聖書の植物から(エニシダ/アーモンド)

西洋の紋章のモチーフというと、神聖ローマ帝国の「双頭の鷲」を代表にしてライオンやドラゴンなど、いかにも強そうな生きものが多い。
西洋でも植物が紋章のモチーフになることはあるが、ルイ王家はユリの花、フランス王家はアヤメの花、イギリス王家ではバラの花(チューダー・ローズが有名)だ。いずれも、高貴で華麗な植物である。
そんな中で「エニシダ」を家紋にした王朝がある。イギリスの「プランタジネット朝」。
エニシダはマメ科の落葉低木で南ヨーロッパ原産である。高さは髙くて2mで枝はたわんで垂れ下がり、4月ごろ黄色の蝶形花を無数に咲かせる。
イギリスでは1066年ノルマンジー公ウィリアム(征服王)が、ヘースティングスの戦いに勝利してイングランドを征服し、ノルマン王朝を起こした。
その後現在のフランス西部にあったアンジュー公国のジョフロア伯(英語読みではジェフリー)の子ヘンリー2世が、母親マチルダの姻戚関係等により、1154年にイギリスの王位を相続し、「プランタジネット王朝」を起こす。
ヘンリー2世の父ジェフリーは戦争の時には、「エニシダの小枝」を兜に挿して戦っていたので、「プランタジネット」という名がつけられた。
「プランタジネット」は、植物(プラント)と将軍(ジェネラル)を合わせた名前である。
日本の武将達の紋章に目を向けると、プランタジネットと幾分似た家紋がある。
それは、水戸黄門の印籠でも有名な「葵(あおい)の御紋」、すなわち徳川家の家紋である。
実は、日本の家紋の多くは、植物がモチーフとなっている。
徳川家の「葵の紋」は三つ葉葵のモデルとなっている葵は、フタバアオイという植物である。
実はアオイ科ではなく、ウマノフタバアオイは、山林の地面に生える小さな植物である。
花も1センチあまりの茶褐色の小さな花で、お世辞にもきれいな花とはいえない。こんな地味な花を「家紋」に採用している国家君主など、徳川家以外にはない。
あえて探せばイギリスのプランタジネットである。
この場合に問題なのは、なぜジェフリーはエニシダの小枝を兜につけたのか、なぜイギリス王室はそんな地味な植物の存在を尊んだかである。

他の宗教の教祖には絶対に見られないイエス・キリストの生涯のユニークさは、自らの言葉とふるまいを、自ら聖書の預言を参照しつつ、表している点である。
それを知らないと誤解が生じる。
例えばイエスが十字架上で発した「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という言葉。この言葉は「詩篇22篇」の冒頭の言葉の引用で、これも預言の実現を表している。
ただ、この言葉に続いて、一人の名前がでてくる。
「すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、"そら、エリヤを呼んでいる"。ひとりの人が走って行き、海綿に酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとして言った、"待て、エリヤが彼をおろしに来るかどうか、見ていよう"」(マルコによる福音書第15)。
ここで登場するエリヤとはいったい誰なのか。
イエスが世に現れる頃、ラクダの毛衣を身に着け、「悔い改めよ。天国は近づいた」と呼ばわった人物がいた。
彼こそは、「エリヤの再来」と噂された洗礼者ヨハネで、十二弟子のひとりヨハネと区別する意味で「バプテスマのヨハネ」ともよばれる。
噂の背景に、救世主が現われる前にエリヤが再来するという預言(マラキ書3章)があったからだ。
実際人々は、「洗礼者ヨハネが預言者エリヤなのか」という問題を気にかけていたようだ。
ある人がヨハネに「あなたは誰か。キリストか」と問うと、ヨハネは「キリストではない。キリストの靴紐を解くのにも値しない者だ」と答ている。
さらに「ではいったい誰なのか、エリヤか」と聞くと、ヨハネは「そうではない」と否定している。(ヨハネ福音書1章)
ところが不思議なことに、イエスは弟子たちに「エリヤはすでに来た」と語っている。
「エリヤが来て、すべてのことを立て直す。しかし、エリヤはもうすでに来たのです。ところが彼らはエリヤを認めようとせず、彼に対して好き勝手なことをしたのです。人の子もまた、彼らから同じように苦しめられようとしています」。
そのとき弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと思ったという。
なぜなら洗礼者ヨハネは、好き勝手な娘サロメに促されたヘロデ王に殺害されたからである。
、 それにイエス自身が洗礼者ヨハネにつき、「あなたがたが進んで受け入れるなら、実はこの人こそ、きたるべきエリヤなのです」と、意味深なことを語っている(マタイ福音書11章)。
洗礼者ヨハネは自らがエリヤであることを否定している一方で、イエスはヨハネこそエリヤだといっているのだから完全に矛盾している。
また、ヨハネは「イエスの靴の紐を解くに価しないといっているのに、イエスは「女から生まれた者の中で、ヨハネより優れた人はいない」と言っている。
しかし洗礼者ヨハネは果たした役割はどうみても高いものとは思えない。せいぜいイエスの露払いである。
しかし「聖書のことは聖書に聞け」で、この矛盾を解く言葉がみつかった。
イエスは洗礼者ヨハネにつき「彼は、エリヤの霊と力とをもって、みまえに先立っていき」(ルカの福音書1章)と語っている。
また、イエスが弟子達の前で突然変容し天に昇る場面の中にヒントがある。
この場面で、イエスの弟子たちは、夢か幻か、イエスの傍らにモーセとエリヤの姿を目撃している(マルコの福音書5章)。
つまりエリヤはモーセに比肩されるほどの存在なのだ。
洗礼者ヨハネが偉大なのは、「エリヤの霊と力」をもていたから、という解釈がなりたつ。
とはいえ、そんな偉大な預言者たるエリヤが命を狙われて身を隠した時の場面がある。
「彼は一本のエニシダの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。”主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。私は先祖にまさる者ではありません”。彼はエニシダの木の下で横になって眠ってしまった」(旧約聖書「列王記上」19章)。
さて、エリヤをこんな思いに落ちこませた状況とはどのようなものであったか。
エリヤの時代、アハブがイスラエルの王であった。
アハブ王は、創造主なるヤハウェではなく、自分にとって都合の良いように動いてくれると聞いた神々を信じて礼拝していた。
その神々のために働く預言者(450人のバアルの預言者。400人のアシェラの預言者)がたくさん仕えていた。
そこでヤハウェの神はエリヤを使者としてアハブの元につかわせた。そしてエリヤは850人の預言者とその霊力を競うことになる。
バアルの預言者たちとエリヤはカルメル山に祭壇を築いて、それぞれの神に祈ったところ、バアルからは何の答えも無く、エリヤの神(ヤハウェ)のみが天から火を降らせるという奇跡をなした。
直後にエリヤはバアルの預言者を捕えるよう指示を出し、バアルの預言者たちは捕えられて処刑された。
その話を聞いたアハブ王の妻イゼベルはバアル信仰者であっただけに激怒し、エリヤの殺害予告をした。
エリヤはイゼベルの怒りを避けて、ユダのベエルシバへ逃れたのち、ホレブ山に身を隠した。
これがエリヤが「自分の命をとってください」と神に願うほどに追いつめられるまでの状況である。
ところがその時、エリヤは「神の細き声」を聞く。
「主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった」(列王記上 19章)。
この出来事でエリヤは力をえてホレブを去って、再びアハブ王の元へ向かう。
そして王の不正を訴えて、アハブとその家が滅びることを預言した。
アハブは悔いたため、災いがアハブの身に直接及ぶことはなかったが、その子の代に下るという預言がエリヤに下った。
その後、エリヤは預言者エリシャとが出会う。その時、エリシャはエリヤに「あなたの霊の二つの分け前が私のものとなりますように」と願う。
それがかなって、エリシャはエリヤの後継者となる。
そのあと、エリヤは一陣の風に乗って天に上げられるのを目撃する。つまり、エリヤは死ぬことなく天にひきあげられているのである。
聖書は個々の場面で荒唐無稽に見えるが、他の箇所と突き合わせると実に「整合的」である。
それは、モーセとエリヤが出現する「イエスの変容」の場面でイエスが語った「この中に死を味あわない者がいる」(マルコの福音書5章)と符合している。
ところで、第1回の十字軍において、ヨーロッパの諸侯はセルジュクトルコの支配を排除して現地に「エルサレム王国」を建国した。
しかし、アイユーブ朝のサラディンによってエルサレムを奪われ、それを奪回するために第3回十字軍が行われることとなった。
イギリスのリチャード1世(ヘンリー2世の三男)もこの戦いに参加し、サラディンとの戦いで勇名を馳せ「リチャード獅子心王」とよばれる。
しかしエルサレムの奪回には至らず、帰国の際対立するオーストリアに捕えられてしまう。
重要なことは、リチャード1世が、「エニシダの紋章」を玉璽に彫り込んだことである。以来これは「英国の国章」と見なされている。
すなわち、キリスト教保護のための遠征において、イスラエルの地で「エニシダ」が紋章に使われたことは注目に値する。
それは、旧約聖書の「エリヤが身を隠したエニシダ」のエピソードが意識されたのではなかろうか。
それはちょうど「みつばさの陰」(詩篇17章/マタイ23章)のような意味で、神の庇護を意味するものではないだろうか。
なおプランタジネット朝は、リチャード2世で廃されるが、その後のヨーク家とランカスター家はともに、プランタジネット家の男系の傍系であるため、「広義のプランタジネット朝」に含まれる。

日本の梅の花のように、イスラエルにも、春の訪れを一番に知らせる花がある。それは「アーモンドの花」で、アーモンドは「目覚め」を意味する言葉である。
旧約聖書に、預言者エレミヤに対して「神の召命」があった場面で「アーモンド」が印象的に描かれている。
「主のことばがエレミヤにあった。”エレミヤ。あなたは何を見ているのか”。そこでエレミヤは言った。”アーモンドの枝を見ています”。 すると主は私に仰せられた。"よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ"」(「エレミヤ記」1章)。
この場面では、エレミヤと神が見ていることが一致しているということ。神からすれば、エレミヤが「見るべきものを見ている」ことを喜んでいるのだ。
エレミヤは、祭司の家系に生まれるが、バビロン捕囚の時代に祖国イスラエルに留まり、「復興の働き」をなした人物である。
神はエレミヤを聖別し「諸国民の預言者として立てた」といったのに対し、エレミヤは「わが主なる神よ。わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから」と躊躇する。
このように躊躇するエレミヤに、神から与えられた幻が、「アーモンドの枝」なのである。
エレミヤはその幻をしっかりと見て、その意味を理解しようとした。
そして季節が着実に移り変わるように、神の計画が必ず成し遂げられること、すべての被造物の営みの背後にあって「言葉を成し遂げよう」と共にいて導かれる神の存在を悟った。そしてエレミヤは神の召命に応えたのである。
ところで中国や日本の仏像に、口元だけ微笑んでいるようなアルカイック・スマイルがみられる。
日本史の教科書では「古拙(こせつ)の笑み」と訳されているが、特に中宮寺の菩薩半跏像や、広隆寺の弥勒菩薩半跏像の表情は人々を魅了する。
なぜか、それは口元の微笑ばかりではなく、その目元にも秘密がある。その目元を教科書では「杏仁形(きょうにんぎょう)の目」と説明されている。
つまり、アーモンドのカタチをした目(アーモンドアイ)のことである。
松本清張の小説をドラマ化した『微笑の儀式』は、この「古拙の笑い」を題材にしたものである。
大学で法医学を研究していた鳥沢良一郎は、夏の初め、奈良・法隆寺内の飛鳥仏を鑑賞中、ひとりの男に声をかけられる。
その男は、自分は止利様式の仏像が持つ「古拙の笑い」にとり憑かれている彫刻家だと云い、その大きな眼は情熱的な光を宿していた。
秋になったある日、新聞掲載の展覧会評で、「微笑」という題の彫刻作品が取り上げられているのを目にした鳥沢は、予感を抱いて展覧会場へとおもむく。
その彫刻の顔つきには飛鳥仏の特徴がよく出ていたが、作者はあの時の彫刻家で、名を新井大助といった。
新井に祝意を述べた鳥沢だったが、そのあと鳥沢を呼び止めた生命保険会社の調査員の男は、この彫刻の大きさが「人間の実物大」であり、「本当の人間の顔からそっくり取った」ものではないかと指摘、さらに、この彫刻とよく似た顔の宅間添子という女性が、最近死んだ事実を告げる。しかもその遺体はなぜか「微笑んでいた」というのだった。
ところで、アーモンドの木は、「アロンの杖」としても聖書に登場する(民数記17章)。
イスラエルの民の中に起こった祭司職に関する論争において各部族の中でアロンの杖だけが、芽をふき花をつけ実がなるという現象が起こった。
この現象によってアロンこそが神が選ばれた特別な祭司であることが立証されたのである。
さらに「出エジプト」の出来事で、モーセがエジプトのパロに面会にいった時、叔父にあたるアロンがつきそうが、アロンが持っていた杖が「アーモンドの木」であったことが分かる。
その杖は、エジプトの王の前で蛇となり、エジプトの呪法師たちの杖を飲み込み、ナイル川に差し伸すと川の水がたちまち血に変り、数々災害をエジプトにもたらす。
もちろん「アーモンドの杖」自体に、そのようなことを成せる力はなく、その背後に神の働きが現れているのである。
神はイスラエルの民を、エジプトの地から約束の地へと導かれようと、つまり約束を成し遂げようと働いていたのである。
さらにアロンのの杖は、枯れたと思われた木が芽を出し、花をつけ、実をならせたいのちの「回復」もしくは「復活」の象徴である。
つまり、エレミヤが幻でみた「アーモンドの枝」が意味するものと同じである。
モーセの「出エジプト」はおよそ紀元前10世紀、エレミヤの時代の「バビロン捕囚」は紀元前6世紀なので、いずれもイスラエル民族の苦難からの解放や回復を預言したものである。
そして「救世主」の到来は、イザヤによって次のように預言されている。
「エッサイの株から一つの芽がで、その根からひとつの若枝が生えて実を結び、その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である」(イザヤ書11章)。
この預言はイエス・キリストの系図(マタイ福音書1章)と合致しており、イエス生誕より約7C前のイザヤによって預言されていたのである。
ちなみにアーモンドの枝(アロンの杖)は、「十戒」の石版、荒野でイスラエルを養った「マナ」を収めた壷とともに、「三種の神器」として、イスラエルの「契約の箱」に収められている。