「日本」を世界に映す

最近、北朝鮮が発射する長距離・中距離・短距離ミサイルそれぞれに、違うメッセージがこめられている。
そのミサイルの中には、アメリカや同盟国を「挑発」するというよりも、「国内向け」のための発射ではないかと思われるものさえある。
この件に関して思い出すことは、2015年9月5日から、中国北京で「抗日勝利70周年記念」と銘うって軍事パレードがあったこと。
従来、中国の軍事パレードといえば「外向け」、つまり外国に対する「力の誇示」とみられてきた。
しかし、2015年の軍事パレードは少々趣が異なっていた。
中国の軍事パレードは、建国から10年ごとの節目節目に実施されてきたので、その間隔でいえば2019年に行うべきところだった。
また、「抗日勝利」は中国共産党にとって「原点」ともいうべき出来事だとしても、「抗日勝利70周年」を今更「外国向け」に発して何の意味があろう。
あの軍事パレードは、むしろ「国内向け」の軍事パレードではなかったか。
そうすると、江戸時代に行われた、徳川家将軍による「日光社参」によく似ている。
「日光社参」は、家康をまつる日光東照宮を、後の将軍が参拝するもので、各大名の兵馬を動員して長蛇の列を動かす、いわば「大規模軍事演習」であった。
徳川家康の一周忌に久能山から日光山への改葬が行われた1617年に将軍秀忠が行ったのがはじまりで、その後多くは家康の命日(4月17日)に合わせて行われた。
家光・家綱の代以後停滞し、将軍社参が行われないときは、将軍の名代として大名や高家らが参詣を行う「代参」という形で行われた。
近世後期には、吉宗(1728年)、家治(1776年)、家慶(1784年)により行われ、これらの将軍社参は「将軍権力」の回復と発揚の誇示を意図したものであり壮大な規模であった。
将軍社参には、相応の準備と莫大な費用がかかり、実際の社参の際には、大老や老中をはじめとする主要な幕閣から、大名や旗本・御家人など総勢十数万人ともいわれる武家が将軍に供奉する巨大な行列を組み、江戸と日光山を往復した。
諸大名は、社参供奉のほか日光や道中各地の警備、江戸の留守・固めなど様々な御用を命じられた。
さらに、関東の領民には輸送に必要な人馬の準備を命じたり、犯罪者には恩赦の実施が行われたりするなど、まさに全国を巻き込む「国家的行事」であった。
また、「将軍の指揮権」を確認する目的があったばかりか、街道周辺の住民は荷物運びを手伝い、宿舎用に自宅を空けた。
まるで日本の「将軍社参」を現代中国に映したような「抗日勝利70周年記念パレード」であったが、中国の軍事パレードで行進したのは約1万2千人で、準備にはさらに多くの将兵が関わり、武装警察は街中で治安管理を行い、パレードに使う道路沿いのビルはフェンスで封鎖された。
中国の新聞には「閲兵で検閲するのは、共産党中央と習近平主席に対する無比の忠誠である」と書かれた。
中国共産党は、軍事力で政権を獲得した「履歴」をもつために、威信を示す行為が軍事的になり、軍を動員する際に住民をもまきこむところに大きな意義があるというわけだ。
ただ、「抗日勝利70周年記念」には、タイミング的にもっと「差し迫った」メッセージがこめられていたようにみえる。
中国の習近平体制は政権トップについて、当時ようやく3年弱だが、ここのところ「腐敗」にまみれた軍に大ナタをふるっている。
ここで軍をあらためて動員し、最高指導者の地位を示す必要があったとみられている。

戦争の始まりやその後の展開が、予想しがたいことは歴史が教えるところである。
戦争は、国内の分裂を収めるために始まることがある。外からみれば無謀にも見える戦いが、国内的には「結束」をはかる必要上、ついには戦争にふみこんでしまうことがある。
また、小さな「火種」であっても、予想外の広がりを見せる。
第一次世界大戦は、サラエボでオーストリア皇太子が撃たれた一発の「銃声」が文字通り「引き金」になるが、諸々の小さな偶然が重なって、あれよあれよという間に「世界大戦」にまで拡大した。
さらには、人間には意地もプライドもあって、「負け戦」とわかっていても戦うことがある。
豊臣方の淀君・秀頼は、最も有力な勢力に成長した徳川方に服することをヨシとせず、「大阪の陣」を戦って、ついには大阪城内で自刃に追い込まれている。
ところで、戦国時代の3人の有力武将、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康のうち、信長も秀吉も大きな「負け戦」をしたことがない。
ところが家康は若い頃、「三方ケ原」というところで武田信玄に「大惨敗」を喫している。
武田信玄が上洛のために家康の領内を通過するが、家康としてはいかに相手が強大であっても、領内を黙って通らせるわけにはいかない。
そこで若き家康は果敢に戦いに挑むのだが、当時最強といわれた武田軍団に軽く蹴散らされてしまう。
しかし家康という人物の面白さはその後の行動である。
命からがら(脱糞しつつ)敗走する家康であったが、浜松城に戻った家康は、絵師を呼んで恐怖にゆがんで引きつっている「自画像」(通称「しかみ像」)を描かせている。
漫画チックに見える「家康像」を書き込んだ絵師は、常識的には首が飛ぶはずだが、あえて一番「無残な時の自分」を描かせているのだ。
ナポレオンがダビッドに描かせた「アルプス超え」の絵とは正反対の発想で、家康は人目につくところにこの「しかみ像」を置いたという。
この絵を通じて「負ける」とわかっていても、巨人に果敢に野戦に挑んだ若き家康の姿は、若き大将を支えていこうという家臣団の結束をもたらす結果となった。
さて、織田信長が桶狭間で駿河の今川義元を倒した後、家康と結んだ「清州同盟」は、裏切り・寝返りが日常茶飯事の戦国の世にあって、珍しく最後まで破られることはなかった。
とはいえ、この同盟関係にも幾つかの危機はあった。最大の危機は、信長が家康の長男「信康」に自刃を命じた時である。
まず、信康の正室(信長の娘)徳姫が、父である信長に、信康とその母(家康の正室)築山殿が、信長・家康の敵である武田勝頼と「内通」していると、知らせたのである。
これを受けて、信長は二人を処刑するように家康に命じ、家康は悩んだ末、築山殿を殺し、信康には切腹を命じたのである。
家康はこれほどの犠牲を払ってまで、長く続いた理由は、互いの利害が一致したまま、周囲の情勢がさほど変わらなかったからである。
信長にとって家康は、最強の敵の武田氏との間の「緩衝壁」であった。
天下制覇を目指して多方面作戦を展開中の信長は、強力な武田氏とまともにぶつかることを避けていた。
そこで地理的に間に位置する家康に武田氏を抑えてもらう役割を担わせた。
家康はよく忍従し、武田氏との戦いで信長の援軍が遅れた時は、家臣から同盟を破棄すべしという声が上がったが、家康は「信長抜き」で生き残ることができないのを知っていた。
家康には、「優位点」として武田氏の西進を抑える位置に領国があるという地理的な強みがあった。
武田方に乗り換えるというシナリオも考えたはずで、そのことを信長は百も承知している。
その結果、「長篠の戦い」で徳川家康は、信長の「援軍」を得て、最強をうたわれた武田軍を破ったのである。
この時の家康と信長の関係を今日の日米関係に映すことができる。家康を日本、信長を米国に置き換えてみると、日米も実質的には「主従関係」である。
日本にとって大事なのは、米国が安保条約に従い、日本の国土を守ってくれるか。
若き時の家康のような弱者でも、自分の持つ強みを使って、同盟相手を操るのが「外交」というもの。
今日の日本にとっての「最大の強み」とは、日本は中国やロシアにとって太平洋進出を阻む位置にある「地政学的な要」であるということである。
また、世界第3位の経済力をもち、電子技術を中心に高付加価値の技術を保有している。
戦国の時代に、家康が武田氏との同盟をにおわせることで、信長からより強い支援を引き出したように、ロシアや中国との連携をにおわせつつ、米国からより多くの「保障」を引き出すということである。
日本がつカードの戦略的な価値をどう生かし、国家と国民を守る外交ができるのかは、戦国の世にある「外交」からも学ぶことができる。

アメリカのトランプ大統領は、ホワイトハウスのスタッフを次々更迭している。
もはや頼りにできるものというのは、いよいよ「身内」の息子、娘、娘婿ぐらいに狭まってきているのではないか。
彼らは、「○○特別顧問」といった国家の「役職」をついてはいるものの、国家の意思がホワイトハウスよりも「トランプ一家」の意向で左右される状況が生まれつつあるのではなかろうか。
例えば、トランプのイスラム国攻撃の際、原爆以外で一番破壊力のあるといわれた「地中貫通爆弾(バンカーバスター)」を落としたのも、娘イバンカが毒ガス攻撃で「傷ついた赤ん坊」の写真を見て、バンカーバスター使用を父親に意見したからだという。
ちょうど日本でも、森友学園や加計学園の問題にかかわる安倍夫人や親友といわれる人との関係、「お仲間」内閣から官邸主導まで、少数のものに国家意思が操られ、「行政の歪み」が生じていることにも思い至る。
こうした事態は、鎌倉幕府の「御家人」と「御内人」との関係にも似ている。
鎌倉幕府は、源氏三代が滅びたあと、執権北条氏と有力御家人の合議体制が採られ、幕府は御家人の利益となる政策を次々と採る。
その最たるものが「永仁の徳政令」で、これは御家人が売った土地は無償で取り返すことができるという命令である。
御家人は喜ぶが、御家人から土地を買った者からすればただで土地を取り上げられるため、不満が高まる。
その一方、「御家人ファースト」の幕府の中では、執権の北条一族が次第に権力と権益を一手に独占するようになり、北条一族の「驕り」が露わとなる。
北条氏とそこに仕える者たち(御内人)が手厚く遇されるようになると、不満を募らせる御家人と御内人の対立から、1285年に「霜月騒動」という内乱が起きる。
その結果、御家人勢力は押されて、幕府はいわば北条氏専横政権になってしまった。
その不満は全国的に広がり、1331年に後醍醐天皇が武装蜂起したものの、失敗して隠岐の島に流された。
その意思をくんだ楠木正成と護良親王がゲリラ戦を始める。
そこに、足利尊氏が後醍醐天皇に味方して「北条政権を倒そう」と挙兵すると、全国の武士たちが一斉に北条政権に牙をむいて、1カ月もしないうちに政権は崩壊してしまった。
「安倍お仲間内閣」に対しても、文科省の一部役人などが「反乱」をおこし、都議選においては「都民ファーストの会」に自民党は惨敗している。
この事態を「鎌倉幕府崩壊」過程になぞらえると、党内の不祥事を突くゲリラ戦程度だが、不祥事が長く続けばボディーブローのように効いて、もはや流れは変わりつつある。
ただし、その流れの変化も「尊氏的存在」が登場しないかぎりは、「本流」とはならないであろう。

安倍政権の目につく「驕り」といえば、稲田防衛相にみられるとおり、自分と考えの近い政治家を極端に「優遇」する点にみられた。
「右寄り」の発言をすることによって優位に立てる(出世できる)構造があるので意図的にそれを狙う存在が現われる。
森友学園の籠池氏も「安倍首相頑張れ!安保法制 、国会通過よかったです」と園児に言わせたり、学校教育に「教育勅語」を取り入れるなどをした。
森友学園の件では、財務省理財局、近畿財務局、大阪府等の職員の「忖度」が問題にされているが、彼らは、まず直接的には、それぞれの組織のトップないし幹部の意向を「忖度」する。
さらに、そのトップないし幹部の意向が、「『安倍首相の意向』に沿う意向」であろうと「忖度」しているのではないかというのである。
つまり、「忖度」が何重にも積み重がなっているので、それが「行政」を歪めた部分があったとしても、その意思の出所さえ把握できない事態が生じている。
とはいえ、加計学園の獣医学部新設を巡り、文部科学省の職員の「告発」で、政府は「総理のご意向」を記した文書の存在を認めざるを得なくなった。
ところで「忖度」というのは何も日本社会特有のものではなく、「忖度」が重大事件を招いたことはいくらでもあった。
1930年代、ソ連のスターリン体制下の大粛清などは「忖度」が超大規模で行われた結果起きた「大惨事」だったといえる。
そもそも発端となる「キーロフ暗殺」からして、スターリンの命令では無く、スターリンの感情を「忖度」した治安機関などが勝手に実行した可能性が高い。
そして、その後起きた大量粛清も、いちいちスターリンが具体的に指示したわけではなく、スターリンの恐怖、願望、妄想を忖度した治安当局(エジョフあるいはベリヤ)が粛清リストをつくり、実行していったのである。
現代ロシアで起こっている反体制派などに対する暗殺も、プーチン大統領らの意向を忖度して行われている可能性が高い。
例えば、スターリンが「フルシチョフ同志の御母堂は確かポーランド人だったな」と言っただけで粛清対象になりかねなかったので、フルシチョフは顔を真っ赤にして全身汗だらけになって全力で否定しなければならなかった。
実は、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)は、2004年に乳がんで亡くなった母の存在を今に至るまで公にしていない。その理由は、母親が「在日朝鮮人」だったからだという。
北朝鮮では指導者を神のように奉るために、その家系をたたえてきた。例えば父・金正日は、母を抗日闘争で、もっとも勇敢に戦った女性だとたたえ、彼女は「国母」となっている。
したがって金正恩は、朝鮮にとって敵対国である日本に住んでいたことは、絶対に隠したい過去で、自分の「正統性」を危うくしかねない。
異母兄・金正男のクアラルンプール空港での暗殺も、自分の「正統性」への不安の表れなのだろう。
北朝鮮で金正恩体制が2011年に発足してから約5年間、金正恩は3代にわたる「権力の世襲」を強固なものにするために、叔父の張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長をはじめとする幹部や北朝鮮住民など約340人を処刑してきたといえる。
会議中に居眠りをしたことなどが、処刑の理由となったりしたことなども報じられるが、そこには「自らの身を守る」ために誰かを摘発する「病的な忖度」が横行しているのだろう。
これをもう一度、現代日本社会に映し変えると、「共謀罪」のアヤウサが思い当たる。権力者の意向を「忖度」した警察が、明確な犯罪容疑や捜査目的も無く、あらゆる市民を監視下におくことになる。
すでに、大手メディアを見れば、官邸が具体的な情報統制を行わずとも、メディア側が勝手に「忖度」して政権に不利な情報は隠蔽する態勢になっていることを思えば、そんな危険な状況をいつでも起こりうるということだ。