「核独占」と北朝鮮

最近のアジア情勢、「北朝鮮」を「日本」と置き換えてみると、戦前の状態に似ているといわれる。
確かに、日本の国際連盟離脱による国際的孤立、「鬼畜米英」のスローガン、軍国主義(先軍主義)などがあげられる。
また、アメリカの石油の輸出禁止による締めつけや、「対外資産凍結」など太平洋戦争前夜に起きたことにも思いが至る。
だが、日本人が第一次世界大戦以降に国際的に提起した「差別」の問題が指摘されることはない。
それは、北朝鮮が現在直面している「差別(?)」とは同列に扱えないこと、もしその「差別」に言及すると、逆に日本の首を絞めることになるからである。
さて、最近のニュースから感じることは、どこかの国が核の開発に成功しても、即「核保有国」と認められることはないということだ。
したがって「核保有国」とは多分に政治的ニュアンスが含まれる言葉である。
その端的な例が、核拡散防止条約下において「核保有国」は米・英・仏・中・ソ五大国しかないのだ。
インドもパキスタンもイスラエルも北朝鮮も保有しているというのに。
核保有国とは、いわば「会員制クラブ」のように、五大国のみが外交上最高のカードとして「核」をちらつかせられる。逆にいうとに、そのカードをソウやすやすと他国に握らせないという体制なのだ。
北朝鮮が核開発に成功しながらも「核保有国」と認知されないことを「差別的」だと感じ、米国および同盟国に対して「挑発」の度合を強めているのは、理論的にいえば理解できる。
北朝鮮にとって「差別(?)的」なことは、アメリカが交渉に応じる条件が「北朝鮮が核放棄すること」である一方、北朝鮮は核保有国として「対等の立場」で交渉したいという主張のズレに表れている。
アメリカ国内でも一部で、北朝鮮を「核保有国」と認めて対話しようという意見も出ているが、日本や韓国はそれは後世代に禍根を残すことになるので、絶対に容認できないという立場で一貫している。
例えば、北朝鮮と韓国の間に戦争が起こった場合、北朝鮮はアメリカや日本が介入しないことを要求する可能性がある。
現在、アメリカは韓国と同盟関係を結び、韓国を助けて一緒に戦う体制をとっている。
また日本も、朝鮮半島で戦争が起こったときには、米軍に基地を提供したうえで、自衛隊は後方支援ばかりでなく、「集団的自衛権」によって戦闘にも参加できるようになった。
しかし今、北朝鮮が核兵器や射程の長いミサイルを保有すると、戦争が起こった場合、北朝鮮はアメリカや日本に対して、もし韓国を助けようとしたら、アメリカや日本を核攻撃する可能性を交渉のカードにできるということだ。
だが現状をいうと、北朝鮮は、国際的に「核保有国」としての「資格」のある国家、つまりまともな国家と認められていないということであり、こうした国際的な位置づけは、日本が太平洋戦争前夜に受けた「屈辱感」と幾分共通したところがあるのだ。
とはいえ、北朝鮮を「ならず者国家」と呼ぶのに対して、トランプを大統領に戴くアメリカが、どれだけ「核保有国」にふさわしいといえるか、という疑問もおきる。

日本の明治維新とは世界のほとんどが白人に支配される中、独自の力で近代化を成し遂げ、「独立国」であり続ける。このことこそが、近代日本の基本的なテーマといえる。
明治維新は、世界的にみると極めて不思議な「革命」であったといえる。
通常の革命は、特権階級に対して、被支配者が立ち上がるものだが、明治維新では、自分たちが「特権階級」に所属する武士たちが、自分たちの「特権を捨てる」ための「革命/維新」だったからである。
世界中で白人による有色人種に対する「人種差別」が行われていた。
人間を肌の色で差別して、人間として扱わない。同じ人間でありながら、対等の人間として扱われず、まるで劣った生物であるかのような扱いを受ける。
日本人が奴隷のように扱われるようなことがあってはならない。日本を絶対に植民地にしてはならないというのが、維新の志士たちの共通認識であった。
彼らは自らの誇りを守るために多大な犠牲を払いながら、大急ぎで近代化を進めた。
武士たちが武士の特権階級を自らなげうち、まるで「自己否定」するかのように近代化に邁進していったのは、独立自尊の精神の発露以外のなにものでもない。
昭和天皇は、独白録の冒頭で、「大東亜戦争の原因」について次のように指摘している。
「この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦後の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、"黄白の差別感"は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島還附を強いられたこと亦然(またしか)りである。かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時に、之を抑へることは容易な業ではない」。
昭和天皇は、大東亜戦争の遠因が、第一次世界大戦後の平和条約、すなわちヴェルサイユ条約の中に存在していることを指摘している。
そして、国際連盟設立の際に日本が主張して、アメリカ、イギリスによって退けられた「人種平等案」や、アメリカのカリフォルニア州における「排日移民法」の存在についても言及している。
この講和条約をめぐる会議で、日本は、なんと人類史上初めて「人種差別撤廃」を唱えていたのだ。
講和会議では各国首脳が、国際連盟の創設を含めた大戦後の国際体制づくりについて協議した。
しかし、講和会議で日本が三大要求の1つとして提出した「人種差別撤廃案」は、大きな壁に妨げられた。
日本人の提案趣旨は、国連創設に当たり、有色人種に対する差別的待遇を放置したままでは、連盟にとって国際平和協力の十分な機能は発揮できず、それを避けるためにも連盟規約の中に「人種差別撤廃案」を明文化するべきであるというものであった。
ところが、アメリカ国内から、人種問題は国内問題であり、日本の提案は「内政干渉」であるとする強硬な反対の声があがった。
イギリスでも、「白豪主義」を基本方針とする自治領のオーストラリアから、人種差別撤廃案に対する激しい拒絶反応が沸き起こった。
また、国内で中国人・朝鮮人を差別視している日本には、こうした提案をする「資格」はないというという対日批判もあった。
この提案が反対多数で否決されると、日本はさらに、その文言を緩和して連盟規約の前文にその趣旨を盛り込む新提案を行った。
そして、牧野信顕全権を中心に列国全権団への説得活動を展開し、新提案は国際連盟委員会で、16カ国中11カ国の賛成を得たが、アメリカ・イギリスは依然反対の態度を変えず、重要問題は「全会一致」を必要とするという原則により、採択されなかった。
こうして「人種差別撤廃案」は退けられ、超党派的に同案を支持していた日本国内には、日本がまだ欧米先進諸国から信頼できるパートナーとみなされていないという強い「失望感」がうまれた。
その後、1930年代後半にユダヤ人排斥・迫害政策を強めた際、日本はこれに同調せず、故国を追われた優秀なユダヤ人音楽家達を、交響楽団に迎え入れたりした。
ドイツ政府は、日独関係に好ましくないとして、日本のユダヤ人招聘に抗議したが、日本政府はユダヤ人を他の外国人と差別しないという方針を示して、この抗議をしりぞけた。また杉原千畝のユダヤ人へのビザ発給のエピソードも知られている。
第二次世界大戦中の1943年、日本が主導した大東亜会議は、「人種差別撤廃案」を盛り込んだ宣言を発したが、戦時下の制約もあり、それは十分に機能しなかった。

欧米人が日本人に対して抱く差別の根に「黄禍論」というものがある。
日清戦争末期の1895年春頃からヨーロッパで唱えられた黄色人種警戒論で、黄色人種が白色人種を凌駕するおそれがあるとする主張である。
ドイツ皇帝ウィルヘルム2世が日清戦争、義和団事件などに際してこの言葉を用いたのが最初とされる。
それまでイギリスとアメリカは日本に対して一貫して「好意的」だったのに、「日露戦争」を境に徐々に日本人を排斥する動きが起きる。
特にアメリカが、ロシアを意識して「満州の権益」を期待しながら日本の「外債の購入」や「講和の労」をとってきたのに、なにひとつ彼らの利益はアジアに確保できなかったあたりから、急激に「日本人移民」の排斥運動がはじまる。
そのひとつの表れは、世界最大の「チャイナタウン」のあるサンフランシスコは、もともと「ジャパンタウン」であったのが、日本人はテキサスに移転させられ、そこに中国人が住み着いて生まれたものだ。
ただ、アメリカにおける「黄禍論」はある種「原罪意識」を下地をしているだけに、特別なものだったということを指摘したい。
アメリカは、コロンブスの新大陸発見以来、ソノ地にもともと暮らしていた「アジア系住民」を殺戮したり追い出したりしたりして、清教徒(ピューリタン)が建国した。
そこから黄色人種がアメリカにワザワイをもたらすという恐れ「黄禍論」が、しばしば表面化することがある。
それは自らの「原罪」ゆえか、宿痾のように付きまとっている不安なのである。
世界一の「大国」でありながらもナオ、自分達がやったのと同じことを、逆にヤラレルのではないかという「恐れ」を抱いている国なのだ。
アメリカは建国以来、「リメンバー パ-ルハーバー」の合言葉でハジメテ一つになったといわれている。
逆にいうと、パールハーバーがアメリカ国民の「負の琴線」にフレタということである。
嘘のようで本当の話なのだが、1939年オ-ソンウエルズの語りで「ニュ-ヨ-クが異星人に襲撃されている」という臨時ニュ-スで始まるドラマの放送を流した時、ニューヨーク市民はすさまじいパニックに陥ったそうだ。
アメリカが異星人に襲われる、言い換えるとアメリカが異文化の人間に蹂躙されるというのは、あの大国にし がアメリカで氾濫し始めた頃、「グレムリン」がつくられた。
彼らの襲撃や悪戯が、アジアにある一国のオボロゲな影を全く意識してはイナイとは言いきれない。
なぜなら戦時中から日本人は「イエロー・モンキー(黄色い猿)」「リトル・イエロー・デビル(小さな黄色い悪魔)」などと呼ばれていたからだ。
「リメンバー・パールハーバー」にアジをしめたのか、その後のアメリカは自らの価値に対抗する如き「仮想敵」を絶えず探し創出することによって国をひとつにして国力を増大させてきた。
それがソ連でありイラクであり、最近では北朝鮮であるかもしれない。
ソ連が崩壊後、「仮想敵」捻出の焦点がボケ始めると、「エイリアン/ET/未知との遭遇」など敵を地球人ではなく「異星人」に仕立てた映画が作られた。
そして、この頃からアメリカははじめて「異星人」との親善・友好を描き始めた。
それは長年、緊張関係にあったソ連び崩壊に続く社会主義圏の崩壊による「余裕」の表れだったかもしれないし、また「世界平和」をそこに仮託しようとしたのかもしれない。

アメリカが太平洋戦争で戦った日本に代わって、北朝鮮がアメリカに「黄禍」意識を再び呼び起こしているのかもしれない。
北朝鮮はこれまで、「核やミサイルを開発するのは、アメリカが北朝鮮に対して敵視政策を続けているからであり、アメリカの攻撃を抑止するために、やむをえず核やミサイルを保有した」と主張している。
リビヤのガタフィが、もし核保有していたら、彼は今も健在だったのではないか、イラクのフセインが核保有していたら、アメリカは湾岸戦争もイラク戦争もできなかったのではないか、というわけだ。
中国・インドに挟まれて核開発をしたパキスタンこそは目指す道であり、核保有することが北朝鮮にとっては最も「安全」なのである。
さて、1968年成立の「核拡散防止条約」(NPT)のポイントは以下の2つである。
(1)条約加盟の非保有国が新たに核を保有することを禁止する。
(2)加盟非保有国にはIAEA(国際原子力機関)の査察受け入れ義務がある。
つまり核兵器を5つの「核保有国「以上他の国に広げないないようにするのが狙いだが、1993年に北朝鮮がこの査察に強く反発し、「脱退」を表明した。
「査察」は核をコッソリ保有しようという国が出ないための仕組みだが、イスラエル、パキスタン、イラン、インド、北朝鮮などいずれも「核開発」を行っていて、「核保有」がほぼ確実視されている。
NPTは、1970年に発効したが、この条約がつくられたのは、原子力発電の技術が全世界的に広まったことと深い関係がある。
原子力発電の技術は、使用するウランの「濃度」を上げることによって「核兵器」に転じることが可能だからである。
また、1992年に核保有国であるフランスや中国も参加し、1995年に「無期限の延長」が決定した。
これで五つの「核保有国」にとってヨイことだらけのようだが、そうとばかりはいえない。
核開発の制限に関して、最初に作られたのが1963年に署名・発効した「部分的核実験禁止条約」(PTBT)である。
しかし、この条約では「大気中や水中」での核実験は禁止されが、「地下」での核実験は認められていた。
アメリカ、イギリス、ソ連の三カ国は「地下核実験」の技術を獲得していたため、大気中の核実験が禁止されても、核兵器開発にはなんら「支障」がなかったのである。
裏返していえば、この三国は地下核実験の技術をもっていない国が核兵器の開発を出来ないうにするねらいがあった。
結局、フランス、中国が加盟しなかった上に、米ソはPTBTで許されていた「地下核実験」を繰り返すことになり、実際は「核実験」をなくす効果はなかったのである。
結局、PTBTでは効果薄くNPTは不平等だという問題意思が高くなり、持てる国も、持たない国も「平等」にあらゆる核実験を禁止するために作られたのが、CTBT(包括的核実験禁止条約)である。
この条約は国連で1996年に採択されたのだが、この条約ではすべての「核爆発をともなう」核実験を禁止している。
しかし、いまだに「発効」に至ってはおらず、国際的に問題意識を「共有」しているにとどまっている。
CTBTが発効するためには、発電用の原子炉を有する全44カ国が批准する(受け入れる)ことを条件としている。
NPTで核保有が認められている5カ国のうち、アメリカと中国がいまだ批准を見送っているという状況で、インド、パキスタン、北朝鮮は署名すらしていない。
オバマ大統領は「核なき世界」を掲げ、CTBTの批准に「前向きな姿勢」を見せてきたが、最近の「北朝鮮暴走」で逆方向に流れる可能性がある。
世界で唯一の被爆国日本はどうかというと、「いかなる時でも核を使わない」という部分が「壁」となって批准していない。
中国、北朝鮮も核保有しており、その日本がアメリカの「核の傘」で守られている。これを受け入れることは、アメリカの「核の傘」を失うことを意味する。
核をめぐる果てしもない大国の思惑の中、北朝鮮の挑発を止める確実な道は、5大国が「核の放棄・廃絶」を宣言することだが、それは北朝鮮の「核開発放棄」以上に困難でしょう。