寛容と赦しのコミュニティー

人間の一生を振り返ると、人間はかなり自分と似た傾向の人々と暮らしていることに気が付く。
ある程度価値観が共有できる者と結婚し、自然と家族も似た者同士になる。
義務教育を終えると、学力で選別され、就職すると似た価値観の人々の中で暮らしている。あるいは職場の価値観に馴染もうとする。
そうすると、自分とは異なるパースペクティヴをもつひととは、出会わなくなる。
インターネットでは多様な価値観をもつ人々との出会いが期待されたが、SNSなどは結局、自分とよく似た人々 との間でやり取りをしている。
多様性を嫌う「保守」の深層とは似た者同士で安心して暮らしたいということかもしれない。
政治哲学者のハンナ・アーレントは、自分の属する何らかの「しがらみ」をすてて、多様な人々と自由な意見を交換する「活動」により、コミュニテーの共通善を目指す機会をもつことで、自分のアイデンティティを確立することが出来ると主張した。
アーレントは、アテネにおけるポリス社会をモデルとしているが、アテネの生産活動を支えていたのは奴隷であり、彼らの存在によって市民的自由を得られたのである。
最近、バーチャルの世界では、土地の売買から始まる「街づくり」ゲームというものがあるらしいが、現実の世界でアーレントのいうような「活動」はありうるのだろうか。

「平家落人(おちうど)の里」は西日本各地にあるが、そのひとつ、現在2600人が暮らす宮崎県椎葉村。人々は山の斜面を利用し焼畑農業で暮らしている。
実は、この椎葉村は当時農水省の役人であった柳田國男が”民俗学”の調査をスタートさせた”記念碑的”な村として知られる。
村に元々いた人に加え、”源氏方”・”平家方”、そして彼らが結ばれたケースなどがあることがわかった。
源氏方の先祖がいる人には「那須」姓、元々いた人や平家方の先祖がいる人々には地名からの「椎葉姓」が圧倒的に多く、村民の半数を占めるという。
1185年の壇ノ浦の戦いだが、戦に勝った後も、源頼朝は平家追討の手をゆるめなかった。
しかし山里で働く平家の姿をみて、源平双方こんな山奥で今更争っても仕方なかろう、そんなことより水良し穀物良しのこの土地で仲良く暮らそう、という気持ちになったとしても不思議ではない。
秘境の地でようやく兵士達は、背負ってきた様々な"ヨロイ"の馬鹿らしさに気づいて、それを脱ぎ捨てて、一人の自然人に戻ったと想像する。
源氏といえば鎌倉を拠点に関東一円を制した紅い「陸の王者」。一方、平氏といえば神戸を中心に瀬戸内の海賊をも配下に収めた白い「海の王者」。
こうした対照的な集団が、ひとつのコミュニティをつくりだすプロセス、アーレントのいう「活動」に近い。
さてこの土地の観光スポットが、耳川沿いにあるのが「鶴富屋敷」で、この地こそは那須大八郎と鶴富姫のラブロマンスの舞台として有名である。
二人の伝承をモチーフにした「椎葉平家まつり」は毎年11月に催され、多くの観光客が訪れている。
ところで鎌倉時代といえば、農業技術の改良で生産力がアップしたことで知られている。
これに対してある大学教授が出した仮説が興味深い。
元寇では敗走したことになっているモンゴル軍だが、元寇後に逃げ切れずそのまま住みついた人々が進んだ農業技術を日本に伝えたという説である
モンゴル軍といえば"騎馬軍団"と思いがちだが、実はモンゴルに服属した"南宋"の中国人が元軍の主力として日本にやってきていたのだ。
彼らが、日本軍と戦うモラールが高かろうはずがない。船を失い中国に帰れなくなった人々が日本に住みつき、日本人と共同して農業を営んだということは、大いにありうることだ。
戦乱を終え一人の人間に戻れば、行くあてもない人間が一人迷い込んだにすぎないのだ。
日本に受け入れられるためには彼等は進んだ農業技術を伝えたのではないか。それがなくとも、単純に労働力の増加になったかもしれない。
そのうち一人の人間としての”親近感”が芽生えたとしても不思議ではない。

2016年の米大統領選挙で、北東部マサチューセッツ州のレバレット村では8割がヒラリー・クリントンに、南東部ケンタッキー州のホワイツバーグ村では地域の8割がドナルド・トランプに票を投じた。
レバレット村は隣町の大学に勤める人が多いリベラルな村だ。
2016年の冬、トランプ氏の当選に”動転し”た住民から声が上がった。
それ以後、かえって二つの村の住民は、お互いを訪れるなどの"交流"を続けている。
レバレットに住む心理学者のポーラ・グリーンは、「彼に投票した人々のことを、私たちはもっと知らなければいけないのでは」と。
つまり交流を続ける理由は、いったい何が米国を引き裂いているのか見極めるためだという。
グリーン教授は、過去30年以上、ミャンマーやボスニア、ルワンダなど世界の紛争地で、”住民対話”で地域社会を修復させる経験を積んできた人であった。
そして人づてホワイツバーグ村との接点ができた。
ホワイツバーグは、20年ほど前まで炭鉱で栄えたが、ほとんどが閉山。人里離れた山あいに進出する産業はなく、米国の繁栄からひっそりと取り残されてきた村である。
17年の秋、ホワイツバーグ村と周辺の村々の住民11人がレバレットに招かれた。
ホワイツバーグの住民は「高学歴を笠に、上から目線で私たちを説教してくるのでは」と身構えていた。
レバレット村の住民には「トランプへの支持がいかに愚かか、頑迷な保守派に分からせたい」と意気込む人もいて、最初は双方ともぎこちなかった。
3日間の滞在の初日、あえて政治の話はせずに、それぞれの家族について語り合った。
ホワイツバーグ村の住民は、炭坑事故で命を落としたり、閉山で離散したりした親族の話をした。
レバレット村の住民の一人はナチスによるホロコーストを生き延びた両親のことを語って、一緒に涙したという。
2018年にはレバレット村の住民がホワイツバーグ村を訪れた。寂れた街並みに衝撃を受けた。
停滞から脱出しようと、すがる思いで彼らがトランプに投票したことがわかったと語った。
昨秋は再びホワイツバーグ村の住民がレバレット村へ。銃規制や妊娠中絶など、政治的なテーマも静かに語り合えるようになった。
二つの村の対話は「Hands Across the Hills(丘を越えてつながる手)」と名付けられた。今後は双方の住民が「語り部」になり、人間として認め合うノウハウを広めていくという。

中世ヨーロッパはカトリック教会が大きな勢力をもっていた。しかし、イスラム教徒もユダヤ教徒も存在していたので寛容をめぐる長い苦闘があった。
そして行き着いたのは、大きな悪を防ぐために「是認しないが、許容する」という、「寛容」を紛争を防ぐための便法としたのである。
日本人には「和の精神」が根付いているので、そんなのあたりまえと思いがちだが、西洋の場合、日本人が感じる「快/不快」のレベルではない。
それは、生き方の「根本原理」が違う人に対する「寛容さ」なのである。
カトリック教会の法学者たちは、キリスト教こそが正しくそれ以外は間違いだと確信していたが、異教徒への寛容を説いて「共存」を図ったのである。
実際、中世の「寛容」の伝統は以後も引き継がれ、キリスト教布教を口実としたスペインによる「新大陸」征服事業を批判する宣教師も少なくなかった。
1630年にイギリスからアメリカに渡ったピューリタンの神学者、ロジャー・ウィリアムズがいた。
ウィリアムズは植民地の既存勢力と衝突し、先住民の権利」を主張し、イギリス人こそ異教徒だと糾弾した。
アメリカの土地を所有しているのは先住民だ。からイギリスの国王がそれをイギリス人に分け与える権利などはない。
今でこそ「先住民の権利」ということがいわれるようになったが、日本が鎖国に入った時代に、ウィリアムズは徹底して「先住民の友」であり続けた人である。
ちなみ、日本で「アイヌ文化の保存」を訴えた松浦彦四郎の北海道探検は1870年代のことであるが、「先住民の権利」というところにはふみこんでいない。
ウィリアムズは燃えるようなピューリタンの信仰の持ち主で、だからこそ、自分と違う信仰を持った人々にも徹底して寛容を貫いた人であった。
普通は信仰心の強い人は、自分の信仰だけが正しいと思い込んでいるから不寛容になりがちだが、ウィリアムズの場合はちがった。
彼は、ユダヤ人でもイスラム教徒でも、あるいは反キリストの人でも、それでも一緒に暮らすことができるような社会を作ろうとしたのである。
やがてウィリアムズは己の理想を実現すべく「ロードアイランド植民地」を建設する。
無宗教者も含め、あらゆる宗教・宗派を受け入れたことで多くの混乱が生じたが、それでも寛容の基本線は貫いた。
それは「政教分離」を徹底したものであったといえる。
同じピューリタンでもカルバンがスイスのジュネーブで展開した「神政政治」とはなんと大きな開きであろうか。
ウイリアムズは、先住民から正式に土地の利用を認めてもらうべく、その社会に溶け込み、彼らの信頼を得て、ついには正式の契約も結んでしまう。
口先だけではなく、本気で異質な隣人への寛容を貫いていった。
ウイリアムズは、自分にとって自分の信仰が本当に大事なものだとよく分かっていたので、ほかの人にとっても、その人の信仰はその人にとってかけがえのない尊さがあるのだろうと想像できる人だった。

ネルソン・マンデラは1918年にトランスカイのクヌ村で、テンブ人の首長の子として生まれた。
少年時代には、首長から、部族社会の反英闘争の歴史や、部族の首長が持つべきリーダーシップや寛容の精神を聞いて育った。
キリスト教・メソジスト派のミッションスクールを卒業した後、フォートヘア大学に進んで法律学を学ぶが、在学中の1940年には、学生ストライキを主導したとして退学処分を受けた。
マンデラはその後、南アフリカ最大の都市ヨハネスバーグに移り住む。
1950年代、南アフリカの白人政府は、アパルトヘイト(人種隔離)政策を着々と実行していった。
人口の約7割を占めるアフリカ人を、国土の13%のホームランドに閉じ込めることが、この政策の究極の目標だった。
食い詰めてホームランドから白人地域の鉱山や工場に出稼ぎに出たアフリカ人は、参政権もなく、言論の自由もなく、土地所有権もなく、移動の自由もなく、二級市民としての扱いを受けた。
そうした世界の趨勢と逆行する戦後の動きに、アフリカ人の憤激は大衆的な広がりを見せるようになった。
そんな中、マンデラは(African National Congress:ANC)青年同盟の活動家として頭角を現す。
マンデラ達は当初は非暴力的な運動を組織したが、白人政府が一般の民衆に銃を向けるようになると、解放運動の側も武器をもたざるをえないと考えるようになる。
こうして白人政府に「テロリスト」と呼ばれるようになったマンデラは、1962年に逮捕される。
そして「リヴォニア裁判」と呼ばれる不当裁判で、マンデラは国家反逆罪で終身刑となり、ロベン島に収監された。
ロベン島は南アフリカ西岸の孤島ではあるが、マンデラはここで島の人々と交流をはかった。
その後、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監され、ここでの環境はロベン島よりもよほどよかったという。
180センチ以上の長身だったマンデラは、姿勢もよくて手も大きく、刑務所内でも、王のような風格があったという。
ここでマンデラは、石灰石採掘場での重労働によって目を痛める一方、勉学を続け、なんと1989年には南アフリカ大学の「通信制課程」を修了し、法学士号を取得する。
そして反アパルトヘイトの世論が高まり、南アフリカだけでなく世界中の人びとが、「マンデラに自由を!」を合い言葉に、彼の釈放を求めるようになった。
世界中の町で、肌の色に関係なく大勢の人々が街頭デモに繰り出し、また音楽、詩、あるいは美術で、それぞれの思いを表現するようになった。
当時、アパルトヘイトを主導し、政治の世界で最大の権限を行使していたのはアフリカーナー(とくにオランダ系白人)だった。
マンデラは、敵に近づくために彼らが話すアフリカーンス語や歴史を学び、刑務所の少佐が熱烈なラグビーファンだと知ると、ラグビーを猛勉強した。
それ以上に、相手に敬意を示しつつ、話術と笑顔でも魅了した敵を味方に変える魔法を身に着けた。
1990年2月11日、マンデラはついに釈放され、黒人は歓喜し、多くの白人は復讐を恐れた。
そんな中、マンデラは、白人にも黒人にも、武器を捨てよう、憎しみを棚上げして、投票で国を変えようと訴えたのである。
子供たちには、学校に戻って勉学に励むように求めた。
南アフリカの人種、民族集団の代表たちと徹底的に話しあい、1994年、黒人と白人の主要な政治勢力が権力を分かち合う大連立政府が樹立される。
そしてマンデラは、すべての政治勢力に信頼されて大統領に就任した。
マンデラが黒人と白人の融和を成し遂げる秘策として、マンデラはスポーツの力を信じた。
というのも彼が収監されていた間、アパルトヘイトの強化に伴い、国内外からスポーツボイコット運動による圧力をかけられていた。
1991年にアパルトヘイト関連法が撤廃され、32年ぶりに五輪に復帰した。
南アの白人男性が愛したラグビーもまた、ANCが推し進めた孤立化運動により南アを国際舞台から締め出したが、マンデラは新体制への白人の不安を緩和するため、92年11年ぶりに代表チームの「スプリングボックス」を再び世界の檜舞台に立たせた。
アパルトヘイトの象徴であるラグビーをほとんどの黒人は嫌っていたが、マンデラは、アフリカーナーにとってラグビーは宗教と同様であることを知っていた。
マンデラはラグビーによって、希望ある新国家の建設を目指すことにした。そして、ラグビーワールドカップを自国で開催する夢を実現する。
迎えた開会式の日、マンデラ大統領は前日のチーム激励の際にもらった緑のキャップをかぶってグラウンドに登場し、大歓声を浴びる。
そして6月24日、決勝進出。マンデラの長年にわたる努力と苦労は実を結んだ。
黒人も白人も、あらゆる肌の国民がスプリングボックスを応援し、ニュージーランド代表との激闘の末、南アフリカは優勝を遂げた。
表彰式においては、「背番号6」のスプリングボックスのジャージーに身を包んだマンデラが、主将のフランソワ・ピナールに栄冠を渡す。
互いに感謝の意を表し、会場は「ネルソン! ネルソン!」の大合唱。
ピナールがカップを高々と掲げ、マンデラは笑顔で拳を何度も突き上げた。スタジアムのファンだけでなく、南ア国民4300万人の応援がもたらした勝利だった。
人種間に大きな溝があった国に、「ワン・チーム、ワン・カントリー」のスローガンが躍った。
そしてマンデラは「成功するまでは、不可能に思えることがある」と"夢"の重要さを語った。
そして、大統領就任演説ではガンジーの言葉「弱い者は赦すことができない。赦しとは強い者の性質なのである」を引用して、"赦し"の大切さを訴えた。

韓国映画である「JSA」は一個の人間と、国民であることの相克を浮き立たせていた。
JSAとは「Joint Security Area(共同警備区域)」のことで、朝鮮半島を分断する板門店地域のことである。
南北の38度の国境線で互いに警備しあっている南北の兵士同士は、国は違っても同じ役割を担わされた普通の若者である。
国境線で顔を合わせ冗談などを交わしたりするうちに仲良くなり、時々互いの監視所に行っては恋人や故郷のことを話すようになっていた。
しかし、そうした兵士達のほのかな友情も、"第三者"が現場に入り込むや一転し、悲劇的な結末を迎えるというものであった。
この”第三者”とは国家をシンボライズした人物であり、個々の友情も国家が介在した時、あっけなく引き裂かれざるをえなくなる。
冷戦時代に対立していた米ソの兵士などが交歓する写真を二つ思いだした。その写真がとても印象的だったのは、米ソ冷戦が激化していた時期に見たからだったろう。
一枚はエルベ河畔の町で米ソの兵士たちが笑顔で手を握り合っているもので、米ソが連合軍としてドイツと戦っていた時期のものである。
二枚目は、米ソの人工衛星開発競争の中で米ソ宇宙飛行士が互いに抱き合うシーンである。
これは米ソの科学者が共同でドッキング装置をつくり、1955年7月17日、人工衛星が地球を回る軌道上でドッキングし、両国の宇宙飛行士は、おたがいに相手の宇宙船を訪問し合い一緒に食事をした時の写真であった。
こういう写真を見ると、人間は”個人のレベル”に還元すれば何ひとつ軍拡競争に走る必然性などどこにもないような気がしたものである。
1979年に「メテオ」という映画があった。米ソの核科学者が力を合わせて近づいてくる巨大隕石を核兵器で破壊するという映画であった。
人類が平和であるためには、人類が戦うべき”共通の課題”があればと思ったりもするが、現在は深刻さをます「地球温暖化対策」ということかもしれない。しかしこの課題に対してさえもそれぞれの”お国の事情”が優先してなかなか足並みがそろわない。
戦争でもテロでも、兵士達は相手方の人間に個人的な恨みがあるわけではない。
国民以外の共同体は、個人や家族を中心とした具体的な親密さのネットワークとして存在している。
一方、国民はこれと異なり、それを構成する個人は他の大多数のメンバーのことを知らず、間接的に知る機会すらもたず、一生会うこともない。それなのに、国民は想像の中では生々しいリアリティーがあって、深い同胞意識によって連帯し、人は時にそのために死ぬことさえもある。
アメリカ人やイスラム教徒が、相互に恐怖や敵対心を抱くのは、アメリカの政治学者ベネディト・アンダーソンのいうところの「想像の共同体」の所産であり、それを”火種”にしたり、油を注いだりするのは、為政者の”政治的な意図”が働くからでもある。
例えばトランプ大統領が、エルサレムに関するキリスト教福音派の意向を重視するなどして、自分の支持基盤に対して応えるという、きわめて”民主的な装い”の下、国を戦争に導くことさえもある。
人間はそもそも一定の「暴力性」を抱えており、イデオロギーの対立や宗教対立、民族紛争などの中に絶えず出口を求めているのだろうか。
為政者は、その出口を自身に向かわないように巧みに操作する。それが”分断”を生む最大の原因といってよい。
思い起こすのは、 日本人が連合軍に占領されていた時代に、チョコレートやガムを与える米軍兵士に群がる坊主頭の日本人の子供達の姿や街行く人々の表情がある。
あの写真を見ると、日本人が何かの"憑きもの"から解放されたような晴れやかな表情をみることができる。
日本人がそれまで一生懸命に背負ってきた物が見事に崩れて、自分の生活以外には何も背負うこともなくなった姿だ。
国家が掲げる大義、イデオロギーの非寛容、宗教的憎悪など背負い込んだ”政治化"された人間が、一個の”自然人”に戻るのは、よほど”例外的”なことなのか。

メタバースとは、インターネット上につくられた仮想空間のことである。メタ(超)とユニバース(宇宙)を融合した言葉である。
コロナの拡大で、リモートを中心とした新しい生活様式が広がったことも普及の追い風になっている。
一般にユーザーは、自分の分身として動くキャラクター「アバター」となって空間に入り、他のアバターと交流し、買い物や仕事もできる。
アバターは手元のコントローラーで動かし、他のアバターとは音声で会話することでコミュニケーションが成り立つ。
そして、現実世界とは別の新しい空間をメタバースとよぶこともあれば、現実世界と仮想空間を融合した空間を指すこともある。
2021年10月、フェイスブックが社名を「メタ」に変更、今後はメタバース分野に注力することを明らかにした。
いまやアバターがどんどん生成され、勝手に動いてネット上で稼ぐ時代が来ている。
それに近いことはすでに起きていて、インスタグラムでユーチューブでバーチャルアバターが登場して、インフルエンサーになっている。
アバターがどの個人、法人と結びついているか確定が難しいことで、課税や法の適用をしにくくなり、国家の強制力を変質させつつある。
多くの人が仮想世界の住民になるには、いまのところVRゴーグルは大きくで重いし、処理速度は遅い。
そこでパソコンやスマホで仮想世界にアクセスする人が多数である。
いつか仮想空間で過ごす時間が長くなったら、現実世界は、効率が悪く、不条理で、遅く、解像度が低く、ウイルスや事故にあったりする面倒な空間になるのではなかろうか
現実には存在しないメタバースだけにある「土地」の取引が熱を帯びているという。
それは「サンドボックス」というゲームである。世界に4000万人超の利用者がいるとされ、土地は暗号資産(仮想通貨)で売り買いする。
開発して街づくりをしたり、土地を貸して稼いだり、イベントを開いて入場料を得たりもできる。
土地はランドという単位で区分けされる。不定期で売りに出され、上限に達するとそれ以上はつくらないというきまりで、この「希少性」を生む。
暗号が資産の交換業者コインチエックが土地を売り、ザ・サンドボックスの運営会社土地を買い取り、付加価値をつけて売り出した。初めは1ランドあたり3~5万程度だったが、いまや150万円で取引されているという。
グッチやアディダスがメタバース内で土地を購入した。企業が買ったエリアは賑わいが期待され地価がはねあがる、さながら「駅前一等地」のようなものだ。
なぜ実在しない土地が取引対象になるのか、それがNFT(非代替性トークン)という技術である。
デジタル資産にハンコを押して唯一無二の本物と証明する技術。
アート作品や動画などのデジタルコンテンツがコピーや改竄されるのを防ぎ、リアルと同じように「所有」できる。
2020年は世界で280億円だったNFT取引が。21念い約4兆7000億円に成長した。
メタバースが文字通り、リアル経済の規模を超える可能性さえもでてきている。
それが、1159年平治の乱後に伊豆に流された源頼朝と伊豆の代官の娘の政子のケース。
政子の父・伊東 祐親(いとう すけちか)は、東国における親平家方豪族として平清盛からの信頼を受け、伊豆に配流された源頼朝の"監視"を任される。
しかし祐親が大番役で上洛している間に、娘の八重姫(政子)が頼朝と通じ、子・千鶴丸をもうけるまでの仲になってしまう。
祐親はこれを知って激怒し、1175年9月、平家の怒りを恐れ千鶴丸を松川に沈めて殺害、さらに頼朝自身の殺害を図った。
ところが、頼朝の乳母・比企尼の三女を妻としていた次男の祐清が頼朝に知らせ、頼朝は夜間馬に乗って熱海の伊豆山神社に逃げ込み、北条時政の館に匿われて事なきを得た。
しかし二人の結婚に、心をいためた祐親はこの前後に出家している。
1180年8月に頼朝が打倒平氏の兵を挙げると、大庭景親らと協力して石橋山の戦いにてこれを撃破する。
しかし頼朝が勢力を盛り返して坂東を制圧すると、祐親は逆に追われる身となり、富士川の戦いの後捕らえられ、娘婿の三浦義澄に預けられる。
頼朝の妻・北条政子が懐妊した機会を得て義澄による助命嘆願が功を奏し、一時は一命を赦されたが、祐親はこれを潔しとせず「以前の行いを恥じる」と言い、自害して果てた。

現在、世界中で分断が深まっている。その一つの理由は難民問題。ヨーロッパでは、難民の受け入れをめぐって対立が深まる。
例えば、東西ドイツが統一すれば、東西の差はなくなるだろうと思われていたが、最近の調査ではギャップは開くばかりだ。
統一から30年を経ても、東ドイツの住民の3分の1以上が、自分たちを「二流市民」だとしている。
そして、昨年のザクセン、ブランデンブルグ両州の州議会選挙で「極右政党」が躍進がみられた。
実は、2015年のメルケル首相による「大量の難民受け入れ」表明は、取り残されるという元東ドイツ市民の不安を煽る結果となった。
アメリカでも、見捨てられたと感じるいわゆるラストベルトの白人労働者と国境を越えてくるメキシカンの関係で同様の事態が見られる。
トランプ大統領は、白人労働者を守るために「壁」を造ると発言し、その費用はメキシコ側負担させると豪語し分断を煽っった。
実際、アメリカは「南北戦争以来」とも形容される深い分断にむしばまれているといわれる。
各々を分かつのは「意見の違い」ではなく、意見が違う相手を拒絶して”人格否定”にまで及ぼうとする態度にある。
例えば、共和党支持者の多くは"地球温暖化"の脅威を認識している。にもかかわらず、対策を打ち出したのが民主党と知るや否定的になる。
議論が始まらないうちから、共和党か民主党、親トランプか反トランプといった殻に閉じこもり、人格ごと相手を否定する構図である。
地域活動が低調になり、異なる意見を持つ他人とふれ合う機会が減った。一方、同じ考え、価値観を持つ者同士はソーシャルメディアで集まりやすくなった。
そんな中、そうした分断を乗り越えようとした二つの村がある。
ともに住民は2千人ほどで、その95%が白人だ。生活圏にはスーパーのウォルマートもハンバーガー店のマクドナルドもある。
対話の参加者に「相手の考えを変えようとするのではなく、相手がなぜそのような考えを持つに至ったかを理解しようと努めて」というルールを課した。
ハンナ・アーレントは、ユダヤ人思想家であるが、ナチス政権が台頭した際にドイツから亡命し、アメリカに移住する。
ハンナ・アーレントの最も注目すべき功績は、全体主義のもとで人々が凶悪な行いをするよう導いた動機を扱ったものである。
最もよく知られた彼女の主張のひとつは、ナチス党の多くのメンバーの多くは実は普通の人々であり、特定の状況下で許されざる行いをしたのだ、というものである。
ユダヤ人を拷問し、虐待し、殺人を犯した人の多くは悪い人たちではなかったいう主張に不快を感じ、彼女は多くの友情を失うことになった。
ハンナ・アーレントは、心理的な健康を疑問視するより、組織の中で暴力の道へと人を導いた他の要因を考えるべきだという。
アーレントの理論では、人間生活において3つの基本的な活動があります。労働、仕事、活動である。
「労働」とは、人間の体の生物学的なプロセスで、食べることと寝ること。生きるためには不可欠でなくてはならないため、自由の余地はない。活動がおわればとまる。
2つ目は「仕事」で、物や結果を生み出す活動で、構築、技術、アート、人が作り出すすべてを含む。
。 、自然をコントロールし、物を作り出すために自然の材料を利用し、 手に入れるものは恒久性があるため、仕事の結果は、生産性があり、使い切るのではなく使うために作るものである。
3つめは「活動」、人は自分という存在の上に自己を構築する。だから活動は人によって異なり、活動によって多様性が可能になり、他人に見られる違いを認識することができる。
こうやって私たちは、「活動」を行った人と他の人の間の違いに基づいて、「アイデンティティー」を得る。この活動を通してのみ個人というものが生まれ、これを通してのみ、他人との共有で個人的なものが公になる。
行動や話すことによって、人は自分が誰であるかを証明する。
これらの活動は、特定の領域で起こる。個人的な領域(生産)、社会的な領域(仕事)、公的な領域(活動)である。
公的な領域と個人的な領域の違いは、ギリシャのポリスの習慣に基づいている。
個人的な領域は家で、この領域では、生産を行い、 個人的な領域は、公的な領域の人為的なものに対する自然のスペースである。
公的な領域は、活動とコミュニケーションのスペースで、この領域では自分がどんな人間であるかを示し、これによって自分の存在が確定する。
公的なエリアは共有された世界であり、生産された物体や法律、組織、文化などの無形の物を作り出す行動によって形成されている。
この創造されたスペースによって、恒久性、安定、耐久性が行動や物体に与えられる。
活動は脆いものであるため、公的なスペースは記憶でもって安定を与える。
公的スペースには、個人の関心とはことなる市民の関心が含まれる。
しかし、この区別は別の領域、つまり社会的領域の出現で曖昧になる。
これは、資本主義経済の市場の産物で、資本主義の社会経済体制は、公的なスペースへの経済の導入である。
この公的な領域は、市民の感心によって定義され、個人の関心は公的な意味を帯びてくる。
人間には「労働」「仕事」「活動」の3つの活動力があって、それらが人間を他の動物から区別している。
しかし近代社会は「労働社会」となり、私たちが人間であり、自由となるために欠かせない「仕事」や「活動」を押しつぶそうとしている。
人間はいまや動物化の危機に直面しているのだ。
労働labor、仕事work、活動actionがその3つだ。
労働の本質は、人間の生物的側面に関係する。人間が労働するのは生命を保つために必要なものを作り出すためだ。
仕事は人間の「非自然性」に関係する。人類が存続しようと、一人ひとりの人間はいつかは死ぬ。人間はそうした運命にあるので、自然とは全く異なる世界、時間を超えて存続する世界を作り出そうとする(工作物、とくに芸術作品がこの世界に属する)。
活動は人間の「多数性」に関係する。地球上に住んでいるのは決して一人の人間ではなく多数の人間だ。政治はこの多数性という事実に基づいている。
労働laborとは、人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力である。人間の肉体が自然に成長し、新陳代謝を行ない、そして最後には朽ちてしまうこの過程は、労働によって生命過程の中で生みだされ消費される生活の必要物に拘束されている。そこで、労働の人間的条件は生命それ自体である。 仕事workとは、人間存在の非自然性に対応する活動力である。人間存在は、種の永遠に続く生命循環に盲目的に付き従うところにはないし、人間が死すべき存在だという事実は、種の生命循環が、永遠だということによって慰められるものでもない。仕事は、すべての自然環境と際立って異なる物の「人工的」世界を作り出す。その物の世界の境界線の内部で、それぞれ個々の生命は安住の地を見いだすのであるが、他方、この世界そのものはそれら個々の生命を超えて永続するようにできている。そこで、仕事の人間的条件は世界性である。 活動actionとは、物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行なわれる唯一の活動力であり、多数性という人間の条件、すなわち、地球上に生き世界に住むのが一人の人間manではなく、多数の人間menであるという事実に対応している。たしかに人間の条件のすべての側面が多少とも政治に係わってはいる。しかしこの多数性こそ、全政治生活の条件であり、その必要条件であるばかりか、最大の条件である。 アーレントは、これら3つの本質によって規定されている人間の生活を「活動的生活」vita activaと名付ける。 「活動」が無くなる近代社会 アーレントいわく、この活動的生活はアリストテレスの「政治的生活」bios politikosの訳語として中世ヨーロッパに取り入れられた。しかし時代が下るにつれて、アリストテレス本来の意味とは異なるものになってしまった。このことは具体的には、政治的動物(zoon politikon)という概念が中世ヨーロッパで社会的動物と訳されたことに象徴されている。この段階で政治に関するギリシア的な理解は失われてしまった、とアーレントは言う。 公的領域と社会的領域 アーレントはここで、公的領域と社会的領域を本質的に異なるものとして捉える。 アーレントいわく、公的領域には以下の本質がある。 「活動」の領域 「テーブル」であり、言論でつながる 一人ひとりがともに異なる存在としてアイデンティティを発揮する場所 その意味で「現われの空間」といえる 公的領域には他人の存在が欠かせない。他人がいるからこそ世界を確信することができる。言葉も他人に聞かれることで現実性を帯びる。公的な事柄は、こうした公的領域への現われapperanceを前提としている。その意味で公的領域は現われの空間である。 また、公的領域は「テーブル」としての世界でもある。公的領域は家族とは違う。それは人びとを結びつけると同時に、異なる存在として分離してもいる。 世界の中に共生するというのは、本質的には、ちょうど、テーブルがその周りに坐っている人びとの真中に位置しているように、事物の世界がそれを共有している人びとの真中にあるということを意味する。つまり、世界は、すべての介在者と同じように、人びとを結びつけると同時に人びとを分離させている。 私たちは一人ひとり異なる人間として公的領域というテーブルに着き、そこで自分自身の差異性(個別性)を発揮する。これは私的領域には見られない特質である。これはなかなかポイントを突いた言い方だ。 一方、社会的領域には次のような本質があるという。 社会=デカイ家族 「必要性」を優先 画一主義(一人ひとりを異なる存在としてではなく、平準化された人間として扱う) アーレントいわく、ポリスにおいて平等は、互いに自らが独自かつ卓越した存在であることを示すことを競い合うための条件として捉えられていた。それに対して、近代社会の平等はメンバーを同質的なものとして扱い、差異を受け付けない。メンバーに何らかの行為を期待し、無数の規則を押しつける。社会では、ポリスのように独自性を追い求めることではなく、万人と同じ存在であることが求められる。 近代社会はいわば家族の巨大バージョンだ。そこに他人は存在せず、日常生活における「必要性」が力をもつようになった。その結果、「労働」が「仕事」と「活動」に対して圧倒的なウェイトを占めてしまった。これがアーレントの構図だ。 画一主義は社会に固有のものであり、それが生まれたのは、人間関係の主要な様式として、行動が活動に取って代わったためである。近代の平等は、このような画一主義にもとづいており、すべての点で古代、とりわけギリシアの都市国家の平等と異なっている。かつて、少数の「平等なる者」(homoioi)に属するということは、自分と同じ同格者の間に生活することが許されるという意味であった。しかし、公的領域そのものにほかならないポリスは、激しい競技精神で満たされていて、どんな人でも、自分を常に他人と区別しなければならず、ユニークな偉業や成績によって、自分が万人の中の最良の者であること(aien aristeuein)を示さなければならなかった。 以前には家族が排除していた活動の可能性を、今度は社会が排除しているというのは決定的である。活動の可能性を排除している代わり、社会は、それぞれの成員にある種の行動を期待し、無数の多様な規則を押しつける。そしてこれらの規則はすべてその成員を「正常化」し、彼らを行動させ、自発的な活動や優れた成果を排除する傾向をもつ。 以下、「労働」「仕事」「活動」のそれぞれについて、順を追って見ていくことにしよう。 労働(Labor) アーレントいわく、労働とは必要性necessityによる奴隷化だ。 労働は人間から自由を奪う。当初の奴隷制は、人間生活の条件から労働を取り除き、自由を手に入れるためだった。必然性から解放され、ポリスの空間で自由を得ること。これがギリシア奴隷制の当初の目的だったのだ、とアーレントは主張する。 労働することは必然〔必要〕によって奴隷化されることであり、この奴隷化は人間生活の条件に固有のものであった。人間は生命の必要物によって支配されている。だからこそ、必然〔必要〕に屈服せざるをえなかった奴隷を支配することによってのみ自由を得ることができたのであった。 労働からつらさが消えていく → 自由であることが難しくなる 労働に用いる道具が改善されるにつれて、生命を維持するための努力や苦痛が次第に感じられなくなっていく。そのため人びとは生命の「必要性」に従属していることに対して次第に無意識になり、その結果として自由になろうとする動機を持ちづらくなる。 というのは、人間の自由とは、常に、自分を必然〔必要〕から解放しようという、けっして成功することのない企ての中で獲得されるものだからである。 余暇は労働社会つまり近代社会の帰結 アーレントが言うには、労働社会としての近代社会に固有の問題として「余暇」の問題がある。 近代社会は「労働」「仕事」「活動」の3つの活動力をすべて労働に標準化した。芸術家のような限られたケースを除いて、労働と関係のない全ての活動力はどれも趣味とされてしまう。 これにともなって余暇の問題が現れてくる。余暇は労働から獲得した富を消費するためにのみ使われる時間である。それは生命維持だけの消費を超えて、世界中のあらゆるものをどん欲な消費の対象と変えてしまう。 近代社会が労働社会であるということは、それが「浪費社会」だということでもある。経済全体が浪費経済となってしまい、どれも消費の対象とされ、時間を超えて持続するようなものは無くなってしまう。 この過程の絶えず反復されるサイクルの中では、物は、現われては消滅し、姿を見せたかと思うと消えてしまい、十分に持続して生命過程をその中に閉じ込めるということはけっしてない。 「労働」まとめ:前現代的な労働観 確かに古代と比べると、アーレントの言うように、現代の労働環境がかなりの程度改善されていることは否定できない。しかし、いくらオートメーション化が進んだとはいえ、労働が努力や苦痛をともなうのは今も昔も変わらない。しかも労働が余暇が生み出すとは限らない。世の中には週休二日制の人もいれば、非正規雇用のもとでほぼ毎日働かなければならない人もいる。 近代社会は余暇による消費社会となるだろうという見方は、とんでもなく外れているわけではないが、一概にそうも言えない。 労働が生命の「必要」に応じていることは本質的な直観だ。しかし現代的に見て、アーレントの労働観はかなり古い。 仕事(Work) 次に「仕事」について見ていこう。 ふつう仕事と聞くと労働のほうを思い浮かべるが、アーレントでは、仕事とは作品を生み出す製作活動のことを指している。 アーレントは次のように言う。 仕事(製作活動)によって生み出される作品には「安定性」と「固さ」がある。「工作人」(製作者)は作品に生命を超える耐久性を与える。これを私は「物化」(具現化すること)と呼ぶ。ただ工作人だけが自然や生産物に対して自由な仕方で向かい、物化することができるのだ。 労働し、「混ぜ合わせる」〈労働する動物〉と違って〈工作人〉は、物を作り、文字通り「仕事をする」。いいかえると、わが肉体の労働と違って、わが手の仕事は、無限といっていいほど多種多様な物を製作する。このような物の総計全体が人間の工作物を成すのである。 それは、適切に使用されれば消滅することはない。実際、これらの工作物には安定と固さが与えられている。この安定と固さがなければ、人間の工作物は、不安定で死すべき被造物である人間に、住家を与える拠り所とはならないだろう。 芸術家は製作者 アーレントいわく、工作物(作品)の安定性は、とくに芸術作品の永続性のうちに象徴されている。 人間の工作物は、死すべき人間が住み、使用するものであるが、けっして絶対的ではありえない。しかし、このような人間の工作物の安定性は、芸術作品の永続性の中に表象されているのである。 芸術作品の源泉は、人間の思考能力だ。芸術は思考を具現化することであり、これは単に事物を変形することではない。それは「真実の変身」と呼ぶべきことだ。 思考を具現化し、事物を製作することは仕事人(芸術家)の技能だ。しかしそれが技能であるという点では、芸術以外の作品を製作することと何ら変わるものではない。 工作の営みも労働社会がズタボロにする カンのいい人は気づいたかもしれないが、アーレントは、近代社会すなわち労働社会が工作活動の営みも平準的な価値の規準のもとで等質化してしまう、と考える。 工作活動はオートメーション化によって機械のリズムに合わせられ、それによって支配される。道具は機械に取って代わられ、大量生産用に設計されたモノがエンドレスに生産される。 工作人(製作者)にとっての公的領域は交換市場であり、ここから商業社会が発展する。しかし労働社会が現れるとともに、生命に必要なモノだけが大量生産されるようになり、商業社会は終末を迎える。 「仕事」まとめ:根拠の薄い悲観 アーレントのいう「仕事」は確かに上手く言えているところがある。ただの道具であれば動物も作ることができる。しかし人間はそれを超えて、芸術作品を作ることができる。これが人間に固有の活動であることは全くその通りだ。 ただ、ここでもアーレントの古い労働観がせっかくの優れた直観を損なってしまっている。アーレントは機械が人間の製作活動に取って代わると考えたが、それは根拠の薄い悲観だ。現代は一人ひとりに合わせたサービスが求められる時代であり、少品種大量生産、ファクトリーオートメーション(FA)だけでは足りない産業構造へと移行しつつある時代だ。 世界の標準である有用性と美に取って代わって、たしかにある「基本的機能」をやはり遂行しているけれども、その形がなによりもまず機械の操作によって決定されるような生産物が設計されるに至っているのである。この「基本的機能」というのは、もちろん他の機能で基本的に必要なものはない以上、動物としての人間の生命過程の機能のことである。しかし、その生産物それ自体は—その変種ばかりでなく「新生産物への全面変更」さえ—完全に機械の能力に依存するであろう。 そうかもしれない。しかし機械産業が劇的に発達した現代でも、機械によって代替されない「匠の技」は受け継がれ、残り続けている。機械が現代の産業において大きな割合を占めていることは否めないが、だからといって私たちの生が機械の規準に合わせられるというのは言い過ぎだ。 活動(Action) 次に「活動」について見ていこう。 アーレントいわく、活動には次のような本質がある。 「多数性」「他者性」「差異性」によって規定 活動を通じて私たちは等しく“異なる”存在になる その人が誰であるか(who)を明らかにする 政治的生活の条件 世界の客観的な現実性の条件 「労働」や「仕事」は一人でも出来るが、「活動」は多数性を条件とする。活動を通じて異なる人間同士が、差異を保ちつつ相互に対して現われる。活動において人間は平等に異なる存在となり、その意味で唯一性(独自性)も手に入れる。 このように、人間は、他者性をもっているという点で、存在する一切のものと共通しており、差異性をもっているという点で、生あるものすべてと共通しているが、この他者性と差異性は、人間においては、唯一性となる。したがって、人間の多数性とは、唯一存在の逆説的な多数性である。 人びとは活動と言論において、自分がだれであるかを示し、そのユニークな人格的アイデンティティを積極的に明らかにし、こうして人間世界にその姿を現わす。しかしその人の肉体的アイデンティティの方は、別にその人の活動がなくても、肉体のユニークな形と声の音の中に現われる。その人が「なに」(“what”)であるか—その人が示したり隠したりできるその人の特質、天分、能力、欠陥—の暴露とは対照的に、その人が「何者」(“who”)であるかというこの暴露は、その人が語る言葉と行なう行為の方にすべて暗示されている。 活動によって私たちは自分が誰であるかを明らかにする。これは別に形而上学的な意味での(ハイデガー的な意味での)「存在の暴露」ということではない。活動は国籍や人種、性別などの差異性を踏まえつつ、言論や行為という仕方で固有性や独自性を競い合い、承認し合うゲームである。そうアーレントは言うわけだ。 こうした「活動」の空間として、アーレントは古代ギリシアのポリス政治を念頭に置いていた。 アーレントの理解では、ギリシア的な政治とは、ポリスにおける生活のことを意味する。『革命について』でも言っていたが、アーレントには、ポリスは生活の「必要性」(必需性)を克服したうえに成り立つ自由の空間だと映っていた。 アーレントはこの文脈で近代社会(近代国家)を批判する。それらは必要性を取り込み、私的な生活と公的な生活を一緒くたにしたため、「労働」が「仕事」や「活動」の領域に“侵入”し、それらを押しつぶし始めた。そうアーレントは考える。 現代世界では、公的領域と私的領域のこの二つの領域は、実際、生命過程の止むことのない流れの波のように、絶えず互いの領域の中に流れこんでいる。 活動は世界の現実性(リアリティ)の条件 アーレントいわく、活動は世界の客観的現実性(リアリティ)の条件でもある。活動は純粋な言論や行為であり、何か作品を残すわけではない(作品は「仕事」によって作られるので)。それにも関わらず、活動は事物の世界と同じ現実性をもっている。その感じを私たちは人間関係の「網の目」というメタファーで表現しているのだ。そうアーレントは言う。 要するに、ほとんどの言葉と行為は、活動し語る行為者を暴露すると同時に、それに加えて、世界のある客観的なリアリティに係わっているのである。 活動と言論の過程は、そのような結果や最終生産物をあとに残すことができないのである。しかし、それが触知できないものであるにもかかわらず、この介在者は、私たちが共通して眼に見ている物の世界と同じリアリティをもっている。私たちはこのリアリティを人間関係の「網の目」と呼び、そのなぜか触知できない質をこのような隠喩で示している。 近代哲学は意識への引きこもり哲学? アーレントはここで近代哲学へと批判を向ける。批判のポイントをシンプルにまとめると、近代哲学や現象学は主観主義であり、主観主義によって世界の客観的現実性を明らかにすることは最初から間違っている、というものだ。近代哲学は意識への引きこもり哲学にほかならない。そうアーレントは言うわけだ。 感覚作用を意識するとき、人は、自分の感覚を感じとり、感じとられた対象物も感覚作用の一部分となる。しかし、このように感覚作用を意識していても、それだけでは、形、形式、色彩、布置をもつリアリティに到達することはできないのである。たとえば、夢の中で見る木は、たしかに夢の続く限り、夢見る人にとって十分現実的であろう。同じように、眺められた木は、視覚の感覚作用にとっては十分現実的であろう。しかし、いずれの場合の木も、現実の木になることはけっしてできない。 近代哲学は、内省によって、人間が自分の感覚を感じる内部感覚としての意識を発見し、それだけがリアリティの唯一の保証であるとしたが、他方、世界を失った。しかし、この近代哲学の世界喪失は、世界と世界を共有する他人にたいする哲学者たちの古くからある懐疑と異なるものであり、その差はただ単に程度の問題だけではない。今や哲学者たちは、偽りに満ちた滅亡する世界に別れを告げ、それとは別の、真理に満ちた永遠の世界にもはや向かおうとはしない。彼らはこの二つの世界から共に身をひいて自分自身の中にひきこもるのである。 そんな読みは全然ダメ ただ率直に言って、こういう近代哲学の読み方は全然ダメだ。アーレントは最初から近代哲学=意識主義と決めてかかってしまっており、近代哲学から現象学まで一体なぜ認識を問題にしたのか、その問題意識に関する視点を全く欠いている。これはいけない。 近代哲学は内省によって世界を失った、とアーレントは言う。しかしその批判はポイントを外している。なぜなら近代哲学の認識論の課題は、認識問題を解明することにあったからだ。 認識問題のポイントは「どうすれば主観は客観に一致するか?」という点にある。私たちは意識の外に出ることはできない。ではどうすれば私たちが意識している対象が実際の対象を正しく言い当てているかどうかを確認できるだろうか?これが問題の核心だ。 この問題を根本的に解決したのが現象学(フッサール)だ。フッサールは、世界が確固として存在するという見方をいったんナシにする。そのうえで、私たちがどのように世界を捉えているかについて、普段の知覚経験をたどり直すことを通じて本質的な構造を描き出す。たとえば次のような感じだ。 私たちは世界そのものを知覚しているわけではない。世界の側面を色々な視点から見ることを積み重ねて、「世界とはこういうものであり、こういうものでありつづけるはずだ」という像を作り上げている。このことは私(フッサール)だけでなく、読者一人ひとりにおいても確かめられるはずだ。 「世界があって、それを認識している」のではなく、様々な条件によって世界の存在は信憑(実感)される。しかもこの信憑の構造を取り出すと、これは個人的なものではなく誰にとっても当てはまる本質的なものであるはずだ、と私自身が確信していることが分かる。もしこうした信憑が成立しなければ、私は他者とともに世界で生きているという実感を全くもつことができないだろう。これはフッサールの好き勝手な主張ではなく、深く追い詰めて考えると、確かにその通りではないだろうか? フッサールはアーレントのように「客観的リアリティはあるのだ!」と強弁するだけでは甘いことを知っていた。なぜなら、客観的リアリティそのものは確認できず、ただ意識の水準でのみ誰もが等しく現実の確信成立の条件を取り出す可能性がある、と直観していたからだ。だからフッサールはわざわざ意識の水準で議論を行ったのだ。 近代哲学・現象学は世界を失ったどころか、それを普遍的な仕方で捉えるために方法的に(あえて)意識の水準で議論を展開した。「木の知覚経験をいくら内省しても現実の木にはならない」と言っているようでは話にならない。それはただのイチャモンだ。 人間は動物へと退化しかけている 最後にアーレントは、なぜ近代社会が「労働社会」となってしまったのかについての理由を探る。アーレントいわく、その理由はキリスト教にある。 キリスト教は人間の生命を最高善と見なした。古代ギリシア的な人間と世界との関係を転倒させ、かつて「宇宙」が占めていた地位に生命を押し上げたのだ。 これにより「仕事」や「活動」が生命の「必要性」に従属するものと見なされた。その結果、「労働」が古代ギリシアで受けていたような軽蔑から解放され、むしろ聖なる義務とされた。 近代哲学者にとってこの観念は自明の真理であり、この転倒に挑戦しようとさえしなかった。現代社会でもなお、生命が一切のものに優越するという観念は生き続けている。 近代は、世界ではなく生命こそ、人間の最高善であるという仮定のもとで生き続けた。たしかに、近代は伝統的な信仰と概念を最も大胆かつ根本的に修正し、批判した。しかし、キリスト教がすでに滅びつつあった古代世界に持ち込んだこの基本的転倒にたいしては、挑戦しようとも考えなかったのである。近代精神に満ちた思想家たちが、どれほどはっきりと、またどれほど意識的に、伝統を攻撃したにせよ、生命は一切のものに優越するという観念は、すでに彼らにとって「自明の真理」の地位にあった。 「仕事」は確かに世界性を保っているが、それも結局のところは「労働」の一種としてしか見なされない。人間は進んで動物へと退化しようとしている。 人間がダーウィン以来、自分たちの祖先だと創造しているような動物種に自ら進んで退化しようとし、そして実際にそうなりかかっているということである。 遠く離れた宇宙の一点から眺めると、人間の活動力はどれも、もはやどんな活動力にも見えず、ただ一つの過程としか見えない。したがって、ある科学者が最近述べたように、現代のモータリゼーションは、人間の肉体が徐々に鋼鉄製の甲羅で覆われ始めるというような生物学的突然変異の過程のように見えるだろう。 悲観が議論を損ねている 本書でアーレントが示した「労働」「仕事」「活動」の3つの類型は、確かに本質的なものだ。とくに公的空間=「活動」のテーブルという見方は、なるほど確かにと思わせる。この観点は社会構想という観点からしても参考になるものだ。 一方、後半の近代批判では根拠のない悲観が目立つ。私たちの生活を労働が支配するようになったかというと、確かにそういう側面はあるかもしれないが、全てがそういうわけではない。平日は働き、週末は文化的な活動をする人は少なくない。「彼らは自主的に楽しんでいると社会によって思い込まされているだけだ。すべては労働中心主義を隠すためのメカニズムだ」と言えなくもないが、かなり苦しいし、確かめようもないので納得感をほとんどもたらさない。 近代哲学についても、批判してやろうという気持ちが空回りしている感が否めない。アーレントの意見を丸呑みするまえに、まずは自分で近代哲学の著作を読んでみてほしい。先入観なく、かつ時代背景と問題意識をしっかりと意識しつつ読めば、かなり堅実な議論を行っていることが分かるはずだ。 我々の印象では、十字軍をはじめ異教徒との激しい戦いを思い起こせば意外とも思うことだが、実は多くの紛争は宗教に名を借りた領土獲得競争なのだ。
十字軍はエルサレムという聖地をめぐる経済利権を取り戻すための戦争であり、「宗教的理由」は後付けと考えた方が理解しやすい。
迷惑さえかけんかったら、人生は好きに生きなあかん。自分の人生だけん。 がばいばあちゃん 2. 人に気づかれないようにするのが、ほんとうのやさしさ、ほんとうの親切 がばいばあちゃん 3. 心配せんでもええ。人間いつかは死ぬ がばいばあちゃん 4. 人生は死ぬまでの暇つぶし。死ぬまでの暇つぶしは、仕事が一番ええ。すると、暇つぶしながら金になる がばいばあちゃん 5. 頭がいい人だけでも、アホばっかりでも、世の中はうまくいかん。両方おるからええ がばいばあちゃん 6. 愛する女房も愛する旦那も、誰かに嫌われてる がばいばあちゃん 7. 人はまず働け。働けば、米、みそ、しょうゆ、友達、信頼がついてくる がばいばあちゃん 8. 人間は、五分悩んで解決せんもんは、解決せん。なるようにしかならん がばいばあちゃん 9. 人をうらやましく思うな。自分しかできないことをまたやれ がばいばあちゃん 10. 貧乏人も金持ちも飯は一日三食しか食えない がばいばあちゃん 11. 人はなんでも慣れるもんや。貧乏になったって三日たったら慣れる。金持ちも三日たったら慣れる。どっちも一緒。金持ちも貧乏人も何がどう違うんか。何も違いはせん がばいばあちゃん 12. 紙を二百万持ってきたって、冬寒いやろ。それやったら、その中の一万円でジャンパー買うたり毛布買うたほうがあったかい がばいばあちゃん 13. 世間に見栄を張ること、これが敵 がばいばあちゃん 14. 仕事の種類は一万くらいある。ほかの夢ばみつけんしゃい。 がばいばあちゃん 15. 心配せんでええ。貧乏には二通りある。明るい貧乏と暗い貧乏。うちは明るい貧乏や。しかも最近貧乏になったのと違う。先祖代々、由緒ある貧乏、貧乏五段の黒帯や! がばいばあちゃん 16. 通知表は、0じゃなければええ。1とか2を足していけば5になる。人生は総合力だから。 がばいばあちゃん 17. ケチは最低!節約は天才! 1980年代末、サンフランシスコの北方の町バークレーで1年暮らしたことがある。当時街角のはやっていたのがオリンピックの追加競技となったブレイクダンス。
1970年代、ニューヨークの貧困地区で、縄張り争いをしていたギャングが、暴力ではなく音楽と踊りで対決したのが始まりとされ、日本には80年代初めに伝わった。これは「紛争」を避ける手立てといえる。
また、バークレーの町を歩いてブレイクダンス以上に印象に残ったことは道行く人の中に車椅子の人が実に多いことであった。
アメリカななんと障害者が多いのだろう、ベトナム戦争のためかなどと思っていたが、帰国後テレビでバークレーの町が「バリアフリ-発祥地」でもあることを知った。映画「卒業」の舞台バークレーは、「学生運動の発祥地」ばかりではなかった。
この街では80年代に、公共施設には緩やかなスロ-プがついていて、すべてのバスには車椅子をもちあげる機械が備え付けてあった。
障害者がバスに乗り込む時には、運転手は機敏に運転台をはなれて、乗客4~5人が誰ともなく自発的に車椅子を機械まで持ち上げるのを手伝ってあげる、その連携ぶりに感心した。
かといって障害者が杖をもってあまりに定まらぬ歩き方を見た時、日本人ならつい手助けをしたり誘導もしたくなるが、そういう時には助けたりはしない。というより、へたに誘導なんかすることは相手にかえって不安を与える結果になるのかもしれない。
そこでは障害者の支援と自立が絶妙に按配されていた。
地域限定とはいえ、そんな見事なバリフリー社会を生んだアメリカが、今や分断の危機にある。
今年1月、アメリカでトランプ大統領の敗北を認めたがらない共和党員が議事堂になだれ込んで死傷者がでたことは、アメリカ民主主義の汚点ともなった。
多様な人々に「配慮すること」にはコストがかかる。しかし寛容のコストは国家的分断という不寛容のコストと比べると、安いものかもしれない。