国会軽視と事前審査

最近、政治の世界で「国会軽視」ということがよくいわれる。政府が重大事項を決め、国会で議論されることもなく、次々と決めたことを実施するからだ。
安倍首相の国葬においても、政府は内閣設置法4条の「国の儀式ならびに内閣の行う儀式及び行事に関する事務」を根拠に国葬を行った。
ただ、正式な「国葬」に関わる規定はなく、厳密には「国葬儀」が行われたのである。
国葬儀に16億円もの税金が使われ、エリザベス女王の国葬の費用13億円を凌いでいる。
そのカネを、統一教会の被害者の救済にあてよ、と思った人も多いであろう。
当然ながら「財政民主主義」の観点から問題を含む。
そもそも国葬の発議者は岸田首相で、党内基盤の弱い岸田氏が、安倍派(保守派)に忖度したというのが真相のようだ。
蓋をあけて(閉めて?)わかったことは、国民の思いをひとつにするはずの国葬とは程遠く、逆に分断を意識させられた。
テロによる元首相の死亡を悼む思いはかなりの国民をもったにちがいない。それなら国会周辺に献花台をもうけ、内閣葬で済ませれば、反対もでなかったであろう。
安倍元首相の国葬は戦後二例目だが、「戦後初」の吉田茂首相の国葬のように、在任中の業績がある程度「客観視」出来るくらいの時間の経過が必要で、統一教会との関係が議論されている当事者のひとりの国葬とあっては、平穏に故人をおくるなどは出来るはずもない。
思い出すのは、佐藤栄作首相が「沖縄返還で太平洋の安全に貢献したという理由」で「ノーベル平和賞」(1974年)を受賞したが、2002年には「沖縄返還」には密約があったことが発覚した。
佐藤栄作首相のノーベル平和賞受賞について国民が心底からその栄誉を讃えないのは、そうした経緯があったからだ。
ところで「国会で問うべきこと」と「内閣の一存で決められる」ことの一線であるが、ある行政行為が「法律の制定」もしくは「法律の改正」を伴うか否かがポイントである。
1995年に、国連の要請で自衛隊を海外に派遣する際には、国会で「PKO法案」というものができた。野党が「牛歩戦術」で抵抗したのは記憶にあたらしい。
それに対して2002年に、安倍内閣が閣議で自衛隊で「集団的自衛権」を認めたことは一応「解釈改憲」にとどまっており、法改正はともなわないので「閣議決定」で押し切ったのである。
ただし、「集団的自衛権」の容認は、憲法9条の定める「自衛権」を逸脱しているという「違憲訴訟」は各地で起きている。
安倍元首相「国葬」についても「違憲訴訟」が起きる可能性があるが、せいぜい地方裁で違憲判決が出たとしても、最高裁では大概、合憲とか憲法判断をさけるというのが慣例化している。
学校で「三権分立」を標語のように学んでいるが、実態は三権は融合している。
立法権を握る国会が行政権を握る内閣を組織し、内閣が最高裁判所裁判官を差配する。
したがってその実態は国会の多数派(与党)による党派的な"勝者総取り"の仕組みなのだ。
そもそも”議院内閣制”というのは国会と内閣の部分的融合であるし、司法のトップである最高裁裁判官は内閣が作った名簿から選ぶので、内閣の意向に沿う判決しか出さない仕組みとなっている。
ただこのことを"司法権の独立"を侵すものとみなさないようだ。何しろ裁判所の最高裁裁判官は、国民が直接選ぶわけではないので民主的な基盤をもたない。
したがって、最高裁の裁判官が国会の多数派を基盤にした内閣が”人事に一定の選択枠を設けるカタチで”民主的な基盤”を提供するということなのだろう。
何しろ日本は55年以来の自民党政権下で、最高裁まで昇り詰めるような裁判官なら、ほぼ”自民党寄り”の判決しか出さないのは自然であり、デリケートな問題は最高裁の判事と近似したスタッフで構成する「内閣法制局」にはかっているので、重要事項を「閣議決定のみ」でもイケルという判断があるのであろう。

最近の「国会軽視」として一番気になることは、安倍政権の時代に、国会議員の要請にもかかわらず、「臨時国会」が開かれないことである。
憲法は「内閣の助言と承認により、天皇が国会を召集する」と定めている(7条2号)。同条から国会の召集権限は内閣にあるとされている。
したがって臨時国会の召集権限は内閣にあるが、「いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣はその召集を決定しなければならない」(53条後段)とされている。
それにもかかわらず安倍内閣は過去に2度までも臨時国会の召集を放置している。
1度目は結局召集せず、2度目は遅れて召集したものの、極度に悪しく映ったのは「冒頭解散」である。
森友・加計学園問題を追及するため、憲法が定める4分の1を超える国会議員が臨時国会の召集を要求したが、当時の安倍内閣がなかなか召集しなかった。
約3か月後にようやく召集したが、冒頭で衆議院を解散したことである。
ここまで「不誠実」な対応は見たことがない。
臨時国会の開催については「○日以内」にというような期限が定められているわけではなく、官僚たちも政治家が質疑に応じるための「想定質問答弁集」の作成に膨大なエネルギーを注いでいる。
森友・加計の問題の追及について、官僚たちの「想定質問答弁集」作りがが行き詰ったのか、冒頭解散だったのではないかと、勝手に推測をしている。
臨時国会を開かれなかったことについては、立憲民主党の議員により「憲法違反」という訴えがなされた。
しかし東京地方裁判所は、違憲かどうかは判断せず訴えを退けた。
その理由は、「臨時国会の召集は、内閣の政治的な判断に委ねられるべき」で司法審査になじまないという理由で「憲法判断」を回避した。
立憲民主党の議員は代理人の弁護士を通じて「憲法判断を避け、司法の役割を放棄した判決だ。内閣に対しておとがめすらせず、内閣による独裁国家でいいと裁判所が認めてしまった」と批判し、控訴したことを明らかにした。
一方、加藤官房長官は記者会見で「平成29年における臨時国会の召集に関しては、予算編成に向けた作業の期間、北朝鮮情勢が緊迫する中での外交日程など、内閣として、諸般の事情を勘案しつつ、適正に判断したものと承知している」と述べている。
つまり、自民党は国会召集は「高度に政治性のある国家行為」であるため、裁判所がどうこういう筋合いのものではないというわけだ。
実際に、国の存立や安全に関わる「統治行為」は裁判所での判断になじまず、国会で決めるべきだという判例がある。
最高裁は、自衛隊の設置や安全保障条約は、そうした「統治行為」にあたるとして憲法判断を避けたのである。
さすがに安倍内閣は、臨時国会の召集を「統治行為」とはいわないまでも、「高度な政治判断」なので司法審査になじまないという主張をしている。
こうした自民党の主張には、過去においても聞き覚えがある。
それは、1950年代の「造船疑惑」の渦中にあった議員に対して、検察の捜査にストップがかかった出来事である。具体的には、法務大臣の「指揮権発動」という形で現れた。
検察は、起訴の権限を独占するがゆえ、暴走することは大いにあることだ。そこで、民主的基盤をもつ法務大臣が検事総長を指揮する権限をもたせたのが指揮権発動である。
これは検察に対するシビリアンコントロールとみてもよいが、指揮権発動が、検察権力から国民を守るより、政権保持のための”暴挙”に映ったのが、この時の「指揮権発動」である。
さて造船疑獄は次のような経緯を辿った。1954年、ある有名な高利貸しより日本特殊産業社長についての告発が東京地検特捜部にあった。
調査したところ日本特殊産業が山下汽船や日本海運などから多額の不正融資をうけていることが判明。
さらに日本特殊産業というのは実態のない会社であることも判明し、特別背任の疑いが強くなった。
さらに調査の過程で、山下汽船の幹部宅から、多数の政治家に対する贈賄ないし政治献金の明細を書いたと思われる暗号メモが見つかった。
検察により取調べをうけたのは後の首相になる池田勇人や佐藤栄作で、いわば「吉田学校」の生徒。
この事件が政界への広がりを見せた時に、当時の法務大臣の「指揮権発動」により検察の捜査にストップがかかってしまう。
当時の犬養健法相は、指揮権発動の理由を「事件の法律的性格と重要法案の審議に鑑みて」という抽象的な説明に終始したが、これぞまさに「高度な政治判断」といえる。
ここで「事件の法律的性格」というのは、海運会社や造船関係団体からのお金が佐藤栄作個人の私腹をこやすためではなく、党の資金となっており、幹事長の立場から資金集めの役割を果たすのは慣例でもあり、佐藤自身の収賄を立件をすることが困難であったことである。
佐藤幹事長は結局、寄付の届出をしなかった政治資金規正法違反で起訴されたが、1956年の国連加盟の大赦令により免訴となっている。
なお「重要法案の審議に鑑みて」というのは、アメリカの”再軍備"要請で生まれた「自衛隊設置法」と「防衛庁設置法」を指すもので、これらはその後成立し、自衛隊が設置されることになる。
実は、この第5次吉田内閣は、防衛二法ばかりではなく、教育ニ法、MSA協定、新警察法などの強行採決、警官隊導入による会期延長など強権内閣を絵に描いたような内閣で、戦後日本の「逆コ-ス」を示す分岐点であり、吉田内閣崩壊をくい止めんとするための「指揮権発動」があったといえる。
つまり、日米間の安全保障や自衛隊設置法という重大事案が差し迫っており、ここで内閣をつぶすわけにはいかないという「高度な政治判断」がなされたのである。
ともあれ、法務大臣の一声で汚職捜査をストップできる「指揮権発動」なる権力の横暴に対する不信が渦巻いていった。
なぜなら、「指揮権発動」は法務大臣が行使したにせよ、吉田茂首相の意を戴したものであることは明らかで、結果として吉田首相退任の大きな原因となる。
戦後初の国葬は吉田茂首相の死にともなっておこなわれた。首相の在任期間からは時間が経過して行われたが、「国葬反対」の声も少なくはなかった。
その大きな理由は、国民の目には横暴でしかなかった「指揮権発動」への不信が大きかったといえよう。

日本の政策形成過程では、官僚および官僚機構が政策形成や政治において、主要かつ重要な役割を果たしている。
逆にいうと、官僚でないか官僚経験のない人材が、政策や法案をつくったり、それらの作成に関わることは非常に難しい仕組みになってしまっている。
官僚の使う専門用語やノウハウを熟知するか、官僚を使いこなす実力者でないと政策は作られない。
近代国家において、官僚機構が大きな力を持ってきているのは、日本だけではない。しかし、日本政治の特異性を最もよくもの語るのが、与党(自民党)が「事前審査制」をとっていることである。
日本の法案の大半は、「内閣提出法案」であるが、その党内における審議や審査のプロセスでは、官僚が与党の政策を審議する会合に参加し、法案の作成や修正および説明、裏での調整など法案作成のかなり多くの部分を引き受けている。
「議員立法」の場合は、議員や他の人材がもっと主体的に動き、衆参の法制局などの立法補佐機関がサポートするものの、官僚機構と比較すると、それらの補佐機関はかなり脆弱で消極的である。
ところで自民党には、「政務調査会長」をトップとする「政務調査会」があり17の「部会」に分かれている。
自民党が与党である場合、政府与党として提出する法案は必ずこの「部会」を通る。
「部会」は全会一致が原則であり、様々な利害関係を持った自民党の議員がはげしい議論を行う。
この部会において承認された法案は自民党内の議決機関である「総務会」に付託され、自民党として正式に承認する。
このように党内で徹底的に議論し、異論も含め党内で合意形成を行うことで「自民党が合意した法案」として党議拘束がかけられ、全員が賛成することになっている。
「党議拘束」に違反した造反者には、党除名などの処罰がくだされる。
「政務調査会長」が自民党の「三役」に数えられ、幹事長・総務会長に並ぶ重要な役職と捉えられているのは、務調査会のなかの「部会」が非常に重要な意味を持つからである。
こうした「事前審査制」には様々な問題があるが、最大の問題は、法案決定のプロセスが国民から見えないものになってしまうことである。
こうした根回しのききすぎた情況にあって、与党からの内閣への質疑がほとんど形式的になるのは当然といえば当然である。
つまり法案等の不備を与党議員が国会の質問でついたり、国会での常任委員会での審議を踏まえて、与党が単独修正したり、政府が修正したりするといったことはほとんどない。
なにしろ、野党がそうした法案に反対するにせよ、過半数を割っていては修正にもちこむことさえ難しいので、「廃案」にもちこむための日程闘争が主な戦術となる。
菅政権では、野党の質問時間を減らそうというルールまで作ろうとしている。
もちろん野党が存在意義を発揮した場面もあった。
2020年の検察庁法改正や翌年の出入国管理法改正案は、国会における野党の追及によって問題が広く知れ渡ったようなケースもある。
しかし一般的な国会討論のイメージは、質疑応答でも「論点ずらし」や政策とは関係ない証拠の乏しい疑惑や揚げ足取りかり目だっている。
こんな雰囲気自体が「国会軽視」に繋がっているのではなかろうか。
それとも、なんでも自分たちできめたことは邪魔されたくないから、国会をできるだけ意味ある場にはしたくないのであろうか。
与党議員の中にも様々な意見もあるにちがいないが、「事前審査制→党議拘束」では、政治家個人としての意見が自由にだせない。
「参議院が良識の府」というのならば、党議拘束を外すなどすれば、参議院は存在意義を発揮できるにちがいない。
かつて尾崎咢堂が「我が国には表決堂ありて議事堂なし」の言葉通り、国会は議論の場ではなく採決の場でしかない。つまり、国会は「多数決の場」と化しているということである。
日本の国会は、イギリスのような「本会議中心主義」ではなく、「委員会中心主義」なので、厚生労働委員会、国土交通委員会、建設委員会などの委員会には各政党ごとの獲得票に応じて議長や議員が割り振られており、参考人をよぶなどして議論はなされてはいる。
しかし、前述のように日本政治の政策決定の主要な場が自民党の政務調査会の「部会」なのである。
しかも、それは国民からはブラックボックスである。
国会で本来期待されることは「討論と説得」で政策の決定プロセスが国民にもオープンであることだ。
しかし、日本社会は公的な場での対立を好まない傾向がある。
公的な場ではあくまでも「全員一致」にもちこみたい。そこで根回しするためのインフォーマルな制度が「事前審査」である。
その結果、日本の国会では、ダイアローグにみせかけた、モノローグが繰り広げられることになる。