ニンジャがいる

東京駅には、或るフィクションに描かれた「空白の4分間」というのがある。
福岡県の香椎海岸で男女の死体が発見された。青酸カリを服用し、着衣に乱れがないため、心中事件として処理された。
ベテラン刑事の鳥飼は、男が持っていた列車食堂の領収書に疑問を抱くが、それだけでは他殺の証拠にはならない。
一方、死んだ男が疑獄事件の渦中にある人物と判明。警視庁の三原刑事は鳥飼の話を聞き、心中は偽装ではないかと疑う。
ところが、この男女は東京駅で博多行の特急「あさかぜ」に乗るところを目撃されていた。それも、「たった4分間」しか見通せない隣のホームから。
誰が見ても心中という状況の中で、三原刑事は容疑者の鉄壁の「アリバイくずし」に挑む。
以上、松本清張の「点と線」に描かれた東京駅「空白の4分間」である。
そして今、東京駅には世界を驚かす「奇跡の7分間」というのがある。
東京駅などで新幹線に乗ると、一列に並んでお辞儀をする女性たちの姿を見かける。列車がホームに入る3分前に、1チーム22人が5~6人ほどのグループに分かれて、ホーム際に整列する。
列車が入ってくると、深々とお辞儀をして出迎える。降りてくる客には、1人1人「お疲れさまでした」と声を掛ける。
「新幹線1両を1人、7分間で清掃と掃除」で注目を集めている企業、JR東日本の子会社で、新幹線の掃除を担当している鉄道整備会社である。
客の降車が終わると、「7分間」の清掃に入る。座席数約100ある1両の清掃を1人で担当する。
約25mの車両を突っ切り、座席の下や物入れにあるゴミを集める。
次にボタンを押して、座席の向きを進行方向に変えると、今度は100のテーブルすべてを拭き、窓のブラインドを上げたり、窓枠を拭く。座席カバーが汚れていれば交換する。
トイレ掃除の担当者は、どんなにトイレが汚れていても、7分以内に完璧に作業を終える。
チームのリーダーは、仕事が遅れていたり、不慣れな新人がいる場合には、ただちに応援し、最後の確認作業を行う。
7分間で清掃を終えると、チームは再び整列し、ホームで待っている客に「お待たせしました」と声を掛け、再度一礼して、次の持ち場へ移動していく。
始発の朝6時から最終の23時まで、早組と遅組の2交代制でこの作業を行い、1チームが1シフトで、多いときには約20本の車両清掃を行う。
JR東日本で運行する新幹線は、車両数にして約1300両、これを正社員、パート含めて約820人、平均年齢52歳の従業員で清掃する。
2008年に国際鉄道連合(UCI)の会合が日本で開かれた際、その分科会がこの会社を視察に訪れ、同年ドイツ国営テレビが取材にやってきた。さらには米国のラフォード運輸長官も視察に訪れた。
視察だけではなく、米国のスタンフォード大学、フランスのエセックス大学の学生たちが、研修にやってきて、制服を着て、掃除の実習をしている。
日本人の乗客でも、そのキビキビ動作に感心してしまうが、外国の客にとっては、その動きは信じられないようだ。
ある日、従業員が作業終了後、整列、退場の一礼をすると、たまたまホームで待っていた30人くらいの外国人客から大きな拍手と歓声が沸き起こったという。
この30人の海外からの客のうち、1人くらいはこう思ったに違いない。
「さすが、ニンジャがいる国!」。
実際「ニンジャ」は世界で知られた存在のようだ。それは、日本から世界に発信された「アニメ・コンテンツ」によるものが大きい。
JAPANIMATION(ジャパニメーション)という言葉が世界各国で認知されるまでになった日本のアニメや漫画などの海外輸出に伴い、忍者人気も広まった。
忍者ゆかりの自治体などで構成する「日本忍者協議会」の事務局長によると、忍者に引き込まれる理由は「米国ならアクション、欧州は忍者の精神、歴史、文化的要素」と、国・地域で異なるものの、関心の大きな入り口になっているのが忍者作品だという。
例えば、NARUTOの漫画は40以上の国・地域で2億1千万部以上が流通しているという。
カメの忍者が主人公の米国アニメ「ミュータント・タートルズ」や、ショー・コスギ出演のハリウッド映画「燃えよNINJA」など忍者が主役の海外作品も多い。
最近、イスラム圏でも「ニンジャ」という言葉が使われている。
イスラムの世界では女性は異性と同席することも許されないし、車の運転も禁止されているという。
サウジアラビアでは、国内では女性の「体育教育」さえ禁じている。
そして女性が身にまとうのが、体を覆い顔を隠す「ヒジャブ」。
どういうわけか、この「覆いもの」に「ニンジャ」という名前がついているという。
出勤や通学の準備で忙しい朝、「ニンジャ」をさっと付けて髪を隠してしまえば、上から好きなスカーフを短時間でカブルことができる。
絶壁頭のカタチを整えたり、小顔に見せたりする工夫がこらされた「ニンジャ」もある。
アレンジを加えた「イスラム風」が、日本の海水浴場あたりで人気になる日が来るかもしれない。

我が福岡市の薬院に近い小さなホテルが、外国人客がネットに「ニンジャがいる」と書いたがために評判になったことがある。
日本人なら、旅館に泊まって、風呂から部屋に戻ったら食事の用意がしてあったり、布団がひいてあったりして驚いたという体験をもつ人も多いだろう。
しかし外国人客にとって人影も見当たらないのに、いつの間にかなされる行き届いたサービスに、「まるでニンジャがいるようだ」と感じるらしい。
個人的に、「イイオンナ推進プロジェクト/おもてなし心理学協会」代表といわれる女性の「おもてなしの極意」を読むうち、もし「忍者の教科書」があるとするならば、同じようなことが書いてあるのではと推測する。
その本の見出しには「気配を感じること」「自らの存在を消すこと」とあり、まるで「忍びの者」の生き方のように思えた。
実際、こういうサービスの在り方こそが、外国人に「ニンジャがいる」と思わせるのではなかろうか。
その著者が基本として掲げるのが「気配接客」。
「気配接客」とは、客がそれを言葉にされる前に、客がしてほしいことを客の「気配」で読み取るというもの。
この時、客の期待とサービスする側の「相対的な差異」によって満足度が決まる。
「期待を越える対応」と客が感じ取ってもらった時、その越え方や越える量によって驚きや感動に昇華される。
「おもてなし度」にこれでいいという絶対値がないということだ。
また、サービスの内容も、ビジネスホテルとリゾートホテルでは自ずから異なる。客が求めている「おもてなし」のテーマを見誤らないことが大切。
例えば、ビジネスホテルで過度な接客を尽くすと、逆にさっさとチェックアウトさせてくれということになる。
客の「期待を裏切る」ことがが、「気配接客」の極意といえる。
ここでいう「裏切り」とは、 「なんでそこまで」、「なんでわかったんだろう」、「想像もしていなかった」、そんな数々の驚きと感動を創造する「美しき裏切り」なのだ。
そのためには、客自身でさえまだ欲していない、いわば「潜在的な要望」をさりげなく先回りして応えることが求められる。そのためには、客の気配をつねに観察し続けることを忘れてはならない。
これでいいだろうとか、ここまでしているのだからという不遜な心や態度が少しでもあると、それが不思議なくらい客に伝わってしまう。
細部には神が宿るというが、全体を俯瞰したら、こんどは細部に目を向ける。ひとつひとつが「おもてなし」に充ちているかチェックしていく。
いやいややる掃除では、ほんとうに綺麗にすることはできない。細部は「おもてなし」をする人の心を映す鏡になのだ。
これくらいは大丈夫だろうという不遜な心が最も危うい。一瞬の油断がすべてを台無しにしてしまうことがあることを自覚し、その油断が生じないように注意しつづけていく。
また、「気配接客」で最も活かしたいのが、背中での「おもてなし」である。
「背中接客」とは、背中で客の気配を感じとるということ。
客に背中を向けていれば、客は「おもてなし」する側の視線を意識することなく、心置きなく自由に振る舞われることができる。
「おもてなし」の極意は、「こちらの気配は消す」こと。「おもてなし」されていることも、「おもてなし」していることもお互い一切感じない、感じさせないこと。
要するに「忍びの者クノイチ」に徹することである。これを究めてコソ、それまで見えなかったものが見えるようになり、聞こえなかったものが聞こえるようになる。

「伊賀忍者」、「甲賀忍者」という集団がいるが、NHK大河ドラマで真田幸村に仕えた十勇士のうち、猿飛佐助は甲賀、霧隠才蔵は伊賀である。
甲賀も伊賀も、尾張と京・大坂との中間に位置しており、そういう地理的な条件が大きい。
戦国時代はこの地域を中心に大名たちが覇を競いあった。
伊賀は山に囲まれた閉鎖的土地柄からか統一権力が生まれにくく、土豪・地侍がそれぞれ小党を組んで互いが争っていた。
その時に生まれた夜襲・放火・諜報術が、後の伊賀者・甲賀者の誕生につながる。
15世紀後半、甲賀者は六角氏に仕えていたが、室町幕府将軍の本陣を奇襲したことで、全国に知れ渡り功績を認められて「甲賀武士五十三家」と呼ばれるようになった。
その後織田・豊臣氏に帰服したが、中には徳川家康の「伊賀越え」や長久手の戦いを助ける者もいて、そのことが秀吉の反感を買い知行取り上げ・追放となった。
そのことが甲賀をは徳川に近づけることになるが、何といっても、家康が生涯で一番身の危険を感じた「伊賀越えの支援」が大きい。
「甲賀者」はソノ功績により、直参・同心へと取り立て、服部半蔵に付属することになる。
その後は幕府の雑役を務め、大奥の警護・普請場の巡視・西の丸非常口の山里門警備・甲州口の警護を務めた。
江戸時代に入り、天下泰平の時代となって、忍者が活躍するイクサがなくなってしまうと、忍者の末裔や流れを汲む人たちは、忍術を伝えていくために無数の流派を立てていった。
忍術に高い価値があるからこそ、後の時代に残そうとしたのだろう。 忍者の教科書ともいわれる「万川集海」「正忍記」「忍秘伝」などがある。
小説や映画、漫画などでは、ドロンと消えたり水の上を走ったりと、忍法を使う黒装束の「超人」として描かれてきたが、それらの本から浮かび上がる忍者の姿は、とても地味である。
忍者は、手裏剣などは実際に使うことは少なく、手足頭を引っ込めて丸くうつぶせになる「うずら隠れ」などの「隠れ身の術」、「のろしやあぶりだし」といった「伝達術」。
要するに、忍者は自然や周りの環境に応じて創意工夫しながら生き抜くサバイバルの達人。
また忍術書には、「兵糧丸」という食べ物について書かれている。1日に4、5粒食べればおなかを満たして活動できるというもの。
その成分は朝鮮人参やシナモン、でんぷんなどが入っていて、機能的な効果があることが科学的に証明された。
その他、忍術書には酒に酔わない方法、しゃっくりを止める方法、耳に虫が入ったと時どうすればいいかなどが書いてある。
最近新聞で、三重大学特任教授の川上仁一氏という人物を知った。この人は甲賀流伴党21代宗師家でもあるが、運命を変えたのは一人の老人との出会いだった。
川上仁一氏は当時6歳だった1955年ごろ、生まれ育った福井県若狭町瓜生で、1人の老人と出会った。
老人の名は石田正蔵。自宅のあった京都から頻繁に村を訪れて木賃宿に長期滞在し、薬売りなど行商をしながら生活していた石田氏は、「甲賀流忍術」の体得者であった。
いつしか2人は師弟関係となり、川上氏は忍術を習いはじめる。
村のあちこちの家や崖をよじ登ったり、高いところから上手に飛び降りたり、家屋に侵入する方法(!)を教えてもらったという。
川に潜ったり、山を駆け回ったりしながら、薬草や毒草の種類、使い方も習った。
もちろん各種の武術や謀略の方法なども伝授された。
当時70代だったと思われる石田正蔵氏は、どんな技でも見事に実演して見せてくれたそうだ。
また、すべての知識を暗記していて、それを口伝えに教えてくれた。
石田家は京都にあったが、先祖は滋賀県甲賀の武士の家系である。
幕末に甲賀勤皇隊が組織されたとき、甲賀流忍者の家系である伴家をはじめ、各家に伝わっていた忍術を持ち寄って、皆で習得し直したことがあったそうだ。
これが石田正蔵氏まで代々伝えられていたのである。
18歳で師範となった川上氏は、「甲賀流伴党21代宗師家」を名乗ることを許された。
石田氏からは19歳くらいまで忍術を習っていたという。
川上氏によれば、忍術では、人間には「食欲、性欲、物欲、風流欲(趣味、趣向)、名誉欲」という5つの欲望があり、「喜怒哀楽と恐れ」という5つの感情があるとする。
忍術では、これらの欲や感情を巧みに利用して、敵を陥れたり、懐柔したりしようとするのだ。
最良なのは血を流さないで問題を解決すること。そのためには敵を懐柔したり、賄賂で買収したりすることもある。
そのような方法で相手の心をコントロールすることも、忍術の範疇に含まれる。
他国の「忍び」とつながりで情報を得るなど、人と人とのネットワークを築くコミュニケーション能力が求められる。
また、忍者は不測の事態にも臨機応変に対応する能力や集中力を常日頃から養う。ろうそくの炎をじっとみる。音を立てずに歩く「忍び足」、指先の感覚だけで何かを当てるなどの五感を鍛える特訓をする。
前述の「気配接客」「背中接客」を思い浮かべる。
ところで最近サッカーにおいて、日本チームが活躍すると、海外メディアは「ニンジャ サッカー」といった表現をする。
そこで、忍者の故郷「伊賀・甲賀」あたり出身のサッカー選手を調べてみた。
すると、ナント我が地元アビスパ福岡監督・井原正巳が「甲賀市出身」であることが判明した。
それ以外にも、元サッカー日本女子代表監督・大橋浩司(伊賀市出身)、中田一三(甲賀市出身)、西村弘司(伊賀市出身)、なでしこジャパンの宮崎有香(伊賀市出身)など、結構いるものだ。
となると現在のプロのサッカー選手のうち、一人くらい「忍者の末裔」がいても不思議ではない。