憲法が育んだ無意識

日本国憲法が、人権保障や戦後平和に果たした役割は大きい。最近では「空文化」しているとも批判されるが、それでも日本人の無意識を大きく支配している。
さて日本人には、信仰の根拠となる教典が存在しない。神道であえてそれを探せば、日本書紀・古事記の神話の世界といえるかもしれない。
ただ、戦後は「記紀神話」の歴史的位置づけは著しく低下したので、「日本国憲法の世界観」がそれに変った感さえもあった。
とはいえ、憲法制定時に恒久平和主義に加え、「個人の尊重」(11条・13条)、「男女平等」(24条)など、ありがたく受けいれたが、今となってはマッカーサーに「宇宙服」か「洋服」を着せられた感ある。
現実が、憲法にまったく追いついていないからだ。
日本社会は、市民社会を経ずに明治維新をむかえたので、オカミ(行政)に依存して自律しきれていないという「後進性」がしばしば指摘される。
また、日本国憲法が、日本の伝統・文化に根差していないという面もある。
日本人は「個」は確立していないにせよ、互いにで智恵を出し合って問題を解決しようという伝統がある。
花見や運動会の場所とりひとつにせよ、先にいったものがテープをはって場所を確保するなど、外国人からみて驚くような効率性をもたらしている。
和歌や俳句も、歌会や句会といった他者との関わりの場でつくられるというのが基本的な考え方である。
場の雰囲気や感情を共有し、お互いに関わり触発しあう中で、よりよき詩歌が生まれるとした。つまり社交の場で人をもてなす中で作られるとした。
こういう芸術観は、労働や仕事の場おける「情報の共有」を生んだように思う。
日本人は、確かに「個」は確立しないにせよ、歴史の諸相を探れば、「相互連帯」をもって自らを守っていく「草の根」精神をそれなりに発揮してきた。
このことが近代化を可能にした一因でもある。
そこで憲法を「和服」に仕立て直そうという自民党改憲案中に、「個の尊重」に替えて、「家族は尊重すべき」というものがある。しかし、この文言は至極当然なことだけに、かえって心がざわつく。
安倍首相がカンヌ国際映画祭での「万引き家族」の最高賞受賞の快挙につき、けして賛辞をおくることがなかったことも思い浮かぶ。
少子化や幼児虐待、親の死を隠しての年金受け取りなどの現実をみれば、日本人は家族をもっと大切にすべきということは、誰もが意識していることだ。
そこで、国民は家族をもっと大切にしようという「道徳的戒め」に近い。
ところが、憲法という最高法規に「すべき」こととしてそれが書かれると、公法である以上国民全体の在り様をシバルことになる。
ところで自民党の「憲法改正草案」の中で「家族」に関する記述は次のようなものである。
(前文)日本国民は国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
(第24条) 「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」。
この自民党の憲法案は「2012年4月」にまとめられたものであるが、2021年最高裁の「夫婦別姓」の見送りなどみれば、その延長上にある。
「家族が助けあわねばならない」となると、従来の「教育、納税、勤労」に加えて助け合うことが「もうひとつの義務」になるのか、それも人の心の内面にまで踏みこんでの義務化ということになる。
1968年栃木県でやむにやまれぬ事情で父親を殺した娘に対し、通常の殺人に対し「重罰」が課せられんとした時、「尊属殺重罰規定」は「法の下の平等」に反するという訴えがなされた。
そして1973年「尊属殺人重罰規定」は法の下の平等に反し、「憲法違反」という司法判断が下された。
ちなみに、これが最高裁が違憲立法審査権を行使した最初の事案となったが、人間にとって、旧約聖書の「カインとアベル」にみるとうり、家族ほどその感情がもつれるものはない。
家族を大切に出来る人もいるし、出来ない人もいる、したくても出来ない状況の人もいる。
子供に満足に食事を提供できない家族に対して「子供食堂」さえもできている状況もある。
そこに、「家族を尊重すべき」とか「家族は助け合うべき」という一文が加わるだけでも、いま議論されている様々な問題(立法化)の方向性にも微妙に影響を与えることになるかもしれない。
そもそも、「家族を尊重すべき」という憲法案の中に「保守=伝統遵守」の匂いがある。
彼らが「家族」というのは、きっと「あるべき家族像」を想定しているだろう。
すると「家族の多様性」をもとめる法律の立法化につきどのような姿勢をとるのか、今から見える気がする。
具体的には、「夫婦別姓」「同性パートナー」「婚外子」などに立法化もしくは司法の判断を含む「法の適用」のことである。
少なくとも、現在の日本国憲法の婚姻(24条)の規定では、「両性の本質的合意」が重要だから、「同性パートナー」は想定されていない。
「家族を大切にすべき」という時、多様な家族の在り方というよりも、昔ながらの家族を指す方向性が意図されるならば、司法判断などを通じて、国家によりある種の「家族像」を押しつけられることにはならないか。
もっとも「家族は大切にすべき」という言葉の裏には、自民党は高校の無償化や高速道路の無料化、子ども手当の削減を想定しての案かもしれない。
つまり国は、「家族を大切にする」という道徳を前面に出して、これ以上社会保障にたよることはできないという布石にも聞こえる。
ハーバード大学のサンデル教授が近著で「アメリカ分断」の原因を能力主義をあげている。たくさん勉強や努力をして良い大学に入り、良い仕事と賃金を得る。それに成功した人はその結果を「自分の勤勉さや努力のおかげだ」と考えるかもしれない。
だが、アメリカの名門私立大学の総称であるアイビーリーグの学生の3分の2が、所得規模で上位20%の家庭の出身である。
アメリカン・ドリームつまり、勤勉で才能があれば誰もが出世できるは、もはや現実にそぐわない。
「やればできる」という言葉は、成功した人間にとっては真実でも、できないのは努力しなかったからだという思考に繋がりやすい。
やりたくてもできなかった人、そもそもやるような環境にいなかった人からすれば、できなかった自分を攻撃する呪いの言葉となってしまう。
また能力主義的信念は、すべてを個人の責任にするせいで連帯の基盤を提供せず、敗者には容赦しないし、自らも抑圧の中にいる。
この世界で、努力しても報われないのは何も学歴に限った話ではない。
市場がたまたま評価してくれる能力に恵まれていたか否かという「運」にも左右される。
サンデル教授が主に批判しているのは、「能力主義」による成功は自分の努力のゆえであると信じる傲慢さと、不平等な仕組みのまま実施される能力主義にある。それが分断をよぶ。
同様に、「押し付けられた家族像」は、たまたまそれに恵まれた人と、そうではない人との間で、分断をもたらすことにはならないだろうか。
特に、人生の成功/不成功に、いかなる家族に生まれたかが大きな要因となる格差社会にあっては。

日本人は無意識のうちに、憲法によって立つある種の「世界観」を抱き、それに支配されたといってもよい。
それは「憲法前文」の「我々は平和を愛する諸国民の信義と公正に信頼して我々の生存と安全を保持しようと決意した」という言葉に代表される。
日本国の安全は、「平和を愛する」諸国への「信頼」を第一のスタンスとしているからである。
さらに前文には「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去しようという国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」とあるように、平和社会実現のために世界唯一の被爆国たる日本が「先導的な役割」を果たすという含意も読み取れる。
さて、今憲法を読んでみると大きな「違和感」を感ぜざるをえない。
それは、あまりに「性善説的」なことである。
「違和感」のもうひとつの原因は、世界は未来に向かって段々良くなるといった「進歩主義」的なこと。
日本はアメリカの核の傘の下にいるゆえ、NPT(核兵器不拡散条約)に加盟していないし、適地攻撃論・核共有論など、およそ「憲法的」世界観から離れていることが議題にのぼっている。
ところで1960年代大ヒットしたジョーン・バエズの「ドナ・ドナ」という歌が思い浮かぶ。
誰が聞いても悲しく聞こえる歌だが、この歌は「大切に育てた子牛が市場に売られていく」という歌で、それ以上のことは語っていない。
もともとは1938年にユダヤとポーランドの俳優たちの共同演劇のためにつくられた曲であったらしい。
原曲には「屠殺」という言葉が登場する。
その哀調が重なるように、その内容も重なっているように思える。
それは「ドナドナ」が貧困や戦争を暗示しているように思えるからだ。
「ドナ ドナ」は、題名となった”Dona、Dona”の意は、一説によるとヘブライ語のアドナイ(わが主)と関連があるかもしれない。
聖書にはアブラハムが生贄としてイサクをささげんとした時に、イサクがアブラハムに羊はどこにいるのかと問われた時、「アドナイ エレ」(主は備えたもう)と応えている。
その「アドナイ」をナチス当局に悟られないように、「ドナ」と短く縮めて表現して「主よ、主よ」と歌ったものともいわれるが、正確なところは分からない。
ところで、1960年代に「風に吹かれて」のボブ・ディランを世に紹介したシンガーこそジョーン・バエズであり「フォーク・ソング」の女王とよばれた。
彼女は若者からみればディランとともに「反戦のシンボル」となった人物である。
実際、ジョーン・バエズの父親のアルバート・バエズは物理学者であり、軍需産業への協力を拒否し、そのことはジョーンの1960年代から現在まで続く公民権運動や反戦活動へ強い影響を及ぼしているとみられる。
そしてベトナム戦争に多くの若者が送られた当時の時代背景からすれば、「ドナ ドナ」の哀調は「戦場に送られる若い兵士」のことを歌っているように聞こえるのだ。
だからこの時代に人々の心を捉えたのではなかろうか。
10年ほど前に一世を風靡したマイケルムーア監督の「華氏911度」では戦場に送られる若者達をドキュメント・タッチで描いていた。
イラクでの米兵の死者は今3000名を超えたが、その死んでいった若者の多くは、製造業が死に絶え荒廃し、仕事も無い地方の学歴に低い若者である。
海兵隊は、そうした仕事の無い街にねらいを定めて「誇らしげな」海兵隊リクルーターを派遣する。
仕事の無い若者にとって、給料も払われ奨学金をえるチャンスもあり、大学に進学する機会もある軍隊は、階層社会を登る唯一のハシゴといってよいのである。
そのチャンスに賭けて、多くの若者が「荷馬車」に乗せられていったのである。
自分の息子を戦場に送られ失った一人の母親は、ホワイトハウス近くまできて建物を見つめながら、どこにもブツケようもない悲しみを握り締めているようだった。
ところで1950年の朝鮮戦争では、福岡空港(板付基地)や小倉あたりから多くの兵士が出兵している。
小倉の町には足立山があり、この山には高さ20メ-トルもある十字架があり、ここから出撃して朝鮮戦争で亡くなったアメリカ兵への思いをこめて立てられたそうだ。
朝鮮戦争でアメリカ人の父を失った俳優の草刈正雄は、このメモリアルクロスのある足立山から小倉の眺めを眺めることを楽しみにしているのだという。
そしてこのメモリアルクロスは、朝鮮半島を向かって立っている。
その一方で、小倉生まれの作家・松本清張は占領時代、朝鮮戦争に転任予定の黒人米兵が集団(300人)で小倉で強姦・略奪・殺人等を行った実際の事件を題材に「黒地の絵」を書いている。
1951年正月、米軍が38度線を越えてきた中共軍のため、再びソウルを放棄したことを伝えた。
小倉に増派された黒人兵達は、いつも自分達が戦争では最前線に立たされているということをよく知っていた。その心を小倉祇園太鼓が刺激する。
事件当時は国連軍が連戦連敗の「劣勢」で、黒人達は危険な戦場に送られる恐怖と自暴自棄に陥り、それが脱走・強奪につながったと推測される。
実際に生き残った逮捕者は朝鮮半島の激戦地に送られ、ほとんどが戦死したという。
大事件ではあったが、当時の日本がGHQの占領下であったことから、「情報規制」のためほとんど報道されず、被害の詳細は今でもわかっていない。
さて、朝鮮戦争を描いたアメリカ映画に1970年に公開された映画「マッシュ」がある。
この映画のポスターそのもので、二本の足の上のおしり、そのおしり上に手が乗っかっていてVサインを送っている。その方方の指に戦争ヘルメットがかかっている。
ラジオからは、日本の戦後のヒット曲「東京ブギウギ」などが流れている。
「マッシュ」の舞台は朝鮮戦争、この映画の主役といえる三人は、人の命をあずかる外科医である。
この三人が朝鮮戦争中、最前線近くの野戦病院へ赴任するのだが、病院といってもヤヤ大きなテントがあるのと、粗末なバラックがあるだけのキャンプ場のようなものである。
映画の出だしは異様に陽気でハイで、外科医達はヒマさえあればロクでもない「悪質」ないたずらばっかり考えている。
しかしついに前線から瀕死の負傷者がどんどんヘリで後送されてくる。次々の傷病患者が運ばれて画面の様相はまったく変わってくる。
このおばかで悪ガキみたいな三人でも、いざとなるやるべきことはやる。
医療機器もないにわか作りの病院で、次々送られる傷病兵の命を預けられても、たとえ医者でもまともな神経ではやっていられない事態となっていく。
こののコントラストこそがこの映画の核心であろう。
この映画が公開された1970年といえば、朝鮮戦争をきっかけに高度経済成長を登り詰めようとした時代で日本では大阪万博があった。
最近、知ったことだが映画「マッシュ」とは、Mobil Army Surgical Hospital、つまり野戦病院の意味だった。
ところで、憲法解釈に「プログラム規定説」というものがある。
例えば憲法25条「日本国民は健康で文化的な最低限度の生活をおくる権利を有する」は方針(プログラム)にすぎないとする。
方針なのだから、それが実現にいたらなくても、「実現過程」なのだから、憲法違反にはならないということだ。
国政選挙の一票の格差も「違憲」ではなく、「違憲状態」と表現したりするのも、そういうことだろう。
憲法を読むと「決意」「念願」「信ずる」「誓う」とか、およそ憲法にはにつかわしくない言葉が並ぶ。
また「永久」とか「恒久」という言葉は、時の政府や法律が担保できる範囲を越えている。
憲法改正はハードルが高い96条で施錠されている。
ロシア侵攻に対するウクライナの人々の「闘う覚悟」をTVでみるにつけ、日本国憲法はもはや「祈りの書」。
さらに、最高裁は1967年の朝日訴訟判決において、憲法25条の生存権は「プログラム規定」と解釈したが、「実現過程」どころか、現実の格差の広がりはその理念から遠ざかるばかり。
もはや「プログラム祈祷」とでもいうべきか。