聖書の言葉から(イエスの名によって)

16Cマルチン・ルターは、贖宥状(免罪符)を販売するなど、カトリック教会の堕落について95項目にわたる 質問状をヴィテンベルク教会の扉に貼りだした。
いわゆる宗教改革の始まりであるが、救いは教会の権威ではなく個人の信仰に基づくと、「聖書中心主義」を説いた。
いわば「原点回帰」だが、そのルター派をもってしても、カトリックの土台から離れることができなかったことがある。
それは一言でいうと、「三位一体」。もっともわかりやすいのは「父と子と聖霊の名」による洗礼である。
洗礼が「何の名」でなされるかということは、単なる「事務的・形式的」な問題ではなく、信仰全体に関わる「神観」の問題なのである。
ローマ・カトリック教会は、325年ニケーア公会議で、父なる神、子なる神、聖霊なる神よりなる「三位一体」を正当な教義とした。したがって洗礼は「父と子と聖霊」の名で行われて、ルター派(もしくは福音派)といえどもそれを踏襲して洗礼が行われている。
しかし、この場合「父と子と聖霊の名」とは具体的に何なのか、全く明らかではない。
いいかえると「神の名」不詳のまま洗礼を行っているということである。
原点たる新約聖書「使徒行伝」をみると、イエスの直接の弟子達は、そのように洗礼を行わなかったのである。
「使徒行伝」のどこをみても、使徒達は「イエスの名」によって洗礼を行っている。
そのなかの具体例を3か所だけあげよう。
まずは、エルサレムで初代教会が設立されてまもなく、ペテロが3000人の聴衆を前に説教した時のことである。
「人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、『兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか』と言った。すると、ペテロが答えた、『悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、"イエス・キリストの名"によって、バプテスマ(洗礼)を受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう』と答えた」(使徒行伝4章)。
また、長く患った病を癒された男についてペテロは、次のように証している。
「この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人"イエス・キリストの御名"によるのである。
このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」(使徒行伝8章)。
さらに、ペテロとヨハネが、サマリアに伝道に行った時のことが、次のように書いてある。
「ふたりはサマリヤに下って行って、みんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った。 それは、彼らはただ”主イエスの名”によってバプテスマ(洗礼)を受けていただけで、聖霊はまだだれにも下っていなかったからである。そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた」(使徒行伝8章)。
以上の三箇所をみても、洗礼は「イエス・キリストの名」によって行われていることが明白である。
ただ聖書にはただ一箇所のみ「父と子と聖霊の名によって洗礼を授けよ」と書いてある箇所がある。
それは、イエスが復活の後に、自殺したユダを除く11人の弟子に自らの姿を現した場面である。
「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、”父と子と聖霊との名”によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイによる福音書28章)。
ここに確かに、「”父と子と聖霊の名”によってバプテスマ(洗礼)を施し」とある。
しかし、英語の聖書でこの箇所「父と子と聖霊の名」を確認すると、「名」の部分が複数ではなく、単数の「name」なのである。
すると、上記の「使徒行伝」でなされた「イエスの名」と、「父と子と聖霊の名」は全く等しいということになり、「父と子と聖霊の名」とは、すなわち「イエス」ということ以外にはないのである。
つまり、聖書から導かれた結論は、父の名も、子の名も、聖霊の名も、イエスということになり、カトリックの正当な教え「父なる神=ヤハウェ、子なる神=イエス、聖霊なる神」、そしてまるでマリアが「母なる神」のような信仰の対象となっている神観とは大きく違っている。
つまり、西欧で形成されたキリスト教は、パレスチナで生まれた「唯一神信仰」とは違って、かなり「多神教」的な傾向をもつものであることがわかる。
個人的なことをいえば、学生時代にキリスト教を学んで、イエスを「わが主よ」といいながら、なお天に神がいるという「分裂感」をぬぐえなかった。
もっと差し迫った問題は、「何」に祈るかということである。
「三位一体」において、神(ヤハゥエ)も神の子(イエス)も、「一体」といっても、その一体のありようはブラックボックスなのである。
旧約聖書では、人々が神に祈りを成す時に、「我が主(アドナイ)」と詠っていて、神の名をあげることはほとんどなかった。
「詩篇」は148篇にもおよぶが、その中で「ヤハウェ」の名をあげて祈る(訴える)ということは少ない。
例えば、もっとも有名なダビデ作の「23篇」は次のとおりである。
「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、 わたしのこうべに油をそそがれる。
わたしの杯はあふれます。わたしの生きているかぎりは 必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう」。
ではなぜ「神の名」をよぶことをしなかったのか。それは、次のような言葉から推測できる。
「あなたは、あなたの神、ヤハウェの名を、みだりに唱えてはならない。ヤハウェは、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう」(出エジプト記20章)。
イスラエルの人々は、まるで忌み名のような「ヤハウェ」の名を呼ぶことはせず、「主」を意味する「アドナイ」という、代わりの呼び名を用いていたということである。
とはいえ、新約聖書でキリスト教信者は「主イエス」というよびかけや、「イエスの名によって」という言葉を、むしろ積極的に使っていて、「主ヤハウェ」という呼び方は一切ないのである。
そもそも、イスラエルの信者はモーセの時代にはじめて、神の名が「ヤハウェ」であることを知ったのである。
イスラエルが「ヤハウェ」の名を知った出来事は、次のとおりである。
モーセは、エジプトのプリンスとして育てられるが、自らの出自がイスラエル人であることを知り、奴隷として同胞と生きる決意をする。
しかし、誤まって人を殺しミデアンの野に逃れ40年もの間、牧畜生活を送る。
しかし80歳になった頃、神の声に導かれシナイ山に登る。そして、しばの中ので火が燃えている。近づいてみると、神は言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。 わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。 いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。 さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。
モーセは神に言った「わたしは、いったい何者でしょう。わたしがパロのところへ行って、イスラエルの人々をエジプトから導き出すのでしょうか」。
神は言われた、「わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えるであろう」。
モーセは神に言った、「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」。
神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『”わたしは有る”というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。
神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。
これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である」。
ここでいう「わたしは、有って有る者」を意味する神の名が「YHWH(ヤハウェ)」である。
ところが、新約聖書になると「イエスの名」が、もはや神の名というほかはなく、「ヤハウェの名」は一切でてこない。
「神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、 彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。 そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない」(エペソ人への手紙)。
それでは、イエスが父とよんでいる存在は何なのか、神ご自身が自らを「人の子」として地上に顕れ、まったく人と等しくなって、天の父を拝したという「神秘」である。
「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである」(ピリピ人への手紙)。

人間の脳は、ものごとをわけて理解しようという傾向があり、特に西欧思想は「分析」を基本とする。
東洋思想は、荘子の「万物斉同」にみるがごとく、ものごとを「統合」して考える。
荘子は、天地自然と一体となった境地を次のように語っている。
「あるうららかな春の日、わたしはいつのまにか眠り込んでしまい、夢の中で胡蝶となり、楽しく飛びまわっていた。ところが目が覚めてみると、わたしはまぎれもなく荘子であった。いったい荘子が孤蝶になったのか、それとも胡蝶が荘子になる夢をみているのか、わたしにはわからない」。
我々の常識では、胡蝶は人間ではなく、人間は胡蝶ではない。しかし、天地自然と一体となった立場からみれば、万物はすべて等しい。だから胡蝶が人間になったか、人間が胡蝶になったかは、問題ではない。
大切なのは、舞い戯れて楽しんでいる、自分の生の楽しみそのものだ、と荘子は示唆している。
こうした荘子のたとえがどれくらいあてはまるかはわからないが、イエスはご自身の本質を弟子のひとりピリポに次のように示している。
「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。 わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい」(ヨハネの福音書14章)。
前述のように「父と子と聖霊の名」の「名」は単数なので、そもそも「三位一体」というように、神格を3つに分けること自体に無理があるのではなかろうか。

最近マレーシアで盆踊りが大人気になり、イスラーム信者が多数それに参加しているのを、イスラームの教団からは盆踊りには仏教的要素があるので自粛せよという動きが出ているという。
つまり我々は、ひとつの宗教にある異教的要素を気が付かずに信仰をしているのである。
例えば、聖書の冒頭「天地創造」の秩序から生まれた「土曜安息日」を、ローマ帝国のコンスタンティヌスが「太陽崇拝の日」(SUNDAY)をキリスト教の聖日に移し、休日が週の始めになってしまった。
この点は、世界的ベストセラー「ダヴィンチ・コード」にも詳しく書いてある。
西欧のキリスト教は、自然崇拝や異教を否定する一方で、キリスト教以前から春分・夏至・秋分・冬至などで行われていた祭りを取り込み、キリスト教の祝祭に置き換えることで、人々にキリスト教信仰を浸透させた。
例えばクリスマスはイエスの誕生を祝う祭りだが、実はイエスの誕生日は聖書に記述がなく、4世紀ぐらいにもとは「冬至の祭りの日」をイエスの誕生日として祝うのである。
またイースターも、「春分の日」を基準として、イエスの復活の日として祝っているのである。
また各地の「守護聖人」などにみるように、西欧キリスト教はかなり異教と「習合」している。
ところで「ヤハウェ」の意味するところは「私は在る」。英語の聖書では「Iam who I am」で、せめて「偉大なる」ぐらいの意味合いぐらいあってもいいのに、それさえもない無色な名前である。
その意味でいうと、固有名詞というより一般名詞たる「神」と呼ぶこととあまり変わらない。
ところが「イエス」の名にはある意味づけがある。
それはイエスキリストの誕生の次第(マタイの福音書1章)に示されている。
「彼女(マリア)は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。 すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、『見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう』。これは、『神われらと共にいます』という意味である」。
実は「神われらと共にいます」という言葉は、「マタイの福音書」の最終章にある、イエスの復活後に11の弟子に語った言葉「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる」と重なる。
つまり、「神の受肉」という経綸に従って、「神の固有の名」である「イエス」が顕わにされたということではないだろうか。

ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。 ところで、新約聖書には、「御心にかなう者に神の名を示す」(ヨハネの福音書5章)とある。
しかも、その道は「狭い」ということも書いてある。
「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」(マタイの福音書7章)。