武器のヤイバは

アインシュタインは1922年に来日、その滞在中に「日本滞在印象記」を書いている。
「日本人のすばらしさは、きちんとした躾や心のやさしさにあるということを、われわれ外国人はじゅうぶん承知していますが、さらに日本社会に対するイメージは、活字になったものであれ、そうでないものであれ、そのようなすばらしさをよりいっそう外国人に強く印象づけているのです」。
「この国に由来するすべてのものは、愛らしく、朗らかであり、自然を通じてあたえられたものと密接に結びついています」
それから23年後、原子爆弾が日本の広島・長崎で炸裂する。
アインシュタインは、原爆の製造開発者ではない。しかしアイシュタインなくして原爆は存在しなかった。
実際に自分が作った理論に基づいた原発が日本に落とされたのを聞いて、アインシュタインはいかなる思いであったであろうか。
アインシュタインは、湯川秀樹との最初の出会いで涙を流して「痛恨」の思いを語ったという。
ところで、2001年大ヒット韓国映画に「猟奇的な彼女」という映画があったが、幾分変えて「両義的な彼女」とすれば、さらに意味深なタイトルになりそう。~平和的かつ破壊的な彼女。
だが両義的なのは、「彼女」ばかりではなく、人間が作りだすものすべてが「両義性」を備えているといって過言ではない。
アインシュタインは、ドイツ生まれのユダヤ人で、1907年、アインシュタインは相対論の理論から「E=mcの二乗」つまり、エネルギー(E)は質量(m)に光の速度(c)の光の速度の2乗を掛けた値に等しいということを導きだしている。
時代は1914年、第1次世界大戦、アインシュタインは平和主義者でも有名であり、徹底的に戦争反対を唱えてきた。
しかし、1919年 ドイツは敗戦。それのみならず、ヒトラーによるナチスが力をつけてくると、ユダヤ人であるアインシュタインの相対論に対してドイツでの風当たりは強く、アインシュタインはアメリカに亡命することになる。
1939年8月、第二次大戦勃発1ヶ月前、アインシュタインは、ナチスからの亡命科学者シラードの勧めで、ルーズベルト米大統領に「ナチスより先に」アメリカが原爆を開発するように促した。
その後、太平洋戦争勃発半年後の1946年6月になって、ルーズベルト大統領は、ドイツの原爆開発に対抗して「マンハッタン計画」と呼ばれる原爆開発を推進することを決定した。
それは、ドイツに先を越されてはならじと原子爆弾開発に全精力を傾けたのだから、開発目標はあくまでも枢軸国ドイツに対抗するためであった。
その後、ある時点でドイツには核開発計画は存在しないことが判明するのだが、「マンハッタン計画」は推し進められた。
開発を指揮したグローブス准将が「ドイツに核開発は存在しない。それがどうしたというのだ」といって計画を変えようとはしなかったという。
結局「マンハッタン計画」で開発された原子爆弾が実際に投下されたのがアインシュタインが愛する日本の広島・長崎だった。
戦後は社会主義国家ソ連を対象とするものとなり、冷戦時代のアメリカの「世界戦略」の柱となっていく。

平和技術の戦時への「転用」のみならず、武器はめぐって外に向けられることを、歴史上もっともドラスチックに物語るのが、ドイツのノーベル賞科学者フリッツ・ハーバーの生涯である。
ハーパーは「毒ガス」の開発者として知られ、しかもその兵器の刃(ヤイバ)は、アインシュタインからは「才能を大量虐殺のために使っている」と非難され、結果自分の同胞にむけられることになる。
ハーパーはドイツと同盟国であった日本の科学者とも繋がりが深く、アインシュタイン同様に、日本の文化のよき理解者でもあった。
時代はビスマルクの統治下、ユダヤ人の両親のもとに生まれたハーバーは化学の道を志し、「反ユダヤ主義」の障壁にも負けず、もちまえの勤勉さでカールスルーエ大学に職を得る。
まず、合成肥料の元となるアンモニアの合成法を開発し、ドイツの「食糧危機」を救った。
しかしアンモニアは「火薬」の原料でもあったため、ドイツは第一次世界大戦へと突入するやそれが爆薬として利用される。
しかし、ドイツが戦況不利になるにつれ、ハーパーは早く戦争を終わらせるために「毒ガス開発」に没頭していく。
ハーパーは、自分の科学研究がどういう道を開いていくか、想像力に欠けていたのか、それともユダヤ人である自分がドイツ社会に受けいれられるために、何でもやろうとしたのだろうか。
ハーパーの妻クララも優秀な科学者であったが、夫のこうした研究に対して「自殺」というカタチで抗議を示している。
ドイツは第二次世界大戦では日本と同盟を組むが、ハーバーは日本への技術供与に貢献し、1926年には日独の文化交流機関「ベルリン日本研究所」を開設、初代所長に就任した。そして日本の星製薬の創業者・星一らとも技術的な関わりをもった。
訪日時の講演で「美の繊細さが日本独自の独創的な文化だろう」と日本のすばらしさを世界に先んじて理解した人物でもあった。
ハーパーは戦争をはやく終わらせられなかったことに絶望すると同時に、ユダヤ教を棄てたにもかかわらすアドルフ・ヒトラーはハーバーに危害を加えようとする。
共同研究者だったボッシュは「こんな迫害をしていると、優秀なユダヤ人科学者はドイツを出て行ってしまう」とヒットラーを諌めるが、ヒットラーの根強い「人種的偏見」またはその政治的効果への信念を打ち砕くことはできなかった。
そして、ボッシュの言葉通り、アインシュタインをはじめとする科学者たちが亡命する。
そして誰よりも祖国ドイツに身命を捧げたはずのハーバーは、逃亡先のスイスのバーゼルで客死する。
しかしハーバーの最大の悲劇は、戦争を早く終わらせようと開発した「毒ガス」が多くのユダヤ人同胞を死に追いやったことだった。

明治維新といえば、1853年の黒船来航から始まり、王政復古の大号令、戊辰戦争を経て、1868年の明治政府の誕生までの動きをいう。
そして同じ時期、1861年から65年にかけて、海を隔てた北米大陸に起こったのが南北戦争である。
南北戦争は、最終的に北軍220万、南軍100万の兵力が激突し、両軍合わせて120万以上の死傷者を出した、米国史上名高い大戦争である。
戊辰戦争は、薩長を中心とした官軍と幕府軍との国内の内戦であるが、南北戦争の時点では、南軍11州は、北米から脱退して、「アメリカ連合国」を形成している。つまり南北戦争は、内戦ではなく、国家間の戦争ということになる。
ではなぜ南部11州がアメリカ合衆国から脱退し、「アメリカ連合国」を組成したのだろか。
イギリスは、産業革命以後、繊維製品加工業が大発展しており、アメリカ南部諸州から、綿花を輸入し、これを機械で糸にし、布や衣類に加工し、できあがった製品を世界中に輸出していた。
つまり、アメリカ南部の広大な土地で、綿花を栽培し、集荷した綿花を英国に運ぶ。英国はこれを生地に仕立て、その生地が世界中で売れるという「流れ」ができていた。
アメリカの南部諸州は、作ったら作っただけ売れるという状況にあり、お金儲けした各家は、映画「風とともに去りぬ」で、スカーレット・オハラの住む屋敷のように豪華な宮殿のような屋敷を作った。
対する北軍側は「奴隷の解放」をうたっているものの、北軍に所属する若い白人兵士たちが、「奴隷の解放」に命をささげるほど人道主義的には思えない。
北部諸州は綿花を加工する工業化を自前で展開しようとするが、英国と根本的に違うのは、北米諸州にはそれだけの市場がないし、英国のようなブランド力もない。
そこで北部諸州は、まだ英国が手をつけていない地域を植民地化して新たな市場を築こうと、綿花の輸出を制限し、いわば強制的に国内での綿花流通を盛んにしようとした。
つまり北部合衆国政府は、アメリカ国内での繊維産業を活性化しようと「保護貿易化」を推進して、英国との自由貿易を許さないという立場をとり、これは南部諸州にとっては受け入れがたいことだった。
さらに1860年にリンカーンが大統領に就任し、リンカーンの主張である奴隷制の廃止が実現してしまったら、南部の経済は壊滅してしまう。
そういう南北の利害対立が、南北戦争にとなるのだが、たいした工業力もない北軍がわずかの間に220万もの兵力を用意し、最新式の銃で装備させることはいかにして可能だったのだろうか。
そこに日本との関係が重大な意味をもっている。
アメリカは、英国にならぶ繊維製品の市場つまり通商を求めて、日本にやってきた。この黒船来航は、南北戦争の8年前の出来事であった。
だが、実際にペリーが日本に来てみると、日本人は綿だけでなく、麻や絹も自国で生産している。
しかしハリスのそれ以上の発見は、日本では金(Gold)が安いことであった。日本は「黄金の国」といわれるだけあって、金の採掘量が世界的にみて非常に大きかったからだ。
当時、メキシコ銀貨4枚で、金貨1枚との交換が相場。つまりメキシコ銀貨1枚を持って日本に行くと、慶長小判1枚と交換してもらえ、その慶長小判1枚を香港に持ち込むと、メキシコ銀貨4枚と交換してくれる。
つまり香港と日本をいち往復するだけで、手持ちの金が4倍に増えたのである。
ハリスは1854年、日米和親条約を取り交わしすが、和親条約の細則つまり「下田条約」で、ハリスは金と銀の両替相場を固定してしまう。
その結果ハリスは、香港と日本を往復するだけで、巨万の富を手にすることになる。
そのうちハリスは、両替する小判が、国外に流出してしい、金が足らなくて小判ができないなら、小判の中の金の含有量を減らしてでも小判を発行せよと、幕府に圧力をかけた。
圧力に屈した幕府は、見た目が同じで含有金量が慶長小判の約8分の1しかない「万延小判」を鋳造する。 これが1860年、ちょうど南北戦争が起きる1年前の出来事である。
ところで、ハリスはそもそも何者かというと、アメリカ合衆国の外交官あり、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの配下ということになる。
ハリスが日本の金で大儲けした金は、基本的にアメリカ合衆国の収入となった。この収入こそ南北戦争において、北軍の「戦費」をまかなったのである。
一方の南軍(アメリカ連合国)は、英国の繊維業者との太いパイプを持っており、英国に戦費債を引き受けてもらい、資金を調達して、戦争を戦っている。
さて日本と南北戦争との関わりはこれで終わりではない。
南北戦争で使われた大量の銃器や大砲は、戦後大量に余ってしまう。ところが南北戦争の3年後に日本で戊辰戦争がはじまる。
イギリスのグラバーが銃器を薩長に売ったということは知られているが、実は戊辰戦争で使われた「武器弾薬」は、南北戦争で使われた大量の火器の中古品なのである。
アメリカが、自分で武器を売ったら、薩長か幕府側かどちらか一方にしか中古武器を売れない。
そこで、ひとつはフランス経由で幕府に、ひとつは英国経由で薩長に売った。アメリカ合衆国は、南北戦争の武器の戦費を日本でまかない、そのスクラップを日本に出してまたもうけたわけだ。
「武器よさらば」ではなく、「武器はめぐる」である。

1940年、理化学研究所の仁科芳雄博士が、陸軍航空技術研究所長に対して「ウラン爆弾」の研究を進言したといわれる。
それを受けてか1941年4月、日本陸軍航空本部は、理化学研究所の大河内所長に原爆開発を要請し、仁科芳雄研究室が「ニ号研究」(「ニ」はニシナの頭文字)が受託し、ウラン濃縮研究を開始した。
1943年1月、理化学研究所の仁科芳雄 博士を中心に、天然ウラン中のウランU235を熱拡散法で濃縮する計画がはじまり、1944年3月、実際に理研において熱拡散塔が完成している。
しかし仁科教授らを悩ませたのが、原料となるウラン不足である。そこで同盟国であるドイツからUボートで日本に運ばれていた。
ところが、そのUボートが輸送中に北大西洋上でアメリカ軍によって拿捕され、仁科芳雄教授を中心とした「核開発計画」が頓挫したのである。
ちなみにUボート拿捕前、日本人海軍士官2名はあらかじめ用意していた薬で服毒自殺している。
仁科博士は戦後1946年、理化学研究所所長に就任するが、GHQの指令により理化学研究所は解散においこまれる。
しかし1949年に発足した日本学術会議において仁科博士は、第1回総会において副会長(自然科学部門代表)に選出されている。
この第一回総会で「平和的復興」と「人類の福祉増進」をうたい、50年、67年の2度にわたり、軍事目的の科学研究を行わないとする声明を出した。
ところで最近、日本の大学などの研究者に、米軍から少なくとも9年間で8億円を超える研究助成が行われていたことが判明して、日本の理系のノーベル賞の数が逆に気になった。
だが1967年の時点で、日本物理学会が主催する国際会議の開催に米軍が資金を出していることが問題となり、日本学術会議は軍事研究を行わない声明を発表。物理学会も「軍隊からの援助、その他一切の協力関係を持たない」との決議を行った。
しかし、流れが変わったのは1995年で、物理学会は軍事研究の定義が難しいと、「武器の研究といった明白な軍事研究以外は自由」と方針転換した。
2001年には米同時多発テロ事件が発生後、米軍の研究助成が増加し、2014年日本で武器の「原則禁輸」を撤廃する「防衛装備移転三原則」が閣議決定している。
2015年 大学を対象にした防衛省の研究費制度の公募が始まるが、一応対象は基礎研究に限られ、成果を公開してよい「平和の顔」をした研究費ではある。
この「安全保障技術研究推進制度」への大学の応募理由として資金不足が大きい。
約20人が所属する研究室の維持に、年約2千万円かかり、大学から入る運営費交付金約400万円は自由に使えるが、博士研究員を雇う資金を含め、学外からの調達が欠かせないという。
米国は軍事技術として培ったGPSやインターネットを民生技術として広く開放し、経済発展を遂げた。 だが近年は、民生技術が他国やテロ集団にも行き渡り、軍事面の優位性が失われつつある。
そこで大学が研究助成に応募する理由として、アメリカ側から「難しく意欲的な課題に挑戦してほしい」ということが要因となっている。
例えば京都大で行われたメタマテリアルの研究。「光学迷彩」と呼ばれ、敵から見えなくなるステルス技術の切り札とされている。
東京工業大で行われた炭素繊維の研究は、飛躍的に高速で燃費のよい戦闘機の実現につながる技術だ。大阪大のスピントロニクスは、電子の特性を生かし、現在のエレクトロニクスに代わって、ほとんど電力を使わずに情報処理ができるようになる。
日本政府が支給する研究費の対象は成果が見通せる研究が多い分、使い道に「縛り」が多いが、米軍資金は使途が自由で、アイデアがわいて方向を変えたい時も柔軟に対応できるということもある。
ただし、人間の作りだすものは両義的であること、武器はめぐって自分に牙をむく可能性があることは、念頭においた方がよい。