政策と実験の狭間で

「実験」というものは、実験室で行うとはかぎらない。社会的実験というものがある。
例えば、宗主国(または占領軍)が、本国でできなかったような政策を植民地(占領地)で実験することはある。
例えば、戦時中マルクス経済学を学んだ日本の「革新官僚」達が満州で行ったこととか、連合軍のアメリカ・ニューディーラー達が、日本の占領下で行ったことというのは、やや社会的実験に近いといえる。
現代社会においても、社会的実験というものは膨大なリスクをともなうので、地域限定の「特区」の設置とか、時間限定の「特例法」によって、ある程度行うことはできる。
ところで、政策と実験の違いは何か。手前勝手に定義すると、「政策」は過去の結果を踏まえて結果がある程度予測できるもの。
対して「実験」は、過去の経験が十分ではなく、結果がかなり予測不能のものとしよう。
その意味でいうと、総務省の「ふるさと納税」や大阪府の「学校選択制(バウチャー制)」も、やってみなければわからない「実験的要素」が強いもので、最近の「大学学費まで全額政府負担」という案もそうであろう。
しかし最も「壮大な」社会的実験はアベノミクスで、現在進行中である。
実験が「仮説の検証」ということになら、アベノミクスは失敗だったとみてよい。
異次元の金融緩和ではあったが、物価上昇2パーセントを実現することは、ほぼ失敗に終わったからだ。
理論的支柱であった浜田宏一氏も「間違いだった」と旗を降ろした。
しかしそれ以上に問題なのは、どうやって「実験をやめるか」という「出口処理」についてほとんど考えられていなかったことだ。
ところで、「ふるさと納税」という実験は、興味を喚起させる面が多くあった。中でも、人間の経済的インセンティヴの働きかたである。
総務省が発表した平成27年度の額で1650億円で、前年度に比べて一気に4倍、まさにバブルの様相を呈してしまった。ではなぜ、こんなに増えたのか。
その理由は、多くの自治体が「ふるさと納税」を集めるために、豪華なお礼の品・返礼品を競いあっているため。もともとは、地方の特産品インターネット上で「ふるさと納税」専門サイトを見るとその実態がよくわかる。
複数の民間事業者がそれぞれ専門のサイトを設けていて、地域の特産品がズラリと紹介されている。
実はどれも、各自治体が、ふるさと納税をしてくれた人に贈る、お礼の品・返礼品である。
それぞれの品には、まるで金額が明示されていて、この品物が欲しければ、どれだけ「ふるさと納税」するか予測できるようになっている。
「税の論理」で言えば、住民税というのは、あくまで住んでいる自治体に納めるのが筋であって、住んでいない所に納めるわけにはいかない。そこで応援したい自治体に「寄付」をすることにしようと。
そして、その寄付した分だけ、いつも払っている税金の中から「控除」、つまりヒクことにしましょうというわけだ。
それは東北大震災の被災者の救済などを想定して生まれた発想でもあったように思う。
しかし、「ふるさと納税」は、当初の趣旨とは異なる使われ方をした。
たとえば、共働きで年収400万円の夫婦が4万円を寄付したとする。「ふるさと納税」の場合、寄付の額に関係なく、必ず2000円までは自己負担、それを越える分、つまり3万8000円は、いつも払っている税金、具体的には住民税や所得税から後でそっくり、ヒイテもらえるしくみ。
だから、4万円を寄付をしたといっても、本当に持ち出しになっているのは、2000円だけ。
ふるさと納税をする人にとっては、寄付する額は、後で税金からひいてもらってモトはとっているため、この返礼品の分だけ、ほぼそのまま「もうけ」ということになる。
これが、寄付額の大きい富裕層にとっての節税や減税の手段になっていった。自治体からしても、よその人から、ふるさと納税をしてもらうためには、何か特典でも出さないとというわけだ。
それが、地元の名産品を「返礼」するならまだしも、家電や金券まで登場すると、本来の趣旨はますます遠のいていく。
さらに、「返礼品競争」が始まったことでふるさと納税は、サマ替わりをしたといえる。
各自治体は、返礼品合戦を過熱させたことで、寄付の額に占める、返礼品の値段いわゆる「返礼比率」が上がっているのだ。
結局、ふるさと納税は、あまりに「性善説」に立ちすぎた想定をして、人間の経済的インセンティブの「読み」に甘さがあったといえようか。

「思考実験」でさえもしなかったようなことが、ヨーロッパ(オランダ)政治で起きている。
多様な役柄を1人でこなす人気芸人「劇団ひとり」の名にあやかれば、「政党ひとり」。
何せ、党員は基本的に党首1人。所属の議員もスタッフも、党員資格を持たないボランティアに過ぎない。党大会も党機関誌もない。すべては党首の一存で決まり、それに従う人だけが、党の名の下に総選挙や地方選に立候補できる。
どこかの独裁国家の話でもなければ、独自の戦いを繰り広げる弱小政党でもない。先進国の、しかも主要政党の一つ。強烈な反イスラムの立場を掲げるオランダのポピュリスト政党「自由党」である。
ただ1人の党員ヘルト・ウィルダース党首(53)がすべてを差配する「ワンオペ政党」である。
先日おこなわれたオランダ総選挙で、自由党は中道右派政党に第2位。ではどうしてこんな奇妙な政党が現代先進国に存在し得るのか。
通常、政党はできるだけ多くの人を集めようと腐心する。多ければ、党費も人材もそれだけ増える。選挙ポスターを貼る作業一つをとっても大勢で手分けができる。それが、政治の形態として定着してきた。
ところが、その前提が揺らぎ始め、必ずしも大人数を必要としなくなってきた。党費を集めなくても、政党助成金で活動は十分可能。ポスターを貼る以前に、メディアを通じて名前を売れる。
ポピュリズム政党とは「風を見る」組織。強固な支持基盤を持たないだけに、「どんなテーマに風が吹いているか」を敏感に察知し、流れに乗って大衆の支持を集める。
うかうかしていると、せっかくの風を逃してしまう。
1人政党である自由党の場合、党内合意も必要ないから、風に合わせて政策や方針をすぐさま変えられる。これが大政党なら「決定は党大会で」などと言っている間に風向きが変わってしまう。
政党はもともと、存在自体にジレンマを抱えている。支持を広げ、党員を増やすほど、内部の結束を維持するのが難しい。
1人政党は、この矛盾に対する極端な解決法であり、一つの「政治実験」ともいえる。
人々の「風だより」で意思決定するのは、ポピュリズム特徴で、「何が正しいか」はすでに自明であり、改めて議論するまでもない。だから、この党は一枚岩で、意見の多様性を認めない。
ただ党首が、その都度「この指とまれ」で集まった人々を候補者として立てていけばよい。
「政党ひとり」は、奇妙だが十分に合理性をもつ存在として一定の勢力を保つ存在である。
さて、ポピュリズムの一人として数えられる大阪市の橋下徹市長がかかげたのが「学校選択制」である。
新しいというものではなく、小・中学校の学校選択制は全国で約15%の自治体が実施している。東京都の場合、23区中19区が実施。区内すべての学校につ いて選択を認める「自由選択制」を行っている区が、小学校で7区、中学校で16区もある。
また、東京都では独自に行っている学力テストの結果が学校別に公開され、その情報が学校選択の際に大きな影響を及ぼしている。橋下前市長が大阪市に導入したのは、こうした選択制と学テの結果公開をリンクした仕組みである。
「学校選択性」は一般に学校間格差を広げるという意見もある一方で、格差をなくすためにも選択制が必要だという主張もある。
学校を地域で固定化しているから(学力などの)格差が生まれる。行きたい学校に 行ける学校選択制こそが格差をまない唯一の手段であるというものだ。
しかし学校選択制が様々な面で学校間格差を広げることは、各地の事例が証明している。
学校選択制と学力テストの結果公開をともに実施している自治体では、保護者の選択行動が学テ結果に左右される傾向がはっきりあらわれている。
端的に言 うと、成績の良い学校に入学希望が集中する一方、良くない学校は生徒数を減らしており、ったん「不人気校」のレッテルを貼られると「教育困難校」と位置づけられ、行きつく先は生徒数の減少による「廃校」である。
そこで、行政当局にとって学校選択制は、自らの手を汚さずに学校の数を減らすための手段あるいは教育費の削減というネライで導入しているとみるものさえもある。 

最近の新聞に、今日本に山積する問題をまとめて解決する政策として、小熊英二氏の「思考実験」がでていた。
その政策とは、時間給の最低賃金を、正社員の給与水準以上にすることだ。なお派遣や委託その他の、いわゆる「非正規」の働き方への対価も同じように引き上げる。
「正社員より高いなんて」と思うかもしれないが、仕事内容が同じなら、正社員の方が高い根拠はない。むしろ非正規は、社会保障や雇用安定の恩恵(コスト)がない分、高くていいという考え方をしてみよう。
「非正規の方が高い国などない」という意見もあろう。しかし日本型の正社員そのものが独特なのだから、改善の仕方も独自の形で思考実験してみよう。
では、正社員より高いレベルの最低賃金とは、時給にしてどのくらいか。例えば時給2500円なら、1日8時間月22日働けば月収44万円になる。
若年の正社員より高めで、賞与なしでも家族を扶養できる収入だ。もちろん、物価が上がれば金額も上げるようにする。
では最低賃金を時給2500円にしたら、日本社会はどう変わるか。まず正規と非正規の格差は減少する。両者の違いは残るが、それは「安定しているが賃金と自由度の低い働き方」と「不安定だが賃金と自由度の高い働き方」の相違となる。
次に「正社員の座」にしがみつく必要がなくなる。研修やスキルアップ、社会活動や地域振興のため、一時的に職を離れることが容易になる。
転職や人材交流が活発化し、アイデアや意見の多様性が高まる。起業やイノベーションも起きやすくなり、政界やNPOに優秀な人材が入ってくるようになる。
賃金が上がれば結婚もしやすくなる。男女ともに育児期の一時離職が容易になり、少子化の緩和が期待される。
過度の長時間労働は減る。2014年に過労死した青年は、「正社員になれて良かった」と限界以上に働いていた。
「正社員の座」に固執する必要が減れば、こうした悲劇は減少する。また労賃が上がれば、経営者は無駄な労働を減らそうと努めるだろう。
教育は実質的なものとなる。「××大学卒」の履歴を求めるのは、「正社員の座」を新卒で得ることが重要であるのが一因だ。それに固執する必要がなくなれば、大学名より教育内容の方が問われる度合いが上がるだろう。
キャリアアップのために優秀な社会人が多数入ってくれば、大学教育も変わる。最低賃金が上がれば、「ブラックバイト」で奨学金返済に追われる程度も減る。
これまでの格差是正政策は、財源問題と世論の分断によって後退することが多かった。例えば生活保護の給付水準は、財源論とバッシングを背景に、この4年弱で実質7%も引き下げられた。
だが最低賃金の引き上げに財源は不要である。賃上げで購買力と消費が増えればGDPも伸び、税収も増える。「福祉バラマキ」に批判的な人でも、労働賃金の引き上げなら受け入れやすい。
もちろんマイナス面はある。まず失業率は「先進国並み」に上がる。省力化と技術革新が進むうえ、最低賃金を払えない企業は退場することになるからだ。
とくに飲食や小売りなど、労働生産性が低く低賃金労働に依存している業種は、大幅な業態変更を迫られるだろう。
低賃金労働に依存している業種は「ブラック企業」が多い。労働効率の悪い企業を淘汰するという意味では、この政策は一種の「構造改革」でもある。
だが一方で起業や人材交流が進むから、飲食や小売りでも革新が起きるかもしれない。
断っておくが、以上は実際の政策を提言するものではなく「思考実験」であり、最低賃金を大幅に引き上げるだけでも、日本社会がどれだけ大きく変わるかを示すためのものである。
しかし、「思考実験」といっても宙に浮いた「絵空事」というわけでもない。
現実にそれに近いことを「政策」としたのが「政党ひとり」が誕生したオランダである。
オランダでは、「パートタイム労働者」の割合が先進国の中でも突出して高く、パートタイム労働者とフルタイム労働者の「均等待遇」が法的に整備されているだけでなく実際にも確保されており、パートタイム労働はさまざまな職種や業種に広がっている。
そして、2000年の労働時間調整法により、時間当たり賃金を「維持したまま」でフルタイムからパートタイムへ、あるいはパートタイムからフルタイムへと転換することもできるようになっており、労働時間を選択する自由度が極めて高い。
人々は、子育て期に労働時間を短縮したり、子どもの成長に合わせて労働時間を延長したりすることができる。
さらに、労働時間の変更には、その理由を問われず、利用目的の制限はないため、単身者や子育てを終えた男女も活用している。
このように、オランダでは、一時点でみた場合、長時間労働者が少なく、仕事と出産・育児の両立が可能だということに加え、ライフ・ステージに応じた働き方を調整しやすく、生涯においてWLB(ワーク・ライフ・バランス)がとりやすい社会を形成している。
オランダでは、男女の働き方に違いがあってもよいという考え方が一般に広く認められており、そうした考え方に基づいて制度が設計されている。
ただし、このことは職場において男女を異なる取り扱いをするという意味ではなく、個人の希望を尊重しようとするものである。
WLBの実現については、労働者がライフ・ステージの変化に応じて、自ら労働時間を選択する自由度を高め、パートタイム労働もひとつの標準的働き方とすることで、取り組んでいる。
そのおかげで、オランダでは、他のヨーロッパの主要国に比べて育児休業中の所得保障や保育サービスなどの公的支出も少ない。
最近のオランダでは、労働時間の柔軟性に加え、テレワークの推進などにより就業場所の柔軟性を高めることで、これまで以上に柔軟な働き方を実現しようとしている。
この背景には、交通混雑が深刻化していること、オフィス費用が高いといった要因があるが、加えて、オランダが「パートタイム社会」であることもまた重要な要因となっている。
家族の形態が多様化し、それに応じて労働の形態も多様化する時代である。責任が少なくいつでも会社を辞められる職場を望む人も多いであろう。
政府が「一律に」正社員化を促進しようなどをすれば、かえって規制を増やし「働きにくい」職場が増えるのではないか。
政策と実験の狭間で、性善説に依った聞こえのいい政策は、たいがい失敗するようだ。

「企画院」というのは、簡単に言えば総動員体制を中心になって作った機関、つまり革新官僚の牙城です。「プロレタリア」と付いていれば、社会主義の活動であることは間違いありません。   なんと、戦中や戦後間もなく官僚になった人々は、マルクス主義のシンパが多かったというのです。マルクス主義というのは、言うまでもなく社会主義、共産主義の思想です。   皇国の国体護持・・・などと言い、治安維持法で社会主義者を取り締まっていた時代にですよ。国家を実質取り仕切っていた連中が社会主義者だったというのです。これにはちゃんとした理由があります。   まず、革新官僚が、純粋培養された「エリート」だったことです。社会主義というのは「完全無欠の机上の空論」です。つまり、マルクスの本の中だけなら、初めから終わりまで何の矛盾もなく世界の仕組みを説明できるということです。革新官僚の多くは旧制中学、いわゆるナンバースクール出身ですから、勉強ばっかりしていて、世間のどろどろした部分のことは全然わかりません。だから、そういう無菌室のような「机上の空論」には弱いのです。(今でも、共産党の「大卒」党員は、東大上がりが多い)   彼らの性質は、政治家と言うより学者に近いものがあるといってもいいでしょう。だから、完璧で、淀みも歪みもない理想の世界が実現できると信じてしまうわけです。   もちろん、執務中に「インターナショナル」を歌う馬鹿(笑)はいなかったでしょうが、人為的に理想国家を作り出せるという発想は、革新官僚たちにかなりの影響を与えていたはずです。   また、軍国主義を標榜する陸軍と利害が一致していたという点も見逃せません。   陸軍は日露戦争後も一貫して膨張し続けており(パーキンソンの法則を思い出すと良い)、中国やソ連を敵国とした「仕事」を作る必要がありました。かといって大陸で戦線を拡大すれば、当然ながら続々と死者が出ます。それに対する批判を封じ込めるには、全体主義で行くしかないのです。ちょうど、今の北朝鮮や中国、ロシアがそうであるように。   この全体主義というのは、革新官僚が大好きなマルクス主義=社会主義とも共通する点です。だから、陸軍と革新官僚は、仲良しだったということです。表の主役は軍人さん(陸軍)、裏の主役はお役人(革新官僚)とでもいったところでしょうか。   しかし、ここで疑問が浮かびます。なぜ日本を一時的に支配した「連合国軍総司令部」(GHQ)は、国家を実質的に運営していた社会主義者の革新官僚を真っ先に始末しなかったのでしょう?   ここで、一番先に挙げた「道具としての官僚」を思いだしてください。官僚は、新しい支配者に黙って仕えていれば、詰め腹を切らされることはないという特質がありました。   確かに、革新官僚でも、閣僚経験者やそれに準じる人間(たとえば、戦後首相になった岸信介など)は戦犯ということで公職追放になったりしました。しかし、革新官僚だった人物で、処刑台の露と消えた人物は一人もいないのです。   もちろん、憎き鬼畜米英に対してテロを起こす革新官僚も、天皇陛下の為に割腹自殺をする革新官僚もいませんでした。それどころか、戦犯となって公職追放になった者以外のほとんどが、戦後も省庁の中でのうのうと生きながらえたのです。   それも当然でしょう。なにしろ、彼らは、自分の仕事さえ出来れば、主人は誰だろうと構わないのです。   そういう革新官僚たちが、戦後の日本で、自分たちが夢にまで見た統制された理想国家を作ろうとします。すなわち、戦前に導入された統制経済的システムをそのまま維持・強化していったのです。   例えば、「地方交付税を通じた所得の再分配」(=地方財政の自主性剥奪)や、「直接金融から間接金融への移行」「直接税中心の税制」といった制度は、現在に至るまで我が国の政治の在り方を根本的に決定しています。そういう仕組みは何も戦後に出来上がったものではなく、戦前にすでに作られていたというから驚きです。また、最近は少しは改善されたものの、業界に対する行政指導は、今でも隠然と影響力を保っています。もちろん、この行政指導に法律上の根拠はありません。役人の独り言と同じであり、本来は聞かなくてもよいはずなのですが・・・。   極論すれば、戦後日本の仕組みは、戦時経済だったということになります。   しかし、国民を戦争に巻き込んでおいて、自分たちは理想国家の追求などといい気なものです。陸軍があれだけ満州にこだわったのも、革新官僚が作り上げた「理想郷」だったからこそでしょう。その権益維持のために、一体どれだけの血が流されたか・・・。   それもこれも、革新官僚やそのエージェントである陸軍軍人に対して、政治の丸投げを許してしまったことが原因なのです。   革新官僚の戦中戦後を見ていくと、以下のようなことがわかってきます。  ①革新官僚は、自分の理想とする全体主義国家   樹立のために、いたずらに戦争を拡大する   方向を取った  ②それにもかかわらず、彼らのほとんどは   戦後も責任を取らず、官僚であり続けた   ここから出てくる結論は、一つしかありません。それは、「官僚に国家の基本政策を委せてしまうと、結局だれも失敗した責任を取らないという事態が生じる」ということです。   政治家は誤った国策を採れば選挙で落とされます。そうでなくても、議員辞職など詰め腹を切らされる場面はたくさんあります。最悪の場合、征服した敵国に処刑されます。(正当性はともかく)東京裁判もそうでした。私がキムジョンイルやコキントウだったら、日本を征服した暁には、小泉首相と安倍官房長官あたりは真っ先に銃殺刑です(もちろん、これは誉め言葉)。そういう意味で、政治家は責任を負わざるを得ない立場にあるわけです。   しかし、官僚はそんなことをしません。いつも舞台裏にいて、政治家を隠れ蓑に、自分たちの(決して減ることのない!)仕事を黙々とこなしていたのです。そして、あまつさえ、鬼畜と称した相手の片棒を担ぐ真似をし、失敗の責任は全部「旧日本軍」と「天皇主権の憲法」に押しつけてしまったというわけです。邪推ですが、戦後のいわゆる「自虐教育」というのも、革新官僚が真の「戦犯」だったという事実を覆い隠すために行われていたのではないかとさえ思えます。     そして、重要なのは、これは官僚個人の問題ではないということです。官僚に国策の決定を任せれば、絶対にこうなる運命なのです。彼らは、責任を取る立場にいない以上、リアリズムをもって国民や外敵に向かい合うという行動を取れないからです。   戦前の日本の暴走を、皇室制度のせいだとか、日本人の集団主義が悪いとか言っている連中が、いかに底の浅い馬鹿か、これでよくお分かりでしょう。