道筋が変わる

"わたしにとって不思議にたえないことが三つある、いや、四つあって、わたしには悟ることができない。 すなわち空を飛ぶはげたかの道、岩の上を這うへびの道、海をはしる舟の道、男の女にあう道がそれである。"
この言葉の「わたし」とは、古代イスラエルの王ソロモンである。つまり、ソロモンが「格言」として語った言葉の一節であり、その全体は旧約聖書に「箴言」としてまとめられている。
ソロモンのいうとうり、確かに自然界の中で動物が通る道筋というのは、不思議という以外にない。
森林の中を移動する動物の道を「けもの道」という。動物はやみくもに森林内を行き来するのではなく、移動しやすい場所が移動経路として地面が多少とも踏み固められていく。
動物に種子を付着させて分布を広げる戦略を取っている植物や、大型哺乳類に果実を食べさせ中にある種子を運ばせる戦略を取っている植物や、踏まれることに強い構造を持った植物など、何らかの特徴を持った植物が、獣道沿いに分布を広げているケースもある。
ちなみに、個人的に「けものみち」という言葉を初めて知ったのは松本清張の小説のタイトルからだが、それは政治家がとおる道を譬えたもの。
また近年驚いたのは、「うなぎ」の通る道である。
秘密のベールに包まれていたウナギの生態が明らかになったのは、1922年にデンマークの科学者シュミット博士が、天然のヨーロッパウナギの産卵場所が、魔のトライアングルで有名なバミューダ海域であることを突き止めた。
日本や中国に生息する天然のニホンウナギの産卵場所は、なんと日本から2000キロメートルも離れたアリアナ諸島の西方沖であることを東京大学海洋研究所が明らかにした。
マリアナシ諸島沖で産声をあげた日本ウナギは「レプトセファルス」とよばれる幼生の姿で海を北上していく。
北赤道海流と黒潮に乗って長い旅をした後、稚魚である「シラスウナギ」に姿を変えて、日本や中国、台湾の沿岸から川に入って成魚へと成長していくのだ。
川で5~15年間暮らした成魚は、9月から12月に産卵のために再び大海原へ出ていくという。
長い間、謎に包まれていた天然ウナギの生態が明らかになってきたことで、世界規模で減少しているウナギを保全するための対策が立てやすくなる。
「産卵地」に加えて、新月の2~4日前にほぼ同一の海域で毎晩産卵しているらしいこと、産卵の水深は150〜200メートルと比較的表層であることなども明らかにされた。
しかしソロモンも疑問を抱くと思うが、そもそもウナギがなぜ何千キロもの旅の果てに「集団産卵」するのかという根本的な謎はわからないし、ウナギが通る道は一体何によって定められているのだろうか。
さてウナギが産卵する西マリアナ海嶺(北緯13度、東経142度付近)だが、「マリアナ海溝」といえば世界でもっとも深い海溝である。
日本の領海を探れば実は、富士山クラスの高い山はいくらでもあるのだ。
さて、ソロモンは「舟の通る道がわからない」といっているのだが、最近の国立科学博物館が「草の舟」で台湾から日本へやってきた道を探る舟旅をしているが、途中潮に流されて行きつくことが出来ず「謎」が深まったとしている。
風の向きや潮の流れなどの自然を知り尽くした古代人は、舟が安全に通る道をさぐりあてたに違いない。
最近この国立科学博物館のリーダーの名前が「海部陽介」氏であることに気がついた。
海部族とえば、丹後半島の元伊勢といわれる神社を創立した人々、そこから現在の伊勢神宮に渡ってきた人々である。
海部族は、愛知県あたりに住み着き、現代の政界でも「海部俊樹」という内閣総理大臣を生んでいる。
きっと、リーダー海部湯介氏も、自分のルーツを探ると同時に、「草の舟」は、中華文明とは異なる次元にある「日本文明」の淵源を探ろうとしているにちがいない。

最後に、ソロモンが不可思議と思たというのが「男と女の出会う道」というものである。ソロモンがこのようなことを語るのにも、彼自身の人生の中に起きた「何か」を映しているに違いない。
ソロモンといえば、イスラエルの王の中で「栄華」を究めたのだが、実はソロモンが父ダビデと部下ウリヤの妻との「不義の子供」であることはあまり知られていない。
神はこのような出生をもつ子を、エルサレムの神殿を建てさせるほどの祝福を与えた。
では、何故に神によってソロモンはこのような祝福を受けたのか。
聖書によれば、神が夢の中で「何が欲しいか」と聞いた時、一般的な王が求める富や権勢ではなく、「民をおさめる知恵」求めたことを神が喜んだことによるという。(第Ⅰ列王記3章)。
ソロモンの知恵は諸外国に響き、ソロモンの謦咳に接しようと諸外国から人々がエルサレムを訪問したほどである。
その中には「シバの女王」がいて、その来訪には大勢の随員を伴い、大量の金や宝石、乳香などの香料、白檀などを寄贈したといわれる。
ポールモーリア楽団のイージー・リスニング曲の定番「シバの女王」は、ソロモンとシバの女王の会見の壮麗な場面を表現したものであろう。
さて、エルサレムを訪問したシバの女王マケダとソロモン王が恋に落ち、数ヶ月の滞在ののち、女王はソロモンの子を身ごもったままアフリカに帰り、エチオピアでメネリクを生んだである。
以来、エチオピア王はソロモン王朝と称し、都の名から「アクスム王国」とよばれた。
つまり、二人の間で生まれた子がエチオピアを建国したことになる。
そこで思い浮かべるのが、10年以上も前に、スペインのアンダルシア地方には、「ハポン」という姓をもつ女性がミスユニバースに選ばれたというニュースである。
ここに住む「ハポン」姓のひとびとは、日本人の血の流れをもつ人々なのだが、どうしてこのような人々がアンダルシア地方に住んでいるのだろうか。
一般に、人が未知の国に住みつくにあたって様々な「個人的な」事情があろうが、それが集団でマトマッテ住みついたとなると、何かそこに大きな歴史的な出来事が起きているハズである。
実は、アンダルシア地方はフランシスコ・ザビエルの出身地であるバスク地方にも近いが、「ハポン」姓の人々は日本のサムライの子孫といわれている。
この人々は1618年に派遣された支倉常長率いる「慶長遣欧使節」と関係が深い。
1618年、伊達政宗は宣教師のソテロとともに支倉常長をローマに送ることを命じた。
一行は仙台領の月の浦(宮城県石巻市)から、太平洋・大西洋を日本人で初めて横断し、メキシコ、スペイン、ローマへと渡る。
この大航海の目的はメキシコとの通商と宣教師の派遣をスペイン国王とローマ教皇に要請することであった。
彼らがスペインで約一ヶ月を過ごしたセヴィリアは、マゼランが世界周航へと出港した港町でスペイン第4の都市だけあって、町並みはとても華やかで活気があった。
一行26人(資料によって異なる)のうち6~9人はどうやら最初に上陸したコリア・デル・リオに留まり、そのまま永住したらしい。
それが信仰心によるものか、別の理由によるものかは判らない。
ともあれ、この人々の子孫が「ハポン姓」を名乗るスペイン人となるのである。
さらにマドリッドではスペイン国王フェリペ3世に謁見を賜り、ここで支倉常長は洗礼を受けバルセロナに滞在後ローマへと向かっている。
彼らはローマで熱狂的な歓迎を受け、教皇パウロ5世に謁見し、伊達政宗の手紙を渡している。
しかし彼らがようやく帰国した1620年は、日本では全国的にキリスト教が禁止され、信者たちは次々と処刑されるという厳しい時代となっていた。
日本ではしだいにキリシタン弾圧が厳しくなってきているという情報が教皇のもとに届いており、交易を約する返書をすら得られず7年後に帰国している。
帰国した支倉らは、以後身を潜めて生きなければならなくなった。
仙台に帰った支倉は、「運命に裏切られた」者として、以後自分の生をどう総括したらいいの苦しんだであろうが、信仰でもちこたえられたであろうか。
とはいうものの、テレビで見た「ハポン姓」の人々は、絵画に残された支倉の孤独で沈鬱な表情とは裏腹に、底抜けに人生を楽しんいるかのように見えた。

日本人女性が海外のとてつもない地域で生きているのを時々テレビで見るが、そこには必ずと言っていいほど、不思議な「男女の出会い」というものが存在している。
ソロモンのいうとおり男女の出会いは不可思議というならば、歴史上に「印象的」な事例をさがせば、薩摩の陸軍大将・大山巌と、会津生まれの山川捨松の出会いはどうであろうか。
映画「シャル・ウイ・ダンス」では、一人のサラリーマンが、「社交ダンスの世界」に入っていく姿が描かれていた。
それは「ペア」というものに不慣れな中年男の恍惚と不安が描かれたものといってもいい。
ところで「ペア」というのは「対」(つい)のことだが、「同族でありつつも異なる機能・作用をもつ」がゆえに「対」となる。
日本でそうした「ペア」の思考が長年生まれなかったのは、儒教の影響で「男尊女卑」の傾向を生んだためで、夫婦で「横関係」のペアであることはなかったといえる。
外国では偉い人はペアで社交するが、日本ではたとえ社長夫人であろうと、オモテに出る必要はなく、逆に出過ぎると嫌われる。つまり社長夫人はあくまで「奥さん」であるべきなのだ。
そういう伝統文化で育ってきた日本の女性が、明治のはじめに突然「鹿鳴館」でペアで踊る羽目になった時、その様子はどんなものであったろうか。
実は、日本の社交界で動員されたのは、「ダンスはうまく踊れない」芸者たちだった。外国人が彼女らをどう評したかは、ここではふれまい。
そんな中で、西洋風の良家の子女「のダンシング・ヒロイン」として羨望を集めたのが、山川捨松である。
山川捨松は、津田梅子と同じ日本最初の女子留学生の一人である。
女の子に「捨松」とはひどい名前だと思われるかもしれない。幼名は咲子だが12歳で留学させる時、「あんな小さい娘を海外に追い出すなんて、母親は鬼だ」と噂された母が、「一度は捨てるが将来を期待してマツ」という意味で改名させた。マッタ甲斐が十分あったわけだ。
会津藩出身と言えば、捨松は戊辰戦争を8歳で体験し、辛苦を嘗めることとなる。この戦争体験は生涯を通して忘れられない記憶であった。
彼女は、名門バァッサー大学に進学。卒業後は、ニューヘブンの市民病院で看護学の勉強をし、「甲種看護婦」の資格を日本人で初めて取得した。
帰国後、留学生仲間の結婚パーティで「ベニスの商人」を演じたが、この時に捨松を見初めたのが、薩摩出身の陸軍中将の大臣・大山巌、当時42歳であった。
大山は前年3人の娘を遺して妻に病死されていた。そして大山より24歳年下の捨松を後妻にとの結婚申込みがあった。
しかし、大山は会津の旧敵薩摩人で、戊辰戦争では会津若松城を砲撃した隊長であった。
さらに捨松の兄嫁はこの砲撃で死亡していた。当然、山川家はじめ会津側は「大反対」だった。
ところが、この結婚を決意したのは捨松自身であった。大山を女性を大切にする素晴らしい人だと思ったらしい(実際、そのとおりだった)。
かくして、陸軍大臣夫人で3人の娘の母となった大山捨松は「鹿鳴館の華」と呼ばれるようになる。
また捨松は鹿鳴館でバザーを開き、この収益金で有志共立東京病院(慈恵医大の前身)所属の、我が国初の「看護婦学校」を設立した。
大山巌との間には、二男一女の子に恵まれ、日露戦争の時、大山巌は満州派遣軍総司令官であったが、日露戦争後、大山巌は公爵・元帥に出世している。

数年前、北海道で、自宅前から戻れず車で、凍死した父子がいた。自宅までの距離50メートルで、豪雪のために家に入れず、父親は幼い娘の体に覆いかぶさるように亡くなっていた。無念な話である。
映画「デイ・アフター・トゥモロー」を思い出す。地球温暖化により、南極の氷が解け、海流の急変が氷河期を引き起こす未来クライシス映画。
異常な気温の低下に見舞われ、何もかもに氷が張り、煙ったように白く霞む地上世界の崩壊している。この映画にも、父が子を氷原のなか捜し歩く場面があった。
ニューヨークの大洪水で水面が上昇していて、建物の高層階に当たる高さを巨大タンカーが横切っていくシーンが印象的だった。
異常気象で、ニューヨークが大洪水に見舞われるが、東京でゴルフボールくらいの雹(ひょう)が降りそそぎ、イギリスではスーパー・フリーズ現象が起き、ロスでは巨大な竜巻が街を飲みこんでいる。
ただ、この映画を見て一番驚いたのは、地球の南北が逆になる「地磁気逆転現象」である。
磁気の発生メカニズムは、まだ完全に解明されていないものの、地球内部のコア(核)が巨大な「発電機」となり、磁力を起こしていると考えられている。
そのため地球は北極がN極、南極がS極の巨大な「磁石状態」となっているので、方位磁石が北を指すのである。
地磁気が逆転すると、 停電や電子機器の故障は当然ながら、強烈な日光が降り注ぐ反面 寒冷化のすすむ地域もある。
実は、地磁気は、生物にとって有害な宇宙線を防ぐバリアの役割をしているのだが、逆転すると現在の5分の1程度に弱まると考えられている。
すると太陽からの電磁波やプラズマが大量に地表に届き、電線や発電所に過剰な電流を起こし故障する。
それでは、地磁気の逆転などという現象が本当に起こりうるのだろうか。実は、現在わかっているだけでも、地球の南北は7回も入れ替わっているという。
過去の地磁気逆転でも、生物を「絶滅」させるほどの破壊力はなかったようだが、地磁気をたよりに移動する生き物は、我々の想像以上に多く、長距離を移動する鳥やチョウ、サケやカメなどの回遊性の動物、ウシやシカなどの大型哺乳類に至るまで数多く知られている。
テレビでアメリカ大陸の蝶々が3世代にわたって南北に移動するのを見たことがある。蝶々は3世代にわたって移動するので、一個の個体が移動する「渡り鳥」とは根本的に違う。
北アメリカのオオカバマダラは、1年のうちに北上と南下を行うことが知られている。ただし南下は1世代で行われるが、北上は3世代から4世代にかけて行われる。
オオカバマダラは、産卵がすむとまもなく一生を終えるものの、卵から孵り成長し、成虫になった「次世代」のオオカバマダラがさらに旅を続けるのだ。
これらのオオカバマダラの移動距離はナント約3500kmを世代を繋ぎつつ約3ヶ月で移動する。
この世代を超えた自分の移動ルートを一体、何によって知るのか疑問だったが、体に「地磁気」を感じながら移動すると考えれば説明がつく。
「地磁気」の変化は、当然ながら生き物の移動ルートをかえてしまう。
それが地球の生態系を完全に変えてしまうことはいうまでもない。
最近、道筋が変わりつつあるのは、台風の進路、生き物が通るみち筋、ネット利用で変調を起こした男女が出あう道、などなど。