ドーダと歴史

20年ほど前、ひとりの大学教授が「人間の歴史はドーダの歴史である」と主張され、「ドーダ学」なるものを提唱されていた。
教授によれば「東海林さだお」の漫画に触発されたそうだが、教授が提唱するところの「ドーダ学」とは、人の心の「認知への欲求」という機微をツイタものであった。
つまり、人間のコミュニケ-ションのほとんどは、「ドーダ おれ(わたし)はすごいだろう、ドーダ、マイったか」という自慢や自己愛の表現であるという観点に立つ。
そして、この観点から社会のあらゆる事象を分析しようとする学問なのだ。
教授によれば、人間は誰しもどこかに「ドーダ心」を秘めているが、芸術家などの表現者や歴史を動かした人物などにはその傾向が著しい。
ドーダとは「自己愛に源を発するすべての表現行為である」と定義され、画家でも音楽家でも表現者といわれる人々は、結局、朝から晩まで「ドーダ」することを考え、「ドーダ」したくてしょうがない「ドーダ人間」なのだ。
ピアス・刺青・スプリットタンなどをよそおう若者は、それによって他者との差異化を図ろうとする、つまりオレはお前達とは違うんだゾ的な表現者であり、これもドーダ人間の「行動類型」といえる。
またアキバ系など「一点マニア的ドーダ」、高級車愛好者など「一点豪華主義ドーダ」などのエピゴーネン(亜流)もいる。
大概の人は「ドーダ心」を奥に秘めている「隠れドーダ」なのだが、臆面もなく「ドーダ心」露わにする人もいる。
こうした「ドーダ人間」は、おばあちゃん子であったり一人っ子だったりして「自己愛」が損なわれることなく「肥大化」しているケースが多いようだ。
数年前の「号泣地方議員」はそれにピタリだが、最近「三島由紀夫賞受賞」を不愉快と記者会見で怒ってみせた大学教授も「屈折ドーダ」といえるかもしれない。
またドーダ人間は、「ドーダ、すごいだろう」を見て欲しいため、「ドーゾ」と相手に一歩譲ったり、相手の話を聞いたり、奉仕すること、他者を生かすことにあまり関心が向かない。したがって人望がない。
ドーダ心の根元には、「被認知の欲求」がある。
ジャーナリストの辺見庸は、現代社会の特徴を「認知されないことへの飢餓」であると提起した。
この「被認知飢餓」は、最近のIS国による「テロ行為」と無関係ではないようにも思える。
つまり人々は、たとえどんなに裕福で恵まれていようと「認知される」ことの欲求が満たされない限り、この世に不満をもつことになる。
例えば、ひとりの人間が社会や職場で「役割」を果たし、そのことを「充分」に認知されているのであれば、何も問題ない。
しかし、何かのきっかけでいくらでもスペアがきく存在なのだということを思い知らされりすると、鬱状態から「被認知飢餓地獄」にはまったりする。
人間とは、そんなに危うく脆い存在なのかもしれない。
数年前、いわゆる「秋葉原事件」をおこした男性は、事件前日に次のようなことを携帯サイトに書きこんでいる。
「顔のレベル0/100、身長167、体重57、歳26、肌の状態最悪 髪の状態最悪 輪郭最悪。
普段会う人の数0、普段話す人の数0、自分の好きなところ無し 自分の嫌いなところ無し、 最近気を使ってい入ること無し、これだけは他人に負けられないこと無し」。
男性は派遣社員のつねとしてリストラに怯えていて、他人との繋がりをたもつ環境にないことは確である。
それにしても「0」や「最悪」や「無」という言葉の羅列が目に付く。
この男性、自身の人生を「ゼロ」に極限化したがっているようだ。
母親の過剰な教育熱で追い込まれていた体験からか、平均的なことや標準的であることはすべて「ゼロ」と認識される精神が生まれた。
トップになれなかったとか、世間で優等とは認められなかったことで自分のすべては全否定され、「ゼロ」と自己評価している。
日々自分を「ゼロ」と散々に打ち消しつつも、一方でとてつもなく肥大した自我を抱えこんでいるため、よほどのことをしないかぎりは、周りが自分の存在に気づいてはくれないという「被認知飢餓」の状態に陥っている。
また人間の傾向として、自分の存在がちっぽけで、誰にも認知されないつまらない存在と思うほどに、ある巨大(偉大)な存在と「一体化」することによって、「被認知」の不満を解消しようとする。
彼らに「自尊心」を与えることに巧みな扇動者が、人気を博することにもなる。
「被認知飢餓」の蔓延は、世の中に「全体主義的傾向」を生む危険がある。

今から25年ほど前、アメリカの政治学者フランシス・フクヤマが書いた「歴史の終わり」という本は、歴史が進展する原動力を「被認知の欲求」としてとらえたものであった。
フクヤマは1952年アメリカ・シカゴ生まれの日系三世で、ハーバード大学に於いてソ連外交と中近東問題で政治学の博士号を取得し、執筆当時はジョンズ・ホプキンス大学の教授である。
今は忘れ去られた感があるが、出版時はセンセーションを巻き起こした。
そして今のIS国によるテロの頻発と重ね合わせる時、啓発的な内容が含まれていることに気が付く。
それは、この本の結論が当たっているからではなく、ハズレているように見える点で「啓発的」なのだ。
フクヤマは「リベラルデモクラシー」つまり「自由主義プラス民主主義」こそが、目指すべき政治体制の最終的な達成目標であり、それが実現した世界を「歴史の終わり」ととらえた。
しかし、そもそも「歴史が終わる」などという発想はどこから生まれたのだろうか。
カントは、1784年に著した本のなかで、「普遍的歴史」なる概念を提唱し、歴史には人間の「潜在能力」の内に秘められた最終目標としての「終点」があるとした。
さらにヘーゲルは、歴史の進歩は人間を対立や革命など情念による盲目的な相互作用から生まれるものの、絶え間ない抗争のプロセスを通過して、より矛盾の少ない体系にすすむとした。
いわゆる「弁証法的発展」だが、最終的には近代的な立憲国家の中での自由の実現がその「完成点」であると考えた。
以上のように両者を見る限り、「歴史の終わり」は「歴史の完成」といった方がよいかもしれない。
ここで、フクヤマのいうように、 歴史を動かす方向舵として「認知を求める闘争」があったとしよう。
しかし、どんなに認知欲求があったしても、戦ってでも「認知」を勝ち取ろうとする人と、何もしようとしない人々もいる。
フクヤマは、そうした人間の差異を、ソクラテスの「魂」論に依りつつ、「気概」という観念で説明した。
「被認知の欲求」が方向舵ならば、「気概」はその精神的な基盤といえよう。
さて、動物の行動は自己保存のための本能に基づき、食物、睡眠、生命の保持などの自然的欲求の充足のみを求める。
動物の行動は自らの物質的な性質と周囲の自然環境によって決定されるもので、プログラムされた機械と変わりはない。
人間は一面では自己保存のための動物的本能を備えている。
しかし、人間が根本的に動物と異なるのは「社会的存在」であるというところにある。
人間は他の人間が欲することを欲し、他の人間から必要とされ認められることを欲する。
京都大学の霊長類研究室が明らかにしたように、サルの世界にも「社会」というものが存在するが、サルは他者から認められるために、「自己保存の本能」から逸脱することはない。
ところが、人間は他の人間に自分の価値を認めさせようとして戦いを挑み、「自己保存の本能」から逸脱して自分の生命をあえて危険にさらすことさえもある。
さて、「被認知の欲求」が歴史を展開させることにつきフクヤマは、おおよそ次のような説明している。
伝統社会において、戦いの一方の側は、暴力的な死の恐怖に直面すると、死を選ぶよりは奴隷として生き残ることを決心する。
つまり、相手を主人として認知し、主人と奴隷の主従関係が生まれる。
奴隷は死を恐れて人間性を放棄したものの、労働を通じて自然の物質を別なものへと変えることの出来る事実を発見し、自分が自然の制約を越えた自由で創造的な力をもっていると悟るようになる。
そうした奴隷は自由の理念を抱き、死の恐怖を克服し、「革命」を起こして主人に挑戦する。
端折りすぎた説明だが、フクヤマは気概をもった人間によって奴隷状態を克服し、「普遍的」な認知の形態が達成され社会に移行するとした。
そうした社会こそが「リベラルデモクラシー」の社会なのである。
さて人間は奴隷状態を克服したものの、自らの「普遍性」を主張する異なったイデオロギー同士の闘争にむかう。
具体的にいうと、資本主義と共産主義、あるいは自由主義体制と中央指令体制の戦いであるが、歴史は、前者の方に「普遍性」をもつイデオロギーまたは体制としての「軍配」をあげたかに思える。
情報、サービスの役割が重要になる「脱工業化」社会には、政策決定の分権化と市場重視の方向を不可避とするが、共産主義体制における「中央計画経済」は、脱工業化時代の経済システムがもつ複雑性とダイナミズムへの適応性を欠いていたからだ。
「共産主義」の敗北によって、イデオロギー闘争は事実上終局を迎え、歴史は「リベラルデモクラシー」の勝利でひとつの区切りがついた。
フクヤマは、これからの世界を「リベラル・デモクラシー」を採用し歴史から脱した地域(脱歴史的世界)と、いまだ歴史にしがみついている地域「歴史的世界」の二つに分かれていくとした。
歴史世界では宗教的民族的衝突が繰り返され、紛争や暴動を続けていくことだろう。
「脱歴史的世界」は「歴史的世界」の脅威から身を守るのと同時に、歴史的世界へ「リベラルデモクラシー」の大義を普及させてゆくことにエネルギーを払うようになるという。
実は、フクヤマの論説が今日と重ねて面白く響くのは、このあたりのハズレタ部分である。
2010年代にはいって、「アラブの春」という時代をむかえ、リベラルデモクラシーがこうした地域にも広がるかと思えたが、 混乱と戦闘が続くばかりである。
2001年9月11日にアメリカで同時多発テロが起きた際、「歴史が終焉した」というフクヤマの主張は大きな批判にさらされた。
それに対してフクヤマは、「イスラム原理主義」は、自らの普遍的な正統性を主張することが出来ずに自暴自棄的な抵抗をしているのに過ぎない、いずれ近代化の波に呑み込まれてしまうだろうと語っている。
ちなみに、911テロで崩落した世界貿易センターを設計したヤマサキ・ミノルは日系2世である。
現在のIS国の動きを「イスラム原理主義」と同列に扱うわけにはいかないものの、それは「リベラルデモクラシー」の普遍化といった単線的な歴史展開とは「真逆」にむかっているように思える。
世界全体で格差が広がる中、「イスラムの下の平等」が若者をひきつけとしても、明るい希望がないならば、せめて希望は自分を受け入れない豊かな社会が壊れる情景を見たいという大義よりも死に場所を求めてIS国に集まっている者もいる。
だとするならば、それはイスラム云々の問題ではなく、むしろ「リベラルデモクラシー」内部の問題なのだ。
「リベラルデモクラシー」は脆さや弱点を抱えながらも、そのオールタナティブを人類は構想できない状態にある。

フクヤマが普遍化する体制とした「リベラルデモクラシー」というのは、どのような政治体制であろうか。
この世の中には、リベラルデモクラシーを採用していない国はたくさんあるが、日本はどうであろう。
日本は英国と同様に「政体」という意味では、「立憲君主制」であるが、その政治権力の所在・運用の実質に照らして「デモクラシー(民主政治)が行われている」と言ってよい。
なお、スウェーデン・ノルウェー・デンマークの北欧3ヶ国は、立憲君主制に加えて、「リベラル(自由主義的)」ではなく「ソーシャル(社会主義的)」な価値をより重視して長年国家を運営しており、共和制で同様な国家運営をしているフィンランド・アイスランドを加えたこの 北欧5ヶ国 は「 ソーシャル・デモクラシー(社会民主制)」と表現する方が適切であろう。
ところで、リベラルデモクラシーの構成要素たる「自由主義」と「民主主義」はセットになって語られるが、それほど「相性」がいいとはいえない。両者は次元の異なるものだからだ。
民主主義は「主権の在りどころ」であり、自由主義は「個人主義」に深く関わる。
つまり「自由主義」とは、信仰の自由とか学問の自由とか経済活動の自由とかいうように、民主主義的な国家であっても、国家権力に対して「干渉」してほしくないという「個人主義」に根差している。
問題は、「リベラルデモクラシー」において、この自由主義と民主主義のバランスが著しく崩れると、リベラルデモクラシーは健全に機能しなくなる弱点をもっている。
つまり民主主義は、個人主義を浸食することもあれば(多数の横暴)、逆に個人主義は民主主義を浸食することもあるということだ。
最近までは、「新自由主義」つまり「市場万能主義」が幅を利かせていた。しかしこの行き過ぎた「自由主義」は、経済格差を生み、容易にはぬけだせないような貧困を生んでいる。
老後の不安どころか、「家族を持てるか」という不安を抱く若者も多い。
西村賢太の芥川賞作「苦役列車」では、日当5500円の日雇い労働で、飯と酒とタバコこと、たまに行く風俗店が生計のほぼすべてという若者を描いた。
主人公は過剰なまでの自意識を抱え込んでおり、その分だけ「被認知砂漠」のような世界にいるのかもしれない。
こういう人々の群れが求めるのは、自分たちに誇りや自信を植え付けてくれる「指導者」である。
そして民主主義社会にあって、きわめて全体主義的傾向をもつ政治家の言葉が喝采をあびることにもなる。
その結果、人々の自由が奪われて抑圧されていくという皮肉な結果を生むのだ。
さて、ひとつ気になるのは、フクヤマのいうがごとき「歴史が終わった」時、人間はどうなるか。
「被認知」の煩悩から解放された状況では、人間は「ドーダ」しなくなる。
それが「人間の終わり(完成)」ということか。
さて今、世界中で競うように高層ビルの建設が行われている。特にサウジアラビアのジッタでは高さ1キロにもおよぶビルが建てられているという。
平地にありながら、人間がそれほど高いところに住むということに一体どんな意味があるのか。
地震や災害のリスク、テロのリスクまで含めて果たして合理的なのだろうか。
これも「被認知欲求」の産物といえば説明がつく。
旧約聖書「創世記11章」に、「バベルの塔」建設に向かう人々の言葉がある。
「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。
昔も今も、将来もかわらず、人間は懲りずに「ドーダ」する存在なのだ。