エキセントリック

現在、大学の学科がかつて「教養学科」というのがあったが、今や「リベラルアーツ」とよばれつつある。
「リベラルアーツ」の源流は古代ギリシアにさかのぼり、ローマ時代末期には自由七科(文法・修辞学・弁証法・算術・天文学・音楽・幾何学)として定義された。
13世紀の中世ヨーロッパで大学が誕生した際、自由七科をもとにリベラルアーツ教育が開始した。
17世紀にイギリス経由でアメリカが継承したリベラルアーツは、現在では論理的思考力と教養教育に重きを置いている。
時代を超え、学生や学問の対象は大きく変わったものの「人間としての土台を耕すための教育」という考え方は古代ギリシアと一貫している。
近年「リベラルアーツ」が注目されている理由は、社会の複雑化や変化の早さそして関連する未知領域の広がりと未来予測の立てにくさなど、ある特定の分野の専門家では対応できないことがあげられる。
つまり、明確な答えや解決策がない難問を前に必要となるのは、幅広い知識を持ち、それを柔軟に組み合わせたり、多様な観点で物事を判断・評価できる人材が求められるようになったということ。
この「リベラルアーツ」の考え方は、意外にも明治時代のベストセラー福沢諭吉著「学問のすすめ」に通じるものを感じた。なぜなら両者とも人の自主・自律を目指すものだからだ。
そもそも「学問のすすめ」はなぜそんなに売れたのか。それは、これからの時代は学問をすれば自分の境遇を変えられるという自由さに人々は大いに勇気をもらったからだ。何といっても、福沢の筆致に横溢する自由闊達な精神が一番の魅力であろう。
福沢がいう学問とは、儒学や漢学などの小難しいい本を読むことではないとして、そのうえで、そろばん、読み書きから物理、歴史など、すべてが、生きるうえで役にたつ「実学」なのだという。
それらは「道理」を見極める力につながる。
道理とは「正さ、筋道、あるべき姿を理解するということ」と述べている。
福沢は咸臨丸に同乗し米国への渡航体験をもっており、その胸には「日本には唯、政府あけて、いまだ国民あらず」という問題意識があった。
だから学問するだけで満足してはいけない。学問は社会をよくするための手段だからだ。
それぞれの立場で自由に学問し、智徳を身につける。その上で、「これは違う」「筋道が通らない」と思ったら声をあげて変える努力をしなければならない。
国家が権力をたてに圧政を始めれば、理を訴え続けろと福沢は説いたのである。
上に従う。黙っていよう。そんな態度を福沢は許さなかった。相手が国家でも闘えということだ。
そして福沢はソサイエティを「人間交際」と訳した。学問を集めた互いに平等な人間が、志を抱き縦横無尽に力を発揮する自由な社会。
福沢は「怨望」、つまり他人と比べて不満に思い、他人の不幸を願うことだが、怨望は言路をふさぎ、行動を妨げるだけのもの。それを防ぐためにも自由に交わるべきだとする。

最近、女性科学者に与えられる「猿橋賞」が与えられた人の言葉が新聞に掲載されていた。
原子物理学者の関口仁子女史は、こどもの頃に興味があったのが日本史で、平安時代の色鮮やかな着物をまとった女性達を取り巻く物語を妄想ばかりしていたという。
しかし、高校生になると自然科学に興味がわき理系志望に転換した。その理由とは「学ぶうちに物理が一番未解明なことが多くてエキセントリックな学問だと感じた」という。
「エキセントリック」に近い日本語は「風変り/面妖な」ぐらいだが、物理学が「エキセントリック」とはいいえて妙だ。
個人的に日本史と物理学は、とても風変りな学問という点で似ていると思っていたからだ。
「物理」に関してい言えば、我々が日常体験とかけ離れた世界に踏み込むこと。例えばモノの速度が早くなれば重くなるとか縮小するとか、ごく微小な粒でも光速の二乗にあたるエネルギーを秘めているとか、重力によって時空が曲がるとかいう世界だからである。
一方、日本史においては因果関係を探ろうにも、「言霊」とか「浄め」とか「怨霊」とかいった、日本人独特の不可思議に入りこまないと理解できないことが少なくないからからだ。
平安時代の白川法皇に「我が意にかなわぬものは、賀茂川の水、山法師、双六のサイの目」という有名な言葉がある。
比叡山の(山法師)僧兵が神輿を担って街に繰り出すと、人々は「神威」をおそれて自宅から出られなくなって社会が機能停止に陥ったりする。
また日本人の責任の取り方の異様さをしめすのが昭和の「虎の門事件」である。
昭和天皇は皇太子時代の1923年、虎ノ門において狙撃され、幸い銃弾がそれて助かった事件である。
その狙撃犯は24才の難波大助という人物であったが、衆議院議員の父をもつ。
父・難波作之進は報を受けるやただちに辞表を提出し、閉門の様式に従って自宅の門を青竹で結び家の一室に蟄居し餓死自殺。
長兄は勤めていた鉱業会社を退職した。
また、当日の警視総監湯浅倉平と警視庁警務部長、さらには現場で警備の指揮をとっていた正力松太郎は責任をとって辞職している。(その後、読売新聞へ)
ここまではありそうな責任の取りかたなのだが、それに留まらなかった。
難波の出身地であった山口県の県知事に対して2ヶ月間の減俸がなされ、途中難波が立ち寄った京都府府知事は譴責処分となっている。
そして、当時の内閣総理大臣山本権兵衛は総辞職したのである。
そればかりか、難波の郷里の全ての村々は正月行事を取り止め喪に服し、難波が卒業した小学校の校長と担任は教育責任を取り辞職している。
改めていうが、皇太子は一応無事であった。
こういう広がり方は、単に「責任をとる」という言葉では充分ではない気がする。
個人的な印象をいえば、天皇は当時「現人神」とされた時代だから、天皇(摂政)が狙撃されたという事態につき、なにか大掛かりな「きよめ」を行っているような感じさえ受けるのだ。
それは日本人の深層にあることで明確に言語化できないが、虎ノ門事件の責任の負い方をみると、当日に警備を担当した警視庁関係者を除いて、「職務」について責任を問われたのではないことは明らかである。
彼ら以外の人々は、職務よりも「立場」の責任を問われたといった方が適当であろう。

冒頭に紹介した関口仁子女史のような理系女子を日本史に探すと、まず浮かぶのが「枕草子」の清少納言。あのような明晰な文章は、どちらかといえば理系女子(りけじょ)なのではないかと思う。
さらに、宇治拾遺物語には「虫めでる姫」という真性の「りけじょ」が登場する。
高校の頃、人知れず日本の古典にみつけた「理系姫君」のファンになったことがある。
それは、堤大納言物語に登場する「虫めでる姫」で、同調圧力を超越した彼女につき、現代語訳では次のように描かれている。
「いろいろ不気味な虫を捕まえては"これが成虫になる様子を見るのよ"と、様々な虫をかごにお入れになっています。
特に、毛虫が思慮深げにしているのが可愛らしい、とのことで、明け暮れ髪を耳にかけて、毛虫を手のひらの上に這わせてじっと見つめておられるのです。
若い女房達は怖がって大騒ぎするので、男の童で怖がったりしない取るに足らない低い身分の者を召し集めて使っています。
箱の中の虫を取り出させ、名を調べ、新しく見つけた虫には名前をつけて、面白がっているのですよ。
”人間はすべてありのままがいいのよ。取り繕ったりするのって良くないわ”と言って、眉毛を抜いたりなさいません。
お歯黒なんかも”うっとうしいわ。きたならしいし”という事でお付けにならないのです。
白い歯を見せて笑いながら、この虫たちを朝な夕なに愛しなさいます」。
さらにこの姫君、「人間たるもの、誠実で物事の本質を見極めようとする者こそ心ばえも立派」などと、平安時代にも理系女子がちゃんと存在したことをうかがわせる発言をする。
ときどきは、「かたつぶりのぉ~、角の争そふやぁ~、なぞぉ~」などと吟唱したりもするさが、そんなエキセントリックな彼女に心を寄せる貴族が現れる。
この貴族は「はふはふも君があたりにしたがはむ 長き心の限りなき身は」(這いながらも貴女のおそばによりそっていようと思いますよ)という洒落のきいた愛の告白をするのである。
また近年、ハーバード大学を「熱」くさせている「日本史」を講義する日本人女性がいる。
42歳の歴史学者、北川智子女史で、もともとは理系女子だったがカナダの大学ではじめて「日本史」と出会った。
ちょうど冒頭で紹介した関口仁子女史とは真逆で、物理系から日本史へと方向転換した。
北川は、1980年福岡県生まれで、福岡の進学校・明善高校を卒業した。
北川がカナダの大学に留学したのは、高校時代にホームステイしたとき、「景色の素晴らしさ」に感激して、ココで学びたいと思ったからだそうだ。
高校時代は「理数系」で、大学では当初数学とライフ・サイエンスなどを学んでいた。
しかし、アルバイトで日本史の教授のリサーチ・アシスタントをしたことが転機となった。
仕事の中身は、過去の人が書いた日記などの史料と、学者の論文の研究テーマを黙々と読むことであった。
両方を読み比べるうちに、だんだん歴史研究の中に何かが抜けているような漠然とした思いを抱いた。
その「思い」を教授に伝えたところ、大学院で研究してみないかと誘われて、日本史の研究に転じた。
そして、大学院に進学する前の夏休みに、たまたま参加した「ハーバード大学のサマーセミナー」が、大きな収穫となった。
カナダのブリティッシュ・コロンビア大学に留学し、同大学院でアジア研究の修士課程を修了後、プリンストン大学で博士号を取得している。
専門は日本中世史と中世数学史である。
そして、アメリカ屈指の名門・ハーバード大学で、受講生がたった2人という不人気講座「日本史」を、就任2年目にして100人以上の学生を集め、さらに3年目には250人を超える「白熱教室」に押し上げたのだという。
2012年7月からは、英国ニーダム研究所を研究・執筆の拠点とし、講演や講義で世界中をめぐっている。
北川の「授業スタイル」は日本でも有名なハーバード大学・サンデル教授のような「ディベート型」ではない。
北川の場合は、独特な「アクティブラーニング型」を実践するクラスを築いた。
例えば中世の京都について学ぶクラスなら、16世紀日本に渡来してきたヨーロッパの宣教師たちの「書簡」を読んでのグループ・プレゼンテーションを行う。
また、秀吉の外交政策や天正遣欧少年使節団としてヴァリニャーノが派遣した少年4人組の外交・見聞に関する2分間の「ラジオ番組の制作」を課題とするようなアクティブなもの。
ほかにもラップダンスで行うプレゼンテーションや、「映画制作」などを通して学んだ内容を自ら「表現する」など、ユニークさ満載である。
こうしたクラスを可能にしているのは、北川のもともとの得意分野であるITを積極的に取り入れることへの抵抗感のなさにあるのではなかろうか。
そして、北川さんの思いの根本は、学生たちに歴史を学ぶことで普遍的なものを学んで欲しいというものである。
実際、アメリカの大学で「日本史」を学ぶことは、それほどメリットがあることではない。
だからこそ、北川が歴史を学ぶ要諦は、「普遍的なもの」を意識することだと考えている。
それは、出来事の中に「歴史的な意義」を見出すことといってもよい。
そして「時代」の雰囲気をつかみとり、それを自分なりの表現をすることが、理解を深める手助けとなると語っている。
ハーバードの学生たちが選ぶ「ティーチング・アワード」を3年連続で受賞し、時折の和服姿はベストドレッサー賞にも輝いている。

アメリカのイェール大学准教授の成田裕輔は、ソニー、ZOZOタウン、ヤフーなど名だたる企業が話を聞きたがる人物として注目されている。
データサイエンティストとして我々の思い込みを崩し、混迷の時代の未来予測力が高く評価される。
その成田が最近TV出演して「今でしょ」の林修先生との対談に登場していた。
林先生が、成田が東大経済学部在学中に「大内兵衛賞」をとったことを賞賛すると、成田は自分について「人から評価されるのが、そんなにうれしくないタイプ。人から嫌われる、人から興味をもたれないくらいじゃないとすごい新しいことをやっているように思えない。人から理解されるような、人から褒められるようなことをやってちゃいけない」と思うタイプなのだという。
そんな成田は、学校教育をまともに受けていない、不登校児だった。
当時は4人家族で家庭環境は年々悪化の一途をたどり、成田が高校生のとき ついに家庭が崩壊する。
高校卒業するぐらいのとき父親が失踪、蒸発してしまう。「新しい人生を」とひとことふた言のこして。
家では、いつも母親はいつも泣き叫んでいて、やがて母親がくも膜下で倒れ、家が自己破産した。
成田にとって、そこからの逆転人生は 日本の受験システムのおかげだった。
成田からみて日本の入試は「公平な仕組み」を担保しているので、多様な人材を選別できる点でなかなかよいシステムである。
ただ、特定の能力(例えば事務能力の高いホワイトワーカー)を計るものなので、客観性・公平性を担保しつつ、様々なスキル・能力をはかるかように多軸化していくことが重要である。
日本でもアメリカを真似たAO入試(総合型)が導入されたが、そこには落とし穴があり、実際は多様性に貢献していないという。
成績もよいスポーツもでできるすべての基準を全部制覇したようなパーフェクトな人を創る。
多様な軸といいながら、実は「金太郎飴」のようなパーフェクトな人をつくる。
また格差が広がるのはそう悪くはない。ある意味、格差を生み出すことは難しいことで、格差は新しいビジネスが起きる場面だからだ。
その場面で、一部の企業家や投資家に集まる。
それに比べると日本は、日本は新しい産業を生み出せない、新しい富も生み出せず、データでみるかぎり「一億総貧困化」が起きている。
当面、稼ぎまくって納税しまくる人を作ることが先決。一時的に格差を作り出して富を蓄積できる人を増やす。中途半端に弱者を助けようとか、分配とか格差を強調しすぎると、それによってみんな貧しくなる。
成田によれば、日本人は間違った向上心がしみついているという。仕事や肩書を手にれた時に、それを離すまいという強い心がある。
子供の頃から沁みつけられたものであり、そこからどう自由になるか。そこで自分と違う業界の人とか、自分と全然違う世代の人とか関わってみる経験が大切。
キラキラしている人を「手本」にどう近づこうにも、所詮は自分以外にはなれない。
むしろ自分は違う存在なんだいうことを認めて、それを人にむかってどう叫んだり表現したりするかが大事。
そんな自分の個性をつきつめると「変な人」になれます、と、○-□の眼鏡で語った。

自然科学者の中には、ただ単に宇宙のしくみを知りたい、生命の神秘を探りたいという一心で学問にのぞんでいたのではなかろうか。
その租といわれるのがアリストテレスで、今の科学では間違っているものはおおいものの、アリストレスのすごさは人類にありゃゆる分野で「設問」を設定したその広がりに あるのではなかろうか。
古代より自然科学者達は、はじめは自然という機械の精巧さに驚き、その製作者である神をたたえ、神の意図を知るために、自然を研究したのである。
ガリレイの有名な言葉に「宇宙は数学という言語で描かれている」というものがある。
ニュートンも、自然が一定の法則に従って運動すると考えて、その法則を発見しようとした。
ちょうど、幼児が玩具の仕組みを知りたがるようなもので、これを「機械論的自然観」とよぶ。
自然科学が自然をめでる態度がいつごろから「自然を支配する」という目的に転じたのだろうか。
そして今日、人間はこんなことまでやり始めたのかという思いにかられることがある。それは、自然をめでる態度とは明らかに違う方向にある。
実際に、人間はここまでやるかという処にきている。
イタリアの作家カルロ・コッローディの児童文学作品。1883年に最初の本が出版された。当時の社会を風刺した物語だそうです。
ピノキオとはおじいさんがつくった木の操り人形ですが彼は、ウソをつくと鼻が伸びます。
さてイタリアではウソには2つの種類があるそうです。
1)足が短くなるウソ、2)鼻が伸びるウソ。
足が短くなるというのはウソをつくと自分が願望が叶いにくく遠くに行けなくなるからだそうで遠くとは夢を叶える未来のことだと思います。
要するに日頃から適当な事を言って信頼のない周りの人の協力が得られない人は何も完成できないという事です。
さてもう一つの鼻が伸びるウソはイタリア人はイタリア鼻と言ってもともと鼻が高いので余計目立ちます。
顔の熱があがって鼻がかゆくなることがあるらしい。日本でも鼻をかくくせがあった。
近畿キッズの「ガラスの少年」では「嘘をつくとき、」とか「たばこの吸い方で、あなたの嘘がわかるのよ」とかいう歌詞がある。
とするならば、何らかの汚職事件が起こると、その責任の追求はかなり広範囲に及ぶ。
松本清張のドラマ「中央流砂」に、ある汚職事件で上役が部下である事件のキ-マンを訪れ「家族の面倒は我々がしっかり見るから心配しないでよろしい」と暗に自殺をほのめかす場面があった。
こんなことが本当に起きているのではないかと思うほどに、特に戦後の疑獄事件では必ずといっていいほど、自殺か他殺か判別しがたい死亡事件が起きている。
これは、汚職事件に直接関わらずとも、上層部の広範な懲戒や降格などが起きる可能性がある。
仮に、強硬な形で累を断ち切るのが無理なら、事件の真相追及を長引かせ自然消滅にもちこんでしまうこともよくあることである。

また時々、授業に着物姿で現れる北川さんだけに、「ベスト・ドレッサー賞」も受賞している。