南米のすごい面々

南米といえばカーニバル、お祭り男にお祭り女といったイメージだが、サッカーの世界では、アルゼンチンのマラドーナも、そんなイメージにピッタリの人だ。
自分が知る限り、南米の有名人にはマラドーナはじめ、人生の振幅が激しい人々が多い気がする。
歌手を夢見て、路上生活から這い上がって大統領夫人となったアルゼンチンのエビータ。
さらには、世界十指の富豪ともなったコロンビアの麻薬密輸王・パブロ・エスコバルも、そういう人達だ。
エスコバルは、私兵まで雇って政府や敵対者との銃撃戦を含む抗争に明け暮れたが、その反面、サッカースタジアムを建設し、慈善活動も行い英雄視された。
さすがに抗争に疲れたエスコバルは1991年、アメリカへの引渡しの忌避を条件に、5年の服役をコロンビア政府と合意すると、エスコバル個人用の豪華な設備を備えた「刑務所」をつくって収監された。
なぜ、そんなことが許されたといえば、元々この刑務所自体が、エスコバルの寄付により建設されたものだったからだ。
この「ラ・カテドラル(La Catedral、教会の意)」あるいは「オテル(ホテル)・エスコバル」とも称される刑務所には、サッカー場やディスコさえ備えられ、所内での生活は快適そのものだった。
エスコバルは今までどおり組織に指示を与え、メデジン市内に外出しては買い物やパーティー、サッカー見物を楽しんだという。
しかし、刑務所内で殺人を犯し、当局の命令で別の刑務所に移動中にメデジン市内に身を隠し、1993年12月、家屋に身を隠していたところを治安部隊に囲まれ射殺された。

我々日本人は、南米出身の文学者や思想家をほとんど知らないが、1973年に亡くなったノーベル文学賞のパブロ・ネルーダの名前ぐらいは知っている。
その人物像はよく知らないが、ネルーダについては、映画「イルポステリーノ」(1994年)でその一端を知ることができた。
映画「イルポステリーノ」は、第二次大戦直後の南イタリアの港町ナポリの沖合いの小さな島カプリを舞台とした「実話」を元にした映画である。
実在した詩人パブロ・ネルーダに材を取ったA・スカルメタの原作を基に、イタリアの喜劇俳優が病に蝕まれた体で撮影に臨み、映画化にこぎつけた執念の作品となった。
1950年代のナポリの沖合いに浮かぶ小さな島、そこへチリからイタリアに亡命してきた詩人パブロ・ネルーダが滞在する事になった。
パブロ・ネルーダは南米チリを代表する20世紀最大の詩人である。チリ大学在学中に「二十の愛の詩と一つの絶望の歌」を出版し、中南米の有望な詩人として認められた。
そのナポリ沖合いの小島に一人鬱々と暮らす漁師の青年がいた。
青年マリオは漁師の父親とふたりで暮らしているが、海が嫌いなマリオには仕事がなかった。
パブロネーダには世界中から手紙が届けられ、マリオはこの詩人に手紙を届けるだけのために、郵便局の「臨時配達人」となる。
丘の上の別荘に毎日郵便を届けるうちにネルーダとマリオとの間には年の差を越えた友情が芽生えた。
ネルーダは美しい砂浜で自作の詩をマリオに語って聞かせ、詩の「隠喩」について語り、マリオは次第に詩に興味を覚えるようになった。
ある日カフェで働く美しい娘ベアトリーチェに心を奪われたマリオは、ネルーダに彼女に贈る詩を書いてくれるように頼み、ネルーダが妻のマチルダに贈った詩を捧げた。
従来、物事を直接的に語ることしかしなかった朴訥な青年は、詩人からメタファー(隠喩)で語ることを教わる。
ところで、ネルーダの詩をネットで探すと次のような詩が掲載されていた。
//ぼくは君を女王様と呼ぶことにした。君より背の高い女性はいるかもしれない、君より清らかな女性はいるかもしれない、君より美しい女性はいるかもしれない、でも君は女王様なんだ。
君が通りを歩くとき誰も君に気がつかない、君のガラスの冠に気がつかない、 赤と金の絨毯の上を君が歩いてもその絨毯に誰も気がつかない、その存在しない絨毯に君が姿を表わすと私の体の中のすべての河が騒ぎだし、空には鐘が鳴り響き、世界は賛美歌に満ちる ぼくと君だけ、いとしい人よ、ぼくと君だけがそれを聞く。//
この詩人を師匠としたマリオは思いを寄せる島一番の美少女に、「君のほほ笑みは蝶のように広がる」といった表現で手紙を書くようになり、少女の心を射止める。
しばらくして、国外追放令が解かれたネルーダ夫妻はチリに帰国してしまうが、またマリオはネルーダの詩の創作のために、様々な「音」を集めて送っている。
この映画の魅力のひとつは、友を、恋人を、故郷を愛する事の素晴らしさが映像の中で静かに語られている点にある。
そして、漁師の倅マリオの青年が住む島には水道もなく、水道をひくという選挙公約も、いつも反故にされてきた。
こうした島の人々の不満や苦しみを青年は、詩人が教えたメタファーをもって世に訴えていく。
そして、島を代表してイタリアの共産党の大会に参加し、自ら作った詩で放置された「島の窮状」を訴えるのである。
つまり、この物語の要点は、むしろ詩人が帰国以降の展開にあり、「言葉の力」に目覚めた人間が、それによって社会的問題の「本質」をつかんで自らの言葉で表現することで、人々を動かしていく姿である。
一方ネルーダは1927年外交官となり、34年赴任したスペインの内戦では「人民戦線」を支援した。
「わが心のスペイン」出版し、45年上院議員に選出され、1948年独裁色を強める大統領を非難し、地下に潜伏し、アメリカ大陸の文化、地理、歴史、世界の階級闘争を包含する一大叙事詩「おおいなる歌」を執筆した。
1971年ノーベル文学賞受賞し、73年9月クーデター勃発し、まもなく癌により死去している。
映画に描かれた世界的詩人パブロ・ネルーダと小島の漁師マリオをの関係は「最強の二人」といいたくなるが、この映画にはもう一組の「最強の二人」が隠れていた。
この映画は1993年3月に撮影をスタートしているが、この映画の主役となったイタリア人喜劇俳優トロイージはその時心臓の病におかされていた。
しかし映画製作を優先し手術を延期し、治療を続けながら撮影を続けた。
トロイージの体は日増しに弱っていったが、ネルーダ役であるイタリアの名優フィリップ・ノワレの励ましを受けつつ、撮影は続けられ、6月3日にはすべてを撮り終えた。
そして撮影終了後ワズカ12時間後、トロイージは41歳の若さで世を去る。
この映画を演じた二人、イタリアの名優フィリップ・ノワレと喜劇俳優マッシモ・トロイージという「最強の二人」によって、「イル・ポステリーノ」はアカデミー賞5部門にノミネートされた。
この映画が「黄金の魂をもつ作品」と評される所以である。

南米で、唯一日本でもよく知られたユニークな思想家が、メキシコのイヴァン・イリイチである。
1980年代に「脱学校・脱病院・脱交通」を唱え、その著書は日本でもよく読まれた。
実は、イリイチはメキシコ生まれではなく、クロアチア生まれのユダヤ人である。
カトリックの神父となって、1950年頃に研究のために立ち寄ったニューヨークでプエルトリコ人のスラムに遭遇し、ニューヨーク司教に願い出てプエルトリコ人街の教会の神父として赴任した。
その後、南米の「解放の神学」に惹かれ、メキシコなどを活動の拠点とした。
最下層で暮らすマイノリティの人々のために奔走しつつ、多く著述を行い「社会思想家」としての評価を得た。
今時、イリイチが読み直されていい気がする。例えば、「シャドウワーク」という言葉は、ネット上の「共有知」の拡がりや、自動車などシェアするなど「共有化」の動きから、連想される言葉である、
「シャドーワーク」とは、市場経済が我々にしらずしらず強要している仕事で、市場との関わりがなければ必要がなかったであろう労力である。
イリイチはその後者を「シャドウ・エコノミー」(影の経済)というが、われわれ生活者はそのことをほとんど意識していないという。
学校での学習内容も、通勤地獄も、過大な労働に対して払うストレズや病気も、市場がおしつけたものといえる。 なかなか捉えにくい概念だが、金銭のために社会的な労働の裏には、気が付きにくいがそのことに従属させられる「影の労働」が存在することだ。
卑近な例をあげれば、夫を仕事に送り出すためのアイロンかけや、子供を早くから学校に送り出すための弁当作りだといってよい。
その一方で、 企業がシャドウ・エコノミーにある程度通じているのは、企業が利用客や消費者にセルフサービスを含むセルフヘルプをスマートに強要していることからわかる。
それが一番よく表れるのは、学校や病院や交通に関わる部分である。
すこし、拡大すればすこし拡大すれば、家人や子供の近所づきあいから学生の受験勉強まで、ストレスを受けた「ひきこもり」の負荷から子供たちのファミコン狂いまでをも含んでいる。
実は、イリイチは、このような「シャドウ・エコノミー」の領域が、いずれ強大な「成長部門」に転化する可能性について予言していた。
イリイチの思想はつかみにくいが、少なくとも「バナキュラー」と「コモンズの経済」がキーワードのように思う。
コモンズとはかつては共有地のことを意味していたが、イリイチ以降はコミュニティ環境やコンピュータ・ネットワークを含んだ共用環境のことをいうと考えてよい。
つまり、活用しようとおもえば立ち上がってくる環境、それが新しいコモンズなのである。
したがってコモンズは「共有知」ともいえる。
そのコモンズを媒介にして新たな相互作用が動くとき、そこには当然になんらかの価値が生じ、経済力もついてくる。
ところが、このコモンズの経済が現実社会ではシャドウ・エコノミー化されている。
本当は進行しているはずのコモンズの経済文化の多くは、支払いなしの財やサービスに吸収されていて、生かされていないということだ。
そこで、「共用の価値」を引き出す必要があるのだが、イリイチはこのコモンズの経済文化は「ヴァナキュラー」なものであるべきという。
ヴァナキュラーとはもともとはラテン語の用語で、かつて英語で使われていたときは、有給の教師から教わることなしに習得した言語に対しての呼称のことをいった。
古代ローマでは家庭で育てられるもの、家庭で作られるもの、共有地に由来するものをさした。
これをイリイチは「一般の市場で売買されないもの」というふうに拡張する。
ということは、すぐに貨幣価値に換算できないもの、すぐには交換できないものということで、だからといって換算価値をもたないわけではない。
これらの本来はヴァナキュラーであったはずの活動は、市場が用意したサービスと交換できるようになると、本来の「相互扶助的な共有」から逃げてしまっている。
では、ヴァナキュラーな経済文化はすべて市場価値に簒奪されてしまうのか。
そこで思い浮かぶのは、世界で一番幸福と呼ばれる国ブータンの最近の変貌ぶりである。
さて、ブータンの国民の9割以上が「幸せ」を感じているのだが、一体ブータンの人にとっての幸せとはどんなものなのか。
例えば、「今日は家族と一緒にご飯が食べられた」とか、「畑仕事はできなかったけど、代わりにお寺に参拝できた」など、 日常の些細な事全てを「受け入れる」という気持ちを持っているからである。
このように、目の前の生活を感謝して「受け入れる」という姿勢がブータンの人々の「幸せ」の源泉だったといえる。
そんなブータンには、大きな変化が起きている。
毎日家族の仕事をする主婦が、中古テレビや冷蔵庫が欲しくなったりと。
政府が力を入れている観光業では、高級ホテルが進出してきて高級指向にシフトしたり、「殺生禁止」というチベット仏教を守ってきたのに「釣り」が解禁になったりと、激変している。
また、日本とのつながりも増え、世界最弱だったサッカーは、日本人の新しい監督を招いて今回のワールドカップ2次予選に進出するほどなっている。
また、首都では日産のリーフが走り、日本で人気の「マツタケ」を輸出するほどになり、「キノコプロジェクト」が動き出しているそうだ。
こうしたことから、自分がわかってきたことはこの世界は「不満」や「不足」をたえず作り、それを再生産することによって成り立っている。
つまり、ものごとに感謝しない生き方を身に着けるということなのかもしれない。
市場経済がおしつける「シャドーワーク」というものは、それがなければいけないというほどでもないのに、必要だと思わせながら人間を忙しく駆り立てるすべての動作といっていよい。
それは、人々や自然との交流をさまたげたナニモノかなのだ。
イリイチは、人々が「共生感覚」を探求する意欲をもてるように、市場に従属するはシャドウ・ワークを解放し、さらにはヴァナキュラーな価値を闇の中から人々の手に取り戻さなければならないと見た。

2012年にブラジルの国連環境開発会議(リオ+20)で、出席者のほとんど注目していなかった大統領の演説は、会場を感動にまきこんだ。
この大統領は、その質素な暮らしぶりから「世界で一番貧しい大統領」と評されたウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領である。
最近、テレビ局のまねきで初来日した。
その「伝説の演説」の一部を抜粋すれば、次のとうりである。
//そこで私は、私の乏しい考えですが、私たちの抱えている問題は政治的なものだと言いたいのです。昔の思想家たち──エピクロス、セネカ、そしてアイマラ族も、「貧しい人とは、少ししか持っていない人のことではなく、際限なく欲しがる人、いくらあっても満足しない人のことだ」と言っています。これこそ、文化を決めるキー(鍵)なのです//。
ムヒカ大統領は、今日の水資源の危機、環境が脅かされている危機が、環境危機問題の原因ではなく、我々が造り出した文明のカタチであり、見直さなければならないのは、我々の生活様式だと訴えた。
さて、ムヒカ元大統領のこうした演説の原点に、何があるのだろうか。
ムヒカ氏は、ウルグアイにおける軍事政権下、60~70年代、平等な社会を夢見てムヒカ氏は都市ゲリラのメンバーとなり、武装闘争に携わった。
投獄4回、脱獄2回。銃撃戦で6発撃たれ、重傷を負った。獄中に14年、うち10年は独房に長く投獄されていた。
長く本も読ませてもらえず、厳しくつらい歳月だったが、独房で眠る夜、マット1枚があるだけ満ち足りたという。
そうした体験から質素に生きることを学んだ。
人は苦しみや敗北からこそ多くを学ぶ。以前は見えなかったことが見えるようになる。
大切ななことは失敗に学び再び歩み始めることだと語った。