預金すれば料金を取られ、貸し出すのにも無理な相手しかいない。
メガバンクはまだ外国でもうけられるが、地方銀行はもうからないので「預金」はイラナイという処にまでいけば、あとは「経費の削減」で勝負する他なく、その結果オカネは冬眠する。
江戸時代、勘定吟味役の荻原重秀は、「デフレ対策」として貨幣に含まれる金銀の含有量を減らして、貨幣量をいっきに増やした。
貨幣改鋳を行えば、それだけで幕府に利益(出目)が生じるが、物価が上がりだし庶民の生活は苦しくなる。
つまり幕府は潤うが、庶民は貧しくなるという構図だが、泥棒にも近い荻原の政策にも「三分の理」があった。
当時、商人らは貯蓄のため大量の小判を蔵に眠らせていた。放置するとデフレがひどくなる。
幕府は一計を案じ、改鋳を通じて旧小判を蔵から引っ張り出そうとした。その際に新小判は減らし二朱金や一分銀などの「小額貨幣」を増やした。お金の回転量を上げデフレに陥りにくくしたのだ。
江戸の経済官僚たちは、商人たちと熱心に話し合って政策を工夫した。残っている大量の政策メモには幾重にも付箋が付いていた。制度の利点や欠点を検討し直した跡がうかがえるそうだ。
町の評判も気にしていた。「隠密廻り」という調査員が現代の世論調査のようなものもやっていたという。
日銀は9月後半で金融政策決定会合で「異次元緩和の検証」を行うとしている。
「2年で2パーセント上昇」という目標には遠くおよばず、2015年基準の前年比ではマイナス0.4パーセントだという。
「原油価格の下落」が目標に達しなかった理由にあげられそうだが、「異次元緩和」はそんな個別の商品の値下がりを問題とするような次元の話ではなかったはずだ。
「異次緩和の成果」はほんの一握りしか行き渡っておらず、全体として経済の上向き感がない。
日本銀行が、これまでのように「効果(戦果)は上がっている」一辺倒の"大本営発表"では、ますます「旧日本軍の失敗」に似通ってくる。