「民の声」とエクソダス

世界中で続くテロや紛争を見ると、結局は人の「こころの問題」であることを感じることが多い。
人々の怒りの心が、宗教の崇高な教えでさえも歪曲させ、暴力の「はけ口」として利用しているようにも思える。
人間には、根深い「闇」を抱えているのかと思いつつ、そんな人間が己を変えることにおいて、一体どれほどのことができようか。
変えられないのなら、「変えてもらう」他はない。そう考えると、人間の「救済」ということに行き着く。
イエスは、ユダヤ人指導者とのやりとりの中で、人が「生まれ変わる」ことにつき、日本人一般が思いもよらない応えをしている。
「人は水と霊によって生まれ変わらなければ神の国にはいることはできない」(ヨハネ3章3節)。
さて「水と霊によって生まれ変わる」とは、具体的にはどういうことか。
聖書全体から明らかなことは、「洗礼を受ける」および「聖霊を受ける」ことに他ならない。
また聖書は、「生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない」(Ⅰコリント2章)ともいっている。
それでは、洗礼と聖霊を受けることが、どうして人間の「救済」となるかについては、アダムとイブの「エデンの園」やモーゼの「出エジプト」の古き時代にまで遡ぼらなければならない。
結論を先に言えば、「洗礼の意義」は、エデンの園追放以来のどうにもできない、人間と神を隔てている根本的な「罪」を消し去ることであり、「聖霊を受ける」とは、「死後の蘇り(復活)」および「神の国に入る」ことの保証である。
それは、「エジプト」に比定される「この世」からの脱出でもある。
キリスト教の「救い」とは、この世における「心の平安」とか「道徳に生きる」などといった次元の話ではなく「神の国に入る」ことであり、聖霊を受けることは「先んじて」神の国を体験することで、その体験をもって、はじめて死後の「復活」が信じられるのである。
パリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは、「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17章)とはその意味である。
さて、もうひとつの問題は、現代の教会はそれを本当に保証できるかだが、教会のあるべき基準は、イエスの弟子たちが作った「初代教会」に求むべきである。
だが、ヨーロッパに伝搬されたキリスト教は、随分と「原点」たる初代教会から遠ざかっており、そのことは「使徒行伝」にみられる初代教会のような「しるしや不思議」が伴わないことが、何よりの証拠である。
ところで、近代思想の代表者のJJルソーは、「自然に帰れ」と語ったが、聖書は、「自然にあること」に対して決して肯定的ではない。
聖書は、イチジクの木の「喩え」をもって、「自然のままである」ことのアヤウサを語っている。
イエスが或る時、道を歩いていたところ、空腹を覚えた。するとそこに、いちじくの木があったのだが、いちじくの木には実がついいなかった。
すると、イエスは木に向かって「呪われよ」と言葉を発したところ、いちじくの木は即座に腐ってしまった。
この喩え、拍子抜けするような言葉で終わっている。
「いちじくの木が実を出す時期ではなかったからである」(マルコ11章)。
普通に考えれば、いったい、コノいちじくの木のどこが悪いのかといいいたくなる。いちじくは「自然」のまま(生まれたまま)であったにすぎないからだ。
それは、人間を含む自然の状態は、神の目からしてあるべき望ましい姿にはないことを示している。そのことは次のパウロ言葉からもわかる。
「なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている」(ロマ書8章)。
さて震災やテロ起きた時、どうしてこんなことであの善良な人々の命が奪われるかという思いにかられる。
この思いは、誰彼となくある日突然襲う災の「不条理さ」への疑問といいかえてもよい。
イエスの時代の人々も、イエスに、そのような疑問を投げかけている。そうしたことが起きるのは、被災した人々が何か悪いことをしたのかと。
そこでイエスは、当時起きたイタマシイ事件をとりあげて応えている。
シロアムの塔が倒れて多数が犠牲となった事件で、シロアムというのはエルサレムへの水を供給する貯水池があった場所である。
そこにあった塔が崩れ落ちる、誰かが意図的したものではなく、不慮の事故であった。
イエスは、「シロアムの塔が倒れて死んだあの18人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」(ルカ13章)と語っている。
ここで「悔い改める」という意味は、悪さを反省して良い行いをするということではなく、原語の意味からして「心の向き」を変えるということである。

さて今日、人間の「素の声(自然のままの声)」をそのまま政治に生かそうという政治的傾向がある。
それが「ポピュリズム」という立場で、あくまでも「民の声」を一切加工せず重視していく立場である。
実は、聖書の中で「民の声」というものは、ほとんど神に敵対するか、神を喜ばせることのないカタチで登場する。
例えば、時代が下ってバラバを許しイエスを十字架にかけよという「民衆の声」にピラトは、暴動になりそうな気配を読みとって、「この人の血について、わたしには責任がない。お前達が自分で始末すればよい」といい、それに対して民衆は「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫にかかってもよい」と応えている。
こうした「民の声」という風向きだよりで意思決定するのがポピュリズムの特徴で、「何が正しいか」はすでにが自明であり、改めて議論するまでもない。
政治の役割は、「民の声」を高い見地から濾過して「一般意思」に高めるということだが、そうした機能でさえも否定する傾向がある。
その結果、究極の民主主義にも見える「ポピュリズム」が、「他民族排斥」や「独裁制」でさえも生みだしても不思議ではない。
ところで、ヨーロッパの近代思想に「王権神授説」というものがあるが、聖書によれば、「王権」のはじまりが、意外にも「民の声」から来たことを教えている。
イスラエルには、モーセに代表されるように神が選んだ「指導者」が民衆を率いて生きた。
ところが、その間の「民の声」の多くは、荒野に肉がないと言ってはエジプトに戻りたいとか、我々を荒野で殺すために導いたのか、と神を怒らせる。
モーセは、身勝手な民の声に憤りを覚えつつも、民の声が神に届くように「加工して」取りなしの祈りをした結果、風が吹いてうずらが大群衆の宿営の周囲に舞い降りてきて、民はそのうずらを集めて肉を十分食べることができた。(民数記11章)。
時代が下ってイスラエルの王政に先立つ「士師時代」は、聖書の「士師記」にあるが、指導者が民衆を導く時代であった。
そのひとりギデオンの時代に、自分に支配を委ねようとした人に「わたしはあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる」(士師記8)と答えている。
イスラエル(教会)の王は神であり、誰もその位置につくことができない、という「信仰」が土台にあったといってよい。
ところが、イスラエルにはサムエルという預言者が現れるが、サムエルが老いると、2人の息子にベエルシバでの「さばき」を委ねるが、息子たちは賄賂をとるなど道をはずした。
そこで、イスラエルの長老たちから、他の国のように人々をさばく「王を立てて欲しい」と訴えられる。
サムエルは民衆に、王を立てると息子や娘を兵役や使役にとられたり、税金もとられ、奴隷となることもあると人々に話すが、人々は聞き入れなかった。
サムエルはその結末を、「また、あなたがたの羊の十分の一を取り、あなたがたは、その奴隷となるであろう。そしてその日あなたがたは自分のために選んだ王のゆえに呼ばわるであろう。しかし主はその日にあなたがたに答えられないであろう」と預言している。
ところが民はサムエルの声に聞き従うことを拒んで「いいえ、われわれを治める王がなければならない。われわれも他の国々のようになり、王がわれわれをさばき、われわれを率いて、われわれの戦いにたたかうのである」(サムエル記上8章)」と応えている。
サムエルは彼らの意思を確かめ、民の声を神に伝えた。これを聞いた神は、「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい」と答えている。
こうして王権は神の定めた制度となったのだが、神は民の声に「賛同した」わけではない。
そのことは、「彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けている」という神の言葉によって知ることができる。
また神は、神の代弁者(サムエル)を拒むことは神を拒むことになるとも語っている。
ところで、民衆が他のすべての国々のように王を望んだのは、自分たちの上に君臨し守り導く主なる神への揺るぎない信仰ではなく、他のすべての国々のように人の力や武器の力により頼んで行こうとする「不信仰」によるものともいえる。
サムエルの警告を軽んじた民衆は、「我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかう」と語っている。
前述の士師ギデオンの時代には、神が先頭に立ってあえて300人の精鋭に絞らせて戦いを行って勝利を得た。それは「主の戦い」というべき戦いであった。
しかしこの時民衆は、「王が裁きを行い、王が陣頭に立って進む」生き方の方を求めた。
最近、軍事拡張によって「ミサイル」を自身の命とまで語った北朝鮮王朝の指導者を思い浮かべるが、その背後には塗炭の苦しみにある民衆の存在がある。
イスラエルは、「主の戦いを戦う」のではなく、他国と同じように「己の力」をもって戦う「普通の国」に転じていく。
その結果、サムエルは、次のように預言している。「その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない」。
実際、イスラエルの「王権」によって、人々は様々な辛酸をなめることにもなる。
サムエルが神の言葉によって立てた最初の王「サウル王」は、「若くて麗しく、イスラエルの人々のうちに彼よりも麗しい人はなく、民はだれよりも方から上、背が高かった」(サムエル上9章)と人々から見て王にふさわしい人物であった。
サムエルは戦いの前に生け贄を捧げるが、あるときサウルが逼迫した戦況のため、サムエルが来るのを「待ちきれず」にやむをえず燔祭を行う。
このサウル王の行為には、「民の声」に動かされたと想像するが、サウルは本質的に「神の権威」対する意識を欠いた人物だったと推測する。
遅れてやってきたサムエルはサウル王に言った。「あなたは愚かなことをした。あなたは、あなたの神、主の命じられた命令を守らなかった。もし守ったならば、主は今あなたの王国を長くイスラエルの上に確保されたであろう。 しかし今は、あなたの王国は続かないであろう。主は自分の心にかなう人を求めて、その人に民の君となることを命じられた。あなたが主の命じられた事を守らなかったからである」(サムエル記上13章)。
さて、サウル王の後、ダビデ王とソロモン王の全盛期を迎えたが、成立した王国はわずか数10年で分裂し、北のイスラエル王国は分裂後、丁度200年目の紀元前722年に滅び、南のユダ王国は587年に滅び、ダビデの家の支配が終わる。

聖書には「脱出劇/救出劇」に溢れている。救いとは脱出のことかと思うくらいだ。
例えば、洪水からのノアの家族の救出、出エジプトではエジプト軍からの紅海における脱出、ソドム・ゴモラの破壊からのロト一家の脱出、エリコ要塞の崩落からのラハブの救出などである。
出エジプトは映画「十戒」でも描かれたが、ユダヤ人の最大の祭り「過越の祭り」は、この出来事を記念す祭りである。
紀元前13世紀半ば頃、飢饉が起こってエジプトに逃れてきたユダヤ人はエジプト人とともに生活するが、 しだいに人口が増えるとエジプト人との争いが絶えなくなり、故郷カナンへの帰還をエジプトの王パロに願いでる。
ところがパロは、その願いを受け入れなかったので、神はエジプトに様々の災いを下す。
そして、イナゴの大群の襲来やナイル川の「水が血に変わる」などの様々な災いが下ることになるのだが、最後に疫病によって各家の長子の命を奪うという恐ろしい災いが下ることになる。
その時に、神はユダヤ人に家の入り口の鴨居に「羊の血」を塗ることを命じる。
そしてこの「羊の血」を目印に、神の災いは「過ぎ越す」のであるが、この救出劇を記念して行われるのが、ユダヤ人最大の祭り「過越の祭」である。
ところでこの「羊の血」は、新約聖書における「イエス・キリストの血」の「ヒナ形」である。
「出エジプト」において、ナイルの水が血に変わる出来事は、それから13世紀もたって、イエスが行った最初の奇跡、つまりカナの町での結婚式で行った奇跡とも重なる。
イエスが自らをキリスト(救世主)として公(おおやけ)にし始めたころ、親族の結婚式に出向くためにカナという町にでかけた。
結婚式の披露宴が佳境に入り葡萄酒が足りなくなったころイエスが下僕(しもべ)の一人に水をもってこさせた。
その時、イエスは一瞬でその水を芳醇な葡萄酒に変えるという最初の奇跡を行ったのである。
人々は酔いがまわったあとから出てくる酒のほうが良い酒だと大喜びする。
「どんな人でも、初めによい葡萄酒を出して、酔いがまわったころに悪いのをだすものだ」(ヨハネ9章)。
結婚式の出席者はこの奇跡のことを何も知らずに祝宴を楽しみ、ただその水を運んできた下僕だけが「水が葡萄酒に変わった」のを見たのである。
それにしても、イエスは公然と「奇跡」を行った方が、よほど自分の力と権威をアピールできそうに思うが、そうしたことはしなかった。
この点につき、別の場面でイエスが祈った言葉が思い浮かぶ。
「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これは真に御心に適うことでした」(ルカ10章)。
というわけで「水をくみし下僕は知れり」である。
実は、イエスが最初に行ったカナの奇跡こそが、「洗礼」の意味を指し示している。
「水が葡萄酒に変わる」というのは、「水が血に変わる」ということ。すなわち「洗礼」のことである。
したがって、洗礼とは「出エジプト」の際にユダヤ人が各家庭の鴨居に塗った血と同義である。
13世紀もの時を隔てて、聖書において人類に伝えるメッセージが一貫しているのも、驚きである。
イエス・キリストは死からの蘇りは、罪と死に打ち勝って、人類が神と和解する「唯一の道」を開いた。
それは、我々が「救われ」て恵み溢れる人生を歩むために用意された道である。