レイムダック状態

9月21日、日銀がこれまでの「金融緩和策」を総括し、「新しい枠組み」でいくという。
その要点は、2パーセント物価上昇が実現するまでは「異次元緩和」を続けるという長期戦への構え、オカネの量ばかりか、「金利」も重視していくというターゲットの転換という二点であった。
さて、経済政策といえば、財政政策と金融政策がある。しかし財政政策は「超赤字」、金融政策は「超低金利」という壁にぶつかりで、両政策とも足元から「身動き」がとりにくくなっている。
そこで「構造改革」(自由化・規制緩和)」で、供給サイドから経済を賦活しようとしたものの、起爆剤となるほどの「付加価値」の高いモノを生み出せずにいる。そういう状況下で、安部首相は「リフレ派」という経済学派を日銀にまねきいれ、デフレ脱却を図ってきた。
アメリカのノーベル賞経済学者クルーグマンの影響をうけたリフレ派が「異端」といわれる理由は、人間の心理たる「期待」に働きかけて経済を浮揚させようとする点ばかりではなく、「期待」を取り入れる文脈にあるといってよい。
実は、1980年代初めにおいて、経済学ではやくも「期待」を明示的に取り入れる理論が登場していた。ただ、皮肉なことにその「期待」とは、経済政策の効力を奪い取る要因として登場したものだった。
マネタリストの「期待失業率仮説」では、経済政策は実体経済(雇用や生産)にはいかなる影響を与えず、物価のみが上下するだけという、ケインズ政策の「効力」に真っ向から挑んだ学説であった。
超簡略化していうと、市中銀行が貸し出し増で企業にも余裕が出て賃金率をあげ雇用を増やすことができる。しかし、その上昇分に対応して企業や人々が物価上昇が起きていることに気がつけば、実質賃金(賃金率アップ/物価上昇)は変わらないので、雇用水準はもとの「自然失業率」におさまる。
ただし、これは「物価上昇」に気づくマデの短期では、雇用は増大するので実体経済への影響がでる。
だが、賃金があがっても労働者がその分の物価上昇をアラカジメ「期待」(予想)しておれば、「雇用水準」(=生産水準)になんらの影響を与えることはできない。
これは、貨幣量の増大(減少)は実体経済(雇用や生産)に影響を与えず、物価を上げる(下げる)のみという現代版の「貨幣数量説」で、これこそがマネタリストのいわんとする立場である。
実際、政府がどんな政策をとろうと、それが「織り込み済み」なら経済効果が出ないということは、我々が体験するところだ。
いずれ「消費税が上がる」とか「金利が上がる」とかわかっているのなら、家計(消費者)はそれに先駆けて早めにモノを買うなり、企業は早めに金を借りるなどして、政策が行われる時点では目だった効果は起きない。したがって、経済政策をタイミングよく効果あらしめるためには、幾分「サプライズ」の要素がなければならない。
結局フリードマンらマネタリストの理論は、「経済政策の無効」→「小さな政府」→「市場万能主義」への道を開くことにもなったのである。

アベノミクスの核「リフレ派」の特徴は、経済全体を「2パーセントのインフレ」をターゲット(期待)として導く政策なのだ。これは、手詰まり感のあった金融財政経策を人々の「期待」を動かして活路を見出そうという意味で衝撃的だった。
アメリカのノーベル賞経済学者クルーグマン教授は、年間2パーセント程度のインフレを10年間程度を続けるという姿勢を日本銀行が明確に提示すれば、日本経済は不況から脱出できると提言した。
日銀は通称「通貨の番人」であり、日銀が自らインフレを起こすなどということは「前代未聞」のことであり、招き入れたリフレ派の「インフレターゲット」の導入は「社会的実験」といえるものだった。
ではどうして、2パーセントの物価上昇によって、不況を脱出することができるのだろうか。
その第1のポイントは、「物価予想」というものがあらゆる経済行動の根本にあるからだ。
例えば、金利が5パーセントから3パーセントに下がったとしよう。しかし、これだけでは利子本当に下がったとはいいきれない。
その間に物価が(5-3)の2パーセント以上さがっていれば、物価を考慮した「実質」では、金利は上がっているのだ。
しかも人々にとり今の利子率ばかりではなく、将来予想たる「期待実質利子率」コソが重要なのである。
このように、あらゆる経済を名目ではなく実質で捉えるためには「物価」、しかも「物価予想」が重要なのである。
そして政府・日銀が「物価」を経済全体で2パーセントにもっていくと明言し金の量を増やせば、人々はそれに応じた「物価予想」に基づいて行動をするようになり、景気にもイイ影響を与えられるというスジガキだ。
例えば、2パーセントの物価上昇予想のもとで、低金利の預金をもっていても、目減りしてしまう。
預金をおろしてまで消費を増やそうとはしないにせよ、インフレに弱い預金から物価上昇と連動する株式にシフトする。そうすると株価は上がり、企業経営にも家計の消費にも好循環がうまれる。
またインフレ期待は「為替」にも良い影響を与える。
日本は「輸出主導型経済」であるから、為替相場が円高では大企業の業績は赤字続きで、裾野の中小企業も存続もアヤウクなる。
「インフレ期待」が広がると日本製品の「輸出減少」予想から為替相場が「円安」にフレルため、景気回復効果をもつことにある。
さて、第2のポイントは、日銀の政策で本当に人々に「インフレ期待」を持たせることができるかという点である。これについて、「リフレ派」はそれが可能だといっている。
例えば、大量の1万円札を刷って、窓からヘリコプターでばらまくとする。経済学ではこのような仮想的状況をヘリコプターマネー(ヘリマネ)とよんでいる。
空から降ってきたお札を拾った国民のほとんどは、それを消費しようとするに違いない。
もちろんお札を大切に保管して将来のために貯蓄しようとする人はいるが、オカネの「増刷」で物価上昇が予想される中では、お札を貯め込めば、その実質価値は失われるので、使った方が得になるからだ。
このように「インフレマインド」が定着すると、早くオカネを借りよう、早く消費しようと、経済全体に「拡大機運」が出てくるのである。
さて以上は理論上の話だが現実の話にいく。ヘリコプターからお札をまくとはどういうことか。
それは、日銀が伝統的に行っている市場からの国債の買い入れを行うことにすぎない。
目新しい点をいえば、紙幣を増発して「異次元」なほどの規模で国債の買い入れ、さらに国債以外の金融資産の買い入れをもしていくことなのだ。
現段階で、アベノミクスは日銀は2パーセントのインフレを起こしきれていない。その理由は、2パーセント物価上昇の「期待」をもたせられていないからだが、このあたりの「検証」は、アベノミクスが「失敗した」と認めないかぎりは出来ないのかも。
現状をみるかぎり、人々の将来についての様々な不安、年金破綻、少子化・高齢化などにより、金融緩和にもかかわらず、お金を使う方向ではなく「備え」に回しているように思う。
企業サイドも、低金利とはいえ設備投資の対象が見出せず、お金を損失処理や不良債権処理などの「会計的補填」などにあて、日銀がオサツを市場に大規模に流しこんでも借りることは少なく、その結果信用創造は拡大せず預金通貨を含めたマネーストックはそれほど拡大していないのだ。
確実にいえることは、「お金を使いたくない人」であふれているのに、政府がどんなに2パーセントの「物価上昇」を明言しようと、その通りの「期待」など抱きようもないということだ。理論と現実の違いはモハヤ明白である。

国債の発行は、国家予算が決まり、その年度の発行計画が決定した後に毎月行われる。
市場で国債の買手を募ることを「募集」するというが、もし国債が売れ残ってしまえば、予算は不足し行政活動に重大な支障をきたすことになる。
したがって、発行したすべての国債は絶対に売り切らなくてはならない。
国債を発行する際に、応募が募集に満たないことを「末達」または「札割れ」というが、財務省はこうした事態をまねかないために、募集の際にはその時点での市場の状況や投資家の購入意欲などを細かく把握しようとつとめる。
その上に、確実に国債を消化(売却)するために、カツテ「国債募集引き受け団」(シンジケート団)というものが形成された。
銀行や生損保、証券会社などの金融機関が、多いときで2000もの機関が「国債募集引き受け団」すなわち「シ団」という組織を形成して、新たに発行された国債を引き受ける。
その時、シンジケート団向けに発行された分は、固定されたシェアにしたがってシ団メンバーすべてが引き受けることになっていた。
応募額が発行額に満たない場合には、シンジケート団メンバーが固定シェアに従ってすべてを引き受けることになっていたので、基本的には未達(札割れ)は起こらない仕組みになっていた。
しかし80年代の「日米構造協議」の中でとりあげられた日本経済の「閉鎖性」のひとつが、このシンジケート団による国債発行市場の独占であった。
そのため89年からは「10年物国債」についてはシンジケート団引き受けの割合を段階的に落とし、残りはシンジケート団メンバーによる「公募入札」という方式に変わった。
また「シ団」の廃止の理由のひとつとして、「国債発行年限の短縮化」の流れということをあげたい。
国債といっても長期金利の基準となる「10年物国債」ばかりではない。期間が6ヶ月のものから、1年債、2年債と様々で最長は40年債である。
この中で中心なのが長期金利の指標である10年債で発行量も一番多い。
「違う満期」の国債があるということは、投資家のニーズばかりではなく、政府側(発行側)にも一定の目論見があると見た方がよい。
10年物国債を多く出すと供給が増えて人気がなくなり、金利をより高くしないと売れなくなる。
つまり、長期金利の上昇につながるわけだが、それを防ぐためには、政府は今後国債を増やす時は、期間の短い半年から5年物までなど短中期満期の国債の比率を増やすことをしている。
それでは、短期の国債の比率を増やせば、今度は短期金利が上昇して長期金利に影響してしまわないかという疑問がわくが、そうはならないようにすることができる。
なぜなら長期金利は資金の「需給」を反映するものの、どこの国でも短期金利は政府のほぼ完全なコントロール下にあるからである。
具体的にいうと、銀行間のコール市場という短期市場への資金の出し入れを通じて、短期の金利をおさえこむことが充分に可能だからだ。
しかし結果からみて、短期債を増やしたことは「財政健全化」にとってはマイナスのようだ。短期国債の「借り換え」によって国債費は雪だるま式にふえているのだ。
しかし政府がそこまでして抑えようとしている「長期金利」は、日本経済にとって生命線といっていい。設備投資や住宅投資など長期の資金調達が必要なものは、長期金利で運用されるからだ。
この「長期金利」と深い関係があるのが10年物国債の「利回り」だが、その10年物国債とは、毎年「一定額の金額」を利子として10年間モライ続けられる10枚の「クーポン券」付国の借用証書みたいなものと考えていい。
そして満期になると、国債を買った時の「元金」が返済されることになる。
国債の売買によって国債価格は変動するので、価格が下(上)がった時の「一定金額」の利子は、「率」としては上がる(下がる)ので、国債価格と利子率は反比例することになる。
この国債価格の利子率が、他の金融資産の長期金利を引っ張るため、国債価格が上がれば長期金利は下がり、国債価格が下がれば長期金利は上がるということなのだ。
日本政府は、多額の国債残高を抱えており、雇用・物価・為替水準同様に「長期金利」水準に神経をトガラセている。
そして、国債の売買に影響するのは、10年スパンの「期待物価上昇率」である。なぜならば、毎年もらえる「一定額の利子」は、物価の変動の向きによってその実質的な価値が変動するからだ。
なにしろ、それがワズカ1パーセントでも上昇すれば、「国債費」つまり国債の利子負担がものすごくフクレアガルからである。
日本政府が低金利政策を長期間とっているのは、景気対策や不良債権の消化を円滑に進めるというダケではなく、第一義的でにはこの「国債費」の増大への危惧によるものである。
ところで、この9月の「総括」の中で、注目したのは、量から金利へ軸足を移すというものがあった。
その最大の理由は、量拡大のための「国債購入が限界」に近づいたからにほかならない。
それでも金利は低く抑えたいので、日銀はお金を流す量も増加させ続けると強調している。
ただ、従来のように年80兆円の増加ペースで続けるのはもはや無理であろう。

この3年半というもの、日本経済は「リフレ政策」の実験場だった。リフレとは金融政策で人為的にインフレを起こすこと。
リフレ論者は、日本銀行が紙幣をどんどん刷って国債などを大量に買い、世に出回るお金の量を増やせば物価が上がり、景気も良くなるというストーリーを描いた。
だが物価はいっこうに上がらず、安倍政権での実質成長率は年率0・8%にすぎず、民主党政権期の1・7%より悪くなった。
それでも、リフレ派は、この旗印は絶対におろせない。効果がなくても続けなければ、旗を降ろした時の混乱が非常に大きいからだ。
なによりも日銀自身が、国債を大量に買い込むにつれて、国債暴落のリスクを一手に引き受けるため、その混乱をまともにうけるコノ段階での「2パーセント物価上昇」断念は、自殺行為にもひとしい。
日銀が「異次元金融緩和」を縮小して金利が上がったら、当然に国債の価値は下がる。
市中にオカネを流すために、GDPの半分に近い国債を買い込んだ日銀が、一気に資産を失う結果になるからだ。
今でも1000兆円の債権があるが、1パーセントの金利上昇はなんと10兆円分の減価が生じるという。
国債を買う量が減り、市場に出回るお金の量が減るとみなされれば、外国為替市場で円高が進みやすくなり、株価下落にもつながりかねない。
ただ日銀は今後「年金運用」に影響する金利は高めにするため、今までのように長期金利を市場にまかせるだけではなく、金利操作をある程度行うとした。
これも最近GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が損失を出して政権が批判をあびたことと関係しているのかもしれない。
さて日銀は9月の「総括」で、物価目標の未達成の理由に「石油値下がり」をあげた。
「消費増税」も理由の一つにあげたかろうが、何しろ日銀人事は安倍シフトで出来上がったものだけに、増税を「理由」にあげにくい面があるのだろう。
インフレターゲットの継続は、「金融緩和」の出口を見つけるための「時間かせぎ」のようにもとれる。
「日銀の枠組み変更」を、市場の目を金利操作に引きつけつつ、その裏で国債を買う量を減らすのではという見方さえもある。
政治の世界でいうところの「レイムダック」という言葉がうかぶ。その直訳は「足の不自由なアヒル」である。
再選されなかったが任期の残っている議員や、任期切れを控えた大統領などを皮肉った表現として用いられる。日銀の独立どころか、政権に絡めとられてしまった「リフレ政策」の継続は、さながら「レイムダック」状態のようだ。