エルビス イン メンフィス

ロック・ミュージックの定番「プラウド・メアリー」の日本語訳を読んだ時は、かなり意外であった。
それがテネシー川を悠然と渡る蒸気船「メアリー・エリザベス号」を歌った曲だったから。
「メアリー」という女性のイメージが先行していただけに、「船名」などとは思いもよらなかった。
「プラウドメアリー」は、「お高くとまった女性」でもなんでもなく、貴賓のある悠然とした蒸気船だったのである。
「知らない」というのは、おそろおかしい。
意外といえば、「蒸気船」ばかりか「蒸気機関車」を歌った大ヒット曲も。
その大ヒット曲「ロコモーション」は、スチーヴンソンが開発した世界最初の「実用」蒸気機関車名にちなんでいる。我が幼き日にブームとなった「ロコモーション」のダンスは、実は汽車の「しゅっぽしゅっぼ」を表現した踊りだったとは!
さて、「プラウド・メアリー」を歌ったのは、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)。
彼らの共通の友人の名前「クリーデンス」、エコロジカルなニュアンスを持つビールから取った「クリアウォーター」、そしてもう一度よみがえるという意味の「リヴァイヴァル」の3つを合わせた名前だという。
アメリカの南部をベースにしたバンドかと思ったら、サンフランシスコを拠点とするバンドだった。
「プラウドメアリー」が大ヒットしてから、「メアリー・エリザベス号」を見にいったとか。
CCRには1970年「雨を見たかい」(Have You Ever Seen the Rain)という大ヒット曲がある。
当時ニクソン政権下、ベトナムに雨のよう降ったナパーム弾を表した反戦歌と捉えるむきがあったが、本人達は肯定していない。
さて、「プラウドメアリー」の歌詞の一部を紹介すると次のようになる。
♪町での仕事をあとにした 昼夜かまわずこき使われ でも辞めずにいた時のこと考えて後悔したこと一度もない。 大きな車輪が回ってる。 プラウド・メアリー号よ、燃料を燃やして俺は進む、進む、進むよ、川を。 メンフィスでは町中を転々としニューオーリンズじゃたくさんの娘たちをナンパ でも気づかなかったよ、都会のいいとこ 川を進む汽船に乗るまでは。 大きな車輪が回ってる♪。
さて、この歌にでてくる「メンフィス」は、アメリカ合衆国テネシー州の西端にある都市で、ミシシッピ川(テネシー川)に面している。
メンフィスという市名はエジプトの古代都市にして都の一つでもある「メンフィス」に因んでいるという。
このことからも、アフリカ系が多いことが推測できる。そしてメンフィスを世界的に有名にしているのは、なんといっても「ブルース発祥の地」にして「エルヴィス・プレスリーの故郷」、そしてマルチン・ルーサー・キング暗殺の場所であること。
最近公開されている映画「Elvis」では、メンフィスで若き日を送ったエルビスが描かれている。
その中で、エルビスが黒人が多く集うキリスト教会でゴスペル(霊歌)のただ中に身を置く場面が象徴的に表現されていた。
そして、世界的な大スターとなったエルビスが、マヘリア・ジャクソンが歌うゴスペルを自分の心の故郷のように回想する場面があった。
両親は、熱心なキリスト教プロテスタントの信者 であり、1949年に一家はメンフィスにあるロウダーデール・コート公営住宅に転居した。
メンフィスは非常に貧しい黒人の労働者階級が多かったため、そのような環境の中で黒人の音楽を聴いて育った。
エリス公会堂のゴスペルのショーも欠かさずに観に行っていたという。
プレスリーは最初「The Hillbilly Cat(田舎者の猫)」という名前で歌手活動を始め、その後すぐに歌いながらヒップを揺らすその歌唱スタイルから、(彼に批判的な人々から)「Elvis the Pelvis(骨盤のエルヴィス)」と呼ばれた。
なにしろ「イージーライダー」で描かれた南部の保守的な街で、こういうスタイルで歌うのは、若者を不良にしていまうという批判が根強くあった。
また、それ以上に白人が黒人のリズム&ブルースを歌うことへの反発も大きく、エルビスの人気が高まれれば高まるほどに、批判は増していった。
保守層からは「ロックンロールが青少年の非行の原因だ」と中傷され、PTAはテレビ放送の禁止要求を行うなど、様々な批判、中傷の的になった。
KWKラジオではプレスリーのレコード(「ハウンドドッグ」)を叩き割り、「ロックンロールとは絶縁だ」と放送したことさへあった。
しかし「楽しむことを憚られるような音楽こそが、皆が求めている音楽」(パーカー大佐)は、プレスリーの歌う音楽とスタイルであり、保守的な地域にあっていつしか熱狂の渦に巻き込んでいく。
ところで、プレスリーの体にしみついたR&B(リズム&ブルース)は、メンフィスの歴史を抜きに語ることはできない。
メンフィスは、19世紀に綿花の集散地として発展する一方で奴隷市が開かれた歴史を持ち、今でも人口の約6割をアフリカ系アメリカ人が占める。
南北戦争以前には、メンフィスは綿花産業を支える奴隷を売買するための大市場となった。
1862年6月6日のメンフィスの戦いで合衆国軍(北軍)がメンフィスを掌握し、メンフィスは終戦まで北軍の支配下に置かれた。
戦時中のメンフィスは北軍の補給基地となり、南北戦争中も繁栄を続けた。
メンフィスは常に人種のるつぼだった。南部で作られる商品を求めて、北部からは交易商人がやって来たことで、アメリカの他都市では見られないような形で、黒人と白人の文化が交わった。
そして、メンフィスで取引されていた商品の中でも、「音楽」こそが特に重要なものであり続けた。
このメンフィスが、ミシュシュッピ川の河畔に建てられた街であることが、大きなポイントであった。
メンフィスから400マイル(約650キロ)南のニューオーリンズはジャズの故郷、ほんの数百マイル東にあるナッシュヴィルは、カントリー・ミュージックの故郷。
メンフィスでは、ミュージシャンやプロデューサー、エンジニアの中に、人種を気にする人がほとんどいなかったためだ。
当時の南部では、黒人がリンチされ殺害まで至ることが生活の一部として残り続け、店やレストラン、公共スペースや交通機関は白人用と黒人用に法律で分けられていた。
人種隔離が常識だった南部において、黒人と白人が仲良く働く業界は、メンフィスの音楽業界以外にはありえなかった。
こうしてブルース、カントリー、ゴスペルが融合し、「新たなサウンド」が誕生した。
それこそが、ロックン・ロール、リズム&ブルース、そしてソウルである。

自分が若き日に見た「エルビス オン ステージ」(1970年)の圧巻のステージが今蘇る。
映画「Elvis」(2022年)は、エルビスがそのステージに立った当時の最先端のホテル「インターナショナル・ホテル」の様子がよく描かれていた。
そしてエルビスといつも生活を共にしたマネージャーである「パーカー大佐」の存在を初めて知った。
そのお蔭で、かつての2次元の「記憶」がより立体感をもった感じがする。
映画「Elvis」の素晴らしさは、主演のオースティン・バトラーが演じた「エルヴィスプレスリー」につきるともいえる。
実在したシンガーやバンドを追った伝記映画はこれまでも製作されてきた。そのなかで、音楽部分は本人たちの音声データを使うことが多い。
しかし「Elvis」では、オースティン自身が歌っているのだから驚きである。
彼は、撮影に入る前の1年間は、ボイス・コーチングを受けていたと語っている。
そしてもうひとりの主役にして語りべであるマネージャー「トム・パーカー大佐」の謎めいたキャラクターをトム・ハンクスが演じた。
大佐は、米国人であると偽っていたが実際はオランダ出身で、独自のペルソナを演じて音楽業界に入り込むことに成功した、相当うさんくさい人物であった。
この映画は、そんなパーカーの視点で、「回想録」のような形をとっている。
また本作の山場のひとつでもある、1868年12月放送のTVにおけるカムバックショウで、エルヴィスが歌い上げる「If I Can Dream」は、劇中ではロバート・ケネディ射殺事件(1968年8月)の流れで出てくるが、実際は同年4月のキング牧師射殺事件にショックを受けたエルヴィスの胸中を推察して、作家チームが書き下ろしたものだという。
ところで、エルヴィスのラスベガス常設公演はどのように実現したのか。そこに大きく関わっているのが、パーカー大佐である。
1940~50年代のこと、カジノホテルを彩るエンターテインメントとして、ラスベガスで有名人による「レジデンシー・ショー」と呼ばれるコンサート形式が行われ始めた。
「レジデンシー・ショー」は、各地をミュージシャンが巡業するツアー形式ではなく、契約した一定期間、決まった劇場でコンサートをし続けることで、「常設公演」とも呼ばれる。
この常設公演は、ラスベガスでカジノホテルと結びついて発展し、いわばIR(統合型リゾート)のはしりといってよい。
「エルビス オン ステージ」の舞台は、当時世界最大の客室数1568室を誇る「インターナショナル・ホテル」。上から見てY字型となる30階建てのホテルのデザインは当時としては画期的で、その後の大型リゾートにも影響を与えたといわれる。
その後、売却され「ヒルトン・ラスベガス」として現存している。
そして伝説ともなったエルビスのステージは、キャリアの円熟期にあたる1969年から76年まで行われ、チケットはすべて完売。
「エルヴィス・オン・ステージ」ではライブや舞台裏の様子は記録され、1970年の公演を撮影・収録したものであった。
このステージでも常に歌われた「ブルースウェードシューズ」は、メンフィスを一躍有名にし、メンフィスで育ったエルビスと同時代のBBキングを含むアーティストにカヴァーされた曲だ。
なかでも、メンフィスの「ビール・ストリート」はR&Bの中心地。特に「メンフィス音楽大殿堂博物館」は>スミソニアン博物館のひとつで、メンフィス・ミュージックの全てを語る博物館である。
スタジオの機材や楽器、エルヴィス・プレスリーやジョニー・キャッシュのステージ衣装、南部の日常生活を再現した展示物などが並べられている。
道の向かいには「ギブソン」の工場があり、アメリカの優れたギターの製造工程を見学することができるのが、ロックファンにはたまらないところであろう。
それは、メンフィスが世界最大の綿花の集散地ばかりではなく、「木材の集散地」となったこととも関係がある。
ビール・ストリートで仕事に励んでいたアーティストには、B.B.キング、ハウリン・ウルフ、ルーファス・トーマス、アイク・ターナー等がおり、彼らはみな「サム・フィリップス」によってブレイクを手にした。
初期エルヴィスが在籍していたサン・レコードの経営者であるサム・フィリップスは、もともとは1940年代にアラバマ州マッスル・ショールズでディスクジョッキーをやっていた人物。
彼は白人だが、自分の番組では黒人の曲も積極的にオンエアしていた。
そのフィリップスが1950年、メンフィスで開業した「メンフィス・レコード・サービス」は、もともとは記念品としてレコードを作る録音サービスを展開していた。
これが「サン・レコード」の出発点となった。
フィリップスは、黒人の影響を受けた音楽をエルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンスといった南部の若い白人アーティストにレコーディングさせた初めての人物でもある。
エルヴィス・プレスリーはほどなくするとサンを離れるが、その後も長い間メンフィスに住み続けた。
彼が所有していたグレイスランドの邸宅は、アメリカでも特に人気の高い観光地となっている。
1960年代には、メンフィスは公民権運動の渦中にあった。
1968年4月4日には清掃労働者の待遇改善を求めるストライキの応援に訪れていたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師がロレイン・モーテルで暗殺された。
メンフィスには「公民権運動博物館」があり、ここロレイン・モーテルのバルコニーがある。
1968年4月4日、キング牧師が暗殺された場所で、ちょうどケネディ暗殺の「ダラス」と同じく、「メンフィス」の名を聞いて心が揺さぶられるもうひとつの理由がそこにある。
映画「Elvis」では、同じ年に、ロバートケネディも暗殺され、こうした出来事はエルビスの心をすさんだものにして、ドラッグにおぼれる原因ともなったことが描かれていた。
さて1958年1月20日に、プレスリーはアメリカ陸軍への徴兵通知を受けた。当時のアメリカは徴兵制を施行しており、陸軍の徴兵期間は2年間である。 保守層は、エルビスが軍隊生活を通じて、まっとうなアメリカ人となることを期待していたようだが、エルビスは勤務した基地でティーン・エイジャーだったプリシラと知り合い恋におちいる。
プリシラはプレスリーの駐西独アメリカ軍での所属部隊長の子であった
プレスリーは未成年であったプリシラを自分の父親とその妻の家に同居させ、有名なカトリックの女子高に通わせて、きちんと卒業させるということをプリシラの両親に約束した上で、プリシラをメンフィスで暮らせるようにした。
しかし、程なく2人はグレイスランドで一緒に暮らすようになっていく。
それから8年後の1967年、ラスベガスのアラジン・ホテルでプリシラ・アン・ボーリューと結婚した。翌年2月1日には娘リサ・マリー・プレスリーが生まれている。
その4年後、結婚前から続いているプレスリーの昼夜が逆転した生活、メンフィス・マフィア(エルヴィスの取り巻き)といつも一緒の生活、さらに年間何ヶ月にも及ぶコンサートツアーによる別居生活などのさまざまな理由から、2人の結婚生活は破綻してしまう。
グレイスランドを出たプリシラはリサ・マリーを引き取り、1973年に正式離婚している。
ただ、離婚後もプレスリーとプリシラは友人関係にあり、以前よりも密に連絡を取り合うようになったという。
ガールフレンドによって寝室のバスルームの床に倒れているところを発見され、病院へ搬送されたが死亡が確認された。享年42。
検視後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された。
晩年、プレスリーはストレスからくる過食症に陥ったことが原因で体重が激増したことに加え、処方された睡眠薬などを誤った使い方とされる。
この映画でラストで、エルビスを殺したという噂さえあるパーカー大佐は、エルビスを殺したのはドラッグや不摂生ではなく、ステージ上で受けるあまりにも大きな愛のためであったと語った。
その大きさ故にエルビスは寂しさをドラッグで埋めようとした。
映画で、エルヴィスが多くのファンにもみくちゃになる姿を、プリシラがとまどうように見つめる姿が印象的であった。
映画「Elvis」を見終わった帰り道、プレスリーもカバーした「プラウドメアリー」の曲が浮かんだ。
「プラウドメアリー号よ、燃料を燃やして 俺は進む、進む、進むよ、川を」。