棋界の「異星人」

大阪通天閣の麓には、「王将」の碑がある。村田英雄の大ヒット曲「王将」のモデルとなった阪田三吉の記念碑である。
碑文には、次のように書いてある。
「王将坂田三吉は明治3年6月堺市に生まれる。幼少より将棋一筋に見きわめめぐまれた天分と努力は世の人をして鬼才といわしむ。
性温厚にして妻小春とともに相扶け貧困とすべての逆境を克服する。昭和21年7月(77才)大阪市東住吉区に没す。
同30年10月生前の偉業をたたえられて日本将棋連盟より棋道最高の名人位 王将位を追贈される。
翁によって大阪人の土根性の偉大さをしらしめたる功績は私たちの追慕しやまざるところここ由縁のち通天閣下にこれを顕彰する。」
ところでTVを見て覚えているのは、阪田三吉が大局の前日、将棋盤をおいた部屋の中を「指し手」を思案しながら歩きまわる姿であった。
今話題の中学生棋士・藤井4段がその技能を磨いたのは、AI搭載の「将棋ソフト」と向かうことによったというから「隔世の感」がある。
しかし、「将棋」が今日に至るまで途絶えることなく続いたのは、阪田三吉の弟子にあたる「升田幸三」の存在あってのことということを記憶したい。
太平洋戦争の勝者である連合国にとって、日本というの小さな島国は、異様で理解しがたい強国と映っていた。
なにしろ、黒船で太平の眠りを覚まされてから、わずか40年で、眠れる獅子と畏怖された「清」を撃破したのだ。
その後、欧米列強の一角である「帝政ロシア」を破り、第一次大戦でも勝者となるなど、向かうところ敵なしの勢いだった。
占領軍がその強さを東洋の神秘と恐れ、日本の精神文化にもその一因を求めたとしても無理からぬことだ。
武道に始まり、歌舞伎の「忠臣蔵」や「勧進帳」、剣術映画、そして、はり灸までも、彼らは危険と見なし禁止しようとした。
当然のように「将棋」も、そのターゲットとなった。
1947年夏のこと。東京、丸の内、皇居お壕端に「連合国軍総司令部(GHQ)」の本部、第一生命ビルが今も当時の面影を残したまま立っている。
そこの入口に立ったのが、升田幸三。29歳。
戦時下の軍に属しながらも、生きて終戦を迎えた升田。野武士を思わせる風貌に似合わず、その生業(なりわい)は「将棋指し」である。
升田は、GHQがなぜ自分を呼び出したのか、相手の真意をはかった。それは、「将棋抹殺」のための儀式にちがいない。
GHQ担当官の質問が始まる。「日本の武道は危険なものではないか」。
将校達は、太平洋戦争において形勢不利であっても、「最後の一兵」まで戦おうとする日本兵の姿と将棋を重ねていたのかもしれない。
さらに面白い質問をしてきた。「チェスと違い、将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用する。これは捕虜の虐待であり、人道に反するものではないか」。
西洋のチェス、中国のシャンチー、朝鮮半島のチャンギなどなど色々あるが、その中で、たった一つ、将棋だけが相手から取った駒を自分の駒として使えるルールを持っている。
GHQはそこをついてきた。升田は、「取った駒を使えぬチェスこそ、捕虜の虐待ではないか」と、逆に反論した。
そこへいくと、日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。「将棋では、つねに全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという思想だ」と応じた。
「しかも、敵から味方に移ってきても、金は金、飛車なら飛車と、元の官位のままで仕事をさせるのだ」
これぞ「民主主義」の精神ではないか。
通訳の言葉を聞き、口をぽかんと開ける将校達。もはや、どちらが尋問しているのかわからない状況。
将校達は、反対に魅了されたように聞き入り始めた。
話は、酒、チェス、血圧から政治まで、話は多岐にわたり、5時間にもなり、すべてが、聞かせる内容だった。
話は、長時間に及んだが、日ごろから長時間の大局をする升田にとってはなんでもない時間だった。
升田が話した相手というのは、GHQナンバー2、日本国憲法の草案にも関わったホイットニー准将であった。ホイットニーは、フィリピンにおける戦いで、日本軍と直接戦う経験をしている。
かくして、「将棋」は一度も途絶えることなく生き残った。
升田幸三は、大山康晴名人と終生のライバルであり、その実質的な後継者といわれるのが、ヒフミンこと加藤一二三である。

鮮やかな青春小説「パイロットフィッシュ」で一躍世に知られた作家大崎善生は、それ以前に「聖の青春」や「将棋の子」で将棋に生きた天才少年達の姿を書いている。
この作家に興味を抱き経歴を調べてみると、日本将棋連盟に職をもち雑誌「将棋世界」の編集長を勤めたことなどがわかった。
そういえば「パイロットフィッシュ」の主人公はある雑誌の編集者であるという設定になっている。
「パイロットフィッシュ」以前には、「聖の青春」や「将棋の子」など、才能ゆえに「戦う」ことを余儀なくされたた天才少年達を描いてきた。
「戦い」とは、将棋という世界で年少の子供達が繰り広げる「生き残り」の戦いのことである。
わずか一手の「指し違い」よる夢の途絶など、小さな胸に抱いた苦悶は、本人と身近な者でしかわかりえないものかもしれない。
大崎氏のデビュー作「聖の青春」は悲運の天才棋士・村山聖(さとし)の勝負に「賭ける」壮絶な人生を描いている。
聖少年は5歳の時にネフローゼという腎臓の難病にかかり、その病の中6歳の時に将棋に出会う。
めきめき頭角をあらわし、中国地方の子供名人戦で5年連続優勝を果たした。
中学1年で上京してたまたま勝負した伝説の棋士を破り、プロ棋士を目指すことにした。
1983年、「奨励会」入会後に、異例のスピードで四段に昇進し、1986年、17才の時プロ棋士となった。
師匠にあたる森信雄は、病身ながら単身で暮らす村山を親身に支えた。
村山は生来負けず嫌いで、ライバル棋士たちに対しては「盤外」でも敵意剥き出しのところがあり、「奨励会」入会の際にトラブルを起こして、一度入会を見送られている。
村山は「怪童丸」の異称で呼ばれ、奨励会・会員時代から「東の羽生、西の村山」と並び称された。
しかし持病からくる体調不良で実力を発揮できない事が多く、実績では羽生に遅れを取ることとなった。
1992年に「王将」位への挑戦者となるも、谷川浩司王将に敗れている。
その後、病と闘いながらもA級八段まで昇りつめたが、血尿に悩まされながらの順位戦で、1997年春B級1組に「降級」している。
その後、進行性ガンが見つかり膀胱を全摘出する大手術を受けるが、休場することなく棋戦を戦い続けた。
その間、脳に悪影響がでないように、抗がん剤・放射線治療を拒んでいた。
1998年春 A級復帰を決めたが、ガンの再発・転移が見つかって休養を発表し、3月の最後の対局を5戦全勝で終えて、対局から姿を消した。
1998年8月8日、入院先の故郷・広島の病院で29歳にて他界している。
葬儀終了後、その死が将棋界に伝えられ大きな衝撃を与えた。
日本将棋連盟はその功績を讃えて九段を追贈している。
実は、「聖の青春」を書いた作家・大崎氏の妻・高橋和(やまと)さんも「病と闘った」人である。
4歳の時に交通事故に遭い、左足の切断も考えざるを得ないほどの重傷を負った。
父親は娘に生きる術を与えんと7歳の時に「将棋」を教えた。
14歳でプロ・デビューし、優勝などの戦績はないが、事務所所属のタレントとしてテレビへの出演などを通して、「女流棋士」のアピールに一役買った。
プロ棋士としての戦績よりも、子供達への普及活動にに専念するため、2005年2月、現役を引退している。

人工頭脳(AI)は、医療の画像診断や省エネなど、多方面で実用の域に入りつつある。
またAIは、選挙民の性格分析から、最適な「広告」までも示唆できるようになっている。
自民党の三原順子議員が、「握手」ひとつでも、こちらから相手に近づいてするか、相手が来るのを引き寄せるようにするかで随分と印象が違うといったのを思い出す。
AIにより有権者個人の性別や人種、年齢などだけではなく、どんな性格の持ち主かまでを分析することができる。
性格がわかれば、有権者それぞれに「最適」な選挙広告を届けられる。
例えば、「銃規制への反対論」で、不安を感じやすい性格の人には護身に役立つという「実利」を説明する一方で、他人への同調性が強い人には銃所持を認めてきた米国の「歴史」を強調すると使い分ける。
さて、AIによる選挙戦略を可能にしたのは巨大なデータベースである。
まず、フェイスブック(FB)の利用履歴を調べることで、有権者の性格を把握。さらに買い物履歴や通っている教会の名簿などブローカーから購入した情報と組み合わせたという。
「人間検索エンジン」と呼ばれる、広告ごとに効果を上げやすい人物を見つけるシステムが出来上がる。
AIによる性格分析で、アメリカの5万8千人へのアンケートで属性を把握した上で、人種は95%、ジェンダーは93%の確率で予測できた。
たばこや酒、ドラッグをたしなむかどうかや、両親が離婚したかどうかといった機微な情報まで、6割以上の確率で言い当てられたという。
さて、大崎善生は藤井四段と会ったところ、谷川ら多くの天才たち特有のヒラメキや切りつけるような感性の刃のようなものは感じない。賢い中学生そのままの姿で、逆にだから凄いのだと思うようになったという。
1年半ほど前に「奨励会員」だった藤井四段は、関西の若手棋士から将棋の研究にコンピュータソフトを導入することを勧められ、その提言を藤井は何の抵抗もなく素直に受け入れた。
プロ棋士にはまだ感覚的に研究にコンピュータを使うことに抵抗感がある人も多い。
しかし藤井は感想戦で、「この局面はどう指せばいいか解(わか)らなかったので、あとでコンピュータに教えてもらいます」と語っている。
実際に、このコンピュータの導入をきっかけに藤井の将棋は明らかに強くなっていったという。
5歳の頃から鍛えに鍛えた、詰将棋の解図力を軸にした圧倒的な終盤力と、コンピュータという無機質なしかしそれであるからこそ、「定跡」という偏見や錯覚のない思考が、一人の少年の頭脳の中でがっちりと手を組んだ。
藤井四段は、その意味で棋界において「異星人」のような存在なのかもしれない。
AIは固定概念がないので、人間がまったく思いつかない手をやってくる。最初はバグだろうと思われても、よく見たら理にかなっていたということがある。
何億人とプレーしてきても、「人間の思考」はさほど大きくは変わらない。
その思考を覆す新手は、AIだからこそ生み出せたわけだ。
AIを活用することで、今まで眠っていた人間の能力が呼び起こされたり、限界と思われていたところにまだ「伸びしろ」があることに気付いたりすることもできる。
つまり人間の頭脳とAIがこのように協調していくのだとすれば、それは明るい未来を語っているようにも思える。
これから将棋ロボットは、自分のレベルの応じて、相性のいいプレイヤーをマッチングするシステムなど、「ラーニングツール」としても発展しそうだ。

人間が、記憶力や計算力などの能力でコンピュータに遠く及ばないのは当然で、チェスの世界では1997年に世界チャンピオンがIBMコンピュータに負けている。
だが、将棋はなかなかそうはいかなかった。取った駒を再び使える複雑さがコンピュータにはネックになる。
1秒に数億手も読む演算力があっても、数値化が難しい形勢判断では人間力の方が上だといわれていたからだ。
それでは将棋ロボットは、どうしてそのように強くなっているのか。
将棋名人の場合は、過去の経験から現在の盤面の何手か先にある「陣形」をイメージすることができ、そこへの道筋を容易に逆算していると考えられる。
単なる計算能力」と知性の違いといってもよく、これこそが「大局観」である。
こうした人間の「思考方法」が、2012年に米長名人と対戦した「ボンクラーズ」に取り入れられたのだ。
「ボンクラーズ」には、江戸時代から現在までのプロ棋士の五万局の対局のデータが入力されていたという。
記憶するだけでなく、プロ棋士がどんな時に有利になるかを分析し、優れた指し方の「原則」を見つけ、「未知の局面」でも自分で応用ができる能力や「取捨選択」の技術を身につけていたというのだ。
作家の大崎氏は、2013年の船江恒平五段とコンピュータソフト「ツツカナ」の対局を題材に見事に描き出していた。
ところが、観戦しているプロ棋士の誰もが「船江優勢」と判断する局面を、コンピュータの各有名ソフトは「船江劣勢」と見ていたという。
また、大崎氏は、「もしこのコンピュータの判断が正しいのだとすれば、長い年月をかけて人間が築きあげてきた、定跡や常識や形勢判断といったものが、ただの経験的な先入観に過ぎなかったということになってしまいかねない」ともいっている。
大崎氏にとって最大の関心事は、そんなコンピュータが強いのが解ったとして、果たしてそれを見ている人間側がその駒の動きに、心を動かされるかということだったという。
コンピュータの指し手によって心を動かされるのだとすれば、それは単なる演算ではなく、”芸術”の域に達しているといっていいのではないかということだ。
数学で問題を解くときに、解けたか解けないだけではなく、解き方の「美しさ」にセンスが問われるのと同じである。
そして、大崎は「ツツカナ」の一手一手に大きく心を動かされたと告白している。
そして、「ツツカナという人工知能は人間の心を動かしただけではない。自ら疑問手を指すことにより、絶対的な演算から解放され、揺らめきさえ見せたのだ」とも書いている。
例年行われている将棋界で活躍した人を表彰する「将棋大賞」の授賞式では、新手や定跡の進歩に功績した人(戦法)に贈られる「升田幸三賞」がある。
その選考理由で、「ソフトから生まれた手ではないか」という意見さえも出はじめている。
とはいえコンピューターは、自分が何をやっているのかその意味がわかってやっているわけではない。
その馬鹿さが「強み」で、後悔しない、怖がらない、相手を見くびることもない。
先入観もなく、誘惑もなく、負けて失うものもない。それに加えて腹も減らないので「勝負飯」もいらないし、マスコミの取材もうけない。
その判断が「最適」なのは、人間の記憶や処理能力以前に、人間的な「弱さ」と無縁であること、つまり「人間の価値観」とは違うことにあるのかもしれない。 。