ピューリタンVSヒッピー

映画「イージーラーダー」(1969年)といえば、ステッペンウルフの「ワイルドでいこう」という音楽と、肩位置あたりまで伸びたハンドルのハーレーダビッドソンで疾走する若者二人。
そんな音楽とヒッピー風の若者の姿が記憶に残る映画であったが、結末がいまひとつ腑に落ちないものであった。
最近、NHKBS放送で「イージーライダー」があり、その腑に落ちなさを解消できるのではないかと、見入ってしまった。
なにしろ歳を重ねてみた同時代のアメリカ映画「真夜中のカウボーイ」(1969年)に、心揺さぶられる感動を覚えた経験があったためだ。
特にダスティン・ホフマンやジョン・ボイト(アンジェリーナ・ジョリーの父)の名演技が光っていた。
また同時に、現在の「ソラリア」の立つ処にあった「センターシネマ」と、いつも帰りに立ち寄った地下街「味のタウン」など、天神の風景が映画の記憶と共に蘇った。
映画「イージーライダー」は、1960年代後半頃から現れたヒッピーの心情を映したアメリカン・ニューシネマの代表作といわれ、その映画史における重要性が再評価され、アメリカ国立フィルム登録簿に登録されたという。
ピーター・フォンダ(ワイアット)、デニス・ホッパー(ビリー)、ジャック・ニコルソン(ハリソン)が出演し、若きジャックニコルソンがアカデミー賞助演男優賞にノミネートにされた。
麻薬の密売に成功し大金を稼いだ2人のバイク乗りが、白人主義者たちから差別されても自由を謳歌しながら生きようとするロード・ムービーである。
「ロードムービー」といえば、近年話題となった「ドライブマイカー」で、広島が舞台であった。
一方「イージーライダー」の舞台は、メキシコ湾に面したニューオリーンズ(ルイジアナ州)の周辺である。
そこは、アメリカ南部の保守層がもっとも根強い州が連なる。
「イージーライダー」のあらすじを簡単にいうと、ロサンゼルスから来たワイアットとビリーはマリファナの密輸で金を稼ぐバイク・ライダーである。
二人の目的はニューオーリンズの謝肉祭に行くことで、南部の保守的な街にあって、その外見などで差別を受けてホテルを取れず、しばしば野宿をしていく。
ある日、ヒッチハイキングをする男性と出会い、男性に導かれて大勢の旅人を受け入れているコミューンへとやって来る。
そこで、いくばくかの自由な気分に浸り、二人はとある町に到着しするが、マーチング・バンドにバイクでついて行ったことが無許可デモだと誤解され、警察に捕まってしまう。
そこで、酔っぱらって刑務所に入っていた弁護士のジョージ・ハンセン(ジャック・ニコルソン)と同部屋になる。
意外にもハンセンは町の有力者を父親にもち、彼に取り合ってもらい、刑務所から出してもらう。
二人はハンセンと共に野宿をして過ごす。ある日3人はレストランへ入るが、保安官や男性客たちにずっと罵られ続けて店を出る。
その晩またも3人は野宿をするが、3人は暴漢に襲われ、運悪くハンセンが死んでしまう。
翌日、娼館で出会った女性を連れて謝肉祭へと繰りだし、そこでドラッグを使用して過ごす。そして、いつも通り走っていると、アウトローかつ長髪であるビリーが気に食わない「白人主義者」の男たちが車で現れ、猟銃を撃って脅かそうとしてきた。
その放った銃が当たり、ビリーが倒れる。介抱をしたが怒りを抑えられずワイアットはバイクに乗り、急いで車を追いかけるものの、結局は撃たれて亡くなってしまう。
映画をみて誰もが思うのは、なぜ3人が殺されたのかということだ。逆にいうと、風采だけで人を差別したとしても、殺すほどのことがあるのか。
今見るとこの映画はドキュメンタリー風で、政治的なメッセージをこめたり、何かを告発したような作品とは思えない。
それだけに、自然に流れる風景とともに、そうしたことが自然にヤレてしまう時代と土地があったということに、不気味さをおぼえた。まるで「異人狩り」だ。
そして、そうしたアメリカの深層がアメリカの分断の底に横たわっていて、今でも時折に顔をだすのである。

アメリカの分断は、基本的に「リベラルVS保守」という枠組みのもと、「民主党VS共和党」「大きな政府 VS小さな政府」といったように政治的、経済的くくりで論じられることが多い。
ただ2016年の大統領選挙からは、本来リベラル支持層だった下層中産階級(いわゆる錆びついたラストベルトの白人労働者層)がトランプを支持することで「トランプ派VS反トランプ派」という様相を呈することで、なお分断が深まった感がある。
ところで、日本でも国が二分するような論争があったことがある。
憲法9条をめぐる「保守/革新」の論争だが、1990年の「自社さきがけ」政権の誕生で、社会党が「憲法9条合憲」の立場をとり与党に組み込まれた時は、唖然とした。
当時、そんなんでいいのと思った社会党は、社民党(福島党首)に名を変えて、2022年の参議院選で存続の瀬戸際に立っている。
アメリカの分断は、日本の「国対政治」(自民党と社会党の国会対策委員長どうしの話し合い)によって「橋渡し」が出来るような次元ではなさそうだ。
アメリカの分断の断層は、もっとが深い地点にある。
それは2022年5月30日のアメリカの最高裁判決「中絶禁止合憲判決」にシンボライズされ、その波紋は日本の最高裁判決「夫婦同姓合憲判決」(4月25日)とは比べものにならない。
異なる次元の判決であるが、日米双方の保守思想の根深さを思わせた点で共通している。
日本の場合、最高裁メンバー15人のうち3人しか女性がいない点が指摘されたとはいえ、国を分断するほど盛り上がった論点ではなかった。
ところがアメリカの「中絶禁止合憲判決」は、従来の「中絶合憲判決」を覆しての判決であり、時代を逆戻しするような判決であった。
それがもたらす、国内的波紋の大きさは想像に難くない。これは、国家的モラハラみたいなものだ。
同時にアメリカの裁判所の「政治化」という問題が指摘された。最高裁の判事9人のうち6人が保守派であったためだ。
実は「中絶問題」は、アメリカの分断層の一面にすぎない。植民地時代から世界観をめぐる争いが繰り返されてきたが、とくに1960年代以降は、エスニシティやセクシュアリティの多様性が増したことにより、新たな局面に入っていった。
1970年代からは人工妊娠中絶や同性愛、公立学校における祈り、移民、銃規制などをめぐり、大きく二つの陣営に分かれて対立するようになる。
「中絶問題」をめぐっては、1973年の「ロー対ウェイド事件判決」が、大きな画期となったといえよう。
この判決とは、妊娠していた未婚女性(原告名ジェーン・ロー。身元を隠すため仮名)や中絶手術を行い逮捕された医師らが原告となり、中絶は憲法が保障する女性の基本的権利であり、中絶手術を禁止したテキサス州法が違憲であると、同州ダラス郡ヘンリー・ウェイド地方検事を訴えた訴訟である。
望まない妊娠を継続するか否かの判断は女性のプライバシー権に含まれるとし、最高裁の判事9人のうち7人が、中絶を規制する法律を違憲とした最高裁の判決であった。
以降50年近くにわたって連邦政府によって認められた中絶の権利、国家レベルでその憲法上の解釈が2022年に根本からひっくり返されたことになる。
これにより中絶の規制は各州に委ねられ、各州は独自の州法で中絶を禁止できるようになったのである。
私見を述べれば、「妊娠中絶」などないほうがいいに決まっている。だが人間は皆がみな模範生ではなく、貧困もあればレイプを含む妊娠もある。
そうした女性は中絶が禁止されると他州に行くか、闇の病院にいかざるを得ず、その結果母体を傷つけることさえもある。
またアメリカの分断を示す問題のひとつに、「公立学校での祈り」の問題がある。
「全能の神よ、私たちはあなたへの依存を認め、私たち、私たちの両親、私たちの教師、そして私たちの国にあなたの祝福を請います」。
この祈りは、ニューヨーク州ハイドパークのユニオンフリー学区第9区が、各学校の日の初めに教師の面前で各クラスが次の祈りを声に出して言うように学区の校長に指示したものである。
1962年、合衆国最高裁判所は、この指示を米国憲法修正第1条に違反したと裁定した。
米国での学校の祈りは、学校が主催する場合、一連の最高裁判所の判決により、公立の小学校、中学校、高校で大部分が禁止されている。
生徒は個人的に祈り、放課後の時間に宗教クラブに参加できる。
公立学校は、地方の学区などの政府機関によって運営されている学校で、彼らは、祈りなどの宗教的儀式を行うことを禁じられている。
私立学校と教区学校はこれらの判決の対象外であり、大学も対象外である。

「アメリカ対イスラム原理主義」といわれる。この言い方にアメリカがすべてのイスラム教徒を「敵」とするわけではないということを明らかにしている。
要するにアメリカの敵はあくまでイスラムの一部であって、それが「原理主義」といわれるものだ。
しかし、そもそもの「原理主義」の「本家」はイスラム教徒ではなく、アメリカの方なのだ。
イギリスで「国教会」で弾圧をうけ、イギリスからアメリカへと移民してきたピュ-リタンよって「建国」された。
ピューリタン達は旧きを去り、新大陸にビジョンを描けるだけの信仰者であった。
宗教改革の主人公の一人であるマルチンルターは、「純粋な聖書の世界、使徒達の時代へと回帰せよ」と語り、ヨーロッパで蓄積されてきた「中世の神学」を否定した。
イギリスでは、もうひとりの改革者であるカルバンの予定説に基づく「カルバン派」が商工業者の間で広まりピューリタンとよばれた。
ところで独立後の合衆国憲法では、啓蒙的なジェファーソン達によって「政教分離」が定められたのだが、これはむしろ宗教(信仰)を政治の「世俗性」から擁護するためであり、その逆ではない。
そして建国当初のピューリタニズムは、「見えざる国教」として沈潜する。
例えば、いまだに大統領は就任式において、聖書に手をおいて宣誓を行うことに反対はでない。
アメリカという国はこの「見えざる国教」が、社会が大きくブレる折々に、「間歇的」に表面化する国だといってよい。
ただ建国当初のピューリタニズムは進化論やフェミニズム、合理主義など現代的思想との対決を余儀なくされ、自由主義(リベラル)的な方に向かった。
そして、キリスト教の使命はただ一つ「神の愛」の実践のみで「社会奉仕」こそが信仰にとって最重要である、などといった神学思想までもが生まれた。
1910年代に、こうしたリベラルな解釈や動きに対して、ロサンゼルスで聖書研究所をたてた人物によって、建国ピューリタニズムの中核思想を「再確認」するかのような内容が、「諸原理」というパンフレットにまとめられた。
そしてこれが300万部も印刷され、全米の教会や神学校に無料で配布された。
さて、トランプ大統領の支持基盤として知られた「キリスト教福音派」は、聖書の内容をそのまま信じる人々で全人口の4分の1を占めるといわれる。
また解釈するより「文字どうり」にうけとる人々が「ファンダメンタリスト(原理主義者)」である。
さてトランプ前大統領は、どうみても信仰心にとんだ人のようにはみえない。、保守派を「政治的戦略」として装っているのであろう。
2016年大統領選挙では、福音派から支持を受ける共和党のトランプ前大統領は「中絶に反対する(保守派の)人物を最高裁判事に任命する」という選挙公約を掲げて当選。就任後に3人の保守派の判事を指名した。
投票すれば8割を超える確率で共和党に投票する福音派の票が欲しかったためだ。
さらには、「宗教保守のトランプ政権」というイメージを固定させるために、副大統領にペンスを任命した。
「福音派の権化」のようなペンスは、共和党の政治家の中でも際立った政治家だ。
ペンスはインディアナ州知事時代、宗教的信条から企業が同性愛者などに対するサービスを拒否することを認める「宗教の自由の回復法」を推進したことでも知られている。
この法律に従えば、例えばレストランが同性婚のカップルの利用を拒否できる、といったことも可能である。
ペンスを副大統領候補に指名したことにより、たとえトランプが不信仰でも、福音派の票を手放すことはなかった。

「イージーライダー」という映画は新しい時代の幕開けを表現した映画だった。
「イージーライダー」は、ヒッピー文化を描いたが、その合言葉は「Love & Peace」。ヒッピーとはなによりも「気ままな自由」を重んじる。
ピューリタン的な価値観を否定をするものであり、彼らのいでたちそのものが、保守派に嫌悪をもたらすものであろう。
「イージー・ライダー」の自由な若者たちに世間の目は厳しく、ホテルにも断られて野宿する。「連中はあんたが象徴する自由を怖がってるんだ」というセリフに続いて語った弁護士のハンセン(ジャック・ニコルソン)が語った言葉が印象的であった。
「自由について話すことと、自由であることは、まったく別のことだ。みんなが個人の自由についてしゃべるけど、自由な個人を見ると、たちまち怖くなるのさ」。
さて、アメリカの保守的(道徳的)キリスト教信仰と自由な若者との対峙を見る時、脳裏に浮かぶのは、ユダヤ教の律法学者と対峙するイエス・キリストの言葉である。
律法学者やパリサイ人がイエスを憎んだのは、イエスが彼らよりもはるかに「自由」を語ったからである。
例えば、律法学者とイエスの「安息日」をめぐる次のような論争があった。
律法学者はなんと、イエスが安息日に病人を癒したことを批難したのだ。
それに対してイエスは、「安息日に羊が穴におちたら救わないだろうか。人は羊よりも優れた者ではないか。安息日に正しいすることは良いことである」(マタイ福音書12章)と語っている。
律法学者やパリサイ人は、ここまで本質から遠ざかっていたのであり、戒律は危険なものであることがわかる。それは人が戒律を守れないからではなく、戒律を守ることで己を完全だと思う、つまり「律法主義」に陥り、その結果、神を崇めなくなるのである。
手段が目的と化してしまう「律法主義」の陥穽を厳しくついたのがイエスであった。
ヒッピー文化といえば、ベトナム戦争などの国家の正義への反抗のように捉えられがちだが、そればかりではない。
キリスト教保守派の道徳は、価値観が多様化するにつれて、様々な摩擦や軋轢をおこし、その先駆けがヒッピー文化であった。
パウロは元々熱心な律法学者であったが、キリスト教への回心後、博学がおまえを狂わせていると攻撃され、次のように語っている。
「神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす」(コリント人への第二の手紙3章)。
パウロの信仰の土台「御霊の自由」は、原理主義者とも明らかに異なり、既成勢力はその自由さを恐れた。